第17話 三日月の徒

 サナサ・ファブエッラは、とてもしおらしく大人しい少女だった。

 落ち着いた佇まいのままで、真理マリの隣に腰を落ち着けている。

「本当に言葉が通じるんですね……」

 会話を交わす度に、今もまだ信じられないといった様子のサナサをまじまじと見て、章子もそれには同意見を持って頷いた。

 それを見てサナサの隣に座る真理も口を開く。

「現在のこの会話による意思疎通能力は全てこの隣のオワシマス・オリルが受け持っています。

この場で交わされる言葉の意味も、そこで生じる誤解も、全て第一文明リ・クァミス側が把握できるようにです。

もちろんそこには、それらの内容を改竄しようと思えば改竄されてしまう危険性はありますが。

リ・クァミスが、そんな危険を犯してまで、この場の言語交流をいいように捏造する利益は微塵もありません。

そんな事をしても自分たちには害しかないことをそこに座る彼女たち自身がよく知っているからです。

ですから、今はこの三つの異なる異時代、異文明の者たち同士で行われる貴重な意思疎通交流の機会を存分に愉しみましょう。

ね?

皆さん」

 そう言って、真理は両手を広げて和の尊さを演出する。

 彼女ら、章子と真理とオリルとサナサは、現在、たった一人の少年、昇を片隅にして、街中を走る車の中にいた。

 港の乗船施設ポートターミナルの中でサナサと出会ってから、三十分も経たずに出入り口付近の乗り付け場に止まった乗用車に乗り込み、

 そこから、ひとまず、今晩を過ごす宿へと向かう事になったのだ。

 その移動の最中でも、章子は車の窓から見える景色からこの時代世界の事が薄っすらとだがその大まかな輪郭を掴みつつあった。

「なんだか、この時代の世界って、私たちの世界にすごくよく似てる」

 流れる車窓を見て、章子は今の感想を呟いていた。

「当然でしょう。

この世界に限らず、特に第3、第4、第5、そして章子たち第7紀の時代文明はその国の在り方、成り立ち、世界の分布状況、生態系、人種思考、服装、文化文明形式などの様々な基本的な形が、そのほとんどで非常に似通っている。

奇しくも、文化文明の在り方はいつの時代でも、その形で完成形なのです。

だから結局、科学水準が高度になれば文明様式もそれに比例され単純かつ洗練されて似通ってくる。

車が存在し、旅客機や船舶もその形で似通っており、四輪車両があり、二輪もある。

おまけに建築物までもが故郷と同様に見えるでしょう。

しかし第1、第2、第6紀、さらには真理学ギガリスの時代世界だけはその完成形に捕らわれていません。

彼らはそれだけ、科学水準が通常とは逸脱した領域で完成させている。

そして、第1紀と第2紀、ギガリスではまた非常に似通っている部分もありますが、第6紀はこれまた独特な様相を呈している。

しかし、それでも章子たちが彼の文明世界を一目、目にすれば懐古を覚えるはずです。

これら4つの世界の彼らはそれだけ、高度な科学技術をめきってしまっている」

 そんな真理が断言する言葉を、章子は心の中で肯定した。

 車の窓から見える景色は、確かに章子が自分の世界で見た海外旅行のパンフレットなどの景観に非常によく似ていたからだ。

 この地球で五番目に栄えたとされる時代世界、サーモヘシア。

 この世界の一国を担うハウナという国のいま章子がいる都市は、南国系の景観にとてもそっくりだった。

 そんな景観を、あえて章子たちの世界の特定の地域を指して比較するなら、ハワイのホノルルのようだと言えばいいのだろうか。

 ヤシの木の様な植物があり、白く長い海岸線もあり、陸側の方面では、それに似つかわしくない章子たちの世界とよく似た高層ビルが立ち並んでいる。

 近代的であり自然的な都市景観。

 章子は海外へなど一度も渡ったことはなかったから、これらは想像の範疇にしか過ぎない。

 だが、それでも、この世界と自分たちの現代世界が時間続きになっているということだけは容易に納得してしまうものがあった。

「それで……?

