第6話 桃の香りの風はわたしを未来に連れて行く

 正直、腹が立っていた。余りにも身勝手な言い分に最後まで話しを聞かずに出て来てしまったのだ。教室から急いで飛び出し、やっと駅前の交差点まで辿り着いた。ここまで来ればもう追って来ないだろう。そう思うと一安心する。

 高校一年の時から交際して来た隆がいきなり「別れてくれ」と言って来たのだ。何の前触れも無く今日、正確にはつい先程、教室で言われたのだ。驚きと同時に腹が立ってここまで走って来てしまった。だから、隆の言い訳の何も耳にしていなかった。

 まあ良い、早く家に帰って、お母さんの用意してくれたお菓子でも食べよう……わたしは、その時はそんな事を考えていた。

 信号が変わったので、横断歩道を渡りだすと、この辺りには不似合いな桃の実の匂いが漂って来た。

 この辺に果物屋や八百屋は無い。すぐ傍で誰かが桃のジュースでも飲んでいるのかと思ったが、そんな人はいなかった。

 気のせいかと思い直して交差点を渡って行くと、今度は突風が吹いて来て目を開けていられなかった。両方の手のひらで顔を覆って真っ直ぐに歩く。もう少しで向こう側に渡れる場所まで歩いていたので、すぐに渡り終わった。

 目を開けると、わたしの知らない世界だった……いや正確には見覚えのある景色だし、今までわたしが歩いていた交差点なのだが、季節が違っていた。

 並木のポプラは葉を落とし、先ほどとは違って冷たい風が吹いている。周りを歩く人をみても今がつい先程までの初夏では無いと判る。

 銀行の掲示板を見ると十二月三日午後三時二十一分としてあった。半年以上も違う。いったいどうした事だろうか……

 それに十二月だそうだが、前の時期より進んでいるのか、戻っているのかが判らなかった。

 年が判ればそれで判る。そう思って自分の携帯を確認すると前のままだった。これでは何の役にもたちはしない。

 コンビニに入り、お弁当の賞味期限を確認する。年は同じだった……どうやらわたしは半年先の世界へやって来てしまったようだった。

 どうすれば良いか、歩きながら考える。とりあえず家に行ってみようと思った。でも、そこに半年先の自分が居れば、もう自分には居る場所は無い。困った事になる。その場合、わたしはわたしだがわたしではなくなるのだ。不思議な感じだ。

 兎に角、じっとしていてもしょうが無いので、家に向かって歩き出す。冬なのに夏服を着てるから寒いことおびただしい。家で冬服に着替えたかった。

 家の前まで来て、暫く様子見る事にする。時間だけは元の世界と変わって無かったので、この時間のわたしはこれから学校に帰って来るのだと推理した。ならば今がチャンスかも知れない。自分が帰って来る前にわたしが家に入ればお母さんはきっと学校から帰って来たと勘違いするだろう。そう考えた。

「ただいまー~」

 何気ない声で言ってみるとお母さんの声で「おかえり、早いわね」

 そんな声がした。適当に答えて自分の部屋に入る。机の写真立てには隆とわたしの並んで写ってる写真が飾ってある。これは覚えがある。わたしにとっては先週一緒に遊園地に行った時に遊園地の係の人に写して貰ったからだ。

「印刷したんだ……」

 思わず声が出てしまった。そう思ったらいきなり後ろから肩を叩かれた。振り向くと半年後の自分が居た。

「あ、わたしは、わたしで……」

 何を言って良いか判らず口が空回りすると、半年後のわたしは

「あなたが今日ここにやって来るのは知っていたから、早く帰って来て押入れに入って待っていたのよ」

 そうか、彼女も自分だから今のわたしがする行動は既に経験済みだったと気がついた。

「あなた、隆の言葉を良く聞かないで飛び出したでしょう。だから大事な事も知らないのね。隆はねえ、もう学校には居ないのよ。転校してしまったのよ。だから『別れて欲しい』って言っていたのよ。それを良く聞きもしないで飛び出すから……」

 そうだったのか、それは失敗してしまった。

「で、結局わかれたの?」

「遠距離恋愛よ。あなたが飛び出したから隆は結局別れをちゃんと言えず、そのままになったから手紙やメール、それに電話やLINEで連絡を取ってるわ」

 そうか、ならば結局怪我の功名ではないかと思ったのだった。

「判ったなら、帰りなさい」

 半年後のわたしは事もなげに言うが、来たくて来たのでは無い。どうやって帰れば良いか判らない。

「簡単よ。あの交差点を今度は反対に渡れば良いのよ。さあ、行きなさい」

 言われてわたしは交差点に戻って来た。信号が変わるのを待って歩き出す。すると先ほどと同じように風が強く吹き桃の香りがした。やはり目を瞑って交差点を渡り終わり、目を開けると元の五月の風が吹いていた。わたしは元の時間に戻った事を確認して、学校に戻った。途中で学校から飛び出した子とすれ違った。良く見ると先ほどのわたしだった。

 わたしは彼女を見送ると学校に入って行った。そして隆に「遠距離でも構わない」と伝えたのだった。


                       <了 >

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