過去と未来が今に与える影響
何もない空間に手を伸ばす。
その行為は、別段、何かを掴もうとしてなんてことではない。
それは俺にとって最早馴染みの行為であり、同時に習慣にも成りつつある行為である。
指先に
出来上がった円の大きさは、直径にして約三十
『――
言葉に想像力を乗せて、魔導名を唱える。
そうすることで描いた線の一部から、小さな炎が立ち上がる。
これで暫くの光源は確保が出来た――それでは今日も日課を始める事にしようと思う。
俺は普段持ち歩いている手製のノートとはまた別の拙い作りの紙の束と、俺がいつも愛用している布袋を取り出し、その二つを机の上に並べて置いた。
布袋の方の紐を緩め、中に入っているモノを机の上に並べる。
中から出てくるのは少量の銀貨と、多量の銅貨――銅貨には三種類の大きさがあり、どの硬貨がどれだけあるのかパッと見ではわからない。
とりあえず、これら全ての金額を把握するため、俺はそれらの硬貨を種類別に並べる事にした。
「――えっと……銀貨二枚、大銅貨が三枚、中銅貨が十二枚……あとは、小銅貨が五枚っと」
――締めて二万四千二百五十カルツ、元々今日の初めに持っていた金額は五千カルツであるため、それを差し引くと一万九千二百五十カルツ。
それが今日を通して、俺が稼いだ日銭の合計だった。
ギルドの依頼は午前と午後で一件ずつこなすことが出来たし、支出という支出も殆ど無いが故の金額。
何時も五千カルツは財布の中に入れているのだが、酷い日はその五千カルツさえ割り込む日だってある。
そう考えれば、今日の稼ぎはかなり良い方だった。
俺は財布の中身を確認すると、何故その金額に成ったのか――その詳細を手元の紙束に書き記してゆく。
収入と支出、それと我が家の貯蓄――その全てが書き記されたその紙束は、見てくれは悪いが、確かに我が家の家計簿だった。
「……――今日の稼ぎと、食料品代、後は母さんの薬代を差し引いて計算すればっ――と、よし、計算は合うな。それじゃあプラスになった金額を我が家の貯蓄に加えて、お終いっと」
俺は財布の中身を五千カルツになる様に取り出し、取り出したお金は別の布袋に分けて入れて置く。
このお金は貯蓄に回す――今世ではギルドが銀行の役割を担っているので、またある程度纏まったお金が溜まったら、まとめて持ってゆくことにしようと思う。
「これで今日の日課も終わりか――はぁ、疲れたぁー」
べちゃり、と、俺は机の上に突っ伏すように倒れ込んだ。
伸ばした手の中には、先ほどまで俺が記入していた我が家の家計簿――俺は少しだけ散漫になりながら、その中身を改めて覗きこんだ。
書かれている内容は分かっている――俺が自分で書き込んだのだから、当然理解している。
だから、改めてそれを覗きこんだところで、そこに書かれている内容が変化しないことも当然理解していた。
その中身は半年ほど前からようやく黒字となり、亀の歩みの様であるが、ゆっくりとその金額を増やしていた。
――何時もは、何時もだったら、それを見て情けないニヤケ顔をこぼすのだろうけど、今日だけはそんな気分になれなかった。
「……やっぱり、今のペースじゃ無理だよなぁ」
俺がそんな呟きを零すのは、昼間にアルトさんから聞いたとある話が原因だった――
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冒険者パーティー
何時もと同じように朝一で
そんな何時もの日課を繰り返している最中、アルトさんから思いがけない一言が飛んできた。
「――そうだ、今日はアル君に渡さなければいけないものがあったんだった。悪いけどちょっと待っててもらって良い?」
「別に構いませんけど、なんですか渡したいものって? 昨日までの依頼の報酬なら確かに頂きましたけど」
「違う違う、報酬の事じゃないの、ちょっと
アルトさんの言葉に首を傾げる俺。
そんな俺を余所に、アルトさんはと言えば、カウンターの中でごそごそと何やらを探しているようだった。
珍しい事もあるものだ――と、俺は心の中で密かに呟きを零した。
通常、ギルドから渡されるものと言えば
可能性として考えられるとすれば、依頼を達成した際に追加報酬として武具や貴金属を渡されるくらいだろうか?
