からあげ

夢野言乃葉

からあげ

 目が覚めた時とても気分がよかった。ぼんやりと混沌とした、でも安らかな夢を見たからかもしれない。顔を洗うとき鏡に映った自分を見てふっと笑えるようなそんな朝。リビングへ向かう足取りが軽い。

「おはよう洋介」

 イスに座ってトーストをかじりながらもう時代遅れとなったブラウン管テレビに映るニュースを見る息子に声をかける。

「おはよう親父」

 洋介は向こうを向いたまま答えた。画面の中ではアナウンサーが“来週からさらに冷え込むでしょう”なんて言っている。

「海里は?」

「友達と遊ぶって言ってさっき出て行った。朝から元気なやつだよ。」

 ホントに元気な娘だ。まぁまだ中学生で遊びたい盛りなのだろう。

 朝食を手早く済ませ読みかけの小説に手をつける。朝のうちに片をつけなければ。洋介はというとソファで二度寝をはじめた。日曜の朝を二度寝にあてるなんて贅沢なやつだと思いながらも、自分も洋介と同じくらいのときに似たような生活を送っていたので何も言えない。高校生になり少しずつ体つきや顔つきが男らしくなってきたコイツはこれから何をみて何を知るんだろう?そんなことが頭に浮かんだ。


 正午になった。昼ごはんは何にしようかなと考えていると

「から揚げが食いたい」

 と洋介が言ってきた。久しぶりに脂っこいものを食べたい気もしたので

「おっいいな、散歩がてら歩いて行こう」

 と一緒に近所の定食屋に行くことにした。温かい日差しの中、洋介と並んで歩く。最後にこんな風に歩いたのは小学生以来だったかな?と歩道に並ぶイチョウの木を見ながら過去に思いを馳せる。会話は無いに等しかったが二人とも間に漂うフワフワした取りとめの無い、でも居心地のよい空気を感じ取っていた。ところどころ錆びて茶色くなった信号機。補助輪をつけた自転車が横を通り過ぎる。

 定食屋に着いた。早速から揚げ定食を頼む。皿が半分ほど空になったところでふと洋介が質問してきた。

「親父はさ、どんな高校時代を過ごしてきたの?」

 そんなことをこれまで一度も聞かれたことが無かったのでちょっと驚いた。そして目の前のから揚げを見つめる。

「聞きたいか?そんなにたいしたもんでもないぞ」

「聞きたい」

 洋介が少し真剣な顔をしているので

「じゃあ、まずは……」

 と俺はある一人の少女についての思い出に浸りながら昔話を始めた。




 “からあげ”

 軽やかで親しみやすい響きを持つその言葉で呼ばれる少女がいた。人生とかそんなものをぼんやりと意識しながら高校生活を送っていた俺は彼女から色んなものを教わった。彼女はいつも俺の一歩先を歩いているように見えた。少し長い黒髪をなびかせながらいつもどこか遠くをみつめるような目をしていた。からあげと出会ったときのことはよく覚えていない。何でからあげと呼ばれているのかも知らなかった。でもそのあだ名が彼女にぴったりだったのは確かだ。


 からあげは関わる人を元気にした。人を一歩踏み出させてしまう力があった。からあげは感情を臆面無く発散させる。それがどんな感情でもためらい無く表現する。相手が誰であろうとぶつける。そんな彼女を前にすると自然にみんな素直になった。そしてそんな相手を前にしてからあげは相手を知ることに徹する。相手をよく知った上で今度はそっと相手を見守る。からあげの、空気のような優しさに守られた相手はなんだか自信がわいてくる。なんでもできそうな気がする。からあげは人を揚げる。目に見えないけど確かに感じることはできる何かで包み相手の魅力を表現させぱっと輝かせてしまう。


 高校生になって一年が経とうとしていたある日。なんとなく午後の歴史の授業をサボって屋上に行くとからあげがいた。フェンスを背もたれにして座っている。俺を見るとにっこり笑って

