思い出はいつも美しく
潮原 汐
思い出はいつも美しく
とある男女が喧嘩している。
「どうして消しちゃったのよ! あなたにとって、あの思い出はどうでもいいものだったの?」
「どうでもいいなんて、そんなこと言ってない。だけど、もっと大事な思い出が沢山あるんだから仕方ないじゃないか! だいたい、そういうお前こそ、あの思い出を消してしまっただろ」
「あんな思い出、残してたって無駄だからよ。それよりもこの思い出の方がずっと大事!」
「なんだと!」
「なによ!」
最近――特に男女の間で――多く見られるようになった光景だ。原因は記憶の齟齬。医学が発展し、人々は忘れる記憶を自分で選択できるようになった。恥ずかしい記憶、苦い記憶、悲しい記憶。覚えていてもどうしようもない、くだらない記憶。それらを選択して消すことで、人間は限られた記憶力を幸福で有意義な記憶に使えるようになった。それだけでなく、凄惨な事故や事件の被害者からその記憶を消すことで、精神的な傷を最小限に抑えられようになった。
そう、記憶の選択消去は、人々に多くの利益を与えたのだ。
その一方で良くないことも起きた。記憶の良し悪し。それを決めるのは個人の主観だ。つまり片方にとってはいい記憶でも、もう片方にとってはそうではないことがあるのだ。
例えば男女がソフトクリームを食べていたとしよう。女が誤ってクリームを鼻の頭に付けてしまい、男がハンカチで拭ってやるのだ。男にとっては女の可愛らしいところを見られた良い思い出だが、女にとっては恥ずかしいところを見られた悪い思い出である。だから女はこの記憶を消去してしまう。それからしばらくして、二人は思い出を語らい、
「そういえばあの時――」
「なにそれ? 覚えていないわ」
「あんなに良い思い出だったのに、どうして消してしまうんだ」
「怒らなくたっていいでしょ!」
となるわけだ。
先の二人も思い出の中身はどうあれ、喧嘩に至るまでの流れは概ね一緒だった。
「お前のことなんてもう知らん! どこへでも行ってしまえ!」
「私だって、あなたのことなんてもう知らないわよ!」
喧嘩の末、二人はお互いそっぽを向いて別れてしまった。
数時間後。
「あの時はああだったよな」
「うん、そうそう。それであれがねえ」
「そうだったそうだった」
喧嘩なんて無かったように身を寄せ合い、二人は仲睦まじく思い出話に花を咲かせていた。
「うふふ。あ、そういえばその時はこうだったじゃない」
「え?」
「ほら、この時よ」
「いや、そんなの知らないよ」
「知らないって、まさかこの記憶消しちゃったの? 信じられない!」
「そんなくだらない記憶、覚えていたって仕方ないじゃないか!」
「くだらないですって!」
「ああくだらないね」
「そんなこと言うあなたなんて、もう知らないんだから!」
「こっちだって知るもんか!」
二人はまたそっぽを向いて別れてしまった。
それぞれ腹を立てながら、記憶を操作する。
「あー、もう、嫌になっちゃう! こんな記憶、消去よ、消去!」
「喧嘩なんてつまらない記憶、さっさと消してしまうに限る」
思い出はいつも美しく 潮原 汐 @nagamasa_s
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