第2話 中山千紘
中山千紘はいつもどおりの目覚めを迎えた。光の入らない地下室、中山が突っ伏していた机の上には研究にまつわる書類が山積みになっていた。日の光の入らない地下室であるが、壁にびっしりと並べられた円柱のおかげで、なんとも幻想的な美しさがあった。ブクブク、と気泡を生み続けるその円柱は、黄緑の光を放つ液体で満たされている。
中山は机の上に置いてある赤縁眼鏡をかけ、半日前に開けた缶コーヒーを飲んだ。そして、書類の整理に入る。書類をペラペラとめくれば、それまでの足跡を辿ることができる。そして現在地も。研究が進まぬうちはそのことがとても不快に感じたが、研究は最後の実験を残すだけとなった。
中山がこの地下室で生活していくきっかけになったのは、ある男との出会いがきっかけだった。
化物の生態について研究をしていた中山は、その日、自説の検証のために南部の森へと調査に出た。中山の調査の目的は地下都市にどのようにして化物が侵入してくるかを調べることだった。これが分かれば、地下都市へと化物が侵入する道を封鎖することができる。
それまで、調査は停滞していた。南部の森を南に進み続けても、気がつけば森の入口へと戻ってしまっているのだ。これは西部の川が渡れないこと、北部の山を超えられないこと、東部の草原に終わりが無いことと同じに思われた。
化物についてある程度知っている者は、化物は東京地下都市と土の世界との境界線から侵入してきているという説を支持していたが、南部の森に果てが見つからない現状、その境界線を見つけることができないでいた。
しかし、それも謎も、『地図』のプローディギウムを持つ少女が現れたことよって解決された。南部の森に果てがあり、それ以上進むと逆進することが明らかになったからだ。これは西部の川、北部の山、東部の草原についても同じだった。
それ以降、多くの学者やそれ以外のプローディギウムを持つ人間によって南部の果ては調査されてきたがそれでも化物の侵入経路は見つからなかった。
そこで中山は調査の方法を変えた。化物の範囲ごとの密度を調べることによって、化物の侵入経路に近い場所を明らかにするという方法にしたのだ。化物が多く発見される場所は化物の侵入経路に近いのではないか? というのが中山の考えだった。
化け物を倒すことで生計を立てている人々からの聞き込みや、これまでの中山自身の調査の結果でどうやら森の中央がもっとも化物の密度が高いらしいということが判明した。
そして、森の中央にある穴が化物の侵入経路ではないか? と中山は推測したが、当てはまるような穴は発見されていなかった。今回の調査ではその穴を発見することを目的とした。
そしてその調査の途中で中山は妙な男と出会った。
「何をなさっているのですか?」
中山が地面を睨みつけながら歩いていると、背後から低い男の声が聞こえた。振り向くと、まだ夏なのに真っ赤なコートを羽織った、細い顔立ちの男が立っていた。
「調査できていまして」中山が言った。
「ほう。調査ですか。何を調べていらっしゃるのですか?」男は飄々とした口調で言った。男の印象を一言で言うなら、怪しい、だった。
中山は当り障りのない範囲で調査の内容を教えた。中山が話し終えると、男は口を開いた。
「化物の侵入経路、私は知っていますよ。ついてきてください。まあ、侵入経路とは少し異なりますが」
中山は男に対して警戒心を抱いていたが、それでも「侵入経路を知っている」という言葉には魔力が合った。中山は迷うこと無く堪えた。「お願いします」
それから五分ほど二人が歩くと特に前触れもなく、男は止まった。ギャップなのか、半径五メートルほどは大きな木が生えていない場所だった。
「ここがどこだか分かりますか?」
「ここですか......」中山には特に思い当たることがなかった。
「ここは、この森の中央部です。正確に言うと」男は目の前にある岩を指差した。「あの岩がこの森の中央部を表しています」
それで、と言って中山は続きを促した。
「この岩の下から化物は出現します」男が言った。
「はい?」
中山は期待して損したなと思った。化物が岩の中から出てくるなんてあるはずがない。化物は幽霊ではないのだ。
「あなた、『力』のプローディギウムを持っているでしょう? その岩をどかしてみなさい」男が言った。
「なんでそれを?」プローディギウムの概念は本人しか分からない。にも関わらず、男は中山のプローディギウムを知っている。ありえない話だ。
「それはあの岩の下に隠されています。どかしてみなさい」
