第23話 魂の座(思考実験)
波の音が聴こえる。
岩に打ち上がる大波の音だ。
それだけではない。
波の音や匂いとともに、海鳥たちのクーク―という穏やかな鳴き声も聞こえてくる。
柔らかい風の音に耳を澄ます章子は、
照りだす陽射しを遮り、大地の先から見える海の彼方を見た。
海の彼方、遥かな水平線が青と碧で分ける中での波浪は、陽射しの照り返しで光に強く輝いている。
潮風がまた頬に心地よかった。
そこは、ある岬の先端だった。
見晴らしのいい、草地ばかりが広がる岬という尖った先端の台地にある広場。
そこから立って見える海と大地の間は、よくある木製の柵で隔たれている。
「この海の先にあるのが第五世界でも有数の大海流の一つ、
リバイアス海流です」
真理は遠く海の彼方を指差してそう言った。
「リバイアス海流はすでに一つの意識を持っています。
それはサーモヘシアの一国、ハウナが宿した一つの精神です。
いうなればそれこそが、一つの生きた大海龍ともいう事が出来る」
潮流に一つの意思が宿った生命。
それが世界を渡る海流として存在している。
そんな事が本当にあるのだろうか。
章子には、それがにわかには信じられなかった。
「その性格はひどく温厚で大人しい。
リバイアス海流は暖流ですね。
それが荒れ、大きく蛇行するときは決まって、その年に起こる大嵐の頻度は格段に高くなる。
荒れることは十数年に一度ほど。しかし荒れた年は確実にただでは済まない。
それがこの海龍の気象であり気性なのです」
「潮流って、本当に海水の流れだけなんだよね?」
章子が聞くと、頷いたのはサナサだった。
「はい。
その通りです。
ただの海流という動きに、意思とも呼べるべき他の動きが混ざっているのが、今のリバイアス海流です。
その動きは今の所、「鯨流」と呼ばれていて、
とくに巨大な海洋哺乳類の動きに非常に似通っています。
それが現時点で、この一番の巨体を誇るものである、
リバイアス海流の姿なのです。
でもそれの応用技術が、こんなに大事になるとは思いませんでした」
海流に命を宿らせるという事は、ただの水にも命を宿らせることができるということ。
だからこそ、
ただの水でできたあの槍にも命を打ちこむことを可能とさせたのだと。
サナサは暗にそう言っている。
「私たちは、人工精神の初歩技術ではよく、指の一直線の動きなどで達成させていました。
その動きだけで、風はあらぬ方向へ向きを曲げ、火は暴れ回り、水は波紋を起こし、最後には弾いて見せたのです。
でも現在のこの精神自然体たちは、すでに私たちの手の動きを離れて、実現してしまっています。
それが章子さんたちの言葉でいうところの……」
「日光」
「そう。そうです。
日光。陽射しです。
真理さんのおっしゃった通り、
現在のこの子たちの動きは全て、あの太陽から降り注がれる陽射し、日光を切っ掛けとして起動しています。
それらの直線的、あるいは屈曲線的な動きを受けて、風や水、果ては海流などの自然的な動きは意思として目覚め、動きだし、自律的に増えては減少することを繰り返すのです。
だから夜更けや未明での、風や海の動きには命の動きはまだ発生していません。
いまの
それを繰り返して、この動きも発揮されているのです」
「これを生命分類上では純粋な煉体生命、「純煉体生命」と呼びます。
俗に言う「エネルギー生命体」というヤツですね。
それに則れば、我々は「半固体生命」という分類になる。
だから、
サーモヘシアという世界は中々に罪深いことを科学技術として達成しているのですよ。
あの子らは……、
その
〝不死〟にもなれる、のですから……」
「不死に……?」
章子が呟くと、真理ではなくサナサが頷いた。
「ええ。
そうなんです、章子さん。
理論上はそう予測されています。
でも、それはあくまで私たちの理論上のお話です。
残念ですが、
あの子たちの身体は、理論上ほども簡単に維持できる体ではありません」
「そして現在、それが技術的に可能である世界は、
オリルの第一紀世界であるリ・クァミスと、上手くいって第二紀であるヴァルディラぐらいですね。
彼らほどの力があれば、
あの飛び交う風の精霊鳥なども、いつまでも消えず、生き続けられるようになる」
「本当に?」
「ええ。
しかしね、
それはまた新たな問題を発生させかねない事案でもある。
特にそこで気持ちをソワソワさせているオワシマス・オリルっ!
あなたにも一度、釘を刺しておきましょう。
『不老不死を備える命でさえ、完全な生命ではない!』ということをね……」
真理の断言が、岬の潮風に酔いしれていた四人の少年少女の意識を目覚めさせるのは十分だった。
「不老不死は、完全な生命ではありません。
一見、
老いず、死なず、
そのままでいられるその生命体には「欠点」が無いようにも見えるでしょう。
しかし、
彼らでさえ、「根本的な所」では我々、老いて、朽ちていく生命体と同じなのです。
その理由を、あなただけは知っていますね?
半野木昇?
それを少し、言ってみてください」
促すと、昇はやはりやりきれないように口を開く。
「自分自身の意思では……生まれていない、から……?」
昇の不明瞭な言葉の意味を三人の少女は理解できない。
「自分自身の意思で……」
「生まれていない……?」
首をかしげる章子とオリルを尻目に、これを肯定したのは真理だった。
「その通りです。
自分自身の意思だけで、自分から、
「自己」をこの世界に発生させる事!
それができる生命こそが、
「真理学上」で初めて云われる「完全な生命」であり「究極の生命」であるといえるのです。
言い換えるなら、
いかにどれほどの不老不死な生命であれ、
根本的には「用意された生命」でしかないのですよ。
よりわかりやすく言うのなら、それは、
誰かが造りだそうとして造りだされて出現させられてしまった生命なのです。
だから、それは不老不死であろうとも「完全な命」という事はできない。
それは仕組まれて恣意的に発生させられた「ただの一般的な命」に過ぎないのです。
これを真理学用語では「召喚発生」による生命、「召喚発生生命」と呼ぶ。
あるいは、最初にあった体からもう一つを分裂させ、分けて生み出す。
それらは全て「召喚発生」に分類される。
そして、それの対義であり対立となる現象を「自発発生」と呼ぶ。
しかし、この自発発生。
今現在に置いて、
この自発発生で発生した生命は一つとして在りません」
「一つも……無い?」
「はい。
ありません。
自らの意思で生まれた生命は、この現実世界の過去から今までで、一度たりともありはしないのです。
なぜなら、もし仮に、自らの意思でこの世界に生まれ落ちることが出来たのなら。
その命は、既にその時点で全てに依存することはないのですから……っ」
「……え?」
「必要ないんですよ。
その命には。
自分で考え、自分の力だけで生まれ落ちたというのなら、
最初から高度に自分で体を選ぶことも、作りだすことも容易なはずだ。
ならばまず、その命には始まりから食糧自体が必要ではない。
食糧が必要でないのなら。当然、地球という母星自体が必要でもない。
地球が必要でないなら。この宇宙でさえ必須必要でさえないのです。
さらにその結果として、この結論を突き詰めていくと……、
その命には、この現実世界自体が既に必要ではないという
始まる瞬間でさえ必要もないほどにね。
だから、
自らの意思だけで自発的に発生できる生命体は、この現実世界では一度も出現してはいないといえるのです。
当然ですよね?
