第26話 ポチと僕 5
ポチは実は四季のうちで夏が一番苦手だ。それは暑いからなのだが、じゃあ好きな季節はと言うと良く例に出されるのが、雪が降る冬である。よく犬は雪が好きなのではと思われるが、決してそんな事はない。ただ、雪が積もるとその上を走りたくなるだけなのだ。
冬の冷たい風が犬小屋に入り、隙間から抜けて行くと、流石に温かい場所が恋しくなる。そんな時意外とこの気持を判ってくれるのがお姉さんなのだ。
「ポチ、寒くて嫌でしょう。今、誰もいないから少しだけヒーターにあたらせてあげる」
お姉さんはポチにそう言うと雑巾を持って来て丁寧に足を拭き、ポチを抱えてリビングに連れて来て、ファンヒーターの前にそっと降ろした。
「ほら、温かいでしょう! 暫くは誰も帰って来ないからユックリと温まるんだよ」
お姉さんはニコニコしながらポチの頭をそっと撫でると横のソファーに座ってファッション雑誌を読み始めた。
実はポチはこうして、ヒーターにあたらせて貰うの初めてでは無い。一番最初はお母さんがあたらせてくれたのだ。それを見ていた隆くんも真似してあたらせてくれたし、今日はお姉さんもあたせてくれた。ポチとしては今までの寒い状況を考えれば大満足だった。
最初に温かい風の出口に真正面に座り、胸いっぱいに風を受ける。そして段々時計回りに体を動かして行く。一周回ったら、そこに寝そべる様に座り体一杯に風を受けるのだ。
「ほんとあんた、気持ち良さそうにしているわね。見ているだけでこっちも幸せになるわ」
お姉さんはいつの間にかポチの横に来て体をゆっくりとお腹を撫でてくれていた。これも本当に気持ちが良い。
そんな幸せな時間をお姉さんと共有していた時だった。玄関でチャイムの音がした。ポチにはシェリーの匂いも感じたので、すぐに起き上がって玄関に走って行く。慌ててお姉さんも後から付いて来た。
お姉さんが玄関の扉を開けると、やはりそこにはシェリーがリードを繋がれて立っていた。そのリードを持っているのはお姉さんの彼の霧島さんだった。
「くつろいでいる所ゴメン。実は困った事になってしまって……」
どうも、霧島さんはかなり困っているようだ。顔色が普通では無い。その状態を見たお姉さんまでもが心配そうな感じになって来ている。
「どうしたの? 何か困ったことでもあったの。何でも言って!」
お姉さんが訴える様に言うと霧島さんは
「実は、僕が講師のアルバイトをしている塾でなんだけれど、先日テストをしたんだ。進学に大事なテストでね、今日が返却だったんだけど、ある生徒が何時もは出来が良いんだけど、今回だけは特に悪かったんだ。その答案と成績表を見たら、泣きながら表に飛び出してしまってね。あちこち探したんだが見つからないんだよ。色々と考えたのだが、この際、うちのシェリーと君のところのポチにも協力して貰えないかと思ってね。勿論、訓練されていない犬が見つけ出すなんて難しいとは思っているよ。でもこの際、藁をも掴む思いなんだ。もうすぐ日が暮れるし、身柄が心配なんだ」
本当に困っていると思ったお姉さんはポチに
「協力してあげようよ。役に立つかは判らないけど……」
そう言ってポチの首筋を撫でた。勿論、ポチは協力するのはやぶさかでなかったが、霧島さんがシェリーや自分が人間の言葉を話せるのを知っているのかどうかだった。それによってこちらの態度を変えないとならないからだ。 注意深くシェリーを見ると自分の考えが判ったのか、片目をウインクした。これは「知らないから大丈夫」のサインだと思った。それを見てポチは安心して一声「ワン」と鳴いた。
「ほら、ポチもシェリーも引き受けても良いッて鳴いたわ」
お姉さんもこちらの考えが判った様だ。
「ありがとう! 恩にきるよ。それじゃ早速……いいかいポチ、シェリー、このハンカチはその子の持っていたハンカチだ。汗なんかも拭いた感じだから匂いもついてると思うんだ。良く嗅いで欲しい」
霧島さんはそう言ってハンカチを二匹に嗅がせた。充分に嗅がせるとそのハンカチをシェリーの首に巻き
「ポチ、ここに結いておくから、忘れそうになったらまた嗅いでくれ」
そう言うと霧島さんはシェリーのリードを外した。
「シェリーにはGPS対応の発信機が付いてるから、スマホで位置が把握出来る。二匹とも利口な犬だから放して探させた方が速いと思うんだ」
お姉さんとしても、それが良いと思うのだった。二匹とも鑑札が付いてるし、この辺では見慣れた犬だから、そう心配は要らないと思ったのだ。
「それじゃ頼んだよ。見つけたらそこに留まっていておくれ、位置が変わらないので僕たちが現場に駆けつけるからね」
その言葉を聴いた二匹は家を後にした。
走りながら、二人とも二匹が完全に人間の言葉を理解すると信じて疑わない事がおかしく感じた。
「ねえ、大丈夫、訓練を受けていないわたし達が探せるかしら?」
心配そうなシェリーにポチは
「そりゃ難しいとは思うけど、やるだけやってみないと……」
二頭で走りなら会話をする。するとポチの嗅覚がその子の匂いを捉えた。その場に止まってもう一度確認すると、やはり僅かだが感じたのだ。念の為シェリーにも確認して貰う。
「そうね。似てるわね。この匂いを辿って行けば良いのかしら?」
「でもなんでこんな場所に匂いがあるのだろう?」
「この道はウチのお兄さんがアルバイトしてる塾に繋がってる道だわ。この反対の方角は……不味いわ、土手よ! 川の方角よ。まさか、成績が悪いのを悲観して発作的に……」