だが、昨日の依頼で追加報酬が支払われるほどの事はしていないので、その線は非常に薄い。
だとすれば一体、渡したい物とは何なのか――
「――あ、あったあった。はい、これだよ」
あーでもない、こーでもないと頭を捻っていると、如何やら目的の物を見つけ出したらしい。
アルトさんは両手で丁寧に、”それ”を俺へと渡してきた。
目の前に差し出された”それ”は、一枚の紙だった。
俺がいつも絵を描くのに使うそれとは、比べ物にならない程の上質紙――そして、その書類の上部には羽を広げる大鷲を象った特徴的な紋章が付いている。
俺はその紋章を目にして、思わず目を見開いた。
この紋章――恐らくこの
「――こ、これって、王国のシンボルじゃないですか! なんでこんな大それたものが僕の処なんかにっ!?」
このシンボルが付いているということは、この書状が国から、お城から正式なものであることに他ならない。
――というか、何故にこんなものがバリバリ庶民な俺なんかに届いたのか、こんなものが届く理由が皆目見当もつかなかった。
「うん、驚くのも無理はないと思うよ? 私も驚いたし、実際こんな書状が
言われる儘に書状に目を通す俺。
そして俺は言葉を失った。
――仰々しい言葉使いで書かれているその書状、そこに書いてある内容は一つの事だった。
要約すれば、俺には”グレーヴァ・マルクス魔導学士園”へ入学出来る可能性が有るらしいから、入学試験を受けに来たらどうかという内容。
つまり、この書状はマルクス学園の入学試験参加許可証なわけだ。
「でも、なんでこんなものが急に?」
確かに、時期的に見ればこの書状が来ることに違和感はない。
実のところあと十日もすれば、一年に一回行われる、マルクス学園の入学試験が始まるからだ。
だが、それが何故俺の処などに届けられたのか?
マルクス学園と言えば、グランセルが誇る、我が国唯一の魔導学院であり、同時に世界有数の学院でもある。
そのため毎年この季節ともなれば、学院は我が国の名門貴族の子供や、商人の子供、他国からも挙って人が集まってくる。
その倍率は軽く十倍を超えるのだとか――文字通り”狭き門”なのだ。
「別におかしなことでも無いと思うよ、実はね
……意外なところから、今は亡き我が家の家長の情報が出てきた。
少しだけ疑問に思っていたけれど、父さんが冒険者から兵士になった切っ掛けってそれだったのか。
「そう考えればアル君の処に
「――すみません、最後の方よく聞き取れなかったんですけど、なんて言ったんですか?」
「っと、ごめんごめん、気にしないで。独り言だから」
アルトさんは何やら気になることを呟いていた気がするが、その呟きは尻すぼみであったために聞き取れなかった。
だがまぁ、アルトさんが何でもないというのならば、特別詮索することではないのだろう。
それよりも、彼女の過大評価の方が今は気になる。
依頼達成率が十割なのは、単純に俺が確実に達成できる依頼しか受けていないだけ。
初任務の魔獣討伐に関しては偶然が重なったがゆえの事――はっきり言って奇跡でしかないのだから。
「それでアル君はどうするの? 私は絶対受けた方が良いと思う。君はこのまま冒険者なんて続けてて良い人間じゃない。――きっと君ならこの国の、いや、この世界の魔導という力を根底から昇華させることだって出来ると思うよ」
翠色の綺麗な瞳で俺を見返してくるアルトさん。
きっと本音なんだろう――その瞳からは嘘の色など微塵も見て取れなかった。
これほどまで期待してくれているのかと、そんな風に思うと、何とも形容しがたい気持ちになった。
この人は俺の事をちゃんと見てくれている――それが分かるからこその浮かんでくる気持ち。
嬉しいような、気恥ずかしいような――胸の奥がムズムズするような錯覚を覚える。
だけど、悲しきかな――それ以上に、アルトさんの提案を断らなければならない事に対する罪悪感で胸が締め付けられる思いだった。
「――すみません。一日、いえ―― 一晩だけ考えさせてください」
その場で答えを出すことが出来なかったのは、俺に意気地がないからに他ならない。
俺は、その一言を何とか絞り出して、その場を後にすることにした。
後ろからアルトさんが何やら言っている様ではあったが、俺はそのまま振り返らなかった。
====================================
テーブルの上に突っ伏したまま、木製の
手に持った家計簿を握る手に自然と力が入るのを自覚したが、俺はそのまま抵抗することなく、両手で力を籠め続けた。
正直な気持ちを――願望を述べると、俺はマルクス学園に凄く通いたいと思っている。
否――思っていたという表現の方が正しいのだろう。
その学園には図書館がある。まだ見ぬ魔導書が山の様に存在している。
だがその魔導書は学園の関係者しか見ることは叶わず、部外者の俺は、指を加えてみる事しか出来ない。
それに、入ることの難しいマルクス学園は、しかし――無事卒業出来れば、既に将来は約束される。
城に務めるためには、例え騎士だろうと、役人だろうと、学園を出ることが必要最低限の条件なのだ。
それにマルクス学園は魔導の研究機関を兼ねた施設であり、最新の魔導が日々生み出されている場所でもある。
魔導という力に取りつかれ、暇な時間があれば魔導をいじっている俺には、まさに理想の場所だった。
だから――だからこそ、俺はこの入学試験参加許可証が届く以前から、学院の事を調べていた。
入学するにはどうすればいいのか、それを調べて――絶望していたのだ。
それはお金が掛かるという、単純にして明快な理由――単純に計算して年間
マルクス学園に入学すれば十二歳から十六歳まで、学園に通うことになる。
ともなれば実に四百万カルツの費用が掛かる。
対して、我が家の貯蓄は約五十万カルツほど――それだって、我が家の生活の為に必要なお金であり、俺だけの為に使って良い物じゃない。
足りないのだ――圧倒的に資金が足りないのだ。
もしもの時の為にと、初任務の時に獲得した
たとえ一年分の学費が用意できたところで、学園に通うとなれば必然その分の時間が拘束されることになる。
そうなれば生活費が稼げない―― 一日冒険者の任務を受けて、日銭でようやく生活をしている俺では、どうしようもないのだ。
「……諦めるしか、ないな」
俺は上体を起こして、再び手元に視線を落とした。
俺の掌の中には、握りつぶした事でしわだらけになった我が家の家計簿が、変わることなく収まっている。
別に無理をして学院に行く必要はない……それを強く自分に言い聞かせる。
俺には、俺の事をしっかり見てくれている、魔導の師匠が既にいるのだ――これ以上望むべきでは無いだろう。
俺は何かを誤魔化すように、そんなことを考えながら――それ以上の考えが浮かばないように、”思考”という行動自体を払拭するように、勢いよく家計簿を閉じるのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――夜は明ける。
何時もの様に目を覚まし、今日も今日とていつもと同じく
何時もと同じであるはずなのに、今日に限って気が重いのはきっと勘違いではないだろう。
俺に期待している人に、裏切りの言葉を言わなくてはいけない、それはどうしようもなく辛い事だ。
何時もは何でもなく開く扉は、まるで鉛でできているかのように酷く重かった。
苦労して扉を押し開ければ、その先には何時もと同じ笑顔で、我が魔導の師匠は佇んでいた。
「――おはようアル君。今日はいつにもまして早いね」
「……はい、おはようございます。アルトさん」
正直、逃げてしまいたいと思った。このまま踵を返してギルドを出ていきたいと思った。
きっと、あれだけ重かったギルドの扉は呆気ないほど簡単に開くことだろう。
だけど、その行動は考えるだけに留まる。
――そんなことをすれば、入る時に重かったギルドの扉はもっと重くなる、次は開けられない程に重くなってしまう事だろう。
今一時、逃げるのは簡単だ――だけど、逃げ続ける事は凄く難しい。
それならば、今このとき苦しくても、向き合うことにする。
「……アルトさん、一晩考えてみたんですけど、やっぱり入学はやめておくことにします」
「――やっぱり、それが君の出した答えか」
アルトさんから飛び出した言葉は、俺が想像していたモノとは少し違っていた。
てっきり、理由を問いただされると思っていただけに、少しだけ肩すかしを食らった気持ちになった。
だけど、次の瞬間にはそんな気持ちは面白い位に四散してしまった。
真っ直ぐ俺を見返してくる、吸い込まれそうな翠の瞳。
その色は、俺のすべてを見透かしているような錯覚を覚えた。
「……ねえアル君、君の事だからきっとビックリする位色んな事を考えて答えを出したんだと思う。――でもね、これを見てもう一度だけ、考え直してくれないかな」
そういってアルトさんは、カウンターの台の上に一掴みの硬貨を積み上げた。
積み上げられた硬貨の色は金色――五枚の金貨が積み上げられた。
五百万カルツ――言わずもがな、大金だ。
「な、なんですか。そのお金は――」
「なにって、君の学費だよ。これだけあればきっと、卒業まで大丈夫でしょう」
――言葉が出なかった。何故こんなものをアルトさんが用意しているというのか。
「きっと君の事だから、イリスさんにも相談してないでしょう? そして、大人に相談せずに何百万って大金を用意するなんて無理。そうなれば、君は自分の気持ちを押し殺して、断ってくるだろうって、そう思いました」
「な、何を言って……」
「本当は私一人で用意できれば恰好がつくのでしょうけど、流石にこの金額をポンと出すことは出来なかった。だから昨日の午後、私はギルドに無理言って休みを貰いました。このお金を用意するためにね」
「だから、なにを……」
「でも動いてみればビックリです。串焼き屋のウォルファス、道具屋のゲレーテさん、細工屋のエアトスさん、武器屋のルドガーさん――行く先、行く先、君の名前と理由を出したら、皆さんポンポン出資してくれるんですから、まさか半日でこんな大金が集まるなんて思ってもみませんでした」
「…………」
「こんな言い方をするのは卑怯なのかもしれません。だけど、私が巡った二十軒を超えるお店の人たち――いいえ、きっとそれ以上の人たちが、君に学校に行って貰いたい。そう思っているんです」
アルトさんは、何時もより遥に丁寧な口調で言葉を紡ぐ。
「……なんだってそんなことを、どうしてアルトさんが、そこまでしてくれるんですか」
「本当なら二年前、君が決意をしてギルドの扉を潜った時だって、助けてあげたかった。――でもあの時の私には、色々なものが足りなかった。そして、そのせいで、君の命を危険にさらしてしまいました。あれは凄く後悔しました。だから、次に同じようなことがあったら、絶対に力になる。そう決めていたんです」
優しく諭すように、けれど何物にも負けぬ、強い芯が存在するように――我が師匠は俺へと語りかけてくる。
そんな彼女の厚意に不意に目頭が熱くなって――俺は涙を零さないように反射的に上を向いた。
「ねぇ、アルクス君、君は何でも自分で決めて、先に進んで行ける凄い人です。でも、その考え方は、君の可能性を狭めてしまうんです。――人に頼ったっていいじゃないですか、一人で決めなくたっていいじゃないですか、貴方には貴方を助けてくれる人がこんなに大勢いるんですから」
涙が止まらない。
視界はゆらゆらと歪んでハッキリとしなかった。
「君は私を超えて遥かなる高みに行きなさい、自分の為に、そして私たちの為に。――私はそんな君が見てみたいんですよ」
――いつまでもただの弟子でいるのは、師に報いる道ではない。
彼女はそう言っているかのようだった。
卑怯だと、思った――そんなことを言われたら断れるはずもない。
第一言っていることが矛盾していると思う。
アルトさんは言った、一人で答えを出すということは俺の可能性を狭めると。
だけど、貴方が示してくれた道は――その選択肢を知ってしまったら、俺はそれ以外を選ぶことは出来ないだろう。
だって彼女が示してくれたのは、俺が一番望んでいた道なのだから。
「――ありがとう、ございます」
俺は流れ落ちる涙を拭うこともせず、ようやく一言の感謝の言葉俺は大きく頭を下げながら絞り出した。
そうしてそれ以上、俺は何も言うことが出来なかった。
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