ごみばこ
夢野言乃葉
ごみばこ
━人は手に負えないものだったから、神様は宇宙を作ったんだよ。ゴミ箱としてね━
風。僕の住む小さな町を一望できる、裏山の頂上の開けたところには強い風が吹く。その風ではためきながら広がるボサボサの髪を気にも留めず、僕は草の上に腰掛けて町を見ていた。ある一人の女の子のことを思い浮かべながら。彼女はもういない。僕以外の皆は全てを忘れてしまった。
二年前、中学二年生の夏、僕は不思議な体験をしてしまった。それが何故僕だったのかはただの偶然としか言えないけれど、それが僕で良かったと思えるのは確かだった。壮大と呼ぶには少しあつかましい、ひと夏の物語。
「じゃあ、六時にはちゃんと帰ってくるから」
そう母に告げ、勢いよく家を飛び出した。今日は日曜日。別に何の予定も立てていないが、そんなものなくとも一歩外へ出れば暇なんていくらでも潰せる。まだ変に大人びることもなく、ただ純粋に自分の底から湧き上がる若さゆえのエネルギーを爆発させられる年頃だった。さっそく友達である大ちゃんの家に行こうと思い、裏山を通り抜けることにした。彼女とある種特別な接点を持ったのはその時だった。
山の頂上へと向かう道を駆け上がる。木の根っこで凸凹になった地面は、初めは滑ったり引っかかったりしてこけそうになることも多かったが、今では全然苦にならない。幾重にも重なるセミの声の中、木漏れ日の下を走る。息を切らしながら山頂へと辿り着いた時、一瞬、頭が真っ白になった。いきなり空から人が舞い降りてきたのだ。背中には純白の羽。頭には淡く発光する輪。その姿はまさしく天使そのもので、あまりにもイメージ通りだからか、僕は逆に疑わしさすら感じた。よく見ると白いワンピースを着たその天使は、今年僕の学校に転校してきた山神藍子だった。地上にふんわりとやわらかく着地すると、そこで初めて彼女は僕の存在に気付いた。
「げっ」
驚き半分、気まずさ半分といった表情を浮かべながら彼女は言った。“げっ”とか本当に口に出す人いるんだな、とか思いながら僕は何と言うべきか頭を絞る。
「どうすっかなぁ。久しぶりに軽く飛んでみるだけだったのに。まさか見られちゃうとは」
片目を瞑りながら軽くうつむき、頭を掻く彼女は、世俗的と言ったら大げさだが、天使というイメージより山神藍子という一人の少女の方を強く僕に意識させた。
「山神さん……だよね?」
「いかにも。君は黒崎くんでしょ?」
「うん。とりあえず説明プリーズ」
「オッケー。立ち話もなんだし座ろうよ」
彼女と並んで草の上に腰掛けた。眼下には町が広がっている。風が二人の間を吹き抜ける。彼女の左右二つに結んだ明るい茶色の髪がなびいた。
「私より君の方が落ち着いちゃってるね。もっと驚いてくれてもいいんじゃないの?」
「この目でみたからにはもう受け入れるしかないと思ったのかも。よく見たらクラスメートだったし」
彼女とは別に仲がいいとかそういうわけではなくて、ただのクラスメートという関係しかなかった。二言三言挨拶を交わしたりするだけの間柄。その彼女が背中に羽を生やし、頭に輪っかを浮かべて隣に座って僕と話している。僕はそれがなんだか可笑しかった。
「何というか、あっさり説明するんだね。どこか飛んでいって後日会ったときにあれは夢でした、みたいなことはしないんだ?」
「しまった、そういう手もあったか……まぁいいよ、別に君一人に知られたところで大した問題が起こるわけじゃないし。ここじゃ、神様の地獄耳も届かないしね」
上を見上げると五隻の宇宙船がゆっくりと飛んでいた。朝読んだ新聞が正しければ、二隻はセクター16行きの客船、残りはセクター53行きの貨物船だ。僕の町は田舎にあるにもかかわらず、結構頻繁に宇宙船が飛んでくる。船体に反射した太陽の光がまぶしく、僕は目を細めた。
「私はこの世界では見ての通り君達の言う天使に該当する。この姿は君達のイメージから神が作ったから当たり前なんだけど」
「何で山神さんはここで生活してるの?」
「うーむ、ちょっと話が長くなるけどこの世界の成り立ちから説明するかな。神は人間を作り、人間は知恵の実を食べた。この話は知ってるね?」
「知ってる」
「ここである問題が起きた。人間の持つあくなき探究心と知恵の実の邂逅。神はその時、人間が創造主である自分をも超える力を持つ未来可能性を見た。しかし、自分で作り上げたものを壊すのは惜しい。そうして神は宇宙を作り上げ、人間とその他多くの失敗作を閉じ込めた。まるでゴミ箱みたいにね」
「話が大き過ぎてよく分からないんだけど」
