第39話 何のための一揆か?
㈠
「芦北村五百名、揃いました。」
「水俣村からの三百名、坂本村二百名、五木村の五十名もおっつけ到着の予定!」
芦北村浜町八幡宮に設けられた本営に、百姓たちから次々と報告がもたらされる。本殿にどっかと腰かけた村長弥次郎兵衛は、腕組みして報告を聞いている。
固太りのいかつい男だ。いかにもどすの効いた顔で、百姓と言うよりは、地回りのやくざの親分と言ったところだ。
鉢巻をした若い百姓が、親衛隊さながら周りを囲んで威勢を示している。
「よおおし、これで千超えた!いよいよ代官所に打ち込みをかけるぞ!」
弥次郎兵衛の言葉に、周りの百姓たちは歓声を上げた。武器らしいものは鍬や鎌、手製の竹槍などだ。
「弥次郎兵衛さん、悪いことは言わない。こんな一揆が上手くいくわけがない。今のうちにおよしよ。」
商人風の若い男が、弥次郎兵衛の野良着の裾に縋り付かんばかりにして懇願している。
「備前屋さん。これは芦北、いや南肥後の百姓の問題だ!他所もんは、ひっこんどいてくんない。」
若い男は頭を振った。
「いーや!あたしも備前からここへ根を下ろして十年だ。もうすっかり肥後の人間だよ。それに、死んだ仁左衛門さんと約束したんだ。このあたりでは無駄な人死には出さないって!」
そのとき、境内に新たな報告がもたらされた。
「水俣、坂本、五木から、総勢五百名余り到着!参道の下に待機中!」
さらに何か言おうとする備前屋を抑え、弥次郎兵衛は勢いよく立ち上がった。
「野郎ども!出立だ。まずは芦北の代官所を襲うぞ!俺たちが丹精込めて作った米を取り戻すんだ!」
地鳴りのような歓声が響いた。
しかし、その声は一瞬で水をうったように静かになった。
「下で何があった?」
参道の階段を上がってくる足音がする。
数名?誰だ。
やがて、ひときわひょろ長い影が境内に現れた。
㈡
「いきなり来てなんてこと言いやがる。何のための一揆かだと。決まってるじゃねえか!」
弥次郎兵衛は息巻いているが、目の前の老人の、深い沈み込みそうな瞳の圧迫に脂汗をだらだらと流している。
畜生!侍とはいえ、ただの丸腰の爺じゃねえか。なんでこんなに圧力を感じるんだ。
「何のためじゃ。」
国兼は静かに聞いた。
「お前ら侍に理不尽に取り上げられた、俺たちの米を取り戻すためよ。」
圧迫を振りほどくように、弥次郎兵衛は大声をあげた。
「取り戻してどうする。」
「みんなに分けるんだよ。決まってるじゃねえか。」
呆れた。侍って奴はこんな簡単なことも分からねえのか。
「分けてからどうする。」
弥次郎兵衛は言葉に詰まった。激高の末の一揆だが、代官所を襲って以降のことは、正直全く考えていない。しかし、それを認めるわけにはいかなかった。
「次の代官所を襲うんだよ。それが済んだらまた次だ。」
「佐敷の加藤重次が黙って見ていると思うか?」
「佐敷から兵が来たら戦うんだよ!俺らの強さを、虐げられた思いを、加藤家の侍どもに見せてやるぜ! 」
周囲の若者たちが、おうと手を突き上げた。