自分で生まれ落ちることを自分自身で選択し、意識できたのであれば、
その時点で自らを「不老不死」という身体として造りあげてしまい、
その後の生涯になってから後々、後悔して「不老不死」など求めはしないのですから。
不覚にも生涯の中で不老不死を求める、という事はつまり、
自分自身の意思ではこの世に生まれ落ちることが決定できなかったという、下等な存在だということを如実、正真正銘に証明することにも等しいのですよ!
なぜなら、
自己の
その願望が謀らずも、あなた方の無能と限界を暴き出し、証明してしまうのです!
そして、
太古。
この
それが、第六です……」
その名を耳にして、オリル以外の三人の顔が強張る。
「みなさんいい表情をしていますよ?
あなた方の恐れの通り、彼ら第六紀は「
彼らにとって、それに付随するだけの
それよりも重要視としていたのが生体だった。
彼ら「第六」は、この新惑星にある六つの時代文明の中で、最も原始的な思考と行動理念をもった文明社会です。
つまり保存と変化。
彼らにはこれが全てだった。
故に、彼らはその分野だけで、真理の一端にまで辿り着いてみせた。
だからこそ、
彼らはある意味、最も軽視していた生命というものをどの文明よりも正しく正確に理解し認識して把握していた。
生命とは……『慣性』であるのだと」
真理はいつかのように青く鮮やかな横一直線を背後にして言う。
「あなた方は自分の今の生命活動状態が不思議でならないでしょう?
脈拍する鼓動、
呼吸する息吹。
そして、外部から絶え間なく与え続けられるあらゆる刺激を、
自己の全五感が必死になって感じ取ろうとしている、
今のその状態が。
いったい、自分という「意思」を発揮するこの
しかし、一見すると、
この最も摩訶不可解な「
突き詰めていくとその答えとは、意外にも簡単なものであるのです」
「え?」
章子が反射的に声に出すと、
真理はそれを挙げた手で遮り、
首を振り、一つ軽く頷くと、ささやかに人差し指を立てて見せた。
「……ではここで一つ、
実験をしてみましょう」
「実験?」
「そうです。
実験です」
真理は意味深げに笑みを見せる。
「実験とは言っても、
別にそんな大層な事をするわけではありません。
コレをするのに、そんな大袈裟な設備や備品、場所や技術は必要ない。
もちろん超科学技術である「魔法」を用いる必要さえもありません。
ただの想像。
それをするだけでいいのですから……」
真理の言う言葉は、
オリル以外の章子たちには意味がよく飲み込めない。
だが、
ただ一人、オリルだけはゆっくりとだが口を開いた。
「想像……実験……?」
不可解な顔をしながらオリルが呟くと、
真理は大きく頷いてみせた。
「その通りですよ。
オワシマス・オリル。
これからするのは想像実験、またの名を思考実験とも呼ばれているものです。
それをこれからのあなた方には体験していただきます」
真理は言いつつ、
人差し指を挙げたまま、自分は左右を行ったり来たりと歩き回り講義講釈を始める。
「章子や昇にとっては、あまり聞き慣れない名称ですよね。
この思考実験とは、
言ってしまえば「単なる想像」です。
自分の頭の中で、実験に必要な材料、単語、ある程度の知識を用意し、
さらに自己の思考の中で活用し、
物事が上手く成り立つ様に、上手に説明、試行していく。
そこで成り立つ現象を極力違和感なく則って動かし導き、それに当てはまる理屈を探し出して、
誰もが納得できそうな説得力を持たせるる。
そうやって思考の中だけで論理を突き詰めていくことを「思考実験」というのです。
まあ、身も蓋も無い言い方をすれば、ただの誰にでも理解できそうな「自分の妄想」ですね。
それをこれからやろうというのですが、
しかし、この思考実験という行為。
これが中々に侮れない。
と、言いますのも、
過言を承知で申し上げれば、
章子たち第七時代の文明やその他の文明時代でも、
この思考実験という行為が、
数々の飛躍的な科学理論の基ともなる科学論拠を発展させてきたからです」
章子は思わず顔を驚かせる。
「そんなことが……?」
「そうなんですよ。
咲川章子。
相対性理論に万有引力。
果ては、無理強いに関連付けるなら地動説から大陸移動説、生物進化論に至るまで、
その論拠となる根拠への到達へと至る開始には、
例外なく、
現時点での理論と現在の現象の差から突き付けられる説得力の不備。
いわゆる「疑問」が、切っ掛けとして最初に存在しているのです。
その疑問を感じることから全てが始まっている。
そしてその疑問が、
まず間違いなく。
究明という最初の段階で、既に思考という中での実験台の上に乗せられている。
それが全ての始まりにあり、
そこから次第に、
疑論、反論、推論、実験、観察、確証、証明の過程が実行されていく。
……故に、私は非常に残念でならない」
言うと真理は、
この文を読んでくださっているあなたにも視線を向ける。
「現在の第七世界に存在する日本の初等教育、あるいは中等教育課程では、
この思考実験というものを知識として認識し、さらには体験する機会までもが余りにも少ない。
むしろ、その存在すら知ることなく、
義務教育課程が修了してしまうことが殆どでしょう。
これは老婆心ながら、大きな損失だと私には見えてしまう。
ガリレオ。ダーウィン。ニュートン。アインシュタイン。
他にも様々な偉人たちは全て、
章子たちと同じ青春を過ごした思春期の頃には間違いなく、
この世で最も身近で、最も経済的で、最も簡単に実行できる「思考実験」という代物に触れている。
彼らこそは、思考実験という物に幼少から触れていかなければならない時代を、否応なく過ごしていたのですから。
そこから、新たな智識の数々を見つけてはそれに一喜一憂し、驚愕驚嘆し、
あなた方の自覚は目覚めてきた筈だ。
己を知り、世界を
だが、それでもまだ、世界はいまだに底を見せていない。
あなた方、人はまだ、現実という世界の底が見えていない。
だから今以上に、この現実世界の成り立ちを知る為には、
この原始的ともいえる「思考実験」という鍵は必要なのです。
全ての学問に通じる入り口は、全てそこにしか残されていないのだから……」
言って真理はあなたから章子たちに目を戻す。
「話がそれてしまいましたね。
それでは、
これから章子たちにやってもらう「思考実験」の
今までの真理学の内容を説明してきたものと大して差して変わりありません。
すなわち、
〝我々の「魂」とは、今この現在の身体のどこに存在するのか?〟
という思考実験です。
それをここでやっていただきます」
「わたしたちの……?」
「……魂が?」
目の前の真理が簡単に言う、
一つの重く、未だ人類が達成できていない完成された哲学にも等しい、
究極にして「永遠の
このたった一時の思考実験という、あまりにも人をバカにしたような簡単な代物で説明できるとは、
章子を始めとした四人全員には信じることができない。
「できるの……?」
「そんなこと……」
だが真理は非常に涼しい顔をして、事も無げに言う。
「出来ますよ?
そして、これはきっと、あなた方にも「納得できる水準」で達成できる筈です。
ではやってみましょう。
それにはまず、
手始めに我々の、
この今の身体を分解していかなけらればならない」
「え?」
「え?」
「え」
「え?」
平然と言ってのけられる恐怖の言葉に、
章子たちの顔は一瞬にして蒼然となるが、
真理はそれを尻目に呆れている。
「安心してください。
分解とは言っても、思考実験の中だけでの仮定なお話です。
何も現実問題として、
実際に現在のあなた方の身体を物理的に分解して、開いて解剖して見てみようという訳ではない。
真理学的に、絶命させないままそれを実行することももちろん現実問題、可能なのですが、
今は、そんなことを一切しませんので安心してください。
ただし!
