水妖精の涙(後)
結局
ただ、順調であったが故に、クレーネ先輩の悩みは彼女の中で引きずられたままでもあった。
俺も道すがらいろいろ考えてはみたものだが、結局良い案は浮かばないまま此処まで来てしまった。
まぁ、冷静に考えてみれば俺が何かをするというのもおかしな話なのだけれども……
結局のところクレーネ先輩の悩みの答えは、彼女が自分で解を出すほかないのだから。
となれば、今俺たちに出来ることは、クレーネさんの求める
俺はクレーネさんに答えを用意してはあげられないけれど、それでも彼女が答えを出す為の手助けくらいはしてあげられるだろうから。
ただ、ともすれば結局目の前の光景に、正面から向き直らなければならなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……おいおい、何だこりゃっ!!」
だけど流石に言葉が出なかった――目の前に広がる光景があまりに凄惨過ぎて、俺は思わず絶句してしまった。
先輩たち二人も俺と同じく言葉が出ないのだろう。
唯一言葉を発せた
……――テッドではないが、本当にこの光景は「何だこりゃ」だ。
だが、そう言いたくなってもしょうがないと思う。
そう言わせるだけの光景が俺たちの目の前には広がっていた。
――水位が低かった。それは既に湖と呼ぶにはあまりにも弱弱しかった。
――水の純度が低かった。泥で濁ったその水質は、とてもではないが飲料として使う気になれないものだった。
それを見て訪れる場所を間違ったのかとも思ったけれど、多分それも在りえないことだろう。
いくら訪れた湖が凄惨な状態だったとしても、大きな水たまりと勘違いしてしまいそうな状態だったとしても――
水妖精――ウンディーネ。
その容姿は下半身が魚で、上半身は人間の少女の其れだという。
見てくれだけならば前世でも、今世でも有名な
一
水中を好む
もし、地上でフヨフヨと浮かぶ水の球を目にしたとしたら、それは十中八九移動中の
まぁ、そんな光景に遭遇すること自体が非常に稀ではあるのだけれど……
それを鑑みれば、俺たちはその非常に稀な事態よりも更に希少な場面に遭遇したということになる。
何せ、その話題の
何はともあれ、どんな形であろうとも
俺たちは一瞬顔を見合わせ、言葉を発することなくただただ頷き合うと、急ぎ足で地に倒れる
そこにいたのは一体のみの
もとより
故に呼吸もなく横たわり、ピクリともしないその
「――大丈夫ですか!? しっかり、しっかりしてください!!」
真っ先に
声こそ出さなかったが、俺たちもクレーネ先輩と同様に揺れる心持を必死に宥めながら、倒れ伏す
――どうやら、状況は俺たちが想定した最悪ではなかったらしい。
非常に弱弱しいけれど、
妖精とは言え女性である
パッと見ではあるのだけれど、倒れた
怪我がないというのに弱っていると言う点と、濁っている湖という二点から考えて、恐らくこの
そしてその推測が正しいのであれば、応急処置的な対処ではあるのだが、この
テッドとフィアンマ先輩は
最悪俺だけで魔力供給が間に合わなかった場合は、クレーネ先輩に手伝ってもらうことにしよう。
俺はそんな事を考えながら、
少しだけ考えて――とりあえず魔導で生成した水で、
そうした理由は別段深い物ではなかった。ただ、
だが、非常に安直な理由での行動ではあるけれど、注意を払うのは勿論忘れない。
行動不能である
そこまで思考した俺は、水素と酸素の純粋な化合物を――即ち
前世では蒸留装置なんかを使用しなければ得る事の出来なかった
最も、現世で
――俺の両手より放たれた
これで元気になってくれれば良いのだけれど、と、そんな事を考えながら水球の中の様子を観察する俺。
そんな俺に倣う様に先輩たちと我が相棒も水球の中を覗きこんだ。
衰弱していた
できれば早めに意識を取り戻してほしいなぁ、なんてことを密かに思ってみたりする。
――だが、俺の心配は如何やら杞憂であったらしい。
俺が作り出した水球の中で、不意にパチリと目を開く
そのあまりの呆気なさに、俺たちは少しだけ呆けてしまった。
俺と
彼女は自分を覆う水球を作り出した術者が誰なのか理解したらしい。
そして彼女は何を思ったのか、破顔しながら俺の顔へとすり寄ってきた。
――妖精さんは思ったより人懐っこいらしい。
これならば、今回の目的物でもある
だけど今この時分に顔にすり寄るのは正直勘弁して貰いたかった。
