第14話 島津歳久の議

(一)

 島津義久、義弘の弟である公子(きんご)歳久の領地は、薩摩中部の祁答院郷周辺であり、石高は三万五千石。居城は虎居城、家臣八十名、三千の兵を動員できる。今年で五十五歳、国兼ほどではないが、当時としては老境に入っている。

 島津家中興の祖である祖父忠良から、「始終の利害を察するの智計並びなし。」と言われた知将であり、軍師制度の無い島津家にあって、長年軍師的な役割をはたしてきた。兄たちを助け、兄弟一丸となっての九州制覇の戦いに尽力したが、秀吉軍が来襲した際、いち早く降伏論を唱え、兄たちを困惑させた。その論拠はこうである。


 百姓から身を起こし天下人となることは、並大抵のことではない。また、身分や大名や社会全体を変革しようという大きな時代の流れをも、感じさせることである。ここは、一旦秀吉に降り、社会の行く末を見守るべきである。


 知謀の主、歳久の頭の中には、一個の島津家や薩摩のみならず、社会というもの、日本というものがあったようだ。考えの近い国兼や、別の思惑のある忠棟が同調したが、結局、歳久の意見は受け入れられず、豊臣軍との戦闘の末の降伏となった。この戦いの中で、歳久は反秀吉へと変貌していく。それは、秀吉が歳久の思ったような男でなく、「いやらしい成り上がり者」とのみ映ったからだという説がある。

 その例のひとつが、美女狩りである。資料もあるが、荒淫多淫の秀吉は、九州征伐に天蓋付きの南蛮ベッドを持ち込み、土地土地の美女を、人妻であれ関係なく差し出させた。逆らうものには、容赦なく処罰を下した。

 また、秀吉は、正確には百姓上がりとは言えないことも明らかになった。彼は農作業を嫌い、少年のころ浮浪児となっているのだ。百姓の家に生まれただけで、百姓ではない。百姓が嫌で侍を目指したのだ。百姓を蔑みこそすれ、百姓の気持がわかる筈は無かった。社会改革の志を持つ歳久が、秀吉に幻滅したのは当然のことであると言えよう。

 更に追い打ちをかけたのが、弟家久の死である。豊臣秀長と降伏後の会談をした家久は、帰城後、突然死亡している。


閑話休題

 家久の死には、毒殺説と病死説がある。病死説を唱える者の論拠に、秀長の側近である福地長通が義弘に宛てた書状(同年5月13日付)に家久が病気であると書いてあるというのがあるが、おかしいと思う。なぜ、秀長の家臣が、わざわざ兄である義弘に、他人が病死ですと念を押すような手紙を出すのか。逆ならまだわかる。筆者には、これは「私が犯人です。」と言っている手紙のようにしか読めない。


 歳久も同じように考えた。秀吉が毒殺を指示したと思った。歳久は、家久に島津の将来を賭けていた。この天才児は、島津家を必ず天下へと導く器だと思っていた。家久の死による歳久の落胆は激しく、その落胆は、そのまま秀吉への激しい憎しみとなった。義久との和平後、秀吉が領地を通った際、家来の本田四郎左衛門に命じて、秀吉の乗る駕籠を射させたのは、その表れである。この時は、和平に水を差されたくない秀吉が不問に付したが。

 歳久は、家久の死後、だんだんと内城へ登城しなくなり、領地に引き籠るようになった。秀吉を憎む智謀の将が何を考えているのか、義久ならずとも、気になるところだった。


(二)

 湯之尾から山間の道を鶴田郷へ抜け、東へ暫くいった紫尾山の麓に、虎居城はある。間に山はあるものの、忠元同様、歳久も国兼の隣地の領主だった。両者の関係は、三十六年前の岩剣城攻めに遡る。この戦で先陣を務める国兼に、初陣の歳久が声をかけたのが出会いである。その後両者は、菱刈攻め、北原討伐、耳川、九州征伐などで協力して戦い。民のための平和の世の中を作ろうとの志も同じ、馬も合って、お互いにかけがえのない友となった。その国兼でさえ、最近連絡が取れていなかった。気になっていたので、義久の命は、渡りに船だった。 


 国兼は猪三と五郎丸、鈴を伴に、祁答院郷の街道を、一路、虎居城を目指し歩いていた。

 領地を歩いてみると、灌漑と水防の普請が進み、街道は広げられ、田畑は活き活きとして、道行く百姓たちの顔は明るい。内治が行き届いている証拠だった。畑の縁には、方々柿の木など果樹が植えてある。歳久の命で、百姓が副業としているものだ。市で売れば現金収入となる。

