‐1‐ 少女と風
2019年、5月6日 早朝
「おばあちゃんも早く支度してよ!」
ウィルギルス・トリニティアは荷物を大きなバッグにまとめて、下の階へ降りて祖母に呼びかけた。今やってるよ。そういう返答が帰ってくる。避難の指示はまず学校の学生たちから、なので、祖母の準備ができていないのは問題がない。ウィルも特にそれを問題とししていない。祖母とはいってもエルフのそれだ。エルフを見たことのない人にとってはそ年の離れた姉妹に見える祖母、彼女一人を残して先に行くことに別にどう、ということもない。
「ああ、大丈夫だ。函館で会おう。」
ウィルの祖母はそう言った。それから祖母はまだ不満そうな顔をしているウィルの頭をなでて昨日行えなかった誕生日祝いをやろうと声をかけた。
全てに納得したわけではない。だが、その祖母の力強さを認識すると、再開はそう遠くないという予感に心が満たされ。
「絶対だよ。絶対函館まで来てね。」
ああ、という祖母の返事を見て、ウィルは祖母がかつては異世界で槍を振るった戦士で、そう簡単に死ぬ人じゃあない、祖母なら大丈夫だ。という確信を持った。ウィルは自宅を出た。それから2,3歩歩いた後、ウィルは一度立ち止まった。
「今朝のこと……。」
父母には強い事を言えない祖母、それでいつもその事を気にしている祖母にそれを言わなければならない、と思ったが、今度は言われて気を病むのではないか、と言葉を中断させてしまう。が、その祖母の苦しみが少しでも和らぐなら、という思いで笑顔を作り、言うべきことを胸の奥から射出した。
「私、今朝のこと気にしてないから」
作り笑顔でそう、別れを告げ、それから祖母が笑みで返すのを見てから、自転車の籠と荷台に荷物を載せて走り始めた。
岩手県県北の春はエルフの少女にはその翼のような耳に流れる気流が未だ冷たく、自転車をとばしながら心地いい冷たさが耳に残る。少女の自転車はそんな冷たさを残した春の陽気を切り裂きながら山の稜線に沿った貧弱な二車線道路の片側にしかない歩道を全力でこいで行く。
そのまま開けたところに出た。幹線道路が目の前を走り、鉄道の路線の向こうに田んぼが広がる田園の真ん中を走っている。
高原の中の平地である。手をのばせば手が届くるくらいの所に雲があり、空がある。
そんな開けた山岳地帯の高原の空にウィルは日々とは違う何かを感じて目をやった。
どこかに戦闘機がいるかも知れない。そんな予感だ。
この数日、空は沸き立っていた。
戦闘機がひっきりなしに飛び交い、エンジン排気と音だけを残して去っていく。少女はそれを見ては残された飛行機雲を手でなぞっては、自分はどう飛ぶか、それを考えていた。
遠く戦争をまるで天井のガラス越しに見ているような日々。ガラスの天井の外の異世界とこの世界は近いようで遠いということをひたすら実感する日々。
それでもそれはこの一ヶ月で少しづつ近づいてきていた。九州で始まった戦争はついに真上まで来たのだ。
だが、今から学校に向かうという事は、それが薄皮一枚まで迫れるということだ。エルフの特別区の街は戦時には軍事基地になることが出来て、聞いた話だと、既にそう利用されているらしい。
「RATO緊急点火!」
脚部の霊回路に力を入れ、自転車のペダルを踏み込んだ。
すぐに魔力アシストを切る。魔力は地球では貴重で体から全部抜いたら回復までに長い時間を要する。それについてアフターバーナーみたいなだ、と何度も繰り返しているその思考ガ頭の片隅で再び再生サレようとしていたその時だった。
突然、ジェットの甲高い轟音がして低い山の谷間から何かが抜けて来た。
機体のシェルエットを一瞥するまでも無かった。何度も聞いた音だ。Su-25攻撃機……NATOコードネームは「フロッグフット」……だ。その機体の国籍が朝鮮人を半島から追い出して生み出された中国の傀儡国家……いや収容所国家、朝鮮連邦の機体であることを確認するのには少し時間がかかった。そして、恐怖は感じる暇も無かった。数キロ先に現れたそれはウィルに接近する。即座にウィルは自転車を止めて、周囲に隠れるところがあるか判断する。なし、それが分かると体を縮めてその場にうずくまった。そして、Su-25の機関砲口にマズルフラッシュが輝いて見えた瞬間、やっと恐怖を感じた。
怖い!!と思って頭を伏せたとき、周囲に銃弾の猛烈な射撃が撃ち込まれ、Su-25の影は彼女を飛び越えて……火の玉となって空中で無数の爆発を繰り返し、軽金属の破片をまき散らしながら墜落していった。
「えっ?」
声を上げた。
最初、感覚での理解に頭が追い付かなかった。しかし、後ろを振り返ると、感覚での予想は大体当たっていた。
さっきのSu-25はどこにも見当たらなかったが、遥か後ろの方で爆炎と白い煙が上がってることを確認できた。
すかさず上を見上げる。
そこには見慣れた機体があった。
独特の幻獣のようなエンジン音、同系列の機体より高く美しく纏まった垂直尾翼、その異世界から来たドラゴンのような象徴的な「尾」の影の脇に、カナード翼が微かに影を落とす。
機械仕掛けの竜、Su-37が一度上昇した後、自分の方に機体を傾けながら旋回していた。