「そうか。それでは聞こう。加藤重次は何千の兵で、いつ、どこで襲ってくるのじゃ。」
弥次郎兵衛は言葉に詰まった。そんなこと考えたことも無い。襲って来れば戦うだけ、芦北や水俣の百姓の思いをぶつけるだけだ。
「佐敷城には精兵三千がおる。そんなことでは全滅じゃの。」
「か。覚悟の上じゃ!なあ。」
弥次郎兵衛は、同調を求めるように周囲を見回した。若者たちの手が勢いよく上がる。
「覚悟は立派じゃ。しかし、お主ら一揆の仕置きがどのようなものか知っておるか。」
失敗したらどうなる。考えたことも無いことを言われた。
「よいか、一揆の仕置きは九族皆殺しじゃ。妻も、子も、父も母も、祖父祖母、親戚縁者まで悉く根絶やしにされるのじゃぞ。分かっておるのか。」
㈢
成程わかった。この老人の正体が。
「じいさん!加藤重次に言われて一揆を止めるように説得に来たんだろうが、そうは問屋が卸さねえ。帰って重次に伝えな、首を洗って待ってろとな。」
周囲から歓声が上がる。
「待って!」
歓声を引き裂くように叫びが上がった。
老人の伴の、大男の後ろに隠れるようにしていた少女が現れ、今度は周囲から驚きの歓声が上がる。
「凪沙、凪沙じゃねえか。生きていたのか。仁左衛門さんと一緒に、弥勒団に殺されたと聞いていたが。」
弥次郎兵衛が大きい目をむいて驚いている。
「あたしが弥勒団に殺されるわけがないよ。親父殿もね。なぜなら。」
凪沙は懐から仮面を取り出した。
「あたしが弥勒団の首領”弥勒”だからさ。」
「成程、話は分かった。しかし、途方もねえことを考えるもんだな。」
弥次郎兵衛は、腕組みをして考え込んでしまった。
「とにかくね。今回は解散しよ。今後のことはゆっくり相談しようじゃないか。」
備前屋が言った。
この男は?国兼の疑問を察して凪沙が説明した。
「この人は佐敷の備前屋さん。大丈夫!信用できるいい人だよ。」
国兼は頷き、弥次郎兵衛に向き直って言った。
「問題は唐入りなのじゃ。唐入りを止めねば、百姓の苦しみが続くばかりでなく、異国で戦って故郷に帰れぬ者も大勢出るじゃろう。止める手立ては、もはや謀叛しかない。命がけの謀叛じゃ。そうであるからこそ、勝たねば、成功させねば意味が無いのじゃ。無鉄砲に、無駄に命は捨てるべきじゃない。命には賭け時があるのじゃ。それは今ではない!」
弥次郎兵衛は、じっと国兼を見て言った。
「佐敷城は難攻不落と言うぜ。しかも加藤重次は、加藤家中屈指の戦上手だとも言う。じいさん、勝てるのかい。」
国兼も、弥次郎兵衛の目をじっと見て頷いた。
「不思議だな。途方もない話だと分かってるのに、あんたの目を見ていると本当にやれるって気になって来るぜ。」
そう言って、弥次郎兵衛は立ち上がり、国兼の手をぎゅっと握りしめた。
「佐敷、芦北、五木、水俣、坂本、五村の百姓の命を預かってくれるかい。」
国兼は弥次郎兵衛の顔をじっと見て、力強く手を握り返した。
弥次郎兵衛は周りに聞こえるように、あらん限りの大声で叫んだ。
「一揆はやめだ!俺たちはこの梅北国兼さまに命を預けるぞ!
