第3話 秋祭りの夜

(一)

 五郎丸は、川西村の兵助たちと別れ、川東村の家まで走って帰った。毎年九月、年一回の湯之尾神社の祭礼には、たくさんの出店があり、このときしか食べられない他所の名物が並ぶ。川内のちんこ団子、鹿児島の高麗もち、大口のいこもち、想像しただけで涎が出る。おっ母から、小遣いをせしめて早くいかねば。


 家に駆け込むと、間の悪いことに父太郎次郎と出くわした。

「男が何を慌てとっとじゃ、少しは落ち着かんか!」

 いきなり怒鳴られたが慣れっこだ。ぺこりと頭を下げると炊事場に行き、水瓶から柄杓で水を一杯、ごくごくと飲む。そしてまだ何か説教したそうな父に言った。

「滝のところで、殿様に会った。」

 助けられたなんて格好悪いことは、口が裂けても言えない。いや言わない。

「ああ、国兼様か。………二年前まではそうじゃったが、残念ながら、あの方はもはや我らの殿ではない。」

「!、本当か父上、じゃあ我らの殿様は誰じゃ?島津の殿様か?」

五郎丸は、心底ほっとした様子で聞いた。

「今は、太閤豊臣秀吉様ということになるのかの。」

「やった!」

 五郎丸は、飛び上がらんばかりに喜んだ。尊敬し目標とする秀吉が我が殿、未来への道が明るく開かれたようで、踊りだしたい気分だった。

 狂喜する息子を目にして、父は思わずため息をついた。

「呑気なもんじゃ。親の苦労も知らんで。」


(二)

 ここで太閤検地というものについて、私見を交えて解説したい。

 太閤検地とは、豊臣政権が全国規模で行った課税対象たる米の収穫量調査である。過去も検地はあったが、自主申告制で基準の統一性も無かった。太閤検地は、計量基準を京枡に統一し、課税標準である一段の基準を統一して行った本邦初の実地検地である。

 この検地は、教科書等で上の画期的な面ばかり喧伝されているが、多分にマイナス面を有していた。

 第一に、この検地は、流血を伴わず大名の領地を収奪する詐欺的手段だったことである。そもそも、大名自身とその家臣の領地は、石高で定められていたが、石高の基準となる収量の見積もりは適当で、古くからのものが流用され、農業技術革新による増加を勘案していない過少なものだった。皆、何となく分かってはいたが、検地までの石高とはそんなもの、実際は過大なのが常識だった。秀吉はそのことを100も承知で検地をした。しかも、今まで使っていたのとは違う小さめの桝で。当然、全国各地で過少申告が明らかとなる。次に各大名地頭に、自分の石高以上の領地を返納させた。筋としては大名に返すべきだろうが、大名も申告する対象者であり、過大な領地の返納義務を負う者だった。

 誰に?天下人たる秀吉しか返納する先はない。豊臣政権はこの検地によって全国各地に領地を増やしていった。

 第二に、この検地は大増税のためのものであり、多分に収奪的性格があった。戦国時代の税率は、国ごとにまちまちだが、五公五民(収入の50%)が平均であった。高くとも六公四民(60%)で、それ以上徴収しようとすると、悪政として必ず一揆が起きた。

 この度、太閤検地を期に定められた天領(秀吉の直轄領)の税率は二公一民(70%近く)であり、これだけでも税率は二倍近くにはねあがった。

 更に課税標準の切り下げも追い討ちをかけた。一段(いったん)は360歩であることは、全国一致していたのに、理由なく一段を300歩とした。これにより、実質的に税率は1.5倍になる。そして全国平均からすると、小さめの京枡を使って収穫量を量ったことで、増税率は四倍以上になった。

 当然、天領の百姓たちに不満はあったろうが、一揆を起こそうにも、先んじて行われた刀狩りで、一揆の道具を奪われていた。用意周到で、狡猾な増税だったと言ってよい。


(三)