これは文章表現上、医学的にそのような用語や単語を使用せざるを得ないし、その必要が出てくる。
もし、仮にその様な文章表現中に、気分が優れなくなったり違和感や拒否感を覚えてしまったら迷わずおっしゃってください。
その時は、直ちに思考実験を中止します。
ではいいでしょうか?
なに、
そんなに身体を固くして、身構えなくても大丈夫ですよ?
まずは簡単な化学成分での分類で、私たちの身体を仕分けてみましょう。
この分類方法は、非常に有名ですよね?
あなた方は時折、自分たちの身体の成分を化学的、つまり生化学的に例えて説明することがあるはずです。
最初はそんな有名な表現からしてみましょうか。
その表現とはつまり、
〝人の体は、
酸素が60%、炭素が20%、水素が9%、窒素5%、その他カルシウム、リンなどの無機質による数%で出来ている……〟
……というものです。
これがよく云われる、大まかな人体構成成分のあらましですよね?
では、これをまた人の体に一から戻して、やり直し、
今度は物質の四態に分けて分類してみましょうか?」
「物質の……〝四態〟に……?」
章子たちが唖然となって呟くと、
真理もまた意外に当然と思って答える。
「そうですよ?
あなた方はよく例えるでしょう?
人体の60%以上は水分でできている、と。
水は液体ですよね?
と、するのなら、当然。
私たちのその残りの体成分は、液体以外にあり余った、残りの三態。
詳しくは、
気体、固体、そして煉体として分けられ保持され、存在していると結論付けることができる。
故に、
残り40%に満たない部分は、それらだけで補われていると仮定したほうが自然であるし実に合理的だ。
そういう予想ができるでしょう?
これが思考実験を行うことによる利点です。
この分類方法を物体の「物理分解」と呼ぶ。
ではそれをこのまま続行してみましょう。
まずは骨や筋肉質繊維、他の乾燥部位である細胞壁などを固体の存在部分だと想像します。
それがおよそ残った40%未満の大半を占めると仮定すれば十分でしょうかね。
となれば、残りは気体と煉体だ。
気体はあまり想像することが出来ませんが、
これは腸内ガスのメタンや呼吸に必要な肺内部に満たされている酸素、二酸化炭素気体が想像できる。
それがおよそ総体重に比して0.2%もあれば上等です。
ならば、
最期に残った物が、煉体となる……」
誘導尋問のように粛々と続けていく真理に対して。
章子たちはもはや声を上げる事も出来ない。
「煉体とはいわばプラズマ。
炎や雷などの明かりとも云える部分。
その様なキラキラ、煌煌としたものを煉体と定義づけることが可能なはずです。
さらにピントの倍率を上げるなら、
目を凝らして見てみれば分かる通り。
煉体とは、物体の電磁相互作用の体制で成り立っているとも表現することができる。
では、その様な部分が、
我々の身体、
人体内部には存在しないのか?
存在しない……と思われますか?
そんな事はないでしょう?
電磁相互作用とはつまり「光」や「電気」。
そういう「光」の部分を我々の身体が常に感じ取っている箇所はありませんか?
ありますよね?
それは主要なもので……視覚。
〝眼〟が該当する……」
言うと真理は、そのまま目を据えた。
「では、それら「眼」や「視覚」を成り立たせて、
我々の魂ともいえる意思に、映像として伝えている「視神経」はどうでしょう?
視神経は、外部から注がれる映像という光信号を、被曝した有機神経体の中を伝う神経信号、
つまり「電気信号」に変えて、その映像を私たちの脳に伝えていますよね?
ならば、
神経内を伝う電気信号の流れとは、稲妻のような煉体と同様であると表現することも、それほど間違った描写にはならないはずだ。
とすれば、
人体内部に存在する「
視神経系も含めた、全ての脳内神経、中枢神経、末梢神経などで伝達される全ての電気信号流を含めて良いと仮定することができる。
ここで初めて、
我々の体内にある「煉体」の部分は、全ての神経系内で伝わり流れる刺激伝流体だと肯定しても何も差し支えはなくなる。
その割合は、人体の構成比にしておよそ0.03%もあればいいでしょうか……」
「まって」
章子は思わず真理を止めた。
「0.03?
たったの0.03%しかないの?」
章子の疑問に真理は頷く。
「概ね、それぐらいでしょう。
よくよく考えればもっと少ない筈ですが、現時点ではこれぐらいと考えてみる方が飲み込みは早い。
個体差はあるでしょうが、
体内を伝わる電気信号の総量とは得てしてそれだけの量しかないものです
勘違いをされてもらっては困るのが、これは神経細胞それ自体の総量ではないという事です。
神経という細胞組織はほぼタンパク質で出来ています。
それをお世辞にも煉体とは呼べないでしょう?。
それら神経細胞を含めた有機生体組織は、液体も含んだ固体であると表現した方が確実に正しい。
だからそれらまでをも「煉体」に含めることは絶対にしてはならない。
人体内部に存在する「煉体」状の物質とは、神経細胞内を伝わる伝流物質だけです。
そしてその伝流物質。
これを総じて「イオン」と云います。
イオンとは「電荷した元素物質」のこと。
〝電荷した〟という状態とは分かりやすく言うと、
元素の内部に存在する原子核と電子の二つの内、
電子というものの総量だけが変化した状態を云うのですね。
つまり、
電子が欠けた状態なら
通常の電子量から、さらに電子が加わった状態なら
そういった電子量が変化した元素。
電荷した元素を、イオンと表現する。
この
私たちの五感を含めたあらゆる神経細胞の中を「煉体」として流れ伝わっている。
血液中に溶けた酸素と二酸化炭素という気体分子を、血管中で運搬しているのと類似した原理で、ですね。
……さて、ではここで粗方の分類は終わりました。
今度は、
この中で、一番、魂の在りそうな箇所を探し出します」
言って真理は章子たちを見る。
「この、私がここまで思考実験で類別してきた、
人の体を全て形作っているという、物質の四態。
液体、
固体、
気体、
煉体で分けられた場所で、
私たちのこの意識とも呼べるべき魂が存在していそうな形態の場所は、
いったい何処だと思われますか?」
それを聞いて章子はただ真理を見つめ返していた。
言わなくても、それはすでに予想がついている……。
「……煉体……?」
誰も喋りださない沈黙の中で、
章子が呟くと、真理は黙って首肯した。
「そうですよね。
まず、そうなってしまいます。
我々のこの〝意識〟〝意思〟〝自覚〟〝思考〟〝クオリア〟〝心〟と呼ばれる存在がある位置は全て、
神経系を流れる煉体によって成り立っていると想像せざるを得ない。
この思考実験が、
我々の意識を成り立たせているものが、
神経細胞の中に流れる電位信号となった煉体である、と表現させてくれるのです。
それは私たちの体内成分の内、わずか0.03%。
その0.03%の中に、私たちの魂は確実に存在している。
では、ここまでくれば、
この私たちの魂との邂逅まで、あともう一息です。
しかし、
ここから先に潜るには忠告があります」
真理は章子たちを一旦止めて言う。
「ここから先の思考実験では、心を強く持ってください。
少し、
思考実験の深度を深めていきます。
いいですか?
気分が悪くなったりしたら、迷わずすぐに申告してください。
では始めていきます。
今、魂の存在しそうな場所は、
生物の体を構成する液体、気体、固体、煉体の四つの内で、
煉体にその場所がありそうだ、と絞られました。
ならば、今度は身体全体の内部を巡り走る、
その煉体の何処に、魂がありそうなのか?
