お題小話4

@waka_hi

第1話

 男は途方にくれていた。


 右手には古ぼけた本、左手には何かの動物の唾液まみれのビニール傘を持って、男はとぼとぼと街を歩いている。

 どうしたものか、何故こうなった。ぐるぐると空回りする思考は、いろんなものを脇におしのけ、建設的な意見をはじき出そうとはしてくれない。



 腕時計を見てみると、そのコンビニに飛び込んだのはほんの二十分前のことだった。

 会社帰りに突然降り出した大雨に、周りを歩いていた人々は、それぞれ手近にある建物に避難することを余儀なくされた。男も例に漏れず、目の前にあったコンビニのドア目指して駆け出した。

 気の抜けたチャイム音とともに開いた自動ドアの隙間に滑り込むように入ったとたん、目の前をばかでかい黒い塊に邪魔され、男はたたらを踏んだ。

「うわ、何だ……」

 言いかけて、その黒い塊をよくよく見てみると、それは巨大な動物のようだった。

「……っ!?」

 むき出した牙と、なによりそのサイズに、本能的に命の危険を感じ、男は思わずそのまま後ずさりして自動ドアの外側へ出た。

「ああ、お兄さん、大丈夫ですよ。濡れますから入って」

 外の雨音に混じって、コンビニの奥からそんなのんびりした声が聞こえてきて、足だけは慎重に遠ざかりながらも、男は店内に目を凝らした。

 巨大な黒い――犬? のような姿の動物の向こうに、困ったような顔をした店員と、ポロシャツを着た老人が突っ立っている。老人の方は無謀にも、その犬の化け物のすぐそばにいた。どう考えても危ない。

「ちょっと、何やってんです! にに、逃げないと」

 パニックになりながらも、男はその犬をもう一度よく観察してみた。

「げっ」

 犬じゃない。いや、確かに顔はほぼ犬に近い。が、これは犬ではありえない。それどころか、まともな動物でさえない。


 犬のような頭が、窮屈そうに首から三つも生えている。警戒している男を気にしているのか、犬もどきの方もじっと男を見つめていた。こちらから見て一番右側の首が、濁った黄色い目を男に据えている。残りの二つは目を閉じて、どうやら眠っているように見えた。

 この姿。どこかで見た覚えがある。ファンタジーかホラー映画なんかでよく出てくるやつだ。そう、

「ロス。おすわり」

ロスときたか。

 そうだ。『ケルベロス』だ。地獄の番犬。外国の神話に出てくる想像の生き物。

 その化け物に、まるで子犬をしつけるように声をかけたのは、頭髪のだいぶ寂しくなった老人だった。

 そしてその老人の、おすわり、という指示に、小山のような化け物犬はおとなしく従い、狭いコンビニの床にべったりと腰をつけている。

 『ロス』とやらはその姿勢のまま、じっとりと男を見つめている。が、威嚇するでもなく、唸り声を上げるでもなく、化け物は静かにじっとしているだけだった。

 正直こんなモノにかかわりたくはない。とっとと逃げ出してしまいたかったが、背後はとんでもない豪雨になりつつある。

「風邪ひきますよ。お入りなさいな、お兄さん」

「私の店なんですけどね」

 げんなりしたように店員が茶々を入れた。彼もこの黒犬の存在には慣れてしまっているようで、男のように怯えたり警戒したりしている様子はない。

 もしかして、よくできた機械仕掛けの人形なのだろうか。ロボット、と言うにはあまりにも、動物のような動きを見せるので、最初に想像したのはSFX映画の撮影用のハリボテの方だった。

 恐る恐る店内に足を踏み入れる。自動ドアから二、三メートルのところに化け物がいる。商品棚の狭い隙間に身体を押し込むように、それはいまやべったりと地に伏せるようにして寝そべっていた。眠っている二つの頭の先端にある丸い鼻が、ひくひくと動いている。肋骨の浮いた腹も、ゆっくりと呼吸をしているように上下している。あまりにリアルだ。やはりこれは生き物なのか。

 老人はその犬の後ろに、店員はレジカウンターの中にいる。老人は男をちょいちょいと手招きしていた。左手には妙にごつい本を持っている。ハードカバーの…というより、革製だろうか。その表紙は擦り切れてぼろぼろだった。

「あの…何スか、これ」

「ケルベロスです」

「いやあの」

「ケルベロス」

「知ってます」

 本物を見たことはないけれど。というか、実在のものだとは思っていなかったけれど。

「おやま、ご存知で。いやあ、まさか本当に呼び出せるとは思っていなかったもので」

「呼び出す?」

「やれやれ。お客さんでもう三人目ですよ。迷惑にもほどがある」

 コンビニの店員――おそらく店長か――が、うんざりした顔で首を振った。三人目?

