第18話 水の槍

 緑の芝生が広がる庭園のベンチに腰かけていると、足元に小鳥が寄ってきた。

 小鳥は何度も首を傾げながら、地面をついばみ、

 何を言っているのか分からない囀りだけを残して、すぐにまた飛び立っていく。

「こんなところにいたのですか?

章子」

 不可解そうな顔をしながら真理が、ベンチに腰掛けて小鳥を眺めていた章子に近づき声を掛けてきた。

「うん。

凄く広いんだもん。

ここ」

 ベンチの背凭れから仰け反って空を仰ぎつつ、章子はドベッと寝そべって見せる。

「サナサとオリルは先に行きましたよ。

あとはあなたと昇だけです」

「昇くんも?」

 章子が起き上がると真理もげんなりと頷く。

「そうですよ。

まったく。

また、ドコの道順で足を止めていることやら。

今日はこの一日を使ってココを見て回らなければいけないのですがね」

 うんざりといった真理が手を仰々しく広げ、指し示しているこの園庭の広さは常軌を逸している。

 そこは章子たちの世界で言う西洋建築風の宮殿の庭園に相応しかった。

 地球で似通っている場所を当てはめるとするなら、

 ベルサイユ宮殿のあの広大な敷地だとでも言えばいいだろうか。

 章子は実際にそこを訪れてはいないが、一通りを観光写真で見た感じでは、

 特に、回りに遠く配置されている建造物などは概ねそれに近似していると云って差し支えはない。

 その建物の一つ一つが、この地球で五番目に栄えた古代世界、サーモヘシアの一国ハウナの首都オロンの郊外に位置する、科学技術博物館とでもいうべきコーカナス資料施設庭園だった。

 その中に在る非常に広大な庭園のベンチの一つから立ち上がり、章子は自分の腰を払う。

「じゃあ、昇くんを探すの?」

「まさか、

彼がいないのは自業自得です。

我々はまず先を行ったオリルとサナサに合流しましょう」

 言って進みだす真理に章子もついて行く。

 地平線が見えそうなほどの広さの芝生の真ん中を貫くように伸びる、石畳の広い通りを歩いて行くと、

 所々の彼方に見える、幾つかの宮廷施設間には地球と同じクレーン車が伸び、さらなる改修が施されている真っ最中のようだった。

「ここはまだ完成していないところもあるのね」

「違いますよ」

「違う?」

 章子が問うと、真理は頷く。

「アレは急激に変わってしまった現在の新世界の地図、或いは他の古代世界からもたらされた新情報を展示する為に改装をしている最中です。

彼ら第五文明のサーモヘシアは、オリルたち第一文明リ・クァミスとの接触により、新たな常識を取り込まなければならない。

それを必死に実行している証拠があの改修作業なのですよ。

あなたも先程、サナサから耳にしたでしょう。

彼らもついこの間のあなた方と同じ、真理の原理を今ごろ、伝えられて戸惑っている最中なのですよ」

 そう言って黙々として語る真理に、章子は知らず知らず視線を地面に落としていた。

 目の前を先に歩くこの真理が言うように、この第五世界、

 いや、第二や第三、第四世界や第六世界でも、

 あの、


“この現実世界がたった1つの一進法で成り立っている”


 という事実を既にリ・クァミス側からよりもたらされていたのだ。

 なぜならそれを示唆した真理自身がその事実を他の古代世界に隠す必要などはどこにも存在しないと主張したためだった。

 そしてそこから得られるだろう魔法という驚異的な力を他国が保有し軍事転用する憂慮も懸念もまったく必要ないと同時に説いてもいた。

 その最たる理由が、

“所詮、魔法に始まる「原初の力」は「己が0」だけに往きつく。

そして、

その「自分の0」がなんであるかを認識し、理解しない限りは、魔法を自分の物とすることは決してできない”