『こちらフィーヤ、アヴァロン、下に攻撃機がうじゃうじゃいる。今一機落した。』
フィーヤ、ことヨゼフィーカ・ギャビネットは無線で彼女の隊長たる≪アヴァロン≫こと木下沙耶にそう連絡を入れた。
ご苦労さま、彼女からのそっけない返答ガ返って来る。沙耶はこう続けた。
『もう戻って、せっかくここまで積んできたミサイルが失われたら、大きな損失になるわ。』
それに妖精は『ウィルコ』とだけ答えた後、無線のチャンネルを切り替えた。
『徴用輸送列車201便、トンネルの立往生中すまないが、いま真下に女の子がいた。確保してくれ。』
『それは木下司令の命令通りに、ということですか?』
それは違う。そう彼女は答えた。
『気まぐれだ。』
気まぐれだった。妖精の事なんて大半は気まぐれだ。
現場の兵士たちは最初難色を示したが、どうせ、街全員を搾り取る時間なんてないだろう。という言葉と、幾分かのルーブル札の提供を提案すると彼らはすんなり味方についた。
『できれば、手荒な真似をしないでくれるか?なんとなくだが、顔が見てみたい。』
『スホーイ37は、ロシアで開発された第4.5世代型マルチロール戦闘機である。機体の名前よりも愛称のテルミナートルとして知られるこの戦闘機は……。』
道路に転がった携帯にダウンロードしたネット辞典が粛々と読み上げられていく中、ウィルはそれを無視して自分の命を救ってくれた戦闘機が高い空に消えてゆくのを黙ってみていた。
「見慣れた背面だ。」
点のようになったロールして水平に戻る機影の機動を手でなぞりながらそう呟いた。
Su-37……少女にとってはそれは自分の手足の様な存在であり、体の一部だった。
もし彼女に聞けば、スイッチ一つ、計器一つから丁寧にコックピットを再現できるだろう。
世界的に有名なファルコン・ダイナミクスのフライトシム、DFSシリーズの「DFS:Flanker」に収録されているSu-37は彼女第二の翼だ。彼女はそれをもう三年も前から飛ばしている。勿論、並大抵の「ゲーム」ではない。Su-30と共に「輸出用機体の訓練用シムをベースにスホーイ社が資料を提供してくれたおかげで再現度が九割超」という恐ろしいシムだ。それを手足と同じぐらい自由自在に扱える位まで理解した彼女にはSu-37は、もう半身といってもいい存在だった。
「綺麗だ……。」
その「半身」が遠くなっていくのを恐怖と脱力から回復させながら見ていた少女はそう呟いた。
何度も映像を見たことはあるが、本物が戦っているのを見るのは初めてだった。その衝撃は大きかっようで、一瞬だけ見えた流麗な、まるでドラゴンのようなフランカーの姿がずっと目に焼き付いている。
日本も、航空自衛隊がアグレッサー用に買って、それを国営PMC「J-フォース」がもらいうけているが、それはただ高空で訓練していただけだったり、ソニックブームの音だけだったりで、こんなにくっきり、しかも戦いのさなか見た事は勿論ある筈がない。
あれが戦うための兵器だと彼女が証明できるものは、オンライン対戦のサーバーで共に戦った本物のパイロットのTACネームが彫ってあるGSh-30機関砲から排出された薬莢だけだ。今でも彼女の鞄の中に忍ばせてあるそれは少女の大切な宝物だ。
「おーい!」
圧倒されて呆然と立ち尽くしている中、突然聞き慣れない声が聞こえて振り返った。
兵士たちがこっちに向かって来る。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
一瞬本能的に怖がったが、今更どうしようもない。エルフの持つ青白いトンボのような魔法概念の羽根を広げて飛ぼうにも、銃を持った相手には一瞬で殺されるだろう。敵でない、悪いことをされないという事を信じて少女は荷台のキャリーケースが固定されているのを確かめたうえで自転車を彼らの方向に押して行った。
「日本人、エルフ特別区立第一高校三年、ウィルギルス=トリニティアです……学生証見ますか?」
見せてもらおう、と兵士の一人が言った。素直にウィルは学生証と保険証、そして住基カードが入った小さなカードケースを差し出す。
「確認した。君も避難区域の住人だね。」
はい。とウィルは答えた。頭を下げながら、ウィルは目の前の兵士たちがJ-フォースの兵士たちなのだと気づいた。
世界中から軍事的負担を要求されながら軍事力を危険地帯に派遣できない日本が、その矛盾を解消するために生み出した超巨大国営企業、その兵士たちは今日の避難の支援を行う事を聞いていた。
「今ちょっと追加の命令があった。君を傷つけずに保護しろとさっき指示があったんでね……。」
「誰の、どんな命令ですか?」
突然の見に覚えのない特別扱い。それにウィルが抱いた感情は、ごく平凡な混乱……突然どう言う訳だ。という感情だ……った。
「お前を傷つけずに保護しろとさっき指示があったんでね……。」
誰がそんな指示を?その問いに兵士の一人は「妖精と呼ばれているエースだ。」といって空を指さした。
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