「その本ですよ。前に来た人も、おんなじ本を持ってました」

「そうそう、この場所に何かあるんでしょうなあ。呼び出したとたん、まっすぐにここへ走ってきてましたから」

「風水とか地脈とか、そういう話ですか? 勘弁してくださいよぉ」

 せっかく一大決心して脱サラしてオーナーになったってのに、とぶつぶつ文句を垂れる店長には頓着せず、老人はぱらぱらとその革表紙の本をめくっていた。

「帰り道がここにあるのかもしれませんな」

「前の人もそう言ってましたわ。そのときはなんか店の中がぶわーって光って、ぐわーってなって気がついたらその犬が消えてましたから。だからってなんでここにまた」

「またわたしが呼び出したからでしょう」

「ってことは、これ、前の奴とおんなじ犬ですか?」

「おそらくは」

 巨大な三つ首の化け物を前にして、老人と店長は悠長に意見交換している。男には、二人に言ってやりたいことが山ほどあったが、どれもこの現状を把握するには足りない質問ばかりだ。とりあえず、

「あの、その本ってどうしたんですか」

元凶と思われるものについてたずねてみた。

「わたくし古書収集が趣味でして」

「はあ」

「古本屋で、このいかめしい装丁の本に出会ってしまい」

「へぇ」

「お値段も手ごろだったのでつい。なにしろこの状態の悪さですから」

 ついって。

「それ、魔法書とか悪魔召喚術とか、その手の怪しい本でしょ?」

「たぶんそうなんだと思います」

「たぶんって」

「ただ装丁に惹かれて買っただけなのですよ。本棚に並べて楽しむためだけにね。で、気紛れに中身を見てみたら、ヘブライ語やらラテン語やらってわけでもなく、一応英語で書かれていたので、辞書と首っ引きでなんとか読めましてね」

「それで」

「魔物の呼び出し方、なんて項目があって、用意する材料も一覧で書いてありまして」

「材料?」

「まあ、あれですわ。イモリの黒焼きとかカエルの目玉とか、そういう」

「普通…ってわけじゃないけど、意外とありきたりなんですね」

「たとえばってやつですわ。もうちょっとややこしい名前のものが多かったので、わたしも忘れてしまいまして。いやあ、まあ、実際呼べるなんて思っちゃいませんでしたけどね。何せわたし、自分で言うのもナンですが、悠々自適の隠居生活ですから、ヒマにあかせて」