この行動は正に想定外。
「――ッ!? ガボッ、ガボッ!?」
あまりに急な出来事に口と鼻からいっぺんに水を吸い込む俺。
――まさか、自分の生み出した
…………
{……ごめんなさいなのです。こんなに美味しいお水は初めてだったから、思わずひっついちゃったのですよ}
俺の生成した水球の中から
まるで水そのものであるかのような透き通ったその声に、俺は思わず聞き惚れそうになってしまった。
それほどまでに彼女の声音は異質なものだった。
俺たちが声帯を震わせ、空気の振動で伝える声とは異なる音。
……まぁ、そもそも根本から異なるのだからそれも当然なのかもしれない。
実体のない彼女たちには空気を震わす声帯も、空気を吐き出す肺もない。
故に俺たちに何かを伝えようとするならば、
言うなれば
脳内に直接響いてくるその声音は、
――っと、
「――僕の事なら気にしないでください。確かにちょっと苦しかったけど、別に何ともありませんでしたから」
俺はとりあえず言葉を選んで、当たり障りのない返答を返しておいた。
そんな俺の言葉に少しだけ表情を柔らかくする
――彼女を包む水球が少しだけ震えた気がした。
{……そう言って貰えると何よりなのです}
「何よりと思っているのは僕たちも一緒ですよ。元気が戻ったようでよかったです
俺たちに微笑む
意識のなかった彼女だけれど、それでも
俺の問いかけを聞いて、
{そ、そういえばっ、
「他の誰かってのは、もしかしてお前さん以外の
{そうなのですっ、プルウィの他にもいるはずなのですっ!! どこで見たか教えてほしいのです!!}
如何やらプルウィと言うのがこの
プルウィの問いかけにテッドが反応を返すが、彼の声に被せ気味にプルウィが捲し立てる。
だが、残念ながら彼女の問いかけに対する答えを俺たちは用意することが出来なかった。
「――ごめんなさい、私たちも今この場所に到着したばかりで、私たちが目にした
{そ、そんなはずないです!! だってついさっきまでプルウィ達は一緒にいたですの!! ネプラもディールもリーウもっ、皆腹ペコで動けなかったですけど一緒にいたです。プルウィだけのはずないですよ!!}
今にも泣きだしそうに成りながら、プルウィは俺たちへと吠えたててきた。
悲痛な叫び――もしかしたらプルウィと一緒にいたという
その事実を受け入れたくないという一念からの叫び――そんな風にしか思えなかった。
だが、
となれば考えうるは一つの事象のみ。
――俺たちは間に合わなかったということだろう。
「――ごめんなさいっ」
意を決して俺はその一言を辛うじて捻り出す。
たった一言の謝罪の言葉が、これほど言いにくかったのは初めてだった。
{――っ!!?}
俺の一言を聞いてプルウィは言葉を詰まらせる。
そして彼女は大きく見開いた眼から、ポロポロと雫を零す。
水球の中でありながら
――――図らずしも、俺たちは目的であった
だけど達成感など微塵もなく、あるのはやるせなさだけ…………
{……どうしてっ、どうしてこんな事にっ――これも皆、全部アイツの所為ですっ!! プルウィ達の
「――プルウィ様、アイツとは一体何の事でしょう?
クレーネ先輩が問うた――俺が先ほどした質問を繰り返し問うた。
先ほどはプルウィから問いかけを被せられ、その答えを得ることは出来なかったが、恐らく今度は答えが返ってくることだろう。
――少しだけ間をおいて、
{――水喰らいの悪魔、プルウィ達はアイツの事をそう呼んでいたのです。アイツが来てからプルウィ達は住処を追われて、こんなことになったですっ}
未だ零れる涙を止めることなく、プルウィは俺たちの方を見直してくる。
{ニンゲンさんっ!! プルウィはアイツをやっつけたい。でも、プルウィ達じゃアイツに敵わなかった。お願いなのです――力を貸してください。アイツをやっつけるためならプルウィは何でもします。ニンゲンさんたちの奴隷にも喜んでなりますっ}
何かを望む強い瞳に俺たちは思わず息を飲んだ。
自分はどうなっても良いと、この
――それほどまでの強い決意。
{――皆の敵を取るのを、手伝ってください!!}
――その強い意志は、俺たちの胸を打つ。
特別言葉を発しはしなかったが、俺たちは自然と顔を見合わせ――そして頷き合った。
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