蒸気精霊騎アークエンジェル

夏川 修一

第1話 テロリスト、誕生

「高すぎる! いつからパン一個がそんな値段になった!?」

「お客さん、知らないのかい? いまのボストンじゃ、これが相場さ」


 ここは水揚げされたばかりの魚介類や、周辺の農家が持ち込んだ新鮮な野菜・乳製品などが集まるボストン・マーケット。港近くの大通りに屋台がずらりと並べられ、今日も食材を求める客でごった返している。その一角で、長身の男が主人と押し問答をしていた。砂色の髪をしたその男の右頬には引きつれた薄い傷跡があり、鍛えられた体つきもあいまってその迫力はなかなかのものだった。だが、屋台の主人は断固として男の値切り交渉をはね除けた。結局、男は肩を落としてその場を離れていった。


「くそ……。俺が西部に行っている間になにがあった……?」


 二十代前半と思われる男は緑色の瞳をさまよわせ、やがて潮の薫りに引き寄せられるかのように、ひっきりなしに貿易船が出入りするボストン港へと向かっていった。


 男はひとけのない桟橋を見つけると、道端で拾った棒切れに自分の着ていたワークシャツから引き出した糸を結びつけた。さらに地面から掘り出したミミズを、これも落ちていた針金で作った釣針に突き刺す。そして、おもむろにそれを海に投げ込み、釣りを始めた。


 だが、真っ赤な夕日が水平線に落ちかかる時間になっても、その粗末な釣り道具にはただの一匹もあたりは無かった。ついに男は釣竿を投げ捨て、桟橋でフテ寝を始めた……。


               ***


「もしもーし。こんなところで寝てたら、風邪ひきますよー?」


 いつしか日は沈み、空に巨大な満月が浮かぶ夜となっていた。頭に軽い衝撃を感じた男が身じろぎすると、大きなトンボ眼鏡をかけた女が男の頭をコツコツと蹴飛ばしていた。男は身体を起こし、女を見上げた。


「忠告はありがたいが……あいにく、どこにも行き場がない」

「ほほう〜。なんだか面白い話が聞けそうですね。どうです、一杯奢りますよ?」

「それは魅力的な提案だが……君は何者だ?」

「ああ、申し遅れました。私は新聞記者のマーサ・ワシントンです。よろしく」


 女はくったくなく手を差し出してきた。男は一瞬とまどいつつ、差し出された女の手を握り返す。その手は意外なほど華奢で柔らかだった。


 マーサと名乗った女は年の頃は十七、八。活発な印象を与えるイキイキとした瞳と、あまり手入れのされていない栗色の髪を無造作に後ろに流していた。男物のジャケットにパンツ、皮のブーツという出で立ちは男社会を渡っていくための戦闘服なのだろうか。


 そしてブリタニア帝国との貿易で栄えるここ新大陸アメリア東部では「新聞」というさまざまな出来事……「ニュース」を記した紙切れが爆発的に売れていることは男も知っていた。


「なるほど、記事のネタ探しか。それなら、ありがたく奢られよう」

「ええ、ぜひ! すぐそこに私が常連の店がありますよ。ところで、あなたのお名前は?」


 男はふと遠い目をし、一瞬口ごもった。


「俺の名前は……パウル。パウル・シュナイダーと呼んでくれ」


          ***


 マーサがパウルを連れて行ったのは、「チアーズ」という港からほど近い居酒屋だった。店内は貿易船の船員や漁師達でごったがえしていたが、彼女は慣れた調子で周囲の客達に挨拶をしながらカウンターに陣取った。


「ラム酒でいいですか?」

「ああ」


 やがて琥珀色のラム酒の注がれたグラスと、バスケットに山盛りの魚とジャガイモのフライが運ばれてきた。フライは揚げたてらしく、プチプチと油がはじけ、食欲をそそる香りを放っている。


「さ、どうぞ?」

「それでは、遠慮なく」


乾杯する間も惜しんで、パウルはガツガツとフライをたいらげ始めた。マーサもほっそりとした体格に似合わぬ食欲で、そのペースに続く。


 やがて油で手と顔をベタベタにして完食したふたりは満足のため息をつき、どちらからともなくお互いの顔を見合わせた。おかしさがこみ上げ、双方の口元に笑みが浮かぶ。マーサは改めてラム酒のおかわりを二人分注文した。


「さて……パウルさんの身の上話を聞かせてもらいましょうか」

「いいだろう。ゴールドラッシュの話は知っているな? 大陸西部のカリフォルニアでは川で砂金がザクザク取れる……という例の噂だ。俺はそれを信じて一年前に現地まで行ってきた。だが、それはまったくのガセネタで……どこを探しても金などなかった。そしてやむなく東部に帰った来たら、今度は働き口がない。そのうち金も底を尽き、万事窮して……桟橋で釣りをしていたという訳だ。まったく、アメリアはどうなってる? 俺が一年前、西部に行く前はもっと景気が良かったはずだ」