「要するに神は自分の失敗作を宇宙というゴミ箱に詰め込んだってこと。そして、ゴミ箱の状況を調査するために私たち下っ端が人間のなりで送り込まれてるってわけ」
「山神さんは調査員みたいなものなんだ?」
「そんなところだね」
改めて彼女を見る。立派な翼や光る輪っかは紛れもなく本物なのだが、どことなく神聖さが足りない気がした。それが彼女によるものなのかは分からないが。
「それにしても人が神に匹敵するって想像つかないなぁ」
「確かにイメージできないかもね。でも、人間の進化は凄まじいよ。まず地球という枠組みを超え、今では宇宙をも超えて神のいる世界へと到達しようとしている」
「えっ?もうそんなところまで来ているの?」
「ディメンションシフター。ワープ装置って言ったら分かりやすいかな?宇宙船についてる奴。あれは空間と空間をつなぐ目的にしか使われていないけど、事象平面を傾けるという技術は神の世界への扉を開く鍵になるレベルの代物だよ。実際、あっちの世界は、存在は確認されてるけど特定不可能な事象可能性としてこっちでは観測されていて、研究もされてるみたい」
「そうなんだ……」
僕達の上を飛んでいるあの宇宙船がそんな可能性を秘めてるとは。話のスケールが大きすぎてまだ何も実感できてない僕を尻目に、彼女は町を見下ろす。
「そういえば山神さんは天使の名前とかないの?山神藍子ってこっちでの名前なんでしょ?」
「あ~無いね。神はそんなのつけたがらないんだ。こっちに来てから欲しくなったけど」
「ステア……なんてどう?」
何故自分でもその名前を出したのかは分からない。ごく自然に、それでいて勝手に口が動いた。小さい頃に見たアニメに出てきた、人懐っこい怪獣の名前。
「ステア……いいね、それ。ありがたくいただいちゃおうかな」
少し考えるような素振りを見せた後、僕の方を見て笑いながら彼女は言った。
こうして僕はステアと数奇な出会いを果たした。宇宙というゴミ箱の中で、人間と天使というかけ離れた存在同士での出会いを。
ステアはクラスの中で結構人気だった。持ち前の明るさと快活さは誰でも親しみやすい雰囲気を作り出し、皆彼女と話していると自然と正直な気持ちになった。ステアの人との距離のとり方もあったのかもしれない。この世界の調査という使命を帯びている立場からか、彼女はどんな人ともつかず離れずの距離を保った。深くは踏み込まないし、踏み込ませない。居なくてもいいけど、居たらちょっと嬉しい。それはとても心地の良い距離だった。
そんなステアの正体を知ってしまった僕は、彼女と少しずつ仲良くなっていった。最初は一日に話す回数が多くなっただけだったが、段々と積極的に会話するようになり、終いには一緒に帰ったりする仲にまで発展した。だけどもそのことが僕にとって喜ぶべきなのかどうかは、まだ確信が持てていなかった。
彼女から世界の真実を告げられて以来、僕の頭の片隅にはいつもゴミ箱というワードが横たわっていた。この世界が失敗作を詰め込んだ箱庭だという事実に対して、憤りを覚えられるほど僕は自分の存在に自信をもってはいなかったし、いまいち現実味を感じることが出来なかったが、その事実を知って以来僕は変わった。変化はちょっとしたものだったけれども、僕自身はっきりと意識できた。時折、全てのことへの興味が希薄になるのだ。自分はゴミに過ぎないとぼんやりと考えてしまい、現実から一歩身を引いて傍観してしまうような瞬間。それは形のない引け目や劣等感に似たものだったが、その変化が、この世界に対するステアのどこか無関心なありようと通じるものがあったために、僕は彼女と気が合ったのだとも思っていた。
時間は休むことを忘れたようにどんどん進んでいき、夏休みに入った。肌を刺すような日差しの下で僕は休みを満喫した。真っ青な海で泳いだり、キンキンに冷えたかき氷を頭が痛くなるまで食べたり、家の庭でスイカの種を飛ばしたり。一緒にいるのは友達だったりステアだったりした。時折、一人になりたい時があって、そんな時はよく裏山に行った。頂上で草の上に寝っ転がりながら次第に夕日で朱色に染まっていく空を見上げ、釈然としない頭で未来やステアのことを考える。明かされた真実、自分とステアとの関係。それらは、気にしなくてもいいのに気になってしまう心についたシミのようだった。
夏祭りの日になった。祭りが始まる前の、町全体が包まれるそわそわした落ち着かない空気は好きだが、人がたくさんいるところが嫌いな僕は、祭りが始まってからは、例年通り出店を一通り回った後海岸へと向かった。いつも花火が上がる時間になるまで海岸には誰もいないのだが、今年は先客がいた。テトラポッドの上に座っているステアの横に腰を下ろす。照明などの邪魔者のいない海で我が物顔をしている月の、はっきりとした、でも明るすぎない光は、夜の静けさを程よく保っていた。
