第16話 龍の姫君
(一)
国兼たちは、歩いて阿蘇山を越え、北側の菊池渓谷に出た。菊池川を挟んで存在する菊池渓谷は、うっそうとした森に包まれ、どこか厳かな雰囲気を持つ土地だった。
ここは北肥後の雄、菊池一族の本拠地であるが、正統の血筋が途絶えて、はや百年近くになる。菊池三老家である城、赤星、隈部が、この地を争い、現在は加藤清正の領地である。領主が目まぐるしく変わっても、平安時代から続いた菊池家に対する領民の尊崇の念は厚く、今より四年前の、天正一五年(1587年)の肥後国人一揆の際は、菊池の旗の下、三万五千もの軍勢が集まった。
その一揆の首謀者として処刑された筈の、三老家の隈部親泰が生きているというのも信じがたい話だが、百年ぶりに菊池家正統の血筋が現れたという話も、にわかには信じられない話だ。しかも、鈴によると、その正体は”龍”だという。
「龍と言っても、化け物じゃないのかい。」
忠助が、興味ありげに聞いた。
「全然、違うよー。もっと恐ろしいものだよー。」
「じゃから、恐ろしく強い化け物じゃないのかい。どう違うの?」
鈴の説明では、忠助は理解できなかったらしい。伝説通りの見た目とすると、化け物そのものではないか。そもそも、化け物とされる大蛇と、どう違うのか。
鈴はうまく説明できず。とにかく恐ろしいと繰り返すだけだった。
鈴に変わって説明するなら、それは化け物のレベルではなく、神に近い存在、もし悪いものであるなら、邪神と言うべき存在である。
「鈴が熊本で見たのが、本当に隈部親泰と覇王太夫なら、その龍の姫は、覇王太夫と関係があることになり申す。龍の姫は、歳久さまとも何やら関係を持っている様子、これが全て一本の線として繋がるのならば、由々しき事態でござる。」
甚兵衛が深刻そうな顔をして言った。
国兼も頷く。
「とにかく、今はその龍の姫とやらと会って、その心底を見極めねばならん。」
ざざざ
茂みから、次々と影が飛び出してくる。
歩きながら話し込んでいた国兼一行は、いつの間にか野良着を着、竹槍を持った数十人の百姓たちに取り囲まれていた。
「何者じゃ!」
「こやつら怪しいぞ。龍姫様と親泰様の名を口にしておった。加藤清正の間諜ではあるまいか。」
「大事の前じゃ。速やかに殺してしまうがよかろう。」
「子供もおるぞ。」
「構うものか、間諜の仲間じゃ。」
百姓たちは興奮して、口々に叫んでいる。
国兼はじっと見ていたが、馬を下りると叫んだ。
「わしらは間諜ではない。島津歳久さまの使いの者だ。菊池の龍姫様に、お目通りを願う。」
(二)
龍姫の屋敷は、菊池渓谷の奥地、竹林の中に隠されるようにしてあった。白い塀に囲まれた真新しい寝殿造りの御殿で、広大な庭には、菊池川から引き込んだ人工の小川が流れている。まるで平安貴族の隠家。時代錯誤も甚だしいのは、龍姫の格好にも現れていた。なんと、御簾の内側に、十二単を引きずりながら現れたのだ。ここまでいくと、どこか滑稽ですらあった。
国兼のみが部屋に通され、甚兵衛以下の家臣たちは館の外で待たされた。
「大丈夫かなあ。」
心配して鈴が言った。
「なに、心配はいらぬ。降魔の槍を持っていかれた。生半の化け物など敵うものではない。」
そう言う甚兵衛に、鈴はむきになった。
「だからー、化け物とは格が違うって何回も言ってるでしょう!」
「お主が梅北左衛門尉か。ここにおわすは龍姫様である。控えおれ。」
侍従と思しき老人が言ったが、国兼は澄まして座っている。
「聞こえなんだか。控え、控えおれ!」
侍従が焦って言うが、国兼はどこ吹く風で、頭を上げたまま、じっと龍姫を見つめている。座している右側には、降魔の槍が寝かせてある。
ぎしっと、場が凍り付くような空気が動いた。
「よい。礼儀を知らぬ田舎者。歳久殿の要件を申せ。」
甲高い声だ。人を不快にする何かを帯びている。
「歳久さまの要件は無い。あるのは、儂の要件じゃ。」
侍従が驚いた顔をして、怒りでわなわなと震え出した。
「お主、姫様をたばかったのか!許されることではない。万死に値するぞよ。」
国兼は聞いてか聞かずか、ニィと歯を見せて笑った。
「菊池の姫よ。いや、この世に現れし龍の化身、歳久さまを巻き込んで、一体何をするつもりじゃ。」
御簾で、姫の表情は分からない。
「お主の知るべきことではないわ。それとも、命がいらぬと言うかえ。」
御簾の内から、目に見えぬが、物凄い圧力が伝わってきた。
侍従は、へたり込んで、ぶるぶる震えている。