 天領の領民を苦しめたのは、それだけではない。頻発する公共工事などの費用に充てるため、臨時の徴税が頻発した。昔から秀吉には、経済観念など皆無だった。弟である大納言秀長が苦労して金策し、ときには兄を諫めて、財布のひもを絞ってきた。その秀長も今年(天正十九年)一月病のため亡くなり、石田三成、増田長盛、長束政家など秀吉にはイエスマンの経済官僚のみが残った。太閤秀吉の放蕩三昧を止める手段は、もはや無いと言って良い。


 村長である太郎次郎は、太閤の度重なる徴税に、自身のみならず、村のまとめ役としても困り果てていた。そんな親の苦労も知らず、馬鹿息子は、祭りに浮かれて小遣いまでせびりに帰ってきた。

「今年は、祭りに行くことはまかりならん。」

 太郎次郎の言葉に、五郎丸の顔が曇る。なぜだ、お父のケチ!こうなったら、金を持たんで祭りに行ってやる。兵助たちが、少しはおごってくれるさ。怒りに任せ、後も振り返らず、走って家を飛び出した。途端、五郎丸の耳に聞きなれない音が入ってきた。


 ごろごろ

 荷車を引くような音に交じって、

 ざっざっ

 大勢で規則正しく歩く音、さらに

 かっかっ

 馬のいななきまで聞こえてきた。

南の村境の方だ。いったい何じゃろ。確かめたくなった。

 五郎丸は、祭りとは反対方向に駆け出した。


(四)

 ここ菱刈湯之尾は、国兼によって湯治場として整備され、家臣の川畑喜内が主人を務める大黒屋によって宿場町として発展した。元々、鹿児島から大口、肥後人吉、日向えびのへ抜ける交通の要衝だったので、山間の町は、みるみるうちに大きくなった。

 日頃から近郷近在の当時客が多いところに、今日は年に一度の秋祭りである。通りは、歩くのに不自由するくらい人でごった返していた。

 その中を商人らしい出で立ちの、力士を思わせる大きな男と、中背で、穏やかな微笑みを浮かべた男が歩いていく。大男は薩摩人らしく、目はぎょろりと大きく、眉が太く、四角い顔に意志の強そうな口元をしている。中背の男は、いわいるしゅっとした二枚目で、優しそうな眼もとに、どことなく上品そうな顔立ち、さわやかな青の小袖を着流し、道行く女たちが、きゃあきゃあ言っている。


 大男は国兼の家臣で、大黒屋主人川畑喜内である。商人らしい外見とは異なり、若いころは薩摩郡山の仁王といわれた悪童で、自らを鬼無と名乗り、わずか十二歳で、兄の仇である同族の豪勇川畑鬼四郎を討ち取り、薩摩国中に恐れられた。九州有数の大店の主で、各国に十の支店と千人の奉公人を抱える大金持ち、堺で商売の修業をし、千利休の弟子でもある。こういう経歴ながら、わずか二千石の地頭、国兼の家臣でもある変わった男である。


 美男のほうは、伊地知完左衛門、通称は半左エ門で、こちらの名の方が知られている。大隅垂水の名族伊地知家当主重興の末弟であるが、伊地知家を捨てて国兼に仕えた。半左エ門とは半人前を意味する。この男、武士でありながら殺生を嫌い、槍の名手でありながら必要以上の武を振るわない。重興は呆れ果て、お前など半人前じゃと言って、家臣の前で、わざと半左エ門と呼んだ。完左衛門は、その呼び名をかえって気に入ったようであったが、伊地知家が肝付家を裏切り、島津家についた時点で家を捨てた。防備築城に才があり設計や建築もする多才な男で、他家も家臣にほしがったが、この男もなぜか、わずか百石取りで国兼の家臣を続けている。


 祭りの浮ついた雰囲気も手伝い、ふたりは穏やかに語り合いながら湯之尾神社に向かった。湯之尾神社は、平安時代に建てられた古式豊かな建築である。旧領主菱刈氏の衰退で寂れていたものを、国兼が修復し、家来であり、出水筥崎宮の宮司の弟である宮内次右衛門を神主とした。次右衛門は陰陽師に加え薬師でもあったので、神社の隣に施薬院を立てさせ、領民の怪我病気の治療に役立てた。施薬院は、湯之尾が温泉地である関係で、近郷近在からも患者が押し寄せ繁盛した。