 というものだった。

 だから、この新惑星を造った神の、その娘である真理は原理の最期を全新世界に開示し、公開し、知らしめてもなんら問題はないのだと説き伏せていたのだ。

 そんなものを知った所で、0を使いこなせる者の数などたかが知れていると豪語して。

 その為、この新惑星にある全ての地球古代世界は、

 あの真理の云う第一と第二世界の間にあったという超古代文明世界、

 狭間の真理学ギガリスが備えていたとされる秘学中の秘学である「否数学」の「否数法」を既に把握している。

 そしてその否数法を目の前にして、今もまだ頭を悩ませているのだ。

 この現実の過去と未来が、ただの軽さと重さで分け隔てられているというこの事実現実に。

「それを否定するのも肯定するのも、各々の現世界、現国家の自由勝手です。

所詮、そこで依存され問われるのは、その世界、国家の認識力だけなのですから。

だからそれを隠すことや秘匿する手間をすることなども結局、必要ない。

それにどうせ、この力は否が応でも「自分で自分を否定しなければならない」ことを強制するのですし」

 そう高をくくって嘯く真理に章子は何も言えない。

 今はまだその時ではない。

 だから、章子は黙って真理の後を着いていくだけだった。

「ああ、いたいた」

 そして芝生の真ん中を突っ切る石畳の大通りの突き当りで、当のオリルとサナサが二人して待っていた。

 二人の背後には大層な宮殿がある。

 午前中の中ごろから、朝食後に会ったサナサの案内で入庭して行き着いたのが、この豪奢な建物だった。

 そこは本殿だった。

「昇は?」

 オリルが訊くと章子も首を振る。

「そう」

 なら仕方ないわね。と特に惜しそうもなく、お願いしますとサナサに先導を請う。

 サナサもこれを快く受け、四人の少女はその建物。

 章子の世界のベルサイユ宮殿によく似た建物の中に入っていく。

「ここでは私たちが今まで過ごしてきた歴史が展示されてあります」

 そう言ってサナサは広大な入り口の中を通って、左に続く大きな回廊に章子たちを案内させていく。

 回廊の幅は丁度、章子の学校の廊下の二倍ほどあった。

 その回廊の進行方向上、左側は柱や景色の見える門窓が続き、右側は壁づたいになって、

 やはり章子の教室の様に入り口が設けられ、大きな広間の中で展示されているものを道順沿いに観覧できるようになっている。

 章子たちがその広間の中に入っていくと最初に目に飛び込んできたのは大きな地球儀だった。

 しかし、その地球儀の表面は殆どが海を表わす水色で占められ、陸地を表わす緑や黄土色の出張った箇所は、非常に小さくまばらにしかない。

 そして、それが現在のサーモヘシアに点在する国家、ひいては陸地の現存地形でもあった。

「この時代の世界にある陸地は全て、諸島です。

その数々に点在する諸島の中で全ての国家が成り立っている。

この時代には大陸と呼べるべき陸地は存在しないのですよ。

それは最後まで永久機関に辿り着けなかった第四文明世界の負の遺産と言ってもいいものです。

彼ら第四世界。

地球で四番目に栄えた文明時代紀、グローバリエンは今の章子たち第七世界と非常によく似通っています。

彼らは最後まで化石燃料を消費する域から抜け出すことが出来なかった。

ほんのあと一歩の所で永久機関を手に入れられる前に衰退した。

そしてそれはあの章子たちの世界がよく云う「核融合炉」ではない。

核融合炉という内燃機関は、結局、今ある第一から章子たち第七文明までを含めて、実用的に使用した文明は一つとしてありません。

第一から第二まではそれを可能とすることはできましたがそれを用いる必要はなかった。

第三紀はそれに到達する前に別の永久機関技術を確立した。

そして第四紀が目指した永久機関も核融合炉では

しかし、それは別のお話です。

重要なのは、第四紀の時代世界が章子たち現代世界と同じように化石燃料を浪費し、地球の平均気温を押し上げた。

その結果が、この五番目の世界の陸地なのです」

 真理の説明に、サナサも自嘲気味に頷いた。

「そうだった

しかし、現在の私たちにその過去に栄えたとされる文明を知る記録はほとんど遺されていません。

これはオリルさんたちリ・クァミスさまよりの情報で知りました。

前の世界のと私たちの世界の「自覚の始まった開始」では、二億年の時の隔たりがあるそうです」

 サナサが真理を伺い見ると真理もそれに頷く。

「そうです。

だいたい二億年。

これはどの世界文明が滅んでから始まる間隔期間でも、概ね億年単位と同じです。

そしてその当時の主要文明の最盛期は最も長く続いたものでも二千万年が関の山。

唯一の例外は第六期です。

それでもでさえ、国というていは変えずとも姿は変えて一億年です

しかるに、それほど一つの文明が永く栄え続けるということは、はなはだ難しい」

 真理の様子を見て、歩き出したサナサは壁枠で迷路のように区切られた先を案内していく。

「それでも、私たちは、自分たちの自覚に気づいたこの島で栄えていくしかない。

だから私たちは知恵を絞りました。

それが文字に芽生え、記録という手段を持ってからのこの三千年間です。

その間に様々な事が起こりました。

戦争、貧困、争奪、災害。

その殆どが災いな事ばかりです。

そして、最後にそれは予見されました」

 サナサはその場所で足を止める。

「『月が離れようとしている』」

 サナサが足を止めた場所は、やはり地球の模型の前だった。

 しかし、そこには月の模型も傍らにあり、

 その当時の地球と月の大きさの対比は、章子の目から見ても脅威を覚えるほどに姉弟ほどの差しかなかった。

「これがその当時の地球と月の対比です。

笑ってしまうでしょう?

