煙か恋か食い物(ケーキ)

斉藤海

第1話

 一瞬の暗闇のうちに消えてしまった皐月のポーチ。

 ポーチを探す為に廊下を歩き、玄関付近まで戻ってきた。梅雨突入の前だというのに外の日差しは強かったが、窓が少ないこの建物の中ではあまり感じられない。

 荷物を置いた部屋のドアノブに手をかけながら、ふと思う。

 こんなのはとんだ茶番だ。

 この部屋にポーチはないのだから。

 ただ俺もいら立っていたので、ここでの決着は望むところだった。

 ふと後ろにいる繭が、この状況に気づいているのか気になった。

 俺はため息をつき、覚悟を決めてドアを開けることにした。



「ちょっと失礼」

 軽く買い出しを終え、今日の会場となる家にたどり着いた直後に先輩は言った。この庭先で一服していくようだ。

 吸いたいと思ったことはないけれど、先輩が吸っている姿は格好良いと思う。私も大学生になったら、あるいは同じように3年経てば先輩のようになれるんだろうか。

 小さい頃からの、憧れのお姉ちゃん。

 なのに、私の隣にいる耕太はいつものように難癖をつける。

「皐月、煙草は百害あって一利なし。止めといた方がいいぞ」

 煙草をくわえて苦笑を浮かべるだけの先輩に代わって言う。

「あんた失礼なのよ。まさか知らずに吸ってるとでも思ってるの?」

 耕太は視線をこちらに向けることもせず、先輩へと話かける。

「煙草を吸うことで確実に健康を悪くするし、それは皐月だけじゃなくて、傍にいる昭彦さんにだって影響は大きい」

 昭彦さんの名前が出た瞬間、先輩は少し体を固くしたのが見えた。確かに耕太の言うことは正論だけど、何もこんな場所で言い出さなくてもいいのに。

「ちょっと、先輩はそんなことくらい百も承知なんだから。いっつも同じ文句聞かされる身にもなってみなさいよ」

 耕太も言い過ぎたとの自覚があるのか、話の矛先を変えてきた。

「いつもと言うが、先々週会った時には言わなかったはずだ」

「細かいこと気にしすぎ! あんた絶対寿命が5分縮まるとか言って煙草にこだわり続けて、そのストレスで5時間は人生を短くするタイプよ」

「お前は大雑把すぎて、きっと寿命さえもどんぶり勘定なんだろうな。88まで生きられるのに80でいいや、みたいな」

「なによ。80まで生きられれば十分じゃない」

 耕太が再び口を開きかけたところで、先輩の抑えた笑い声が聞こえてきた。

「2人とも落ち着けって。なんであたしのことで2人が言い合いになるんだよ。耕太の言うことはもっともだし、周りに迷惑かけるのは分かっているから気を許したやつの前でしか吸わないさ」

 なおも言い募ろうとした耕太の言葉は、玄関が開く音で中断された。玄関から出てきたのは、今日の誕生日会の言いだしっぺである昭彦さんだ。

「買い出しお疲れさま。中にいても聞こえてきたけど、その辺りで。今日は皐月さんの誕生日だし、耕太くんも大目に見てやってくれないか」

 昭彦さんの提案に、仕方ないなと言った表情で耕太は口を閉じた。

「何もこんな強い日差しの中にいることないし、早く中に入りなよ。家の中は煙草禁止ってわけでもないんだからさ」

 昭彦さんの言葉に心強くなった私は、耕太に向かってビシッと言い放つ。

「郷に入ったら郷に従え! ここは昭彦さんの家なんだから、あんたは主の言うことに従っていればいいのよ」

「繭ちゃんも口を閉じること」


 先にケーキを食べてしまおうという昭彦さんの言葉に従い、持ってきたお菓子や勉強用具を入ってすぐの部屋に置く。

 勝手知ったる何とやら。この部屋に入るのも、もう4回目になる。受験生になった直後に先輩から紹介してもらい、同じく受験生あり先輩の弟でもある耕太ともども、2週間に1回の頻度で昭彦さんに勉強を見てもらっているからだ。

 先輩が煙草を吸うのを初めて目撃したのも、この部屋。吸っているなんて知らなかったから驚いたけど、昭彦さんの前でならリラックスできてるってことなんだろうな、とうらやましく思ったものだ。