 暇つぶしにケルベロスを召喚したってのか。

「それにしても、前の人も、その前の人もケルベロスでしたよ。ケルベロスの呼び方しか書いてないんですかその本」

「いや、他にもいろいろ載ってますけどね。材料が比較的手に入りやすいのですよ。ケルベロスだけ」

 それだけのことで呼び出されるケルベロスもたまったものじゃない。

「わたし、こう、歴史のありそうな古い本が好きなもので」

「はた迷惑な趣味ですよまったく」

「おかしいなあ。人様に迷惑をかけるような趣味ではなかったはずなんですが」

 確かにその通りだが。実践してしまうところに問題がある。

 いや、実践したところで、さすがにこれは実際実現するような類のものではないはずなのだが。

「さてどうしましょうかねえ。さすがにうちで飼うには大きすぎますし。ケルベロスって何を食べるのかな」

「帰りたいんじゃないですか、こいつは。もといたところに」

 男には口を挟む気力もすでになかった。店長はとっととこの化け物に出て行ってほしい一心のようだ。

「その本には何て書いてあるんです? 呼び出す条件とか、帰る条件とか」

「ええと……『召喚した魔物は、召喚された時点で、召喚者の望みを一つ叶える契約を自動的に交わしたものとなる』」

「望み?」

 悪魔が出てくる映画なんかではよくある話だ。確か、魂とひきかえに望みを叶えてくれるとかなんとか。そして、呼び出した人間はたいてい、その後ろくな目にはあっていない。

「集めた材料が代償ということのようなので、魂を取られるということはなさそうですな」

 嫌そうに歪んだ男の顔を見て、老人はのんびりとそう言った。

「まあ、老い先短い命ですから、魂を取られると言われてもまあ、しかたないかと思うだけですが」

「いやいやいやいや」

「とりあえず、何か望みを言ってみては」

「はぁ……望みねぇ。何も思いつかないなあ」

 そもそも地獄の番犬と呼ばれるケルベロスに、人の望みを叶える力などあったのだろうか。

「お兄さんはどうです? 何か欲しいものとかありませんか」

「え、いや、でも」

 問われて男は思わず、車だのスーツだの、自分ではなかなか買えない高価なものを思い浮かべたが、やはりそれをこのケルベロスが叶えてくれるなど、どうしても思えなかった。

「そういや、お客さん、うちで何か買い物しようと思っていらしたんじゃ?」

 言われてはたと思い返してみる。ただ雨が降ってきたので飛び込んだだけではあったが、そういえば。

「あ、傘…」

 ビニール傘を置いてある場所はたいてい、どのコンビニも同じようなところだ。入り口付近の、ATMの横あたり。そこを見やると、後ろでのそりと大きなものが動く気配がした。

「え」

 ばかでかい黒い塊が、狭苦しい棚の間を器用にすり抜け、男が見ているビニール傘の方へ歩み寄る。

 鼻先で傘をより分け、そのうち一本をくわえて男の方へやってきた。

 真正面から見るとやはり巨大なその猛獣に、近寄られるだけで足がすくむ。だがよく見てみると、傘を差し出すその顔は従順そうで、意外と愛嬌もあるように見えた。気のせいかもしれないが。

「あ、あの、ども……」

「ちょっと、お代は」

「ああ、わたしが払いますわ」

「そりゃどうも」

 店長が老人の差し出した五百円玉を受け取ったところで、ケルベロスはぶるりと一つ身震いをした。

「げっ」

 店長がぎょっとして声を上げた。そのとたん、

「うわ!?」

店内に突風が吹き荒れ、真っ白な光がはじけた。


 思わずつぶった目をそろそろと開くと、店内はひどい有様だった。棚から落ちて散らばった商品が床を埋め尽くしている。が、その代わり、異彩を放っていたあの犬の化け物はきれいさっぱりいなくなっていた。

「え、……あれでいいの?」

 ビニール傘を手にしたまま、男は唖然として店内を見回していた。

「ちょっとぉ! だから困るんですよほんと! どうしてくれるんだ後片付け」

「すみませんねぇ。わたしも手伝いますわ」

 老人と店長が後ろで言い合っているが、男にはそれも現実味がないように感じられた。異様な物体が鎮座していたそれまでの時間の方がおかしいはずだったが、そんなものが突然去っていったあとに普通の会話をしているこの二人もよほどおかしい。

「っていうか、それですよそれ、その本! そんなやばいもの、処分しちゃってくださいよ」

「ええ…でも………」

 大事そうに本を抱えこむ老人は、本当に本が好きなようだった。しかし、気紛れで魔物を呼び出してしまうような人に、こんな危険物を持たせておくのも落ち着かない。店長も同じ気持ちのようだった。

「じゃあ、じゃあ、あなた、これもらってくださいよ」

「えっ」

 老人は男に、革表紙の表を押し付けるようにして詰め寄った。

「捨てるにしても燃やすにしても、わたしには忍びなくてできませんから」

「だからってなんで俺!?」

「お願いしますよぉ」

 ケルベロス・ショックに混乱しているところへ、物腰ゆるやかながらも強引な老人に押し切られ、男は結局、その危険物を受け取ることになってしまった。

「ほんと、くれぐれもお願いしますよ! あなたまでまた同じようなことやらかさないでくださいね、頼むから」

 しつこいほどに店長に念を押され、男が店を出ると、雨はとっくにやんでいた。





 男は途方にくれている。


 右手には古ぼけた本、左手にはケルベロスの唾液まみれのビニール傘を持って、男はとぼとぼと街を歩いていた。



 どこでこの本を燃やしてやろう。庭にしても川原にしても、人目を気にせず火を焚ける場所など都会にはそうそうありはしない。

 都会は不便だ。

 ため息をつき、手の中の厄介者を眺め回してみる。

 なんでこうなった。そもそも俺が何をした。

 この理不尽さにむかむかと腹が立ってくる。どうしてくれようこの怒り。


 そしてはたと思いついた。

 都会には都会のいいところもある。

 ぼろぼろになった表紙に向かい、男はにやりと笑いかけた。ポケットから携帯を取り出し、古書街への道順を調べ始める。


「お前、いくらで売れる?」



 あのコンビニには、二度と足を向けないでおこう。

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