「祭りはどうしたの?まだ花火が上がるまで時間があるでしょ?」
「そういう君は?」
「人が多いのは好きじゃない」
「私も同感だね。楽しさより息苦しさを感じてしまう」
潮の匂いがする風が冷たくて気持ちいい。町を囲むようにある山々は、闇の中でその輪郭だけを浮かべていて、海は月の光を煌かせ、途切れることのない荒々しい波の旋律を奏でながら、果てしなく広がっていた。夜はふと、人に自然の存在を感じさせ、心を透明にするようなことがある。この日もそんな夜だった。
「最近、この世界にのめり込み過ぎてる気がする」
僕は驚いてステアの方を見た。ステアは僕に正体を知られて以降も、僕に対しても人間として接してきていたからだ。彼女の顔は海の向こうへと向けられたままで、目はどこか遠くを見つめていた。
「この町の人はみんな優しくて、うだるような日差しも、ガードレールに腰掛けながら買い食いするアイスも、砂利道をがたがたいわせながら二人で乗る自転車も、風鈴の音を聞きながら縁側でする昼寝も、夕方に風を感じながらする散歩も、セミがうるさくて騒がしい山も、底が暗いほど深い海も、君に人間じゃないと知られる前は楽しめるはずなかったのに、何故か今では全部が大切になってしまってる」
僕は発する言葉を見失ったので黙ったままでいた。彼女はすっと目を閉じた。
「あっちの世界は全てが完璧で、こっちの世界は不完全で、でも私はこっちの世界で生きていて、その事実を君によって再確認させられちゃって、ゴミ箱の中でゴミをゴミだと知った上で大事にしてる。なんだかなぁ、不思議な気持ちだよ」
そう言って初めてステアはこちらを向いた。暗く濃いグリーンの瞳がまっすぐに僕を見ている。僕は最近ずっと感じていたモヤモヤの原因が分かったような気がした。
「近頃さ、この世界がゴミ箱だってことがなんとなく意識されてて、そのなんとなくな感じがたまらなく嫌だったんだけど、今その理由が分かった。僕は君達の、完全な世界を知らないのに、この世界に不完全さを見出そうとしてたんだ。」
ステアは頷いて続きを促した。
「でも、僕はこの町が好きだし、この世界しか知らない。だから……君がこの世界を好きになれたのならゴミ箱も悪くないなって思う。ちょっと言ってることがおかしいな」
少し照れくさくなって僕は視線を空へと移した。ところどころに浮かんでいる薄い雲の合間を縫って、星が瞬くのが見えた。こんな綺麗な夜を、この世で一番遠く離れた存在と共有してる。しかもテトラポッドに並んで腰掛けて。それはまるで昔きかされたおとぎ話みたいで、僕はふわふわとした気分になった。
「好きだよ、この世界が。だから知りすぎてしまうことを恐れるし、自分の役割を見失わないように心がけたりするんだ。私はこっちの世界の住人にはなれないんだから。それが今、はっきりした」
そうきっぱりとした口調で言うステアの表情はそれでも物悲しくて、僕は用意していた言葉を言うことが出来なかった。さっき気付いた、大切な気持ちを伝える言葉を。代わりに口から出たのは彼女への気遣いだった。
「僕はステアに会えて良かったと思ってる」
「私もだよ」
「それなら十分だ。後悔をしてないなら大丈夫。僕は君を知っているし、それはずっと変わらない。だから君はここで、ゴミ箱の中で君を生きればいい」
「君、意外と思い切ったこと言うね」
そう言って茶化すように笑う彼女の目は嬉しそうで、僕は満足だった。
「多分夜のせいだよ。もしくは君のざっくりした感じがうつったのかも」
その後は花火が始まるまで黙って過ごした。天使として、人間として。こんなおかしな、でも素晴らしいことは無いだろうなと思いながら。
あの夜以来ステアは変わり、この世界を満喫するようになっていた。僕との関係も両者にどことなくあったよそよそしさが無くなり、僕は素直にその関係を喜べるようになった。そうして夏休みも終わりが近づいてきたある日、ゴミ箱を巡る物語は佳境を迎えることとなる。
まだ眠い目をこすりながら、裏山の頂上への道を急ぐ。今は朝の七時。急な呼び出しは嫌いだったが、電話越しに伝わるステアの緊迫した雰囲気が僕の足を早めさせた。頂上に着くとステアがいつかの翼と輪っかをつけた格好で立っていた。呼吸を整えながら彼女の側へ寄る。
「どうしたの?」
「ごめん、こんな時間に呼び出して。でも、もう時間がなかったから。どうしても伝えたくて」
ステアにいつもの落ち着いた様子はなく、僕は緊張した。
「明日、神がこの世界に攻め込む」
「ん?」
神様がこの世界に攻め込むだって?
