水喰らいの悪魔(前)

 興奮したプルウィを何とか宥めた俺たち一行は、落ち着いた彼女から最も重要なことを聞きだすことにした。


 敵を知り己を知らば百選危うからず――若干薄らいでは来ているが、そんな言葉が記憶の彼方から掘り起こされたのはきっと間違いじゃないのだろう。

 確か孫氏か何かの兵法にそんなものがあった気がする。


 もっとも、それ以外の兵法など知ってはいないのだけれど……それでも、それが重要なことなのは何となくだが分かるような気がした。

 

 と言うかそもそも、何の情報も持たないといきなり戦うということなど御免被る。

 プルウィと言う情報源があるのだから、少しでも情報を聞きだして未知の敵に対する危険度を下げるに越したことはないだろう。


 

 そんな考えのもと、プルウィから話を聞きだしたのだけれど……聞き得た情報だけだと疑問に思う点が多々あった。

 


 というのも彼女プルウィの話を纏めると、如何やら水喰らいの悪魔と言うのは巨大なであるらしい。



 スライム――それは前世でプレイしたRPGなどの冒険の序盤で出現するモンスターで、所謂やられ役である。

 だが、現世に置いてのスライムと言うモンスターはに分類されるモンスターだった。


 つまりは冒険者組合ギルドのランクで六等級以上でなければ討伐できない強敵である。


 スライムを魔獣足らしめている理由――それは魔石の有無の他にが効かないと言う点が挙げられる。


 そもそもスライムは大体が水の魔石を核としたジェルの塊の様なモンスターなのだ。

 ジェルであるために剣などの斬撃も効かず、戦槌等の打撃でも潰れることが無い。


 そして一番厄介な点は、核か本体のどちらかを破壊しない限り死なないと言うところだろう。


 長い得物で一思いに内部の魔石をジェル外に押し出すなどして、外殻と核を切り離したとしてもすぐさま外殻が核を追尾し元通りになってしまう。

 しかも厄介なことに外殻のジェルは腐食性の液体で構成されている為、並の武器では緩やかに融解されてしまうのだ。

 それに核の排出が上手くいったとしても、結局魔石を破壊するには強力な魔導が必要になる。


 ハッキリ言うと余程特殊な魔剣や魔具などを使わない限りは、スライムを武具で倒すことはほぼ不可能なのだ。


 ならばスライムを倒すにはどうすればいいのか―― 一番メジャーな方法と言えば、魔導による力押しだろう。


 大規模な魔導を用いて外殻のジェルを一思いに消し飛ばす――言葉にすればたったそれだけの方法。

 身も蓋もない大雑把な方法ではあるが、実際これが一番効果的な方法だった。


 そうして魔導で吹き飛ばすという方法が一番効果的であるからこそ、スライムは六等級以上強敵と認定されていると言っても過言ではない。

 スライムを討伐したいなら、必然、大規模な攻撃魔導を身に付ける必要があるのだから――



 だが、敵が本当にスライムであったとするならば、何故プルウィ達が――即ち水妖精ウンディーネが手も足も出ず、住処を追われることになったのかが分からなかった。


 

 水妖精ウンディーネは文字通り、水を統べる妖精である。

 彼女たちにとってしてみれば、ほぼ全てが水分で構成されているスライムなど取るに足らない筈である。

 

 スライムの外殻のジェルを操作し、丸裸になった魔石を破壊する――ただの其れだけだ。


 魔石を破壊するという行為は俺たち人間にしてみれば難しい行為だけれど、魔力の流れを操る事の出来る妖精ならばそう難しい事ではない筈なのだ。



 故にこそ、件の水喰らいの悪魔には水妖精ウンディーネたちを簡単に退けられる、何らかの特異点が備わっていると考えるのが普通なのだろう。



 だが、プルウィの話を聞いた限りでは、その特異点が何なのかまでは分からなかった。

 分かったのは、三メートルメルトルを優に超える巨体である事、通常のスライムを何体か引き連れている事――


 ――そして最後に、毎日同じくらいの時間帯にこの湖に現れるという事。


 そうやって現れるスライムは、通り道にある物、近付く者、そして湖の水を貪り食ってゆくらしい。



 ……毎日同じ時間帯に現れると言う点と、お供のスライムを連れているというところに何かしらの意図がある様にも思うが、今この場でそれを推測したところで特に意味のない事なのでそれ以上の考察はやめておくことにした。