 部屋を出て、昭彦さんの先導で廊下を渡り奥の部屋へと入った。この部屋自体は4人掛けのテーブルと椅子そして冷蔵庫がある程度の簡素なものだけれど、先ほど荷物を置いてきた部屋も併せて他にも10近く部屋があると聞いた。

 元々この家は昭彦さんのお父さんの兄、つまり伯父さん夫婦が住んでいたそうで、大学に通う間居候させてもらう予定だったらしい。ただ半年ほど前、県外に住んでいる伯父さんの娘が子供を生んだとのことで、子育て応援の為に当面の間そちらで暮らすことになったとか。

 そんなわけで、いま昭彦さんは一人でこの家に住んでいる。

 一人暮らしとはいえさほどお金はかからないそうだけど、個別の塾講師のアルバイトは今年になってから平日はほぼ毎日のように入っているらしい。「頼まれると断れない性格だから」と昭彦さんは言っていたし、分かりやすい説明を実際に受けた身からすると人気が出るのは分かる。

 でも最近アルバイトに励んでいる理由は、彼女である皐月先輩のために高価な誕生日プレゼントを用意しているんじゃないかと、私は密かににらんでいる。

 そう考えると、今日出てくるケーキも特別おいしいものに違いない。


「じゃあ今日のメインディッシュを持ってくるか」

 よこしまなことを考えているのが漏れたのか、私たちが席に着くと昭彦さんが冷蔵庫からケーキの入った箱を取り出し机の上に置いた。

 出てくるケーキを思わずじっと見つめてしまった。

 よく冷蔵庫に入ったなという大きさのホールケーキだった。直径も20センチは超えている気がするし、フルーツ盛りだくさんで厚みもある。これ、いつも私が食べるショートケーキ何人分あるんだろうか。

「見た目だけでも十分においしそうだね。これを食べられるだけでも、年をとったかいがあるってもんだよ」

 耕太が先輩の言葉に大げさに頷きながら私に向かって言う。

「皐月の言うことはもっともだけど、そんな食い入るように見なくてもいいじゃないか。誰もお前の分を食べたりしないから」

「うっさいわね。そんなもの欲しそうな目で見てないわよ」

「そうか? 主役の皐月を差し置いて、一番大きく切れた部分を取りそうだけど」

「いちゃもんつけるなら耕太は一番小さい部分を取りなさいよ」

「……やっぱあんたらを招待してよかったよ。昭彦も二人の茶目っ気を見習ってもらいたいもんだね」

「いや私は耕太と馴れ合ってるつもりはないんですが」

 私の反論なんて先輩が少しも気にしてないのはいつも通りだが、昭彦さんは考えるそぶりをしてから、珍しく私に向かって言った。

「生クリームが箱にくっついて減らないよう、丁寧に出したから安心してね」


 先輩がケーキについていたロウソクを刺し終わった。

「繭ちゃんもいつまで恨めしそうな顔してるの。ローソクにクリームつくのがもったいないと思ってるかも知れないけど雰囲気は大事だし……ってその目は今日が誕生日のあたしに向けるものではないよね。ま、からかうのもこれくらいにしとこうか。お腹もすいてきたし、そろそろ電気消すよ。耕太、悪いけど後ろのカーテンを閉めてくれない」

 私も耕太と一緒に立ち上がり、カーテンを閉めた。私たちが席に着くのを待って、昭彦さんは電気を消した。思ったよりも部屋の中は暗くなったので、目がなれるのに時間はかかりそうだ。

 部屋が暗くなっただけで、気分が高まってくる。

「あれ、マッチ用意しておいたはずなんだけど」

 昭彦さんのつぶやきと一緒に何かを探すような音が聞こえてきたけど、マッチが見つかる様子はない。

「昭彦、電気をつけて探し直した方がよくないか」

「そうだね。つけ直すよ」

 部屋に再び蛍光灯の明かりがついた。昭彦さんを責める気はないが、夢から醒めてしまった印象は拭えない。

 私も机の上を見たけども、マッチは見当たらない。そもそも机の上はケーキを食べる皿やコップがあるくらいでマッチが隠れてしまうようには思えない。

「用意するの忘れてたかな。ちょっと探してくるから、待ってて」

 昭彦さんが立ち上がりかけたが、先輩に呼び止められた。

「わざわざ探しに行くことはないよ。あたしのライターを使えばいいでしょ」

 言われてみれば先輩はライターをポーチに入れて持ち歩いているんだった。先輩はライターの入っているポーチを渡そうとして……その動きが止まり、椅子の回りを確認する。

「ポーチがない」

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