「君達はあっちの世界への扉を開いてしまった。神は君達が自分の世界に来るよりも先に、こっちの世界を攻撃するつもりだ。正確には神の手下である私達天使が攻撃するんだけど」
「ちょっと待って。それってこの世界を滅ぼすってこと?」
「いや、私達と君達、力は互角だよ。勝率は五分。どっちが勝つかは分からない。けど、一つだけ確かなのは……」
「君とはもう会えない……か」
別にこの世界がどうなろうと僕は大して気にならなかった。ただ、ステアと会えなくなるのが少しだけ寂しかった。見ると彼女も残念そうな顔をしていた。
「最後のお別れを言いにきた。君と会えて嬉しかった。ありがとう」
「こちらこそ」
「もう時間だ。じゃあ、さようなら」
そう言ってステアは一瞬光の渦に飲まれた後、消えていった。
その日は眠りに落ちる瞬間までやりきれない気持ちだった。明日、神と人との戦争が始まる。それは僕にとってスケールの大きすぎてどこか他人事の様で、正直どうでもよかったし、別に何か使命感みたいなものも生まれなかったが、ステアとの急な別れが心残りだった。
翌朝。今まで聞いたことも無いような爆音と、その直後に起きた大きな揺れで目が覚めた。
「始まった」
思わず声を漏らしながら、僕は素早く身を起こし窓から外を見た。無数の生物が空を飛んでいる。その姿はドラゴンであったり、鳥であったり、ライオンとトラを足して二で割ったようなものであったりしたが、いずれもこの世界には存在せず真っ白な翼がついている点は同じだった。これが天使の本来の姿なのだろう、そう考えながら僕は寝巻きからジャージにパーカーという出来るだけ動きやすそうな服に着替え、ニュースを見て大騒ぎしている家族を横目に家を出た。
外に出るとちょうど向こうの方を飛んでいる戦艦が、天使の一群に向けてビームを放っているのが見えた。ステアは人間と天使、互角の勝負だと言っていたが本当だろうか。近くにあった丘を上がり、そのまましばらく観察していると戦艦を天使が囲み、なにやら光る球体を戦艦に向かって発することで攻撃し始めた。戦艦もエネルギー弾とレーザーで応戦する。十分ぐらい経った後戦艦は堕ちたが、囲んでいた天使の数も大分減っていた。確かに互角の勝負なのかもしれない、そんなことをぼんやりと考えていると急に声をかけられた。丘の下を見ると軍服を着ている一人の男が立っていた。
「おーい、坊主。非難しろって命令が出てるぞ。そんなところにぼーっと突っ立ってないで早く家族と一緒に逃げろ」
言われるまま丘を下ろうとすると、突然男が叫んだ。
「まずい!坊主、後ろだ!逃げろ!」
振り向くとこちらに向かって猛スピードで飛んでくる一体の天使が見えた。鷲のような頭、獅子のような体。胴の左右には立派な翼があった。僕はその姿を見たとき何故か懐かしさを感じた。
「ステア!」
少しも速度を緩めず、一直線に飛んでくるその天使に向かって僕は叫んだ。
「坊主!早くこっちへ来い!」
男の声を無視し一歩も動かない僕の目の前で、天使は着地した。エメラルドグリーンの瞳。
「ステア!やっぱりステアなんだ!でもどうして……」
「いったい何がどうなってんだ?」
腰を抜かす男を一瞥し、再びステアの方へと向き直ると、まるで乗れと言っているかのように足を曲げかがんだ。僕は首に手を掛けその背中にまたがった。僕が乗り終わるとすぐにステアは立ち上がり、勢いよく地を駆け、飛んだ。
地面があっという間に遠ざかっていく。強烈な風が全身にぶつかる。家々が消しゴムほどの大きさになると、ステアは上昇をやめスピードを落とした。振り落とされまいとステアの首に回していた手を離すと、ぱっと一瞬光った後、その手の中に急にひとつの林檎が現れた。わけが分からぬまま、とりあえずその林檎を一口かじると、林檎は再び消失した。
“これでやっと話せる”
頭の中にステアの声が入ってきた。驚いてステアの背中から落ちそうになる。
“君も思い浮かべれば私に言葉が伝わるから”
“こう?”