「おっ授業をふけるなんてめずらしいね」

 と声をかけてくる。からあげの横に腰掛けながら

「そっちこそ授業サボるようなやつじゃないと思ってたが」

 と答える。雲ひとつない真っ青な空。やわらかな日差し。

「なんかゆっくりしたい気分だったの。いい天気だしね」

 からあげが上を見上げながらそう言った。グラウンドから生徒の声が聞こえる。

「確かに絶好のお昼寝日和だな」

 あくびをしながら相槌をうつ。最近ぼんやりと将来について考えることが多くなった。俺はどんな未来を生きるのだろうと思い浮かべる。そして理想も何もないことに気づいていつも俺は不安になる。遠くに住宅街が見える。毎日変わらずまわり続ける町。

 からあげはずっと空をみつめ続けている。気になって上を見上げてみたが特に何も見つからないので

「何見てるんだ?」

 と聞くと

「星を見てる」

 と返ってきた。俺が困惑してると

「見えなくてもそこにあるってことを感じることは大事なんだ。そこにあることを忘れないために。いつかはっきりと見えるかもしれないしね。」

 からあげがこっちを向いてニッっと笑った。漆黒の瞳に吸い込まれそうになる。こいつは全部見透かしているのだろうか。

 しばらくすると寝息が聞こえてきた。見るとからあげが口をだらしなく開けて寝ている。これまで俺が見てきたもの、感じてきたもの。短いながらもつないできた日々。ちっぽけな大切な自分。模範解答などないのかもしれない。

 空を見上げた。一瞬、弱々しくて淡い光がうっすらと見えた気がした。


 タバコを吸った。酒もやった。夜遅くにふらっと家を出てコンビニで酒を買い、近所の公園のベンチに座って月を見ながら酒を飲む。酔いが回ってきてはっきりとしない意識の中で社会とか日常とかとりとめもないことを考える。光のない真っ暗な世界の中でひっそりと息をする。そんなことを繰り返していた。

 公園でばったりとからあげと出くわしたことがあった。高二の夏休みが終わった頃だった気がする。

 ベンチでタバコをくゆらせているといきなり

「わっ」

 っと後ろから声をかけてきた。びっくりして振り返るとからあげがいた。

「びっくりさせるなよ」

 ほっとしながらそう返す。からあげは俺のことなどお構いなしの様子で隣に座ってきた。そしてタバコのケースを見るなり

「おっマルボロか。一本もらっていい?」

 なんて聞いてくる。その白と赤の二色でできたシンプルなデザインのケースが俺はなんとなく好きだった。

「タバコ吸うのか。意外だな」

 言いながらライターと一緒に渡す。知り合いに吸うところを見られるのは初めてで正直戸惑っていたのでからあげの予想外の反応は俺を安心させた。

「昔ちょっとね。いつのまにかやめちゃったんだけど」

 からあげが慣れた手つきでライターの火をつける。カチッ、シュボッ。暗闇にうっすらとした火が浮かび上がる。頼りない光が二人を照らす。

 ふぅっとからあげが煙を吐く。しばしの沈黙の後、俺は口を開いた。

「なぁ大人になるってどういうことなんだろうな」

 ついストレートに聞いてしまった。もうちょっとましな聞き方があるだろうに。でもからあげなら真剣にとりあってくれる気がした。

「大人になる……か。うーん」

「なんか自分が町を歩いてる大人たちのようにいつかなるっていうイメージがわかないんだよ。正しいとか間違ってるとか、責任とか義務だとかそんなことを自分で判断できないのにさ」

 捜し続けて見つかったのは簡単に崩れる形のない価値観。吹けばたちまち吹き飛ばされそうな自己。それらに重みを与えるすべを俺は知らない。上を見上げると無数の星が競い合うように瞬いていた。

「例えばさ、自分だけがそんなことを考えているわけじゃないっていうのはどうかな。私たちの前には数え切れないほどの人が生きてそして死んでるわけで、自分と同じようなことを考えている人は絶対いるはずで、その人たちが立派な大人になったかどうかは分からないけど、でも……」

 からあげが言葉に詰まってうつむく。その目はどこか遠くを見据えているように思えた。コイツの目にはいつも何が映っているのだろう?

