第2話 残り火

 お店の常連さんは沢山居るけど、その中には純ちゃんの昔の仲間も居る。一番良く来てくれるのがカッキーこと柿沢タツヤで、その昔は純ちゃんとライブハウスの人気を二分していた人だった。

 完全に引退してイタリア料理のオーナーシェフになってる純ちゃんと違い、カッキーは未だ現役なのだ。

 純ちゃんが引退した後出したCDが少し売れてテレビにも少し出た。実際の歳より若く見えるし、男っぽい純ちゃんとは違ってのっぺりとした顔をしたジャニーズ系の顔をしていたので、その頃は少し話題になった。

 でも売れたのはその一曲だけで後は鳴かず飛ばずだった。ライブハウスに出ていた頃から二人は仲が良く、それぞれのファンもお互いを認めていたっけ。

 今、カッキーは地方のライブハウスを回ったり、ギターが得意なのでたまにはスタジオミュージシャンとしても演奏するらしい。

 暇があると(尤も年中暇なのではと私は思っているけど)店に来て休憩時間には純ちゃんと仲良く話している。

 そんな日常だった……ある日、カッキーが顔色を変えて店にやって来た。

「純居るかい?」

「居るわよ」

 私の答えを半分しか聴かず店の奥の厨房に入って行った。時間はもうランチタイムが終わって休憩に入ろうと言う頃だった。

 カッキーの何かの言葉を耳にした純ちゃんは顔色を変えて

「本当なんだろうな?」

 両手でカッキーの肩を揺さぶっていた。私はこの時、純ちゃんの中に僅かに残っていた火が大きくなったのを感じた。

 厨房の片付けを若い人に任せて、お店の片隅で二人で真剣に話し合っている。二人がこんなに真剣になるのは音楽の事以外にはない……少なくとも私はそう思った。

 純ちゃんが歌手を止めて私と結婚したのは現実的な選択だったと思う。同じ頃にカッキーが僅かでもメジャーデビューを果たしたのだから、自分の出番は無いと悟ったのかも知れない。でも、それで完全に歌を諦めた訳では無いと私は思っていた。だから店が終わると私に歌を弾いて聴かせてくれるのだと思っていた……判っていたんだ。純ちゃんの心に残り火のように歌への想いが残っている事を……


 二人はお店の休憩時間になると私の前にやって来て

「陽子ちゃん……お話があるんだけどな……」

 カッキーがすまなさそうな顔で私に告げると純ちゃんが

「なあ、一度だけでいいんだ。もう一度だけ歌わせてくれないかな?」

「どういう事なの? ちゃんと説明して欲しいな」

 私の言葉にカッキーが順を追って話しだす。それによると……

 カッキーは、たまにだがテレビ局に行く事もあるそうだ。ある時、某民放の公開歌番組の前座をやらないか? とプロデューサーから話があったそうだ。

「二回程放送の収録前の前座をやって貰って好評ならメジャーデビューさせる」と言うものだった。向こうの注文は男性二人の「デュオ」だそうで、二人でギターを弾きながら歌って欲しいのだそうだ。何でもこれからは若い人対象ではなく、中年のかって音楽に熱くなった世代を対象にもう一度火を付けられそうなコンビを探してる。と言われたのだそうだ。そこでカッキーは「自分が信頼出来る腕と人間」と言う事で純ちゃんに声を掛けてみたのだと言う。

「駄目かな……」

 小さな声でカッキーが私にお伺いを立てている

「純ちゃんは、どうなの? それが一番大事でしょう」

 私の言葉に目を合わせなかった純ちゃんは

「一度は歌を諦めたんだ。今更と言われてもなぁ……」

 その言葉は嘘だと思った。

「ねえ、本当の気持ちを教えて? お店の事なら今なら少しぐらい純ちゃんが居なくても何とかなる。私だって、若い子だって多少は出来るし、それぐらいなら純ちゃんを支えてあげられる。だから私にだけは本当の事を言って! あの時、私は嬉しかったの! ライブハウスで引退宣言をしたあなたを素敵だと思った。あれから何時かお返しが出来ればとずっと思っていたのよ。だから、お願いだから本当の気持ちを伝えて欲しいの!」