という思考実験をしてみます。
しかし、
これをするには、
とうとう遂に我々のこの
その言葉に、章子たちの顔は一瞬で強張った。
「もちろん、医学的用語を用いてです。
しかし、それでも、
人体欠損に等しい表現は使わざるを得ない」
真理の躊躇いない断言に、章子たちはたじろいで動揺を隠すことができない。
「そうです。
我々の外見上を操作する必要が出てくる。
もちろん、この行為を行うことは強制ではない。
その結論は、既に私が知っていますからね。
そこまでの行程を用いずに、結論を述べることなどは非常に簡単な事です。
だが、それでは結局ギガリスと同じだ。
途中にある「多様性」という行程を経験せずに省き、結論という真理にだけ真っ先に辿り着けば、
我々の想像力という「可能性」は〝そこで終わる〟。
なんの対抗する閃きも入手できずに、真理という完膚なきまでに完全な事実が、暴力となって襲ってくる。
それでいいというのなら私は構わない。
しかし、
それで待っているのは〝0〟だけです。
あなた方は、それでいいのですか……?」
真理が真摯になって見つめると、
蒼ざめる少年少女たちは誰も何も応えなかった。
ただ真理と同じように弱く、だが深い視線だけを返して、逃げ出すことだけはしていない。
「嬉しいですよ。みなさん?
それでこそ、あなた方だ。
我々はまだ、母に対抗できる。
では、意図せず、やはり半ば強制的にもなってしまいましたが。
先を続けていきましょう。
次の思考実験では、
人体を、
首頸部を境に、頭部と胴体を切り離してみます」
「う、」
真理の容赦のない描写に、章子は怯む。
「しかし、ここで切り離された頭部と胴体は生存させたままです」
「え?」
章子が堪らず驚くと、真理は頷く。
「生存したままです。
決して死を想像してはならない。
頭部と胴体が切り離されても、
胴体内部にある心臓はまだ鼓動しており、
胴体から切り離された頭部の方でも血の気はあり、目や表情にはまだ自覚と感情が残され、発揮されている。
これがこの思考実験の条件です。
我々は生きている。
ただ、その頭部と体が物理的に切り離されているだけ。
思考と意識、全ての循環器系、神経系、消化器系などに必要な生体組織流は空間を超えて連動し繋がっています。
それを想像してください。
なお、
この想像しがたい状態は、現実問題でも実際、相応の超科学技術があれば達成することは可能です。
それが……」
「エネルギー
吐き捨てるように強く、弾劾して言ったのは半野木昇だった。
その表情を見て章子は意外だった。
昇の睨みきる鋭い視線には明らかな「怒気」が宿っていたからだ。
この今までトボけて、どこか他人事の様に佇んでいた少年が、
今だけは、明らかな憤怒を、真理ではない誰かに向けて放っている。
「……その通りですよ。
半野木昇。
ですからそんなに怒らないでください。
この力を、別に兵器には転用したりしない……」
「えっ?」
(兵器に……?)
章子の疑念に抱く視線に、真理は降参して告白する。
「そうなんですよ。
咲川章子。
私たち三人があの地球からこの転星に来るときに使ったエネルギー相転移機動という超光速移動技術は、実は兵器にも転用できる。
しかし、これは通常の兵器、武器とは全く概念、性質を異としています。
通常、武器や兵器とは、対象物に「何か」を直撃させて破壊させます。
これは第一や第二世界の扱う魔法や魔術、
さらには太陽も含めた全ての核兵器も例外ではない。
それらは全て「物理兵器」というものに分類される性質です。
しかし、このエネルギー相転移機動技術を用いた兵器、いえ、攻撃手段は違います。
この技術は、その転移させたい対象物を直接、
「分解」させて消失させる」
「分解させて……消す?」
「そうです。
ですがこの分解というものが曲者でしてね。
正確には「分解」ではなく「分相」というのですが」
「分相?」
「分相とは相で分けること。
この場合の相が意味するものとはエネルギー相の事です。
例えば熱エネルギーならばそれは熱エネルギー相という状態、形態の中にあり、
電気エネルギーなら電気エネルギー相。
磁気エネルギーなら磁気エネルギー相。
光エネルギーなら光エネルギー相。
という具合です。
そして、
先ほど言ったエネルギー相転移技術は、これら全てのエネルギー相を究極的には全て位置エネルギー相に転移させ変換させてしまう」
「それってまさか……っ」
「そうです。
全ての活動するエネルギー状態を動態ではなく
さらに位置エネルギーはこの現実宇宙では「事」に次いで二番目に最速であり、最弱を誇ります。
そして……1は動けなければ……0となる。
エネルギー相転移技術は、全てのエネルギー状態を位置として止める、または位置として固定させることができるのです。
このエネルギー変換方法を、真理学では、
エネルギー分解と呼んでいる。
物質、物体を構成させている全てのエネルギー相状態をあらゆるエネルギーに分解し、任意のエネルギー相に一点的に集約して相転移させ、達成、実現させる。
今回の思考実験では、
このエネルギー相転移技術によって、
頭部から下の断面と胴体から上の断面を、転移門というエネルギー相転移技術で繋ぎ、
全ての生体内で流動している生命維持活動を、もれなく位置エネルギーに相変換して、
その性質に沿って慣性量を無駄なく頭部面と胴体面で慣性交換させ、
再びお互いの断面上で、位置エネルギーから生体活動状態へとエネルギー相転移によって元に戻し、
生命維持した状態に保たせる。
という状態を想像するのです。
しかし、これは逆説的に言うと、
入り口で、全てを位置エネルギーに相変換させたものは、
出口で、位置エネルギーから、元の物質状態エネルギーに戻さなければ、
それが即刻、死に繋がる。という危険性をも予測させ想像させてしまう。
この部分が兵器になるのです。
彼はそこを憂慮した。
けれども、そんな懸念はどの輸送手段においても付いて回るものです。
全ての移動手段、機動手段は、得てして兵器、軍事転用に可能だ。
車も船も航空機も運搬要素は全て、事件事故がおこれば、即、そこで死に繋がる。
ですから、今はそこを問題にはしない!
そして、ここからが問題です。
思考実験の続きによる問題を発生させるのです!
今、一人の人間が、頭部と胴体を物理的に離され、エネルギー相転移によって、
頸部から下、あるいは頸部から上を、変換された慣性量だけで繋ぎ、全ての生命活動が維持されている。
という状態にあります。
では、次は、この状態で、エネルギー相転移を解き。
その生命が失われる前に、
そこから別々に、
同じ頭部、同じ胴体をもう一組、別にあらかじめ用意して、
その情報に沿ってエネルギー相転移という「魔法」によって、
元の切り離されていた頭部と胴体に、それぞれ互い違いに繋ぎ合わせて再生させる、
という思考実験をやってみます。
これは簡単に言えば、大掛かりな臓器移植だと思ってもらえればいい。
身体移植、あるいは頭部移植だとね。
元の頭部には、まったく新しく別に造りだされた「完全に同じ体」を接続させる。
それをもう一方では、元の胴体の方でもやってみる……。
全く別に新しく生み出された、元と同じ頭部でね。
さて、ではここで問題です。
この時、
最初の頭部にあった魂とも呼べるべき最初の意識は、一体どこに在るでしょうか?」
悍ましい単語の数々によって、
顔を制限なく歪ませている章子たちは、
それでも自分たちに芽生えた答えを言った。
「最初の……頭部のまま……」
「……そこに……ある……」
「そうですね。
それで、まず間違いない。
最初の頭部に存在していた、意識、意思、思考、魂と呼べるべきモノは、
まだ、その最初の頭部に残っていると考えた方が、実に自然だ。
ということは、体全体に散らばり巡る神経細胞を伝わる煉体の内、
魂をかたどる「煉体」とは、頭部の内部にある、と断定できる。
ではここで……」
「もういいッ……!」
章子は堪らず、真理に懇願した。
「もういいッ。
もういいでしょッ?
もうたくさんよっ!
これ以上、わたしは潜れないっ。
わたしっ、
わたしはもうっ、
……聞きたくないっ……!」
章子は自らの限界を叫んだ。
それは中学二年生の未成年者には至極、当然の発言だった。
だが、それは同時に、残酷な現実をも浮き彫りにしていた。
音を上げたのは、
もう聞けないと自らの限界を口にしてしまったのは、
四人いる少年少女の中で、章子だけだったのだから……。
「咲川さん……」
「ごめん。
ごめんね。
昇くん。
でも私はもうダメ。
ダメなの。
これ以上聞けない。
これ以上、聞いてられないし、聞きたくない!
現実逃避でもなんでもいいッ!
それで、
わたしたち現代の文明が浅はかだっていうなら。
そう言ってればいいわッ。
嗤ってればいいでしょッ!
嗤って見下してッ!
そうやって差別してればいいのよっ!
それでもわたしは生きて行くわッ!
生きて、生き恥晒してでも、生き続けてやるッ!」
涙を走らせて叫ぶ、章子という主の心の限界を聞いて、
真理はただ残念そうに優しく笑み、頷くだけだった。
真理は、心の底から叫ぶこの自分の主人を否定できない。
例え他の想像に耐えている他者が、真理を求めても、
自分の主が足を止めてしまうのであれば、
そこで下僕である自分も足を止めて、また歩き出すのを待つだけしかできなかった。
「……では……仕方ありませんね。
思考実験はここで中止に……」
「まってよ」
自分の主である章子の為に、
手前勝手にここまでの話を引き揚げようとする真理。
それを止めたのは、
他ならぬ半野木昇だった。
「なんですか?
半野木昇?
思考実験は中止です。
これは我が主の決定。
それは如何な、我が姉の主である「あなた」であろうとも、覆すことはできない」
だが、半野木昇は首を振る。
「そうじゃないんだ。
思考実験が中止なら〝結論〟が欲しい。
魂は……」
言って昇は一瞬だけ、章子の様子を慮る。
「魂は……、
あ、頭の中の、一体どこにあるの?」
章子の様子を逐一気にしながら、
それでも昇は言葉を選んで、真理に訊ねている。
それを聞いて、真理は自分の主を見た。
真っ直ぐ真剣な眼差しで、顔色を崩したままでいる章子の意思を確認している。
章子は、真理の視線を受けて、ただ小さく頷くだけだった。
それを認めて、真理も頷くと昇に向き直る。
「言ってもいいですが……。
私は言った筈ですね?
それではギガリスと何も変わらないと……」
鋭い視線を放つ真理に。
昇は意外にも酷く怯えて、悪寒で肩を震わせる。
だが、言葉の意思だけは常に真理の先を行っていた。
「いやぁ……。
どっちかっていうと……。
ギガリスの方が……上だよね?」
「は?」
昇の卑屈な自虐を誇示する発言は、真理の機嫌を損ねるのに十分だった。
「あなたが、ギガリスよりも下だとでも?」
それは昇の発想にさえ追随することのできていない、真理という少女の否定に他ならない。
「そうだよ。
なんで怒るの?
ぼくも咲川さんと一緒だ。
七番目の劣った現代世界の住人だ。
それが君たちやギガリスの人たちよりも上だなんて……」
「それは私に対する侮辱だ!
是非とも取り消して頂きたいッ!
あなたのその言葉は、あなたのその思考、考え方に一度たりとも追い付くことのできなかった私の感情を逆撫でする行為だッ!
これ以上私の不興を買いたくなければ、今すぐその口を閉じ!
それ以上の卑屈な態度を表に出さない事だ!
あなたが自分を卑下するのは勝手だが、それを私の前ですることは許さない!
それをするという事は例外なく!
回りにいる人間たちをすべからく絶対的に裏切る行為なのだと!
あなたは強く自覚するべきなのだから!」
真理の主張は、図らずも今の章子の感情と一緒だった。
それは傍らにいるオリルやサナサも同じだった。
昇は既に章子たちの精神的な柱となっていた。
それを尻目に昇は頭をポリポリと掻いている。
(なんでそうなるのかなぁ……)
一間置くと、昇は表情を変えてこう言った。
「じゃあこう考えればいい。
ぼくはギガリスとは違う。
ギガリスは結論から、他を想像することは出来ないけど、
ぼくはそれが出来るんだって。
そう思えばいいでしょ?」
「あなたが?」
「そう……だよ?」
昇には皆目、自信が無いが。
そう言わなければ真理が激昂する以上。
啖呵を切るしか道はない。
「それが……出来るのですか?」
「出来ないから、最初にああ言ったんだけど?」
「そういう風にしたのは、私だと言いたいのですね?」
「真理さんだけだったら、まだ良かったんですけどねッ?」
昇は恨み節から、周囲にいる不甲斐ない女子三人組を見た。
その中には、最優先で真理が守護すべき己の主の姿も含まれている。
「いいでしょう。
そこまでおっしゃるのなら、結論を先に申し上げます。
魂のある場所とは……」
言って真理は自分の眉間に指を差す。
「間脳です」
「間脳?」
「そうです。
間脳です。
右脳と左脳という大脳を一つに繋ぎ、そこから小脳、中脳、延髄、脊髄と下へ垂れ下がっていく脳幹の最上部位。
その間脳のある場所が、
この我々の魂がある位置。
咲川章子、これからまた少し、病理、体内組織、内臓などの名称を使いますから、優れない気分が悪化したら遠慮なく申し上げてください。
ではある程度を説明していきますが。
我々には、自分のこの今の意識の他に〝もう一つ〟自分の身体を「自律的に」支えている。
そういう者が存在しますよね?
その者は、我々の様に「思考する」「考える」「行動する」という意識までは持っていない。
だが、確実にある面で、我々のこの体を、我々と一緒になって「自律的に」支えている。
それが文字通り、自律神経系です。
よく云われるのが、交感神経と副交感神経と呼ばれる、あの体内調節神経交感の部分。
それらを総じて自律神経系というのです。
詳しく言えば、体温調節、免疫機能、脈拍鼓動に各種臓器の機能管理など、
我々、意識の側が決して決定、管轄のできない体内数値管理の部分。
それを我々に変わって調節してくれている者が自律神経。
これの有名な医学での神経性での区分が「動物性」と「植物性」という区分です。
それで分けられるなら、「動物性」とは我々、「意識」の側を指し。
「植物性」とは彼ら自律神経管理者を指します。
そして、この我々、「動物性」の部分だけが著しく損傷し、大きく機能を損なった場合、
遺された「植物性」が……。
それ以後の身体を起動させていくことになる。
それが……」
「脳死……」
「違います。章子っ!」
「違う?」
「違います!
そう短絡的にならないでください。
我々、動物性の大半が損なわれた場合、それはまだ脳死ではありません。
これはあなた方の医学用語では、
遷延性意識障害。
世間でいう所の植物状態の人間というあの症例の事です。
遷延性意識障害とは、間脳から上、すなわち間脳より下に体へと続いて行く延髄を含めた脳幹と呼ばれる場所よりも上にある、大脳。その、
大脳のみの損傷により、
意識の自覚機能が、最重度に機能できていないことを指すのです。
しかし、
それでも大脳から下を、脳幹として植物の幹や根のように体幹部へと延び下がる、
その最上部、左脳と右脳を、大脳という一つにつなげている、
間脳の損傷がまだ軽度であれば、
我々の意識、自覚、魂と呼べるべきものは、まだそこに存在している。
という事が出来る。
この状態は、こう考えれば分かりやすい。
これは先の思考実験と似たような手法になってしまいますから、章子は途中で不調を感じてしまったら遠慮なく申し上げてください。
続けます。
我々の体の中では常に、
今のこの時も第五感の全てが発揮されている状態ですよね?
ではそれを、今から一つ一つ、我々の体から喪失させていきます。
まず視覚。これを損失する。これで全ては視えない。
次に聴覚。これで全てが聴こえない。
次に嗅覚。これで臭いは全く感じなくなる。
次に味覚。味が分からなくなる。
最後に触覚。これが遮断される。
触覚には痛覚も含まれます。
これはいわば、強力な全身麻酔を掛けられたに等しい。
しかし!
昏睡までには達していません!
ここが重要です!
意識までは途切れていない。
途切れているのは五感の神経系だけ。
この状態を想像したとき。
あなた方はまだ、自分の身体は動かせる。
その運動神経系は繋がって、まだ生きていますからね。
だが!
自分の身体を、どう動かしたかという自覚が生まれないのです!」
「動かした体が……?」
「そうです。
これを
反射神経自覚とは、あなた方の医学で云われる反射神経とは全く違います。
反射神経自覚とは行動した結果、返ってくる刺激を受容する生理。
自覚する為の生理受動象なのです。
そして、
全ての五感が途絶えて、意識だけが存在するとき。
この反射神経自覚が失われる。
自分が何処に存在しているのかが分からない。
しかし自分という存在する点は確実に意識している。
そういった、きわどく不安定な状況下になるのです。
この状態は、
失った五感を、
今度は大脳が司る機能に置き換えてみると、さらに想像しやすい。
大脳はあらゆる動物性、いわば「物理挙動性」の神経系を一挙に束ね、司り、偏在させている場所です。
言語中枢、記憶中枢、知覚認識、行動意性など、
物理的な挙動行為に必須な機能は、すべて大脳の働きが賄っている。
では、今度はそれを喪失させていきます。
まず言語。
これで我々の知る言語は、すべて異言語に見える。日本語なら全て解読できない異世界文字に置き換わった状態に変貌する。
次に知覚認識。
これは我々が感じる受動感覚の損失。
我々が入力として捉える五感を含めた全ての世界から受ける刺激が何なのかが纏めることができず、
理解できない状態。さらにその世界を法則に従って見ていた調和、規律能力さえも失調した状態に相当する。
次は行動意性。
これは意思。自ら動こうと発端する意思です。すなわち出力。これも消える。
受ける刺激が何なのか理解できない疑似的に無刺激な状態が作りだされれば、被刺激を根拠とする反応行動も芽生えないからです。
最後は、記憶。
過去に行った自分と、その他の誰か、世界、時間という軽さと重さの記録が抹消される。
この状態はつまるところ……。
変化が分からなくなった状態を指します。
では、最終的に、この全ての状態となってしまった時、
あなたには何が残り、
あなた以外の周囲が、いったい何に見えているでしょうか?
あなたの意思は当然、そこにあります。
しかし、それをあなたは、あなただと認識できない。
それが在ることは分かるが、それが自分だと認識できない。
もちろん、視覚も聴覚も嗅覚も味覚も触覚も、能力は常に発揮されている。
その器官の神経伝達を発揮し、連絡し、達成させているのは大脳だけではないからです。
大脳は常に送られてくる刺激を束ねているだけ。
規則的に束ねているだけなのです。
動物性の損失とは、それらの刺激が全て「動物的に」受け取れないことに在る。
それはつまり、
「植物的に」なら受け取っているとも表現できるのですよ」
「しょ、植物的、に……?」
「そうです。
植物的に、です。
残酷な言い方をすればね……、章子。
生存している人間から、首からその上にある頭部だけを完全に喪失させ、
その瞬間と完全に即座に同時に適切な処置を施し、
一滴の体液も絶対に一時も決して出血させず、
栄養量、血流量、呼吸量、大脳以外の適切な神経刺激が、全身を滞りなく完全に送り続けられる医術学的、
科学技術が可能であれば、
人体という物は、首から上の組織が無くとも、全く生存してはいけるのです」
「は……はぁっ?」
「頭部が無くとも、成長と生存は可能なのですよ。
章子。
あなたのその人体というものは極論、魂という「動物的」なものが無くとも、
全ての栄養さえ欠けることなく賄うことが出来ていれば、
そのまま植物的には成長していってしまうのです……。
もう一人の……
「バ、バカなこと言わないでッ!
もう、うんざりよっ!
本当にウンザリだわっ!
なんでそんな事が言えるの?
どうして平然と、そんなワケのわからないことが堂々と言えるのよぉッ!」
だが、
主の追及に、真理は残酷な事実を言い渡す。
「しかし、
隣にいるリ・クァミス人は、すでにその技術に到達しているのですよ?」
「なっ?」
章子は驚きたじろいでいると、
隣のオリルは否定も肯定もせずに、ただ章子を気遣っている。
「ほ、本当なの?
オリル……。
本当にあなたたちの医学って……」
「できる……。
けど!
それは、そんな事の為にあるのではないわっ!」
オリルは強く真理を睨む。
「分かっている。
分かっていますよ。
オワシマス・オリル。
あなた方の原理学を根本基盤とする原理学的医療技術は、
すでに動物という生体から頭部を丸ごと奪っても、
遺った身体を、植物学的に代謝させたまま、生体生命機能が寿命として先細るまで持続させていくことが可能だ。
もちろんそれは章子たち第七人類では絶対に到底、到達できていない科学水準でもある」
言って、この文を読んでいるあなたを見る。
「だから!
いいですか?
間違ってもこの虚構虚構を鵜呑みにしてはいけない!
あなた方がこれを真に受けてやると、間違いなく取り返しがつかない。
決して絶対に、
鵜呑みにしてはいけない事だ。
これを真に受けることは、あなた方には完全に「不幸」しか与えないのだからっ!」
強く警し、
あなたに伝えると、真理はオリルに向き直る。
「だから、
オリルたち、リ・クァミスの原理学では、
生物学の精神学的な部分を、原理学的に捉える
リ・クァミスは、魂が無くとも生体が勝手に植物的に発育していってしまう仕組みの原理を目の当たりにし、
そこに確実にある筈の、魂、意思、意識、命というものの原理こそが、理解できなくなってしまった。
おそらく意思とはただの「位置」だろうという予測のみを残して、
そこまでを理解することしかできなかったのです。
説明することができなかったのですよね。
しかし、第六は既に、その原理を生体学から見てすでに捉えきって完成させていた。
そこが、第六が、あなた方リ・クァミスの科学技術を唯一、凌駕している部分です」
言って真理は、身の毛をよだたせている四人を見る。
「彼らは、魂と呼べるべきものが「間脳」にあることは分かっていた。
尚且つ、
彼らは、
「間脳」だけを綺麗に頭部を含めた身体全体から消失させても、
魂が消えないことも理解していた」
「……は?」
「間脳は「魂」そのものではない。ということです。
間脳とは「魂」そのものではないのです。
だから間脳だけが損傷しても、魂までは損失しないし消失しないし喪失しない。
間脳とはいわば……「魂の座」……」
「魂の……」
「座……?」
「そうです。
間脳は煉体の収束地。
それを一点に、
いえ、
そして、その収束の内で、間脳だけが損失した場合。
魂となって間脳内で一つに束ねられていた「煉体」は、
失われた間脳が繋げていた大脳や体の全体を神経系で伝わって散らばり、
……最後には消える」
「消える……って」
「しかし!
そこで即座に!
別の全く同じ間脳を用意し!
それを失った間脳の位置に死を迎えるよりも早く埋めてやれば、
あなたの意思は、またそこで完全に元通り、
復元される」
「え?」
「復元されますよ。
まったく同じ位置、
まったく同じ時期に出生した記録を持つ、
完全に元と同じ、
同一無二の同じ魂と体としてね」
「な、なんで?」
「煉体が散らばった時に、大脳が記録しているからです。
大脳の内部で張り巡らされている脳神経系配列の配置状態が、
間脳が魂として位置させていた「煉体の重心」をそっくりそのまま記録してしまうのですよ。
だからそこで間脳の部分だけが消えても、
大脳が予備として記録していた煉体位置は消えることなく、
そのまま復元された者は、同じ位置で推移している全くの同一人物であると云えてしまうし、云えることが可能となる。
その位置だけは、間脳以外でも記録されていれば保たれるのです。
「位置」とはこの世で二番目に速く、
光速を超えて慣性量を交換させることができるのですから。
だから、
「死」とは「位置」が失われる事を意味する。
そして「魂」とは「煉体」に在る。
間脳ではなく、その内部で流れる煉体そのものに、です。
物質の四態の中で最も不安定な形態である「煉体」に。
それを失わない為には、
「煉体という位置」を失わないようにすることにあるのですよ。
脳の内部で縦横無尽に張り巡らせている神経系配列〝形状〟を微塵も変えることなく、です。
その為、神経系の巡っている形が変わると、
生きている人間の精神もまた、それだけ変質してしまう」
「う……」
「そして、さらに、
大脳の機能が失われ、さらに間脳の機能まで失われると、
その下の脳幹が体の残りを維持していく。
しかし、これはまだあなた方、七番目世界の医術認識では「脳死」には該当しない。
あなた方の云う「脳死」とは、
残った脳幹の活動をも失われた状態を指します。
脳幹の死によって発生する生体活動の最大の支障は「自発呼吸」活動の機能不全として顕れる。
そして、脳幹機能も失われた状態。
すなわち「脳死」の状態でも、この「自発呼吸」が、人工呼吸器によって賄えられれば、
やはり人体の生体活動は、
植物的に生存していくことが可能になる」
「生きて……いく……?」
「そうです。
ですが、この状態では、
真理学上では、「植物性の魂」はまだ末梢神経的に機能しているが、
「動物性の魂」はほぼ喪失している。という表現になる。
だから、
あなたや私の体にはね?
もう一人の
私たちの身体には、確実に、
もう一人の別の私が植物的として常に存在している。
それで本当に一人の人間となるのです。
そして、この結論は、
この現実世界でも、
地球上やこの転星上のどこにでも生息している、
本物の植物たちにも当てはまってしまうのですよ。
彼ら植物にも、
動物と全く同じ「魂」があるのだと……」
真理の発言に、
章子たちはついに固まった。
「植物にも、動物の様な「魂」が……?」
真理は頷く。
「あります。
植物にも「動物的な魂」ともいえる物がね。
これを想像することは至極、簡単なことだ。
植物の中に在る「煉体」が存在していそうな場所を探し出せばいい」
その言葉を聞いて、章子は恐怖を感じる。
「まさか……っ」
「察しがいいですよ。
我が章子。
煉体とは何であったか?
煉体とはどのような形であったか?
それを想像すれば、
答えは簡単でしょう?」
「光……」
「電磁相互作用……?」
「つまり……っ」
「光合成ッ!」
四人の少年少女たちが一度に出した答えが、
「そうです。
その通りです。
植物の行う光合成。
そここそが、
植物の魂が「動物的に」存在している場所。
「魂の座」です。
実は、
これを綺麗に説明する為には、
最適な性質が、
植物の行う光合成という物には存在しましてね?
その名を、
「制限要因」というのですが……」
「制限要因……?」
章子の言葉に真理は頷く。
「制限要因とは、
最も出力の小さいものが、その最大瞬間出力の効率発揮限界点になる。
という性質の事をいいます。
つまり光合成で言えば、
空気中の二酸化炭素濃度、
光の照度の強弱。
水量、
気温、などの要因の内、
もっとも光合成に必要な量が不足しているものを、
『光合成の効率を最も制限してしまう最大の要因』だと表現させることを可能とする性質のことです。
例えば、ですよ?
今あげた四つの主な条件の内、
現時点で、
空気中の二酸化炭素濃度と水量、気温が、
光合成をおこなうには十分に満足していると仮定してみましょう。
すると、その時、
今度は、
光の強弱だけが、光合成の最大生産効率を左右する要因だ、と表現できてしまう。
そして、その条件下に似た状況での実験を、
あなた方はすでに、学校の理科の授業で済ませている筈だ。
そうですよね?
咲川章子」
章子は既に唖然としていた。
確かに章子はそれに似た実験をした事がある。
過去の地球で、
光合成の反応を……調べるために……。
「そうです。
植物の葉にアルミホイルか何かの遮光物を被せ、
影として遮り、
あとで実験用のヨウ素などの薬品に浸けて、葉の中身を調べてみるあの反応ですよ。
ヨウ素デンプン反応。
あの簡単な実験の時、
見事な〝影〟が現われますよね?
ヨウ素によって違う色に染められた、光に当てられて作られたデンプンの場所と、
アルミホイルによって、影を作りだし、
ものの見事にその箇所だけが、
遮っていた影同様の形でデンプンの精製されなかった真っ白な場所として現われる、
あの現象。
あの時の、あの陰の形は憶えていますか?
完全にアルミホイルで隠されていた場所が、
そっくりそのまま〝陰の形〟で葉っぱの中で焼きついている、
あの形ですよ。
では、今度はそれがアルミホイルではなかったら?
植物の〝葉〟には様々な生物が停まり、羽を休めます。
休めますよね?
アリやてんとう虫、蝶に幼虫、アブラムシに鳥類まで。
それが白日の陽射しの下、
長く葉っぱの上で留まっていたらどうなると思います?
それは勿論。
彼らが長く留まれば留まるだけ、
葉っぱの中では彼らの姿が転写されて〝刻印〟として記録される。
デンプンの影としてね?
これがいったい何を意味するのか?
もうお分かりですよね?
視えているのですよっ。
葉っぱの緑色ある面積を全て、
人でいう視覚組織、
〝網膜〟にして!
視えて、
どうやって
どうやって消費しているのかを!
植物はじっとそこに根付いたまま、
緑の葉っぱだけを全体に広げて、
そして真理は、
そんな事も考えつかなかった私たちを見下げ果てる。
「だから私は忠告したのですよ?
植物の命を軽視するな、と。
植物の命は動物の命と完全に同じ物なのだと。
光合成を行う、
葉っぱという〝眼〟を通してね?」
茫然となる章子たちの前で、
それでも真理は植物の〝想い〟を代弁する。
「しかし
その眼で目の当たりにして尚、
自分たちの
甘んじていたのです!
それを〝共存〟という相互依存性の枠組みで捉えようとするのは容易いが、
いったいどちらが、その恩恵をより強く受けているのかは想像に難くない。
あなた方は一体どちらだと思います?
植物と動物。
どちらが居なくなっても、どちらが確実に生き延びることができるのか?
考えるまでも……ありませんよね?
どちらがより〝自律〟しているのかと云えば、
圧倒的に!
それは
言って、真理は片腕を挙げて、人差し指を突き立てる。
「ではここで一つ、
新たな予備知識を教えておきましょう。
実は、
植物の根幹となる「光合成」という生理現象では、
その内部を、大きく二つに分けることができます。
その二つとは、
水の吸熱反応と光の力によって、水を酸素と水素の二つに分ける「光化学反応」と、
二酸化炭素に、水から分解させて手に入れた水素を加えて「デンプン」に合成する、
「カルビン回路」というものに分けることができる。
そして彼ら植物は、
カルビン回路によってデンプンが合成されなくても、
「光化学反応」だけは行い続けることができるのですよ」
「え?」
驚く章子に真理は断言する。
「出来ますよ?
彼ら植物は、
デンプンに回せなくとも、水を酸素と水素に分解することは実行し続ける。
それは水の吸熱反応が強制させる。
義務なのです。
水は永久機関です。
水とは第二種永久機関であり、吸熱型永久機関反応を発揮し続ける物質です。
これを止めることは如何に植物とて、無謀なことなのですよ。
水の吸熱という永久機関反応を利用する反面。
それを自分で止めることができない。
では植物の中で半永久的に実行されていく光化学反応によって生じた「水素」はどうなるのか?
答えはそのままです。
植物の中で貯蔵されることなく、酸素と共に外気へと放出される。
水素は、いかに植物の体内であってしても、
炭素というものでも用いない限り貯蔵することはできません。
水素はあまりにも小さく、軽い。
元素の中でも最小、最軽量の物質です。
だから余分な水素単独分子や単独原子は、植物の身体を通り抜け外気へと放出される。
そして残った葉の中では、
吸収された「光の欠片」だけが煉体として、植物の体内を駆け巡ってしまうのです。
〝刺激〟としてね。
そしてその持続する刺激が、
目にもなり、
また同時に、
人の脳神経系と同じ機能までをも有し!
発揮してしまう。
その植物の葉が!
人の目でもあり、また、
頭脳にもなるのですよ!
だから彼らは常に見えている。
いえ、視えてしまっているッ!
色も、動きも、
外界の刺激の何もかもがっ、
その緑色の葉っぱを通して視えているのですよッ!」
そして真理は、目の焦点も合わせず章子に言う。
「だから……いいのですか?」
「え……?」
「踏んでいますよ……?
真理の指示する指先を見て、
章子たちは、思いがけずにすぐさまに飛び上がった。
飛び上がって、飛び退いて、
慌てて靴の土を払い、
神々の……、
いや、
樹々の呪い、あるいは祟りを振り払うように、
植物、草木の生えていない、
地肌のさらけ出た面を探して、安息を探しながら足を落ち着けていく。
「そう。
いい心がけです。
彼らには視えている。
あなた方の行動を逐一、随時に観察している。
光を使ってね。
だからこれからは心した方がいい。
取り返しのつかない『後悔』をしたくなければ、ですよ?
なぜなら、
我々、動物には、
植物の眼から逃れる術は、持ち合わすことはできないのだから……」
落ち着き払って、真理は神妙に言い終えると、
すぐに顔を持ち直して一つ、パン!と両手で叩きならす。
そして鳴らした後は、
屈託のない笑顔を広げてみせた。
「さて……。
それでは、全ての命が象って宿っているとされる、
魂に関するお話はここまでです。
これ以上、こんなことを重く考えていても、致し方ない。
では、
ここからは、
ここまで心を耐え忍んで、講義を受けてくださったみなさんに、
一つ、
私からの、
心ばかりのささやかな〝御褒美〟を、謹んでしんぜ差し上げようと思うのですが……?
よろしいでしょうか……?」
「ご褒美……?」
「そうです。
ご褒美ですよ。章子。
それを今から、あなた方には恐れながらお贈りしたいと思っています。
ですから是非、それを受け取ってください。
我が章子」
優しく言うと、真理は気持ち、サナサに向く。
「ではいいでしょうかね?
このお話は、
ここまで、私の堪えがたいお話に付き合てくださった、
あなた方への、私からの心ばかりの感謝のしるしです。
しばし、
お口直し代わりにでも、ご清聴ください。
始めますよ?
サナサからはまた、怒られてしまうかもしれませんが、
これからするお話は、
先に言った、魂に関するお話とはまったく別のお話。
「円周率」と「内周率」に関するお話です。
実はこの円周率と内周率の関係の中には、
今まで語られなかった面白い性質、挙動が〝一つ〟ありましてね。
これを「円縮レンズ効果」というのですが……」
「円縮レンズ……効果……?」
「そうです。
円縮レンズ効果。
これは原子爆弾に使われる「爆縮レンズ」と呼ばれる技術のものと、
まあ、似ているといえば、そこそこ似ているともいえないほどのものなのですが……。
この円縮レンズ効果。
これが一体どういうものかと言いますと。
例えばここに、
「3」という数字の直径を備える「円」があるとしますよね?
その時の円周の長さは、
直径辺「3」に円周率3.14を掛けて、
9.42、となるはずです。
では今度は、
この9.42という数字を、
次に、
内周率2.97で割ってみるのです」
「え?」
「え」
「え」
三人の少女が、真理の意外な一言に目を丸くする。
「やってみましょう。
9.42という「3」の外周長を、今度は内周率2.97で割ってみる。
そこから出てくる数字は……、
3.1717171717……という無限循環小数です。
これが……内周率2.97という数字を使用した時に、
9.42という内周辺から導き出される、
内周時の「直径」。
では、
今度はまた、この、
3.17171717……という内周辺の直径に、
円周率3.14を再び掛けてみましょう。
すると次は、
9.95919191916……という外周辺の数字が出てくる。
これをまた今度は内周率2.97で割り、
さらにそこから出た数字の解をまた、円周率3.14で掛けていく。
……という数理挙動行動を繰り返していくのです。
そして、
これを延々と繰り返していく、
その数理挙動が、
今度は一体何を意味してくるのかと言えば……」
「円の直径と円周が……。
長くなって広がっていく……?」
章子たちが、不可解に真理を見て唖然としている。
「そうです。
円の直径と円周辺がひとりでに長くなり、
勝手に推移して増えていくワケですよね。
そして、この断続して増えていく、
円周の長さの数字の動きこそが、
あの、
「熱転移」と呼ばれる「四番目」の熱の移動手段の、原理でもあるのですよ……?」
章子は訝しんだ。
この少女は何かを言おうとしている。
何かを伝えようとしている。
何を言っているのだ?
この少女は一体、何が言いたいのだ?
「それで、
ここからが本題です。
彼らも、勿論、この奇妙な数字の動きには気付いていました。
さらにあろうことか。
或る時。
彼らは、この数字の動きを、
ある一つの事に使えないかと思いついた」
解く説くと話す少女を見て。
章子はまだ知らなかった。
思いもよらなかったのだ。
この時の少女が話す、
後に出てくる意外な言葉が、
どれほど、これから先の章子たちの心を揺さぶるのかということを……。
「それが……」
真理は艶やかに言う。
「……未来予知です」
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