私は笑ってしまいました。

章子さん。

あなた方の今住む地球と月の大きさをこの目にしてです。

私たちがつい地球の大きさと、

目の前に浮かぶ遠い星々では何もかもが違うのですから」

 そう言ってサナサは地球儀に目を戻す。

「そうです。

私たちがいた時の地球はああならなければならなかった。

月と地球の質量差から、月は年月を経るごとに太陽へと引きずられていってしまう」

「だから、月は自転してこの大地からも見えていた?」

「その通りです。

ですが、それはどの文明でも同じだったと聞き及んでいます。

でも、今の章子さんのこの時代は違うのでしたね。

羨ましいですよ。

あの当時の私たちには、あの光景は本当に恐怖だけしかなかったのですから」

「恐怖……」

「はい。

月が一回転するごとに、その月が遠ざかっていく自覚を常に強いらされる恐怖でしたね」

 まるでサナサは遠い昔のことのように言うと、それを遮るように真理が一人、前に出た。

「しかし、それを解決する糸口はひょんな所から現われた」

 真理が意味深げに言うとサナサも目を瞑って頷く。

「はい。

その糸口は完全に偶然でした。

カチモという北国の島で、ある奇妙なものが見つかったという知らせが舞い込んできたのです」

 言いながらサナサは次に歩みを進めていく。

「見つけたのは極北の小さな島で漁を営む漁師さんでした。

その漁師さんがそのヘンなものを、漁の最中に引っ掛けて水揚げしてしまったというのです」

 そしてサナサはその実物大の模型の前までくる。

「その変なものとは長方形の縦に非常に細長い大きな箱でした。

外装の装飾は、この実物大の模型から見てわかる通り、赤い宝箱の様な造りをしています。

漁師さんは最初、それを沈没船か何かから流れ出した宝物か何かだと思ったそうで、引き揚げたそばから恐る恐る中を開けてみたのだといいます。

箱の蓋は端側の上部にありました。丁度、引っ張って開ける長筒の蓋の様な感じです。

その箱の蓋を引き抜くと、中からは何も出てきませんでした」

「出てこなかった?」

「はい。

漁師さんも船の上で不思議に思ったそうです。

細長い箱を開けても、溜まっていた筈の海水は漏れ出てこない。

それどころか、ひっくり返しても何をしても、開けた目の前で中に詰まっている水は一滴も漏れ出てこなかったと言うのです」

「え?」

「どんなことをしてもその箱の中から水は流れ出てきませんでした。

そこで漁師さんはその口に表面張力まで浸かる水の中に手を入れて探ってみることにしました。

そして、その水の中で丁度、棒状の様な物が手に当たります。

漁師さんがそれを掴んで、引き抜こうとしたその時です」

〝声〟

 がしたのだとサナサは言う。

「声?」

「そうです。

声です。

何処からか頭の中に響いてきた声は漁師さんにこう言ったそうです。

〝願いを言え〟と」

 そう言いながらサナサは次の展示場所へ歩き出す。

「漁師さんも訳が分からず言いました。

この世界を救ってくれ!と。

それは当然でした。

あの時の私たちには、それだけしか望みは無かったのです。

10年前のその日。

私たちの時代の誰も彼もがその問題の解決にしか関心はなかったのですから。

どうすれば月はこの地球のそばに居続けてくれるのか。

それだけが唯一の問題だったのです」

 だから漁師はを掴みながら、世界の望みを言ったのだった。

「……しかし、漁師さんの思いに、

声は何も答えませんでした。

その代わりに漁師さんの回りで、光で象られたあらゆる数式、記号式が何も無い空間に突然浮かび上がり回転し映り出したのです。

それを見た漁師さんは慌てて水の中から手を離し、箱から身を離しました。

しかし、それだけでは。その光の記号式は消えず、そのまま箱の周囲に回転して表示されつづけているばかりです。

怖くなった漁師さんは箱をそのままに、慌てておかに戻って、町一番の学者さんの所に飛んでいきました。