 いずれにしろ、考え込んでいる時間などありはしないのだから。


 水喰らいの悪魔が現れるのは、太陽が真上にある時間帯であるらしい。

 

 その話を聞いて、俺たちはそろって上を見上げ、太陽の高さを確認した。


 ――現在の太陽の高さは、頂点にもうすぐなろうという状況。


 指定の時間はもうそこまで迫っていた。







 …………


 スライムはその形状上視覚を有しているかは分からなかったが、それでもわざわざ初めから真正面から相対する何てことよりは余程ましだろう。

 と言うことで、俺たちは湖の傍らにある草葉の陰に身を隠し、息を殺して水喰らいの悪魔が来るのを待っていた。


 葉の騒めきを耳にしながら、荒れそうになる精神状態を何とか宥める。


 背後にいる誰かの体が震えているのが何となく分かった。


 ……無理もないと思う。


 過去に隻眼の灰色狼グレイウルフや、赤土の魔導土人形ゴーレムと相対した事のある俺だって怖くて震えそうなのだ。

 我が相棒テッドはその性格上大丈夫かも知れないが、荒事に慣れていない女性陣先輩たちにこの状況に耐えろと言うのは酷だろう。


 だからこそ、俺は少しでも震えない様に両足を踏ん張った。

 恐怖と言うのは伝染する――ただでさえ恐怖を感じている彼女たちの前で俺まで震えていれば、彼女たちの精神状態は今より悪化してしまう。


 故にこそのやせ我慢――肉体の面で視れば確かに俺は彼女たちより年下だけれど、精神年齢は遥に上なのだ。


 年長者がしっかりしないで、どうするというのか。




{――ニンゲンさん!! 来たです!! あの悪魔が来たですよ!!}



「……っぅ!」



 ――不意にプルウィの精神感応テレパシーが頭の中に響いた。

 

 宿敵の登場故に少しだけ声量トーンが大きく思わず顔を顰めるが、精神感応テレパシーであるが故に当然敵に気づかれる心配はない。


 ……心配はないけれど、今後はもう少しだけ声量トーンを落としてもらおうと、密かに決意した。



「――うるせぇなぁおい、プル公もうちょっと静かに言えよ。そんでどうするアルクス。結構な数だぜ?」



 テッドの言葉に俺は静かに頷いた。

 だが、数もそうだが、やはり目を引かれるのはその異様さだろう。


 水色をした球体が三つ――これは言わずもがな通常のスライムだ。

 三体と言う数は確かに厄介だけれど、それはこの際おいておこう。


 問題なのは一際目を引く、巨大な球体――黄色おうしょくという特殊な色身をしたあの個体だろう。



「――プルウィさん、もしかしなくてもあの黄色くて大きいのが?」



{そうなのですよ! あいつが水喰らいの悪魔なのです!}



「そうですか――テッドちょっと待って、もう少し良く見てみたい」



「――おう、でもはやくしろよ」



 ゆっくりとした動作で湖に近付いてゆく特異なスライム――どのように移動しているかは分からないが、素の動作自体はそれほど早くはないようだった。

 だが、球体に近いそのフォルムだ、素早い動作ならば如何様にもやりようはあるだろう、其れこそ転がるとか――


 それに加えて、やはり一番に気になるのはあの色身だろう。


 間違いなくスライムの変異種であるだろうあの個体。

 黄色などと言う色をしているのは一体なぜなのか――


 俺は詳しく観察するために両掌にの魔力を集め、遠見の魔導を発動させた。


 両方の手の人差指と親指で同時に輪を作り、その輪の中を青の魔力で覆って水を生み出す。

 輪の中でイメージするのは凸レンズ。

 