 マーサと名乗る女新聞記者はトンボ眼鏡をクイっと引き上げ、大げさに肩をすくめた。

 

「ブリタニア帝国のせいですよ。連中、ちょうど一年前までカナディアでフランセーズと戦争をしてたんですけどね……そいつが終わったら使った戦費を調達しようと、めちゃくちゃな税金をアメリアにかけてきたんですよ。お酒にお茶に紙にガラスにペンキまで……庶民はたまったもんじゃありません。物価は一気に上がり、街に失業者が溢れました」

「そうだったのか…………」


ラム酒の杯が重ねられるにしたがい、二人の話はさらに熱を帯びていった。


「ブリタニアの連中の息のかかった『東インディラ会社』ってあるでしょう? 最近、茶の関税があの会社だけ免除されたんですよ。露骨な新大陸の同業者への圧力ですね。街の人たち、みんな怒り狂ってます。……ここだけの話ですけど、東インディラ会社の船を襲う計画もあるみたいですよ」

「……気持ちはわかる。アメリア人はブリタニアの連中から不当な扱いをされているからな。結局、奴らが俺達の金を吸い上げてるということだろう?」

「そういうことです。でもまぁ、ここは独立国じゃない。植民地ですから」

「それなら……」

「それなら……?」

「独立するべきじゃないか? アメリアは俺達の国だろう?」


 パウルがそう言ったとき、マーサの目が怪しく輝いた。


「それ……本気ですか?」

「ああ。俺はプロイセナ王国からの移民だが、今はもうアメリア人だ。アメリア人として、自分たちの国が欲しい」

「ふふ……そうですか、そうですか。それなら、あなたをお連れしたいところがあります」


 マーサは手早く勘定を済ませると、パウルを店の外へと誘った。


                ***


 マーサがパウルを連れて行ったのは、街外れにあるうらぶれた酒場だった。あちこちで賭けトランプが行われ、ときどき敗者の絶望の呻きが聞こえてくる。そして室内にはもうもうと煙草の煙が立ちこめていた。だがその匂いの中にはパウルにとって懐かしい匂いも混じっていた。それは……戦場の匂いだった。

 

 客達も片目の男、片腕の男、いずれも後ろ暗そうな過去を持つ一癖ありげな連中ばかりだった。だが、その店の奥に向かって平然とマーサは入っていった。そしてカウンターの前まで進むとパウルに向かって振り返り、背中をそらして寄りかかる。賭け事をしていた連中が一斉にパウルに向けて視線を送ってきた。彼は背中にじわりと汗が流れるのを感じた。


「ふふふ……実は私の『新聞記者』というのは仮の姿。本当の私はブリタニアに抵抗するレジスタンス組織、『アメリア独立戦線』を率いる謎のリーダー、マーサ・ワシントンだったのです! みんな、この人は新しい仲間のパウルさん。歓迎してあげて!」


 その突然の告白に合わせ、まわりのいかつい男達が盛大に喝采を送ってきたので、パウルは緊張を解いた。


「そういうことだったか……いいだろう。改めてよろしく頼む」

「ええ、こちらこそ。では今夜さっそく、一緒に東インディラ商会の船を襲ってもらいますよ。積み込まれた紅茶を海に投げ捨てるんです。さあ、行きましょう!」


             ***


 マーサが率いる『アメリア独立戦線』のメンバーは、パウルを入れておよそ十名ほどだった。水先案内人に金を渡して侵入した商船の甲板は静まり返っていた。


「さーて、景気よく紅茶の箱を海に投げ捨ててやりましょう。明日のトップニュースはこれで決まり。自分で事件を起こして自分で新聞の記事にする……究極のマッチポンプって奴ですね!」

「それはいいが……これは本当に紅茶を運ぶ商船か? 俺には偽装軍艦のような感じがするんだが……」

「港の税関をしてるメンバーの情報では、東インディラ会社船籍の商船だったんですけどね。えーと、紅茶はこのシートの下かな……?」


 マーサが無造作に甲板上のカーキ色の防水布をめくり上げると、奇妙な形の鉄の塊があらわれた。


「なんですか、これ……?」


 メンバー全員で防水布を引きはがす。あらわれたのは横たわる鋼鉄の巨人……全長8メートルほどの黒い人形だった。腰の当たりに配管が連結され、船の蒸気機関から大量の蒸気を送り込まれているようだった。


「リーダー! ここに銘板がついてるぜ!」

「なになに……蒸気精霊騎スチーム・パンツァー……アーク・エンジェル?」


 マーサがそれを読み上げた瞬間。無数のサーチライトが甲板上を照らし出した。




ブリタニア商船にテロを仕掛けたマーサ・ワシントン率いるアメリア独立戦線。だが、そこにあったのは見たこともない鋼鉄の巨人だった。そして彼らを照らし出した謎の光は、何者によるものなのか?


<次回、『アークエンジェル、起動』。猛る蒸気が未来を開く!>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る