中山は言われるがままに自分の体ほどの高さの岩をどかした。中山が触れると、プローディギウムの力によって、綿菓子のように軽く動かすことが出来た。岩の下には、階段があり、男はその中へと入っていった。
「ついてきなさい」
男はその場から動けないでいる中山に対してそう言った。中山は警戒しつつも、ゆっくりと階段を下っていった。
「ここです。ここから化物は誕生しているのです」
階段を下った先には、奥行きの広い部屋があり、両壁には緑色の蛍光色を放つ円柱状の水槽が幾つも並べられていた。男は驚いたまま動かない中山を無視して、一つの水槽の方へと歩いて行った。
「これは私の最高傑作なんですよ」男がそう言いながらただひとつ、黄緑色の液体で満たされた水槽を撫でた。どの水槽にも、その中身を隠すようにたくさんの泡が湧いて出てきていたが、男に撫でられた水槽の泡は綺麗に消滅した。「ヒトを使ってみたんです。うまく行けば会話もできるかもしれませんね」
「ヒトを......」震える声で中山は言った。興奮と恐怖、二つの感情が中山の声を震わせた。
「そう」男は中山の方を振り返った。「そしてこれからは君にこの施設を任せたいのです」
「なぜ私が?」中山はほとんど反射的にそういった。
「それが最善だからです」
なぜ最善なのか、ということを男は一切語らなかった。しかし、中山自身、そのことを特に重要な事だと思わなかった。それよりも、この施設について知りたかった。 化物は人が生み出している......それならばなぜ人類は地下へと逃げこんだのだろうか。
「何をするんですか?」
「知識の探求ですよ。知りたいでしょう? この世界のこと」
男がさらりと言ったその言葉は中山にかすかに残った警戒心を吹き飛ばした。この施設には中山が触れたことも、見たことも、嗅いだこともないような世界が広がっている。研究者としてこの機会を失う訳にはいかないと思った。
「知りたいです」
「君ならそういうって私は知っていましたよ」と男は言った。
「え?」
男がスタスタと部屋の奥へと歩いて行き、一番奥にある安そうな机の上に座り、身振り手振りを大きくして言う。
「私は君のプローディギウムを言い当てました。それは『ラプラスの解答用紙』に、今日、力のプローディギウムを持つ研究者がここにたどり着くと書き込まれていたからなのです。ここにある私の成果には、その『ラプラスの解答用紙』が含まれています。いえ、少し違いますね。『ラプラスの解答用紙』にたどり着いてしまったがゆえにこの研究にのめり込んだのです」
「ラプラスの解答用紙?」
一体どういうものなのだろうか。
「それを私がここで説明するには、言葉と時間があまりにも足りません。しかし、ここであなたが化物を生み出し続ける決意をし、あなたが研究を諦めなければ、あなたは確実に『ラプラスの解答用紙』へとたどり着くことが出来ます」
男の言葉は不思議そのものだったが、中山はその言葉を追いかけて貪欲に研究を重ねた。そして数年の月日をかけてついに『ラプラスの解答用紙』へと辿り着いた。そして、それを打ち破る算段を立てるに至った。
中山は飲み干したコーヒーの空き缶をゴミ箱へと放ると、机の端に置いてあるスマートフォンを掴み、起動させた。アドレス帳に登録されているたくさんの名前の中でももっとも古いものを選び、フリックを起用に扱いながらメールを書いた。
「無限、それに最も近いとされるプローディギウムを捕まえてきてください。実験の開始です。期限は三日間です」
メールを送信してから暫くの間返信は来なかったが、中山はメールボックスをずっと凝視していた。未開封のメールが何十件とある。あの日以前の知り合いたちからのもので、中山の安否を心配する内容のものが全てだ。事故死したとでも思っておいてくれと思った。
やがて、受信ボックスの一番上が変わった。中山は最近出来た恋人から来たメールを開く少年のように素早くそれを開いた。
「了解です。
しかし、なぜそうしなくてはならないのかは教えてくださらないのですね」
中山はそれを確認すると、スマホを机の端に戻して作業を始めた。返信はいらない。彼女が知らなくても良いことだし、中山自身にも説明のしようがないものだから。
「彼女の仕事が終わるのが明々後日。それまでに用意を済ませないとな。丸付けも含めて」
中山はそう言いいながら肩を揉んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます