廿壱
気分はしおれていたが、蕎麦に関しては実に美味しかった。多分本物の蕎麦、そう言うと語弊があるけれど、そば粉の配分が高いものはスーパーで入手するには難しいし、ここは水も綺麗なんだろうな。僕は、これからの時間の興味チェックリストに蕎麦のことをメモすることにした。
「いやー、美味しかったけどちょっと疲れたね。」
母はそう言って僕のベットにどっかりと横になり、一つため息を付いたと思ったらすやすやと寝始める。寝付きの良さは母方の家系の特徴らしいが、ここまであっさり寝られるというのもある意味病的な感じがする。
恵さんはまだ散らかった僕の荷物の中を物色している。そして、嫌な予感はしたのだかしっかりと卒業アルバムを見つけて、一人でニヤニヤしている。
「あー、勝手に見ないでくれますか?」
「え? 卒業アルバムって、知り合いを笑うために存在するんでしょ?」
返す言葉も無いので、僕も母同様大きくため息をついて片付けの続きを始めた。
いつも利用しないといけないものはお蕎麦を頂く前にセッティングしてあったし、回線も苦労して見つけたので、ちょっとした設定をするくらいだった。特に苦労もなくネットに接続してニュースなどを眺めるいつもの感じを取り戻し始めた。
……たまにゲラゲラ笑っている恵さんが非常に腹立たしいけれども。
ふと気になった。
「恵さん。ここの人たちって一箇所に集まってミューティングとか、イベントをやったりするんですか?」
「ううん。ここは病気のことを除けば住んでいる人の自由気ままに任せているから、特段集まってもらって何かするということはないわね。老人ホームだとそういう感じだけど、そういうの好きじゃない人もいるじゃない? それでなくてもここには複雑な事情を抱えている人ばかりだし。でもなんで?」
「いや、ここに来たのはいいんですけど、いきなり僕が現れてなんだろうとおもわれるのも嫌だし、新参者としては挨拶くらいしないといけないな、と思ったんですよ。それで、集まりみたいなのがあると挨拶しやすいかなって。」
僕がそう言うと珍しく恵さんは優しい表情をして、
「いい傾向ね。そういうことだったら私が案内しながら紹介するよ。この前、来てもらった時とは個々の紹介の仕方も変えないといけないから。」
ありがたい申し出であった。正直僕の人見知りは結構ひどく、二人きりで何か話さないと間が持たないという非常事態以外は黙っていることが多い。
「それじゃ、お母さんも休んでいることだし、食器を返しがてら行こうか。」
僕は少しだけ自分に「自然に」と暗示をかけて、一応タンスの中から質素でも清潔に見えそうな上着を羽織って恵さんの後について行った。
山に囲まれた風景。入居の人の棟の周辺は畑のような土地が沢山あるが、少し遠くを見ると森が広がっている。都会からは隔絶されたかのような場所であるけど、少し前の僕が小さかった時代ってこんな感じじゃなかったっけ?
僕らはこの施設にたどり着くまでにはメインストリートと呼ぶには短い舗装された道を通ってきたが、その両側にある商店は軒並みシャッターを降ろしており、過疎化も進みすぎて復興させるには新しく作り直す以上のエネルギーが必要な感じだった。
人は生まれ、成長し、そしておいて死んでいくが、町というものも同じような経過をたどるのだろうか? この土地に希望を持って開拓した人たちの思いというのは何処に向かうのかな。そんなことを考えていた。そして、この場所は更にひっそりとした場所に奥まって存在している。
僕に与えられた住居兼事務所からは五十メートルほど歩くと先生たちの事務所がある。
「山木さん、食器下げにきました。お蕎麦、とても美味しかってですよ。」
「あら、それは良かった。私って食べるのは得意だけど料理は苦手だからゆでてもらってよかったわ。」
「あら、そうなんですか? いつも山木さんが出してくれるものは美味しいから、料理が上手だと思ってました。」
「味にはうるさいのよ。」
そう言って山木さんは、ホッホッホ、と一人楽しそうに笑った。恵さんも釣られて笑っていた。あぁ、幸せそうな空間なんだけどな……。
「それで、彼は引っ越し終わったの?」
「いえ、まだ細々とやることがあるんですけど、ここの人たちに挨拶でもしようかなって。早く慣れておきたいんですって。」
「あら、そう……。」
山木さんはちょっと曖昧な返事をする。なにか問題があるのだろうか?
「ある意味、ここに居る人って信念があるというか、悪く言うと我が強いので、なにか悪く言われても気にしないでね。」
今まで伊里中先生と山木さんで回していた小さなコミュニティなので新しい物が入る時の混乱は覚悟していたけど、改めて言われるとちょっと不安になるな……。
「でも、まぁ結局そんな人達が今は私たちに遠慮無く話してくれるおかげで今の関係があるんじゃないかしら?」
「そうねぇ……。」
「そのように山木さんがおっしゃってますが、まさかビビった?」
恵さんは下から僕の顔を覗き込んで天真爛漫な瞳で僕を見据える。……なんだか、性格が見ぬかれているような気もする。
「山木さん。僕に何ができるか、あるいは何かする必要があるのか。正直工藤社長とか知らないうちに決まったことなんですよ。でも、今までしてきた仕事のように不自由を甘んじて受け入れるつもりは無いです。多分、そういう思いをしてきた先人たちがいたのだと思います。」
僕はそれとなく恵さんの事を考えて、宣言した。それを聞いて山木さんは合格としてくれたのか、
「さっきね、そばゆでてくれた藪さんがまだ厨房で片付けとかしているはずだから、ちょうどいいので行ってきたらどう?」
「あー、それいいですね。そうと決まったら行くわよ。」
僕は返事こそしなかったけれど、あの蕎麦の美味しさに心から感謝したいと思っていたので、調度良いと思った。少し乱切りながら、高級な蕎麦専門店でててくるような味を作れる人がなぜリヴィング・ウィル宣言をしてここにいるのか気になってもいた。
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