敵は加藤重次じゃない。加藤清正でもない。
敵は、敵は太閤、豊臣秀吉だ!」
再び、いや一層大きく、地鳴りのような歓声がとどろき渡った。
歓声は止むことを知らないように思えたが、一つの報告がそれを中断させた。
「佐敷城の兵が!峠の向こうに迫っております。その数、およそ千!」
「しかたねえ、一戦やらかしますかい。」
弥次郎兵衛が聞いてきた。国兼は頭を振って、喜内に目配せした。
㈣
佐敷城の千の兵を従えた大将井上吉弘は、鬼ヶ城の峠の行軍している。物見の報告によると、一揆勢は浜町八幡宮に集結していると言う。その数はおよそ千。こちらと同数だが、甲冑や刀槍も持たぬ百姓相手の戦だ。楽すぎる戦いで、一方的な虐殺になるのは明らかだった。肥後の民に恨み満々の吉弘にしてみれば、こんなに楽しい戦は無い。戦と言うより狩りに近い感覚だ。
先鋒の境善右衛門が馬を寄せてきた。
「田ノ浦に入ったら手筈通り。」
吉弘は善右衛門の確認に面倒くさそうに頷いた。この男、腕は立つのだが、諸事いちいち確認せねば動けないという面倒くさいところがある。このように、わかりきったことも、いちいち確認するので、この男と話していると、時折いらいらが爆発しそうになる。
坂を駆け下り、千の軍勢は田ノ浦の村に入った。村はしんと静まり返り人影も無い。おそらく、一揆に参加せぬ女子供は、戦の気配を敏感に感じ取って、どこかに隠れてしまったのだろう。目的の八幡宮は海側にある小高い丘の上だ。一揆勢は丘の麓に展開しているらしい。
先鋒の境善右衛門が采配を振るった。先鋒隊三百が、槍隊を中心に嚆矢の陣形を組む。
「良いか、敵は鎌や鍬で武装した甲冑も付けぬ百姓だ。ここで怖気づいては末代までの名折れぞ。一気に敵中に突っ込んで、思う存分槍を振るって戦え!」
善右衛門の言葉に、兵たちは鬨の声を上げて応えた。
八幡宮が近づき、先鋒の隊伍の足が自然に速くなってくる。間が離れた後列の本隊を率いる吉弘が思わず呟いた。
「善右衛門め、はりきりすぎじゃ。こちらにも少しは残してくれんと張り合いが無いわい。」
本隊は村を抜けて、ようやく周囲が見渡せる海側の平地に着いた。もう先鋒は一揆勢に斬りこんでいっている頃だろう。その割には剣戟の音が聞こえてこないな。そう思い始めた吉弘の目前に、信じられない光景が広がった。
先鋒隊の善右衛門も唖然として立ち尽くしている。思わず馬を寄せて呟いた。
「何じゃ、これは。」
色とりどりの提灯が、神社の周辺に所狭しと飾り付けられている。
大勢の人々が道端に座り、楽しそうに濁酒を傾けている。
女も子供も楽しそうに参道の階段を駆け上がっていく。
境内から楽しそうな太鼓の音が響いてくる。
境内には出店もあるようで、香ばしい魚の焼ける臭いがこちらにまで流れてくる。吉弘と善右衛門は馬を下り、軍勢を残して境内に向かって歩き出した。
狐につままれたような気分とはこのことだ。
階段を転びそうな勢いでかけてくる男がいる。
見知った顔、備前屋か。
「これは、これは、井上様に境様、物々しいお恰好で。今日は一体どのようなご用向きでございますか?」
笑みを絶やさず尋ねる備前屋に、不信感をあらわにして吉弘が聞き返した。
「聞きたいのはこちらのほうじゃ!備前屋、これは何の騒ぎじゃ。」
備前屋佐助はニコリとほほ笑んで言った。
「これは、ご存じありませんでしたか。失礼しました。本日は年に一度の浜町八幡宮の祭礼にございます。近在近郷から多くの村人が駆け付け、おすなおすなの大盛況。まるで一揆でも起きそうな賑わいですな。まさか、井上様、物々しい恰好は一揆と祭りをお間違えになったとか?」
吉弘のこめかみに青筋が立った。
「そんなわけが無かろう。唐入りが迫っておるので訓練じゃ、訓練!」
備前屋は露骨に恐縮して見せた。
「大変ご無礼を仕りました。大変なお役目、お疲れ様でございます。」
吉弘はまだ不審げであったが、善右衛門に顎をしゃくると軍勢を取りまとめて引き上げていった。
「何とか誤魔化せましたな。」
境内から引き上げる軍勢を見て喜内が言った。
頷いた国兼は、別のことを考えていた。
引き上げの判断の素早さ
一糸乱れぬ軍勢の動き
佐敷の軍勢は、やはり手ごわい。
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