“そうそう、そんな感じ”
“どうしてここに来たんだい?僕に会いに来たわけじゃないんだろう?”
“移動しながら説明するけど大丈夫?この神と人間の勝負、神は互角と思っていたんだけど、人間の方が優勢だって分かったんだ。それで神は戦うのではなく、戦いを終わらせることを選んだ”
“どういうこと?”
“君達が開いたあっちの世界への扉を閉めた後、こっちの事象平面をシフトすることによって、こっちの世界からあっちの世界への道を完全に絶つことを選んだんだ。あっちからこっちへの道は残したままでね。まぁ大分制限されてしまうけど”
ゴミ箱を内側からは開かないように蓋を閉めるってことか。自分が作り出したゴミに慌てる神のイメージを思い浮かべ、僕は少し笑ってしまった。
“でも……そんなことが出来るなら始めからそうすれば良かったんじゃない?”
“この選択には人間の協力が要る。この世界の構造の変換はこの世界の住人しか出来ないからね。干渉と変革は違う。それで神は人間と戦おうとしてたんだ”
“その後、戦いを避けざるおえない状況になって、真実を知る僕が選ばれたってことか。だけど僕には何か特別な力なんてないんだろ?どうやって世界を変えるんだ?”
“君がさっき食べた林檎。あれによって君には今、神の力が移されてる。その力を使えばいい。君は力の器なんだ。人間としての”
“なるほど……僕達は何処に向かっているんだい?”
“君達が開いた扉のあるところ。正確に言えばそこに繋がっている時空の狭間かな”
ステアはそこまで喋ると口を噤んだ。下を見ると一面に海が広がっており、その大きさは僕を不安な気持ちにさせた。ちっぽけな自分。その自分に課せられた使命の重大さを、まだはっきりとは自覚できていない。しばらく風を感じているとステアが口を開いた。
“申し訳ないと思ってる。私は君を巻き込んだ”
“これも何かの縁だって。それに、僕が協力するとは限らないのに君は僕を選んだんだろ?”
“いいや、君は協力してくれる。君と同じ時間を過ごした私はそれを知ってる。その上で君を巻き込んだ。そのことを謝りたいんだ”
“君が僕を利用したみたいな言い方はよしてくれ。僕は君とまた会えて素直に嬉しかった。そのついでに世界を救うなんて馬鹿げたことが出来るなら、別に何も悪いことはない”
“君、変わったね。私が町に来たときより全然変わってる”
“それはステアによるところが大きいんじゃないかな。ばっさりしたものの見方とか。それに君も僕から見れば最初に出会ったときより変わったよ”
“お互い様か”
ステアが目を瞑りながら笑った。
“それにしても、君の姿って神話に出てくるグリフォンみたいだね。別れる前に一回位見せてくれても良かったのに”
“グリフォン?”
“僕の記憶が正しければ、鷲の頭にライオンの胴と翼を持つ想像上の生き物だった気がする”
“へぇ。まぁ、この姿はあんまり好きじゃないから見せたくなかったんだよ。それより、よく私だって分かったね”
“なんとなく、ああステアだなって思ったんだ。何故かは分からないんだけど”
“なんとなく……か。おっと、そろそろ次元の狭間に着く。狭間を抜けたらすでに戦闘が始まってるから、覚悟して”
“分かった”
ステアの首を掴む手に力が入る。緊張する僕の顔を風が撫ぜる。ステアが速度を上げた。
“行くよ!”