「いいなあ、ここ、住みやすそうだなー。」

猪三が言うのは、ただ柿がうまそうだからに過ぎない。


 突然、この季節には珍しく、空に稲光が走り、激しい雨が降ってきた。国兼たちは、たまらず柿の木の下に逃げ込んだ。濡れた着物を絞りながら、雨が上がるのを待つが、一向に雨足は弱まらなかった。


 「あれ、何?」

 土砂降りの雨の中、街道を何かが、ゆっくり近づいてくる。近くに来てやっと、珍しいものだと分かった。巨大な黒牛を、負けないくらい大きな男が引いている。茶色の小袖に灰色の半袴、大小をさした侍だ。

 黒牛の上には、この世の者とも思えない美しい少女が、足を揃えて横座りしている。年のころ十六,七だろうか、すらりと背が高く。長い艶やかな黒髪を毛先で束ね、白い肌、大きな吊り上がった黒い目、高い鼻に、薄い唇。何とも言えない香気が、鼻をついた。嗅いだことのないいい匂いに、五郎丸は、うっとりしている。

 どういう仕掛けか、蓑を着た大男が雨に打たれているのに、黄色に赤い牡丹の模様のある小袖一枚の少女は、全く水に濡れていない。通りざま、こちらへニコと笑いかけた。その美しいこと、猪三、五郎丸だけでなく、国兼すら、魅了されて見送った。

 五郎丸が気づいた。なぜか、鈴だけがそっぽを向いてぶるぶる震えている。

「どうした。焼きもちか。」

 五郎丸が意地悪っぽく聞いた。

 鈴は、ぶんぶん頭を振って言った。

「みんな、気づかないの。あれは、人間じゃないよー。」

「化け物じゃったか。その割には、槍が静かじゃったが。」

国兼が首を傾げた。

「あれは化け物じゃないよー。もっと、ずうっと恐ろしいものだ。」

そう言いながら、鈴は蹲って、ずっと震えていた。


(三)

 虎居城の近く、川内川の河原に歳久はいた。精鋭六十名を二隊に分けた合戦の演習を、床几に腰かけ見守っていたのだ。この精鋭六十名は、二十を筆頭とする若者で構成され、家臣の子弟や百姓兵の中から、体力武術に優れたものを、歳久自ら選抜したもので、「壮丁六十名」と呼ばれている。流石に歳久が選抜し、鍛えぬいただけあって、川の中でも無駄のない動き、全員確かな武術を備え、一体として戦う隙の無い軍となっていた。

 「おう、来たか。」

 歳久はニコリと笑った。

 横に立つ、暫くぶりに会う友に驚きもせず、まるで来訪を予想していたかのようだ。

 「なかなかの軍でござるな。」

 国兼は素直に褒めたが、歳久は頭を振って言った。

 「まだまだじゃ、お主の鍛えた梅北衆の足元にも及ばんわい。」

 謙遜でなく正直な気持ちだろう。歳久は、生真面目な完全主義者で理想主義者だった。

 「清原一郎次!金本三郎兵衛!」

 大声で壮丁を分けた両隊の大将を呼ぶ。演習の最中だが、二人の大男が駆け寄ってきた。

 「梅北国兼殿じゃ。」

 歳久の紹介に、清原金本の両名は立ったまま深々と礼をした。

 「お目にかかれて、うれしゅうござる。殿よりお噂はかねがね。」

 上気した顔で清原が言う。秋だというのに日焼けした、赤銅色の筋骨隆々とした体躯。剃り上げた坊主頭に鼻下と顎に薄い髭を蓄えた、いかにも剛の者といった風情だ。黙って立っている金本も同じくらいの体躯で、鋭い鳳眼が印象深い男だ。この二人、さしずめ歳久を守護する前鬼後鬼といったところか。


「さて、何か話があってきたのじゃろう。儂にもある。城まで参ろうか。」

歳久はそう言うと、床几を畳み、清原に放ると、居城虎居城へ向け歩き出した。

国兼も黙って後に続く。


(四)

 虎居城は、川内川ほとりの小高い丘に作られた中規模の山城だ。いざとなると、歳久配下の三千人の兵が立て籠もれる十分な広さを持ち、知謀の歳久が縄張りしただけあって、複数の空堀に、丘や川まで利用しての緻密な防備体制が築かれ、難攻不落と言って良い城だった。中の仕様は、質素倹約を旨とする島津家らしく、簡素で、通された居間も豪奢な設備など何もない。

 「さて、そちらの要件から聞くとしようか。」

 島津兄弟は、鎌倉以来の名家の生まれだが、皆、薩摩の気風に併せ、飾り気のない率直なところが魅力の一つである。歳久は、個人としても質実剛健、素朴単純を愛し、家中に奨励し、自分でも常にそうあるべしと努めている。