シェリーの言い方が真に迫っていたのでポチは
「まさか……テストぐらいで……そこが人間が判らない所だよね。でも土手の方に行ってみよう」
二匹は今の道が続いている土手に向かって走りだした。恐らく今頃は自分達の位置を確認した霧島さんとお姉さんが自分達の後を追って来ていると信じて……
その頃、霧島さんとお姉さんはスマホを見ながら
「二匹が土手の方角に向かったよ。僕達も行ってみよう!」
霧島さんの言葉に頷いたお姉さんも自転車を出して、途中霧島家で霧島さんも自転車に乗り換えて土手に向かう。
「警察に捜索願は出したの?」
「うん、塾長が出してくれてるはず」
やはり走りながら会話をする。
一方、先行する二匹は既に土手に上がっていて、強くなった匂いを嗅いで少女の場所に近づきつつあった。
「あれかな?」
ポチが言った先には少女が土手の草の上に横になっている。そこを鼻先で先を指すとシェリーも確認して
「多分そうだわ。なんか寝ているみたいだけど、横になってるだけかな?」
シェリーに言われてポチも見てみると、どうやら草むらの上で寝ているらしい。
「どうしたのでしょうね」
「もしかして、泣き疲れて寝てしまったのかな?」
シェリーの疑問にポチは想像で答える。
そばに近づいて匂いを嗅ぐと間違いなかった。ハンカチの匂いと同じだった。
「間違いないようね。で、どうする?」
シェリーが後ろを振り返りながらポチに相談をする。
「きっともうすぐお姉さんや霧島さんがやって来るよ。余計な事はしないほうが良いと思うよ」
「そうね。わたし達の役目はここ迄だものね」
シェリーも納得して再び遠くを見ると、どうやら二人がやって来た様だった。
「ほら来たよ。これで大丈夫だ」
ポチは自分の役目が終わった事を感じたのだった。
その後、警察に保護され少女は保護者の元に帰された。少女は、私立中学に入る様に親に煩く言われており、一生懸命勉強していたが、今回のテストで志望校の合格ランクがAからCに落ちてしまったので悲観して、とっさに行動してしまったのだと言う。
普段から親の期待を感じ過ぎていた為だった。塾からも、今回だけの成績では参考にならないから充分に合格圏内だからと言われて落ちついた様だ。
「でも何も無くて良かったわね。そしてポチ、大活躍だったわね。シェリーとのコンビ見事だったわ」
事件が解決して、お姉さんはポチを家に上げて家族皆の前で褒めている。
「あんたもシェリーも会話が出来るから、意志の疎通が図れて上手く行くとわたしは思っていたのよ」
突然のお姉さんの言葉にポチは唖然とした。驚きで声が出せず口をパクパクさせていると
「ふうん。相当驚いた感じね。言葉を話せるとわたしが知っていて驚いた?」
そう言いながら笑っているお姉さんだ。
「知っていたのですか!」
やっと声が出た。
「当たり前じゃない、隆とお父さんしか知らないと思っていたの? あんたも可愛いわね。とっくに気がついていましたよ」
お姉さんの目が優しく笑う。
「私は全く知りませんでした。じゃあお母さんも知っていたのですか?」
それを聴いてお母さんが
「うん、知っていたわよ。でもあなたが必死で隠してるから、可哀想だから今まで黙っていたの。お姉ちゃんとも相談してね」
お母さんの表情も優しく見える。
「でも、なんで……」
「それはね。あなたは大切な家族だからよ。大事な大事な家族なの、だからその気持を尊重したのよ。判った?」
お母さんの言葉を聴いてポチは嬉し泣きと言う事があると初めて実感した。
え? 犬が涙を流すかって。欠伸の時は流すでしょう。だから涙を流すんです。世間の犬は流さなくてもポチは特別なのです。
「ポチ、今夜、わたしと一緒にお風呂に入ろうよ。隅々まで洗ってあげるから」
「え、お姉さんとですか……」
「何なの、嫌なの?」
「いいえ、そう言う訳では……」
「はい! 決まり。寒い晩は温まるんだぞ!」
お姉さんの言葉を聴きながらポチは、お風呂に入るのも、たまには悪く無いかもと思うのだった。
その後、今日の夕方の散歩は隆くんがリードを引き、一緒にお父さんがついて来てくれていた。
「こんなの初めてですね。どうしたんですか?」
ポチは二人だけに判る様に話しかけるとお父さんが
「おいおい、表ではあまり喋るなよ。『話せる犬』なんて事が判ったら、お前マスコミに忙殺されてしまうぞ。長生きしたかったら表で喋る時は気をつけろよ」
そう言って心配してくれた。ポチはその気持も嬉しかった。酷い飼い主なら金儲けを考えるのだろうが、お父さんは微塵もそんな事は考えていないのだと思った。
やがて何時もの公園に着くと、隆くんがリードを外してくれた。ポチは広い公園を思い切り走る。
なんだかんだと言うけれど、やはり自分は犬なのだとポチは思う。ならば犬の本分を一生懸命に生きるだけだと思うのだった。
「ポチ、今日はボールを持って来たから、これで遊ぼう」
隆くんが懐から真っ赤なビニールのボールを出してポチを誘う。
「ワンワン」と答えるポチ。
隆くんがボールを投げてポチが追いかけるのだが、何回も追ってるうちに、ポチは追いかけてるのが赤いボールだか夕日だか判らなくなってきた。
大好きなお父さんとお母さん。それにお姉さんや隆くんと一緒に暮らせれば、もう望むものはなかった。
「僕は世界で一番幸せな犬かもしれない」
そっと呟いてみたポチだった。
<了>
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