突然、二人の体がうっすらとした淡い光に覆われた。見渡す限りに広がっていた海が、空が、雲がぐにゃりと捻じ曲がっていく。空気が、いや、世界が歪む。ものすごい勢いで駆けていく世界に置いていかれないように僕はステアにしがみついた。
一瞬の空白の後、周りの光景が一変した。空は無数の天使と戦闘機で埋め尽くされている。下を見ると数隻の戦艦が飛んでいるのが目に入った。
“私達は地上にある研究施設まで行かなくちゃいけない。ちょっと荒っぽい飛び方するから、しっかりつかまってて”
そう言うとステアは大きく一回羽ばたき、急降下を始めた。重力に引っ張られるのを感じる。四方八方から飛んでくる戦闘機のミサイルや戦艦のレーザーをかわしながら、少しづつ、だが着実に地上との距離を縮めていく。耳を劈くような砲撃の爆音。爆風による熱風。急加速や急横転を繰り返すステアに、僕は必死になって張り付いた。
“あともう少し”
地上までの距離は大分近くなっていた。ますます激しさを増す飛行に、もう目を開けることが出来なくなってきた頃、僕達は地上に着いた。他の数匹の天使とともに研究所の入り口らしきところに飛び込む。
大混乱の研究所を駆け抜け、ステアはある大きな部屋に入った。慌てて逃げ出す研究員達を横目に見ながら、僕はステアから降りた。部屋を見回してみる。パソコンやら何かよく分からない装置が整然と列をなして並んでいる。部屋の奥の方に一際目立つ機械があった。二本の棒が三メートル位の間隔でそびえ立っており、その間には何か透明な膜みたいなものが波打っていた。
“あれが君達が作り出した、この世界と神の世界をつなぐ門だよ”
“あれが・・・”
ふらつく足を何とか動かし、門のもとへ向かう。緊張で鼓動が早くなるのをはっきりと感じた。横についてきているステアの顔を見上げる。
“僕はどうすればいいの?”
“その膜に触れればいい。後は自然と分かるはず”
“えらく適当だね”
“そういうもんなんだってば。説明するほうが難しい”
門へとたどり着いた。膜の揺らめく様子がはっきりと見える。
“君とも本当にお別れだ”
ステアがこっちを見ながら言った。僕はその目を見つめ返し、あの夏祭りの夜言えなかった台詞を口にした。
「ステア、君が好きだ」
緑の目を大きく見開くステアに僕は続ける。
「不完全なこの世界で自分とは違う存在でも、僕は君が好きだ……ちょっと恥ずかしいな」
照れて笑う僕にやさしい眼差しを向けた後、ステアは言った。
“私も君が好きだよ。それじゃ、さようなら”
手を伸ばし、門に触れた。直後、頭の中を鈍い衝撃が走り意識が遠のいた。霞んでいく視界。膨大なイメージが次々と流れ込んでくる。この世界を構成する那由多のファクターの全てが一瞬で僕の頭を駆け巡った。無意識に自分がその情報の一部を変えていくのが分かる。記号化された世界。その数値をものすごい勢いで変換していく。そうして自分の脳が悲鳴を上げそうになった時、真っ暗な闇が訪れた。
その後、目を覚ますと自分のベットの上だった。世界は何事もなかったようにいつもの調子で進んでいた。僕以外の人々は全てを忘れていて、神が人と戦うという大事件はなかったことにされていた。
二年が経ち、僕は高校一年生となった。今日は忘れようもないステアの正体を知った日。裏山の頂上で一人ぼんやりと町を見下ろす。雲の隙間から太陽が顔をのぞかせている。
「よっ」
後ろから懐かしい声が聞こえた。驚いて振り返ると、ステアがいた。翼も輪っかもない姿で。
「なっ」
「いいリアクションだね」
笑いながらステアは僕の隣に座った。
「どうしてここに?」
「神に人間にしてもらった。いやぁ、何でもまず言ってみるもんだね。あっさりOKもらっちゃったよ」
「じゃあ今は山神藍子か」
「いいや、山神ステアだ」
今度は僕が笑ってしまった。山神ステアだって?
「こんなゴミ箱に閉じ込められちゃっていいの?」
「いいさ。私はゴミに恋しちゃったんだから」
この世界はゴミ箱である。そのゴミ箱の中で出会った二人。そんな二人の恋がゴミで終わらなければいいなと僕は思った。
ごみばこ 夢野言乃葉 @yumenokotonoha
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