 私の言葉を最後まで聞いてから純ちゃんは

「ありがとう……本当は、今度、カッキーと組んで前座をやったって上手く行くはずが無いとは思ってるよ。それはこいつ(カッキー)も同じだと思う。だけど、俺もこいつも心にロックンロールの魂は消えていないんだ。それを見つけるのと、僅かに残った残り火を燃え尽きる事を確認するために一度だけ許してくれないか」

 純ちゃんがそう言うのは判っていた。今でもあの頃と変わらない歌声と演奏……それは私が誰よりも一番判っていたはずじゃないか……。

 それに、純ちゃんと一緒になる時に父が言ったっけ

「陽子、男の心残りは一生残るものだ。あいつはいつか残り火に火を付ける時が来るだろう、その時は好きにさせてやりなさい。その為に若い頃は一生懸命に働いて余裕を持っようにしなさい」

 父は判っていたのだ。純ちゃんが、また歌を歌う時がやって来るのを……父も、心残りがあったのだろうか? ふと、そんな事を考えた。

「判ったわ。何時か来ると思っていたわ。お店の事なんか気にしないで悔いの無いように頑張ってね」

 私はそれだけを言った。その時の純ちゃんの笑顔は忘れないだろう。こうして一時だがイタリア料理店のオーナーシェフの純ちゃんは私の前から去った。

 

 それからというもの、純ちゃんとカッキーは二人で練習に明け暮れた。本番の日まで日にちが少ない事もあったが、スタジオを借りたりしてかなり真剣に練習をしていた。

 約束では、収録は二回で、二週分を一日で収録するそうだ。その合間や収録前に座を温める目的で演奏するのだという。曲はオリジナルなんか歌わせては貰えない。誰かのヒット曲を演奏して歌うのだという。勿論ギャラなんか出ない。カッキーに言わせると「弁当が出るくらい」らしい。

 最初の収録の日、車でカッキーが朝早く迎えに来た。純ちゃんはまるで試験に行くような感じで出ていこうとしたので

「無理しなくても良いんだよ。自分の好きに歌って通じなければ良いじゃない。私は今でも一番好きなロッカーだからね」

 そう言って励ました。純ちゃんの顔から強張りが消えて何時もの顔になった。

「ありがとう。じゃ行って来るよ」

 にこやかな顔になって車に乗り込んだ。見送ってから私は店の支度に掛かる。店に出て来た若い子が

「マスター本当に行ったんですね。もし、本当に売れたらどうします?」

 心配そうに言うのでおかしくなって

「大丈夫よ。そうなったら、私とあなたで頑張れば良いだけだから」

 そう言ってあげると、気の抜けた顔をした。

 

 その日は遅くなってから帰って来た。お腹を空かせていると思い、カッキーと純ちゃんにスパゲティーアラビアータを作ってあげた。二人は黙々とそれを食べていた。

 カッキーが帰ると純ちゃんは私を前に座らせて

「アラビアータ旨かったけど、俺より一段落ちるな……やっぱり俺が店に居ないとな」

「駄目だったの?」

 純ちゃんはそれには直接答えず

「俺の求めていたものが、あそこには無かった……俺が求めていたのはお客の笑顔だったんだ。ロックンロールでも同じ。俺の歌で喜んでくれる人の笑顔が一番だったんだ。今日は、あそこには無かったと言う事さ。これからはフライパンでお客を笑顔にしてみせるさ。そうすべきだと歌っていて想ったんだ。もう心配は掛けさせないよ」

「いいの? 悔いは無いの?」

「ああ、これからも趣味では歌ったり弾いたりするけどな。それに俺の傍には一番のファンが居てくれるしさ……」

 純ちゃんはいつの間にか私の横に座っていて、そっと肩を抱いてくれた。見上げるとやっぱり満天の星空で、純ちゃんにお星様は似合うと想った。



                         <了>

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