 神社に向かう階段の途中で、紅潮し汗を拭きながら、へばった顔で禿げた小男が座っている。太鼓を叩いていた国兼の家臣下田忠助である。忠助の太鼓は、名人を超えた神鼓として国中に有名である。この男は器用で、鍛冶仕事を得意とし、図面さえあれば、簪(かんざし)から鉄砲まで、作れぬものは無いと言って良い。一方で武術のほうは、からきし駄目で腕力も弱い。それでも、梅北衆の一隊を率いられるのは、持って生まれた運の強さと、人に好かれる可愛げのある性格ゆえである。下田隊の兵士は、忠助のため、どの戦でも他の隊に負けぬよう必死で戦った。そして、なぜか、この小男の隊は、どの戦でも手柄の近くにいた。

 禿げた小男は、どうしてか女にもてた。立派な体格の妻と七人の子がありながら、外でしばしば女を作り、あまつさえ外子まで作った。そして、隠し事が下手なこの男は、浮気がばれる度、村中を走り回って逃げた。走りながら、ときどき平伏し、ぺこぺこ土下座をする。妻が近づくとまた逃げる。鬼ごっこは妻が笑い出すまで続いた。


(五)

 階段を登り切り、次右衛門を見つけて四人で話し込んでいるところに、国兼がやってきた。祭りだというのに、肌身離さぬ感じで、重そうな槍を掲げた小者の、間の抜けた顔をした大男、猪三と一緒だ。

 「遅うございましたな。」

 家中筆頭の、次右衛門が声をかけた。

 「野暮用でな。今じゃった。」

 国兼が返す。

 「何かございましたか。」

 そう聞いた喜内に、国兼は耳打ちした。

 「何と!真なら由々しき事態。」

 喜内は血相を変え、次右衛門らに短く耳打ちする。

 「しかし、あ奴は確かに、槍の力により高山城で滅したはず!」

 思わず忠助が大声を上げる。次右衛門が口に指をあて、しっと注意を促す。

 「魔道に長けたあ奴のこと、再びこの世に姿を現しても何の不思議もござらん。」

 「いずれにせよ。注意は怠らぬことですかな。」

 半左エ門が同輩の顔を見渡しながら言った。みんな緊張した面持ちで頷く。


 「まあ、今まで、さんざん探し回って見つからぬのじゃ。小僧の見間違いかもしれぬ。念のため、途中で行き会った甚兵衛隊に警戒するよう言っておいたが。」

 「もし、本当にあ奴なら、いかに剣豪鶴田甚兵衛でも危険では。」

 心配する半左エ門に、首を振りながら国兼は答えた。

 「化け物が相手なら、甚兵衛の持つアイヌの宝刀”神威”と”古丹”の出番じゃろ。

  それより。」

 国兼は、少し心配そうに、眉をひそめながら言う。

 「ここに来るまで、天領となった川東村の民と一人も出会わんじゃった。太郎次郎には、遠慮せず来いと言っておいたに、何かあったのではなかろうな。」

 太閤検地の結果、天領となった川東村が、重税で苦しんでいるのを皆知っていた。国兼の統治時代、税率は三公七民であった。大黒屋から、多額の矢銭収入があったからである。人々の暮らしも潤い、国兼の領地は豊かだったが、梅北家は豊かとは言えなかった。収入は妻と国兼の食い扶持等を残し、殆ど領内の普請に使ってしまったからである。そんな国兼だから、この家来たちは離れないのかも知れない。


 そのころ、聞いたことのない音を探りに走った五郎丸は、異様な集団と出くわし、草むらに身を隠していた。太閤の天下統一で、戦は終わったはずなのに、皆甲冑を身に着けた百名ほどの一団。数台の荷車を引き、馬に跨った複数の武将の姿も見える。行先はわが川東村のようだ。

 「あれは、どこの旗じゃろう。」

 あまり見かけない紋様だった。十の字が三つ、白い旗に描いてある。とにかく、ついて行ってみよう。五郎丸は身を隠しつつ、一団の後を追った。


 

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