さっきからどうしましたか?

半野木昇。

そんな隅っこの方で縮こまってしまって?」

 真理が言うと、確かに昇は車の席の隅の方で身を小さくして俯いていた。

 この車の座席は対面式になっており、章子たちの世界でいうところのリムジンという高級車そのものといってもいい形を取っていた。

 その大型車の中で、少女四人に押しのけられ、女子たちの会話に入れず、席の脇に追いやられていた昇は自然とドアの内装をじっと見つめていた。

「いや、

この車の内装……なんだけど。

これに使われてるのって、

もしかしてプラスチックなんじゃないの……?」

「え……?」

 プラスチック。

 その単語が今、この時に何の意味を持つのかが章子にはまだ理解できなかった。

「そうですね。

本当にあなたはなかなかいい感性をもっています。

しかし、

こちらとしてはそんな場を白けさせるような黄昏をされる前に、同じ女子たちでのこの弾んだ会話に入ってきてもらいたいものですが、それもただの独りである男子には酷というもの。

ですから、いいでしょう。

その問いに答えて差し上げます。

それはプラスチックに非常に似通っていますが、プラスチックではありません」

「プラスチックじゃない?」

「そうです。

あなた方のいうプラスチックとは「樹脂」のことでしょう?

化学合成樹脂のことですよね。

そして、それら化学合成樹脂などの石油化学製品を含めたものを全てひっくるめて、

あなた方、七番目の人類はこう言って総称している。

、と」

「炭化水素……」

「そうです。

炭化水素。

この言葉はよく覚えておくといいですよ」

 そう言って今度は、この文を読んでいるにも向く。

「そして、もちろん、

についての、予習をしておくことも非常にお薦めしておきます。

いずれ、

この章の内で、

この言葉を思い出すときは必ずやってくる。

今までの、私が述べてきた原理、真理でさえ、まだ疑ってかかり、疑問に抱いているあなた方の前に、この言葉がヒョッコリとね。

そこに座るオリルやサナサ、

我が主、咲川章子と同様に、

この世界がまだ一進法などでは絶対に成り立っていないと無視し決定し、

過去と未来とがそんな単純な軽さと重さで区別されているわけがないと頑なに否定し、

しがみつく、

あなた方の、そんな未だ抱く真っ当な疑問さえも打ち払う、

さらなる現実世界の真理とともに……」

 それはこの現在の現実世界に生きるに対して贈られる、彼女、真理マリからの挑戦状だった。

「話が逸れてしまいましたね。

そのドアやこの車の天井、果ては他の隅々に至るまで、この時代で使われているプラスチックに似たような物は、

あなた方の現在利用、精製している石油化学製品と呼ばれるものではありません。

これらやそれらは炭化水素ではない。

「炭化窒素」です。

昇」

「炭化窒素?」

「そうです。

炭化窒素。

だからプラスチックなどと非常に質感はよく似ていますが、その根源的な性質部分は非常に固定的です。

固定的だから化石燃料などの燃料系には向かず、物性。

つまり材質加工という形でのみ全て利用される。

また、

炭化窒素は、章子たちの世界で云われる「窒化炭素」という物質とも性質を異としています。

窒化炭素とは「窒素化した炭素」です。

ですがこれらは「炭素化した窒素」

この差は非常に大きいのですよ。

だからこの世界での炭化窒素加工物は、中途半端な燃焼でも廃棄でも発生してしまう有害物質は皆無と言っていい。

あなた方、愚かな七番目の人類には分かるはずだ。

この差の大きな違いが」

「これが、プラスチックとは……違う……?」

 昇はいぶかし気にドアの内装にあたる樹脂部分を撫でる。

「そうです。

しかし炭化窒素は第一文明ではあまり使われていない物質ですから。

見るのが初めてなのは無理ないことです。

ですが三番目、四番目の世界では非常にこの材質を多用している。

ですから、いずれ身近になりますよ」

 真理がにこやかに言うのを見て、章子はなぜかそれだけでは無いような気がした。

