第四世界『ほんとうのせかい[Out of the window]』

第四世界『ほんとうのせかい[Out of the window]』 その1

×トリシャ×


 気づけばトリシャは部屋の中に居た。

 見たことがある、けれどかつてとは様変わりした部屋の中、ベッドの上にぽつりと座っていた。

 部屋に居ると気付いても、しばらくの間トリシャは何が起こっているのか理解できず、ぼーっと空中を見ていた。だが、ふと目線を落とした瞬間目に入った自分の足に、ようやく正常な判断を取り戻す。


「わ、たし、」


 脳が情報を処理しようと動きだし、混乱で過呼吸になりかける。胸を押さえてどうにかそれを押さえつけると、何度も荒く息を吐きながら、トリシャは自分の足をただ見つめた。


 ……大丈夫。夢、なんかじゃないです。


 ケイにもらった足は確かにそこにある。感覚は確かにつながっている、服装だって、今さっきまで旅していたのと同じ服装だ。

 少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 呼吸が落ち着いたところで、改めて周囲の状況に目を向けた。


「……私の部屋……ですよね……?」


 疑問形なのは、泥棒でも入ったかのように部屋の中が散らかっていたからだった。

 タンスはひっくり返され、本棚は倒され、服は破り捨てられ。座っているベッドには包丁が突き刺さっている。そこら中から薬品か何かで焦げたにおいや、嗅いだことのある生臭いにおいが混じりあって、鼻を刺激する。

 一体何があったのか。それを知らなければいけないと、トリシャはベッドから立ち上がってドアの方へと向かった。

 ケイに連れ出される前ならば、部屋から出ようなんて考えなかった。たとえ寝ている間に部屋があれていても、特に気にせず片付けていただろう。

 だが、今は違う。

 知りたいと思う。何が起こっているのか。

 ここは、トリシャの世界の一部なのだから。


「……行かなきゃ」


 ドアに手をかける。いつも施錠されていたはずのドアは、意外にも簡単に開いた。開かなかったらけ破ってやろうかと思っていたのだが、余計な手間が省けた。

 ドアを開けると、またすぐにドアがあった。ただし今開けたばかりのドアよりもはるかに頑丈そうな、シェルターにでもついているような扉だった。ハンドルがついており、それを開けると開くようだ。


「ん……っ!」


 すぐさま固いハンドルを回す。気合を入れなければ回らない重いハンドルを、重苦しい音をたてながら何度も回すとようやく扉が開いた。

 分厚い扉の外は、廊下になっていた。白い廊下の左右を見渡すと、いくつか扉があるのが確認出来た。けれど、トリシャの部屋のような頑丈な扉がついているところは無いように見えた。

 そして、異様なほどに静か。音というものが忘れ去られたかのような静寂の中で、自分の呼吸音はやけに大きく聞こえた。

 ふと、気づけば嫌な汗が全身から滲みだしていた。谷間のあたりにも、汗が流れ落ちてきて気持ち悪い。


 ……なんでしょうか。この感じ。


 一歩を踏み出して、何があったのか探るべきだ。父親に会いに行ってもいいかもしれない。

 頭ではそう考えているのに、建物全体から妙な威圧感が放たれているようで、トリシャの足を縫いとめている。


「……えいっ!」


 威圧感を振り払うように、トリシャは気合を入れて一歩踏み出す。すると、気合を入れすぎてしまったのかブーツが一瞬のうちに変化して、両足が足鎧に包まれてしまった。

 不意打ちの事だったので少々驚いたものの、周囲からにじみ出る威圧感の中ではこの足鎧はむしろ頼もしい。トリシャは足鎧を装着したまま、ゆっくりと廊下を歩き始めた。

 かつん、こつん、と足鎧の硬い足音だけが響く。

 とりあえず手近なドアの近くまで行くと、とってに手をかけた。鍵はかかっておらず、簡単に入ることが出来る。

 中に入ると、人の気配は一切なかった。資料室のようで、いくつも並んだ本棚にはファイルが所狭しと詰まっている。出入口に近い場所にはテーブルがあり、その上にはファイルがいくつも乱雑に出しっぱなしになっていた。