 歳久の率直な問いに、国兼も率直に答えた。

 「長くご出仕なく、義久様が心配されておられますぞ。」

 「はは、兄上か。」

 歳久は、この男らしくない暗い笑いを見せた。何事か隠し事がありそうだった。

 「国兼よ。」

 「何でござろう。」

 「友として聞く。太閤の政をどう思う。」

 「どうとは?」

 「正しいか、正しくないかという話じゃ。」

  いかにも歳久らしい物言いである。この男の行動原理は、純粋に正義か不正義かであり、若いころから不正義を憎むこと甚だしかった。家久の死以来、その傾向はますます強まっているように感じられた。

 「太閤検地を見よ。自分で作った基準を自分らだけで適用し、他人が命がけで手にした領地を、何の苦も無く奪い取る。まるで、悪徳商人のような遣り口じゃ。

 刀狩りから、天領の二公一民の高額な税率導入、士農工商の身分制度と人払い令によるその固定という一連の狡猾な遣り口を見よ。人を貴賤に分け、格差を設けたうえで、百姓を牛馬のように扱う、戦乱の世ですらあり得なかった苛政、百姓にすれば生き地獄のような世の中を作りおった。

 更に、この度の朝鮮出兵じゃ。長き戦乱に疲れ果てたこの国で、他に誰も望まぬ異国での長期にわたる戦を、己一人の名誉を達成するために行おうという。どれだけの血と、どれだけの財が失われることか。その一方で得られるものは何か。新たな領土は得られるかわからぬ。確かなのは、朝鮮と明の人々の、恨みだけではないのか。

 こんな酷い為政者が、今までこの国にあったか。お主なら分かるじゃろう。」


 一気にまくし立てた歳久をじっと見て、国兼は頷いた。

「分かり申す。しかし、嘆いていても何の解決にはならぬことは、十分承知でおられる筈、一体何をなさるつもりですか。」

 歳久は、国兼の顔に己の顔を近づけ声を潜めて言った。

「乱じゃ。儂は太閤に乱を起こす。」

「乱を起こしてどうなさる。批判からだけの乱は何も生みませぬぞ。」

「もちろんじゃ、儂らの描いた国を作る。」

「民のための国ですか。乱の主力は侍にせざるをえないことを考えると、困難な道じゃ。」

「困難でも、やらねばならぬ。今の武士は、太古の百姓の守護者であった成り立ちを忘れ、まるでかっての平安貴族のような階級意識の中で生きている。だから平気で民百姓を踏みつける。正さねばならん。」


「釈迦に説法ですが、」

国兼は襟を正して言った。

「もちろん、一人では成功しませぬぞ。民のための国というところも踏まえ、どうお考えか。」

歳久は更に声を潜めた。

「儂のすることだ。むろん策はある。しかし、ここから先は、いくらお主でも、同心してくれぬ以上は話せぬ。」

国兼は頷いて言った。

「同心せぬでもない。しかし、しばし待たれよ。乱は、儂が太閤と会い、その心底を確かめてからでも遅くはありますまい。」

「太閤と会うじゃと!叶うのか?」

歳久は思わず大声を上げた。

「分かりませぬ。しかし、目いっぱい、努めてみたく存ずる。」

 静かな決意と共に国兼は言った。


ところで、と国兼が問うた。

ここに来る前に、黒牛に乗った美しい女子を見た。

ただものではない雰囲気だったが、

あれは何者か、ご存じあるか。

歳久は、これも秘密に属することだが、これだけは話そうと言った。

「龍姫じゃ。肥後菊池一族の。」

「菊池一族は、十年ほど前滅亡したはずじゃが。」

「その直系は菊池の里深く隠され、守られておったらしい。ある預言に基づいてな。」

「どういった預言でござる。」

「詳しくは知らぬ。菊池一族はいったん滅ぶが、一族の守り神たる龍の生まれ変わりが現れ、菊池家を再興するとかいう、そんな話じゃ。付き添っておられたのは、菊池三老家のひとつ、隈部家の隈部親泰殿じゃ。」

「!。隈部親泰は、先年肥後国衆一揆の首謀者として、小倉で処刑されたと聞き申したが。」

「不思議な話じゃが、生きておったらしい。わしも戦場で見え、見知ってはおるが、間違いなく姿かたちは隈部親泰、本人じゃ。」


城外で待たされていたが、碧眼翁の命を果たすべく、遠耳を使って様子を探っていた鈴が思わず叫んだ。

「あれは、龍の生まれ変わりなんかじゃない!龍そのも……。」

あまりの大声に、何事かと門番が注目した。それを見て、五郎丸が慌てて、鈴の口を手でふさいだ。

 

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