国兼は右手を降魔の槍に伸ばした。
柄を握った瞬間、穂先が眩く青く輝く。
その光は、御簾からの圧力の強まりに比例して、どんどん強く大きくなっていった。
「面白い槍を持っておるのぉ。」
御簾から、姫の姿に似合わぬ、しわがれた声が聞こえてきた。
「その槍に免じて、今日は見逃してやろう。次会う時は、礼儀を学んでおくがよいぞ。」
(三)
館から出てきた国兼は、少し青い顔をしていた。
「大丈夫でご、ございますーか。」
国兼は、猪三が聞いたその声で、ゆらとよろけた。甚兵衛が、駆け寄って支える。
「大事ございませぬか。」
国兼は頷いて言った。
「危うかった。鈴の言う通り、今までの魔物とは格が違う。しかし、一体何をしようと言うのか。何のために人の姿をしておるのか。見当もつかぬ。」
とりあえず、成り行きを眺めるしかなさそうだった。
国兼一行は、空しく菊池の里を後にした。
去りゆく国兼たちを、山の中腹から覗き見る者がいた。
豪奢な小袖を着た深編笠の武士。
覇王太夫である。
「さしもの降魔の槍も、龍には太刀打ちできぬか。いや、結構結構。それでこそ、菊池川の深淵から、封印を解いて現世に出した甲斐があろうというもの。」
独り言を言いながら、腕を組み首を捻った。
「しかし、あの龍、どんどん力が強くなる。そのうち、我の言うことも聞かなくなるだろうて。宿主である妄想狂いの百姓娘の身体も、もう保たなくなるじゃろう。反魂の法で蘇らせた隈部親泰も、最近勝手をするようになってきた。我が計画、急がねばならぬ。」
そう言うと、迫りくる夕闇に溶けるように消えて行った。
「お待ちくだされ―。」
伸びやかな、少し間の抜けた感のある声が、国兼一行を追ってきた。
振り返ると、太った大男が、息を切らしながら走ってくる。虎居で見たあの男だ。
足を止めた一行に追いつくと、男は膝に手をついて息を整えてから言った。
「失礼いたした。姫は世間知らず、ご無礼をお許しくだされ。」
いや、世間知らずというか。この男、わかっているのか。
「拙者は姫にお仕えする隈部親泰と申す者、梅北国兼殿、お噂はかねがね伺い、一度お会いしたいと思って居り申した。」
率直な物言い、太い眉毛の下の眼がクリクリっとして、素直さが丸出しの愛嬌ある顔つき、隈部親泰は、策謀家との評判と異なり好感の持てる男だった。
「お主は小倉で処刑されたと聞いたが。」
誰しも聞きたいことを国兼が問うた。
「そこでござる。それがしも刑場に引き出されたところまでは憶えておる。気が付いたとき、三年の月日がたっており、姫の御屋敷で寝かされておった。刑の執行の前に救い出されたが、どういうわけか三年の間眠り続けたと周囲の者から聞き申した。不思議にござる。そのせいなのか、今でも突然記憶が無くなり、今までいた場所から遠く離れた場所で気づくことがあるのでござる。」
嘘は言っていないようであった。
「あの姫は?数年まで菊池家の正統の血筋が生きているなど、噂にもなっておらなんだが。」
「それがしも最初は信じられんかったとです。しかし、菊池家の家紋並び鷹の羽の記された文箱の中の書状は、確かに正統の血筋を示してござった。何より菊池一族に伝わる伝説に合致しており申した。」
「どのような伝説でござるか。」
興味深げに忠助が言う。
「さらば語り申す。
菊池一族の血筋は一度絶えるに見えるが、百年後、守護龍の生まれ変わりたる正統の血を引く女子が現れ、まつろわぬ熊襲の血筋たる菊池一族を率い、大和の帝を倒し、この日の本を支配する。
でござる。」
大和の帝とは今上の帝のことだろうか。天下人を指すなら太閤秀吉と言うことになるが、日本に大乱を起こす預言には違いない。
「あの姫は。」
「さよう、わが菊池一族の守護神、龍の生まれ変わりこそ、あの龍姫さま。既に数々の奇跡を起こされ、生まれ変わりたるを疑うものは、わが一族にはおりませぬ。」
「当たり前だよ!あれは、生まれ変わりじゃなくて、りゅ……。」
鈴の口を五郎丸が手で塞ぐ。
歳久は菊池一族と手を組んで、太閤を倒そうというのだろうか。
あの龍、何を考えているかわからないが、覇王太夫と関係がある以上、正か邪のどちらかというと、邪であろう。
しかし、太閤が正しいというわけではなさそうである。
わしらは、どう動くべきか。事実の一部を知って悩みは深まった。
国兼一行は、親泰と別れ肥前名護屋へ向かった。
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