町にいた学者さまは地学を専門とする方でしたが、顔見知りだった漁師さんの慌てぶりにただ事ではないと悟ったのか、ひとまずその箱を診て見ました。

するとそこで驚くべきことが分かります。

その箱の中身は、周囲に出現させた光の数式、記号でこう言っていたからです。

救われた世界とはどのような状況を差し、どういった状態を云うのか?と」

 そしてサナサは次の展示物の前に来ると、目の前に設置された映像を再生するためのボタンを押して始める。

「これが、それから間を置かずに撮影された時の映像です……」

 サナサの背後、真っ暗な大きなテレビ状の映像投影装置に電源が入り、当時の映像が再生される。

 それは章子たちの世界で云う白黒映像に近い画像だった。

 カラーではあるのだが、映像が荒いために色までがよく分からない。

 しかし、映像の内容だけは辛うじてわかった。

 そこはどこか木造の家屋の一室、ストーブや家具などがある民家の中に近い部屋の中で数人が何かを取り囲むように立っていた。

 そして、その中の白衣を着た一人が中央に近づき手をゴソゴソとやっている。

 その時だった。

〝願いを言え〟

 章子の耳にもその言葉が聞こえたのだ。

 章子は思わず後ろを振り返る。

 今の言葉は、目の前にある大型のテレビ映像装置から出てきた音声ではなかった。

 それは直接、章子の頭の中で響き聴こえた声に間違いなかった。

「みなさんにも聴こえましたか?」

 その章子たちの反応を観て取ってサナサは言う。

「今の声は、このテレビ映像の装置から発せられた音声ではありません。

どのような仕組みか分かりませんが、この声はそこのスピーカーから発せられたものではなく、いつも直接、個別に私たちの頭の中に響いてくるのです」

 さらに映像の中では、その声がした直後にサナサの言った通りの数式や記号が光学線で出現し、周囲に展開されて回転していた。

 その光景を目にして章子は内心、驚く。

 隣に立つ真理マリがよくその光景を見せていたからだ。

光学空間表示FUD……?」

 すると、背後からそう呟く半野木昇の声がした。

 そして、やっと四人の少女に追いついた少年は茫然とその映像に近づいて行く。

「その通りです。

半野木昇。

あれは私がこの惑星に到着した時にあなた方に頻繁に見せていたものと同じFUDファッド

光学空間表示フィールド・アップ・ディスプレイとよばれるものです」

 そして、そんな光学空間表示が、あの赤い箱を中心として発生しているのなら。

「あの箱の中身が鍵なのですよ。

狭間の真理学が最後の最期に残した唯一の希望。

それをこの第五世界は己の危機に使用した。

かの真理をも網羅した狭間の覇都でさえ想定できず、考えもつかなかった方法でね」

 その真理の言葉を耳の端に入れながら昇は少し離れた所にある、先ほど章子たちの観ていた赤い箱を精巧に模倣した模型オブジェに近づいて行く。

「水槍……ペンティスラ……?」

「え?」

 昇は、自分でさえまだ読むことのできなかった、箱の縁に刻まれていた微かな文字の意味を呟いて章子を驚かせる。

 そして、そのを肯定したのは真理ではなくサナサだった。

「そうです。

箱の中にあったものは槍でした。

それも全て縫い針を巨大化させたようなシンプルな形をした槍です

その槍が、この問題の解決の全てだった」

 模型をただ眺める昇に近寄り、サナサは続ける。

「あなたのおっしゃった通り、

その槍の名はペンティスラとして我々の歴史には刻まれます。

それはあちらに控えられますオワシマス・オリルさんたち、リ・クァミスの方々の協力によって確実となりました」

 サナサが見つめる少女はオワシマス・オリル。

 その人だった。

 水だけで創られた槍ペンティスラは、

 それこそがそんなオリルたちの未来として朽ち果てていった真理の覇都ギガリスの遺産なのだから。


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