 そうして作った水レンズを重ねて覗きこみ即席の望遠鏡にする魔導。



『――手動調整式望遠鏡オリエントスコープ



 魔導名を呟き、生み出された水レンズの中を覗きこんだ。

 

 水のレンズを少しずつ変化させて、映り出す水喰らいの姿を大きくする。


 ……どうも、巨大スライムは通常のスライムを比べると透明度があまり高くないらしい。


 水喰らいを通して見ると、向こう側の景色はほぼ見えなかった。

 だけどそんな水喰らいの中にも、辛うじて固形物の影が見て取れる。


 丁度真ん中付近に漂う固形物――恐らくあれがあのスライムの核なのだろうと予測を付ける。


 ……そう予想付けたのだけれど、そうなると説明の出来ないことがある。

 


「……可笑しいな、どうして影がもあるんだ?」



 ――そう、二つだ。


 あの黄色のスライムの中には、をした二つの影があるのだ。

 

 ……いや、そうじゃないのか? 黄色の外殻ジェルに包まれているのだから、あの二つはもっと別の――








「……っ、そうか、そういう事か」



 そこまで考えて、俺は要約一つの仮説に行き着いた。

 俺は遠見の魔導オリエントスコープを解除して、俺の後に控える仲間たちへと向き直る。



「おっ、もういいのか?」



「うん、取りあえず一つだけ思いついた。多分これが正解なんだと思う」



 皆と顔を見合わせる。緊張の為か皆の顔は少しだけ強張っていた。



「――まず初めに、僕にはどうしても分からないことがあったんです」



「アルクスさん? どうしたんですのいきなり?」



「単純な疑問ですよ。――水喰らいの悪魔、あれは変異種ではあるようですけど結局のところスライム、水属性の魔獣です。なのにどうして水妖精ウンディーネであるプルウィ達が敵わなかったのか」



「それは私も不思議に思っておりましたけれども……、アルクス様、それに何かあるのですか?」



「あります。少なくともあのスライムを倒すのには重要なことだと、僕は思います」



 断言した俺に対して、本当ですか、と問うてくるような驚いた表情で見てくるクレーネ先輩。

 俺は無言で頷くという肯定動作を示して見せる。



「――結論から言いますと、あのスライムには二つの核があります。今しがた遠目の魔導を使って確認しましたが、橙色と黄緑色の核が見て取れました。あのスライムの核は水属性じゃない。だから水妖精ウンディーネ達にはあの黄色の外殻を剥がすことは出来ても、核を壊すことが出来なかったんです」



 魔石を破壊するにはそれと同属性の魔導が必要不可欠だ。

 だからこそいくら水属性に親和性のある水妖精ウンディーネ達は、どうあってもあのスライムを倒すことは叶わない。


 

「そうだったのですか、確かに属性が違うのでしたら水妖精ウンディーネ達には難しいですわね。でもそうなるとあのスライムを倒すのは難しくありませんの? 橙色でしたら土の属性でしょうからこの中の一人くらいは属性を持ち得ているのでしょうけれど、黄緑色となると一体どのような属性なのか分かりませんわ。それに魔石を破壊するのは厳しいと言わざるを得ません」



「むぅ、てことはあの巨体の外殻を消し飛ばすしかねぇってことなんだろうけど、そりゃあ流石に厳しかねぇか?」


 