「お父様たちの研究資料でしょうか……」


 父親が何かを研究していたのは知っている。その研究施設の中に住まわせてもらっていることも。ただ、なんの研究をしているのかはけしてトリシャの父親は教えてくれなかった。

 尋ねると、いつも申し訳なさそうに目線を反らしてばかりいた。

 あの時の目線を反らした意味がわかるのでは、と思うと自然と投げ出された資料に手が伸びていた。

手に取ってぺらぺらとめくって流し見する――が、トリシャの知識では理解できないような専門用語が多くめまいがしてきた。


「……さっぱりわかりません……人体……形成……えぇと……?」


 一つの専門用語を理解するのにまた別の専門用語が必要になるような、研究者にしかわからない、もはや暗号のようにも思える文章をどうにか読むだけ読んでみる。

 十分ほど時間をかけて数ページ読み進めたものの、上手く理解できる部分はなかった。

 諦めて机の上に散らばっている他の資料も簡単に目を通す。文章ではなく写真かなにか乗っている物でもあれば、と思い探していると。


「これは……?」


 目当てのものが、あった。資料に埋もれるように存在していたそれは、他のファイルとは趣が違った。他が無機質なプラスチックファイルなのに対して、それは皮の装丁が施されている。

 どこか温かみのある表紙には、アルバムと書かれている。

 開くと、そこには父親の写真がさっそく貼り付けられていた。トリシャの知る父親の顔よりも幾分か若い。

 さらに、隣には、トリシャそっくりの女性が一人。写真の上には簡素なメモが張られていて、『今日、私の妻となったラヴィニア・マクベスと。いや、今日からは真木ラヴィニアか』と書いてあった。


「ラヴィニア……マクベス……? 私のお母さん……でしょうか」


 ページをめくる。そこから二・三ページの間は、ラヴィニアなる女性との写真がほとんどだった。中々熱いカップルだったようで、キスしながら撮った写真もある。

 なんだか少し恥ずかしいような、微笑ましいような。自分の知らない父の一面に何とも言えない表情でページをめくっていたトリシャだったが。


「あ……お母さんのお腹が……」


 妊娠しているのだろう、服の上からでもわかるほどお腹が大きくなり始めているラヴィニアの写真を見つけて手が止まる。きっと、この写真の女性のお腹の中には、自分が居る。

 父親と女性は、とても幸せそうだった。

 このあとどうなるのだろうと、弾むような手つきでページをめくる。

 めくった。

 めくったのだが、そこにはなにも張られていなかった。

 代わりに、一枚のメモが張ってあった。


『愛する人が亡くなった』。


 たった一言だけのメモ。次のページにも写真は無く、代わりにメモがあった。

 その次も、次も、次も。最初は一言だけだったメモは、だんだん書いてある量が多くなっているようだった。

 もはやアルバムとしての意味はなく、メモが張り付けられているだけのそれを、トリシャは一つずつ読んでいった。


『愛する人が亡くなった』

『彼女に対する処置はああするしかなかった。殺すしかなかった。許してくれラヴィニア。私にはどうしようもなかった』

『許して、許して、許して』

『赤子を見る勇気がない』

『同僚がいい加減現実を見ろと言う。嫌だ。見たくない。私にどうしろと言うんだ』

『娘に会いに行った』

『無事に生まれたが、足に異常』

『数日引きこもった。ラヴィニアのノートが見つかった。名前が、たくさん書いてあった』

『同僚に謝罪をし、娘に名をつけた。足は悪化している。変化の速度はかなり緩やかだが、危険だ。トリシャを助けよう』

『トリシャの足を利用する計画を立案。実行に移す』


「――――」


 ぱたん、と。

 気づけばトリシャはアルバムを閉じていた。全身にはさっきまでとは比べものにならない量の汗が浮かんでいて、震えた手からアルバムが滑り落ちる。

 滑り落ちたアルバムのページがめくれる。まだ、開いていないページが目に飛び込んでくる。

 そこには、写真があった。

 メモと一緒に、一枚の写真があった。

『トリシャ、施術前』と。

 そう書かれたメモと一緒に張られた写真には、トリシャの父親と共に赤子が写っていた。

 とても人間のものには見えない。獣じみた醜い足を持った、赤子が写っていた。


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