 炭化窒素以外に真理はまだ何かを隠している。

 そう思えたのだ。

 そしてそれはそう遠くない日に暴かれるだろう。

 真理自身の言葉によって。

「ですが、その前に、

まずはこの時代世界での寝床を確保しに行きましょう。

それをさっさと確立していなければ。

真理もヘッタクレもありませんからね」

 真理が見透かすように言って、

 車はその目的地へと走らせる。

 目的とした場所はこれからの宿だった。

 それは章子たちの世界で言うホテルというものに非常によく似た高くそびえ立つ大きな宿泊施設だった。

「お待ちしておりました。

三日月の徒クレシェンテ」の皆様ですね。

お部屋はこちらにご用意しております」

 車の辿り着いたホテルの受付で、章子たちの現代世界と同じように、一足早いチェックインを済ませ。

 ロビーのソファが集まる一角で少年少女たち五人が固まる。

「それではまた明日の朝。

頃合いを見計らって、私が改めてお訪ねします。

その時までどうぞ、長旅の疲れを癒してください」

 別れ際、深々と丁寧にお辞儀をしてサナサが章子たちから離れていく。

 それを見送って、

 オリルも真理から章子と昇を見て、口を開いた。

「じゃあ、あたしたちも部屋に行きましょうか」

 三人の先頭を歩き、自動昇降機から階を上がっていく。

三日月の徒クレシェンテ……。

わたしたちはもう本当にリ・クァミスの一員なのね」

 三日月の徒クレシェンテ

 リ・クァミスの最高学府における院旗にあしらわれたただ一つの蒼い三日月の姿。

 その院旗の図柄からリ・クァミスの使節団はどの世界でも総じて「三日月の徒」と呼ばれるに至っている。

 そして、そのリ・クァミスの最も特徴足らしめる物。

 それこそ何の飾り気もないただの無地の布だけにより織られたワンピース状の衣だった。

 それを身に纏う一人と三人の少年少女の中にあって、唯一の違いはその服の色だけ。

 薄紫のオリル。

 真白色の真理。

 そして、

 薄桃色の章子に、

 深い紺色の昇。

 その四人の彼女ら、彼が、いま目の前にしたのは一つのドアの前だった。

「ここよ」

 そう言ってオリルがこれからこの世界での就寝の場となる部屋の戸を開けようとする。

 だがそれを寸前に、ふと素朴な疑問を抱いた昇が口を開いた。

「ぼくの部屋は?」

「ありませんよ。

そんなもの」

「へ?」

 肝心な問い、真理の素気ない答えで返され昇は目を丸くした。

「え?

だって、

女子三人に、男一人でしょ?

いるよね?

もう一つの部屋」

 まさか、これから夜から朝まで男女同室とまではいかないだろう。

 だから昇はまだそんな愚かな問いをする。

「だから、

無いわよ。昇。

あたしたちとあなたはこれから同じ部屋で同じ就寝を共にするの」

「えへぇ?

い……や、

いやいや、

いやいやいや、

ちょっと待って……?

ちょっと待ってよねっ?

おかしいよね?

それ、おかしいでしょっ!?

どう考えても絶対に可笑しいよねっ?

男女が同じ部屋って、

それ。どう考えてもおかしいでしょうっ?」

 今まで船の中でも男女で部屋はわかれていたはずだ。

 であればこそ、今回もそれに倣って然るべきはずである。

 しかしそれを真理は否定する。

「これ以上、財の負担をリ・クァミスにさせるのですか?

彼らだってそこまで面倒は見きれませんよ?

ここは大人しく従うべきです」

「いや、だから男女っだって。

これで、もしなんかあったら……」

「もし?

もしかしたら、いったい何があると言うのですか?」

「いや、それは……」

 それは未成年の口からは口が裂けても言えない。

「雌雄性間的に間違いでも起こると?

しかしそんな恐れは杞憂です。

私の力にかかれば避妊具や避妊薬を必要としない避妊法などいくらでもある」

 言った。

 言ってしまった。

 この少女は少年の畏れている言葉を平然と宣う。

「何を狼狽えているのですか?