「自分と似たようなことを考えた人がたくさんいるっていうだけでなんだか安心できる気がする。いつか自分もなるようになるってね」

 繰り返される過去。それに自分を当てはめる。それで明確な答えが得られるわけではない。根拠のない自信がわくだけだ。それでも俺には十分な気がした。からあげがペンキの剥げたブランコに座りながら

「だいたい自分の軽さを認められただけで私は十分すごいと思うけど。今度は自分を疑うんじゃなくて信じてみるのもいいんじゃない?少しは重くなってるかもしれないんだからさ」

 と言った。ポンッと背中を押されるのを感じる。まんまと揚げられてしまった。

 そのあと色々な話をした。理想とか夢の話もした。たかだか十何年しか生きていないガキの戯言に過ぎないのかもしれない。でも今二人でそんなことを語り合うのはとても大切な気がした。大人になってからも大事にしていけるような。

 その日を境にだんだんタバコを吸わなくなった。大人に少しでも近づきたくてそういうものをやっていたのかもしれない。なりかたが分からないから、それでもなりたいと願うから。


 卒業式の日、校門の近くにある桜の木の下で一人考え事をしているとからあげが声をかけてきた。

「卒業おめでとう」

 そう言いながら微笑む。その頬にうっすらと涙の後があるのが見えた。

「卒業おめでとう」

 笑いながら返す。そして二人で桜を見上げた。呆れるくらい長い歳月を生きてきた木。この木はこれまでずっとたくさんの生徒を見守り続けてきたのだろう。そしてこれからもたくさんの生徒を見守っていくのだろう。

「泣いたのか?目が少し赤いぞ」

 ためらいがちにたずねる。

「ばれちゃった?卒業式中に急にウルッときちゃって」

 太陽の光を一身に受けて金色に輝く校舎が目に入った。明日が少しでも今日と違っていて欲しい。そんなことを願いながら過ごした日々。かわらないモノとかわるモノ。

「たった三年だったけど確かに私が生きた場所。世界の他のどこでもなくてこの場所で私が生きた時間が今の、これからの私を作る。そんなことを考えたらすっと涙が出ちゃった」

 からあげが笑いながら言う。びゅうっと強い風が吹きぬけた。桜の花びらが舞う。薄い桃色の中でからあげの真っ黒な髪がなびく。

「そっちこそ答えは出たの?」

「まぁ一応な」

 そう答える。はっきりとはしないがなんとなく答えは出ている気がした。

「じゃあ聞かせてもらおうかな。ズバリ、大人になるとは?」

 からあげが卒業証書を丸め、マイク代わりにしながら聞いてくる。目が合う。からあげの、いつもどこか遠くを見ていた瞳。その漆黒の瞳が今しっかりと俺を見据えている。

「お前には教えてやらん。どうせずっと前に知っていたんだろ?」

 そういうと俺は校門に向けて歩き出した。からあげが“えーなんでよぉ”なんていいながら追いかけてくる。最後にからあげと話せてよかったと思った。黙って俺に手を差し伸べて導いてくれた人と。




 定食屋からの帰り道、洋介と一緒に公園に寄った。からあげと話した公園。

 二人で並んでベンチに腰掛けながら自販機で買ったジュースを飲む。周りを見渡すと大きな変化は無いようでなんだか安心する。しばらくすると洋介が

「なぁ親父、大人になるってどういうことなの?」

 と聞いてきた。ふっと笑いがこみ上げてくる。やっぱり俺の子だ。しばし考えた後、あの日実は恥ずかしくてからあげに言えなかった答えを口にした。

「大人になるってのはな、自分を揚げることなんだよ。から揚げみたいにさ」

「はぁ?」

 洋介が眉をひそめながら言う。そして考え込む。その姿を見て俺は懐かしいような愛しさを感じた。

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