「うん、あれだけの質量になると一思いに消し飛ばすには相当な大魔導が必要になるだろうね、其れよりは魔石を砕く方がまだ現実的だよ」



「……そう仰るということは何か手があるということですわよね」



 フィアンマ先輩が少しだけジト目で俺の方を見てきた。

 魔石を破壊することは厳しいと言ったフィアンマ先輩の言葉を否定しているのと同じなのだから、当然と言えば当然か。


 俺は苦笑いを浮かべながら先輩を宥める事にする。



「すみません、僕の言葉が少し足りませんでした。確かに橙色と黄緑色の魔石だったら先輩の仰る通りなんですけど、それはあくまでというだけの話なんです。恐らく本当の魔石の色は別ですよ」



「と言いますと?」



「――ほら、あのスライムは外殻ジェルが黄色でしょう? と言うことはあの核はあの色になっているんです。と言うことは本来の色身は黄色を引いてやらなければならないんですよ」



 俺の言葉を聞いた皆は、一様に首を捻っていた。

 そこまで難しい話ではないと思うのだが、そういえばこの世界イリオスには余り染色と言う概念が浸透していないことを思い出す。

 絵具等は無くはないけれど、そういったものは一部の芸術家のみが扱うだけだ。


 故に馴染みが薄いのだ。


 

「橙色から黄色を引けば赤色ですし、黄緑色は緑色になる――つまりあのスライムの核はの魔石なんです。ほらこの二つなら僕たちでも何とかなりそうでしょう?」



 それに赤と緑の魔石だというのなら、あのスライムが黄色であることも何となく理解が出来る。

 赤土の魔導土人形ゴーレムが赤色の魔石で動いていたのだ。


 赤と緑、その二色を混ぜると黄色になる。


 なれば奇跡の様な現象ではあるけれど、赤と緑と言う混合の色を持つあのスライムが、二色の核を持っていても可笑しくないのかもしれない。


 ……否、流石に不自然過ぎるような気がする。

 だけど、そうとでも考えなければやっていけないとでも今は思っておこう。

 深く考えすぎるのも考え物だと思う。



「火なら俺かフィアねぇで何とかなるし、風はお前が持ってたよな? 俺の『”紅炎切りプロミネンス・スラッシュ”』を使えるお前の事だから、風でも魔石砕く位の魔導は使えんだろ」



「試した事は無いけど、たぶんね」

 


「カハハッ! なら決まりだ。そんで、役割はどうする?」



「役割って言っても、もう決まったようなものだけどね。僕が風の魔石を壊して、君が火の魔石を壊す。後は――」




 俺はまずクレーネ先輩へと視線を向ける。

 クレーネ先輩は俺の視線に少しだけ怯えが見えたが、それでも俺の目から視線はそらさなかった。



「クレーネ先輩はプルウィさんと一緒に水喰らいの外殻ジェルを剥がしてください。黄色でも水分であればプルウィさんの力を借りれば剥がせるはずです。お願いできますか?」



「……ええ、やります!! こんな私でも皆さまの役に立てるというのなら、喜んで!!」



{お話は良く分からないけど、プルウィもやるですの!! ニンゲンさんの役に立つですの!!}



 二人の色よい返事に俺は小さく頷いた。


 そうして俺は次にフィアンマ先輩へと視線を向ける。

 フィアンマ先輩は力強い光を瞳に宿し、俺の視線に答えていた。

 如何やら彼女もかなりやる気であるらしい。

 火炎の姉弟はどちらも思い切りが良い様である。



「フィアンマ先輩は取り巻いている通常のスライムの相手をお願いします。少し数が多いですが、貴方の魔導とクレーネ先輩とプルウィさんのサポートがあれば何とかなると思います。よろしくお願いします」



「ええ、任せてくださいまし。このフィアンマ、火炎カルブンクルスの名に恥じない働きをしてみせましょう」



 頼もしい返答に俺は思わず笑みを零した。

 ブルりと思わず体を震わすが、これは恐怖からではない。

 勿論、高揚からくる武者震いだ。



「――さあ、悪魔退治を始めましょう」



 俺はそんな風に静かに宣言をして、草葉の中から歩み出るのだった。

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