おかしいですね?

つい最近、久方ぶりに姉と面あった時には、姉は愛おしそうに自分の下腹部を撫でていましたよ。

私に見せつけるようにね。

だからてっきり私は既にだとばかり思っていましたが?」

 その言葉でこの場の空気が瞬時に凍り付く。

「は、

はあっ?」

 昇は思わず自分の半券が締まってある場所を睨みつけた。

「ふふふ。

まあ、それは大袈裟にしても、

安心してください。

私はいまや、医学用語や一般の日本語でしかこの会話はしていません。

何の卑猥な言葉も使ってはいない。

だから何のガイドラインに引っかかる要素は無い。

それにもう一つ吉報をお知らせしておきましょう。

ここに居る、

私も、

章子も、

オリルも、

すでに初経は済ませてあります。

だからあなたとより深い関係となることは可能だ。

あなたとの間に宿る一つの命を絆としてね。

勿論、あなたや章子、第七の人類は、

オリルやサナサ、

その他、他の文明世界の異性との間で交配も可能です。

しかもおあつらえ向きに、あなたも既に精通は達成している。

となれば、そんな男女が揃えば、

これを眺めて眉を顰めている見識ある大人たちであってさえ、とる行動は一つです。

据え膳食わぬは男の恥なのですから。

であれば、一般常識のある大人たちでさえとる行動を、

我々、子供がとらないわけがないでしょう。

しかも、そんなもしもの責任を取ることも容易だ。

なぜなら、オリルは既に子を養う実力はつけている。

もちろん、私でさえ例外ではありません。

そしてさらに章子は私の主なのですから、

主の子の面倒は私が見ても何の差支えも無い。

ある意味、そこらの成人よりもよっぽど親としては完璧に全うできますよ?

勿論、未成熟な身体的負担も考慮に値しません。

魔法が全てを可能にするのですから。

ほらここにはもう何も問題は無い。

それに抗う余地が他にどこにありますか?」

 真理は昇の衝動を射抜くように見る。

 そしてドアノブに手を掛ける。

「待ってよ。

まずいよね?

咲川さん。

こんなの許されることじゃないよねっ?」

 昇は最後の砦に頼った。

 昇は章子に最後の風紀を求めたのだ。

 ここは章子の出番だ。

 こんな風紀が乱れることを学級の風紀を司る委員長であった章子ならば許すはずがない。

 だが、すでに章子も覚悟を決めていた。

「そんなワガママ、言える立場じゃないでしょ。

わたしたちはリ・クァミスの人たちに甘えている身なんだからっ」

「んへぇ?」

 昇は無様なマヌケ面を見事に晒す。

「では、

はやく部屋に入って身を落ち着けましょう。

いい加減、おんなに恥をかかせないでください。

昇」

 そんな、とても懇意にしている異性に放つ言葉ではないそれを昇に言い放ち、

 真理がドアをくぐるのを見て、オリルも章子もそれに続いて行く。

 章子は目を詰むっていた。

 明日の朝にはきっとサナサは今日とは違ってしまった自分に会うだろうと心に決めて。

 あとは、

 それに昇が続いてくるのを持つのみだった。

「早くしてください、昇。

何時までもそんなワガママを……」

 そう言おうとした矢先に真理は昇の肩が震えていることに気づいた。

「も……」

「も……?」

「も……?」

「も……?」

 少年のどもった声に、意表を突かれた三人の少女が輪唱する。

「もう少し……。

もう少しだけ……、

少年こどもでいさせてください……」

 ひっくひっくと肩を震わせ、シクシクめそめそと泣きベソをかきはじめた少年は、

 先に待つ少女たちにそう言って泣きついていた。

「お願いです……。

お願いします……っ」

 と声を搾りだし、そこで突っ伏して泣きじゃくる少年。

 それを見て、目を丸めていた少女たち三人は互いを見合わせてから、一斉に大きく笑い上げてしまった。

 少女たちは少年をこころよく赦した。

 彼はこの少女たちにではなく、自分に恥をかかせたのだから……。



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