罪の記憶と現実の隙間

 カシマールに言われるままに、教会の奥へと足を進める。石で組まれた廊下を渡り、もっともっと奥へ。壁に埋め込まれた蝋燭の明かりと、ところどころ苔むした石畳。くぼんだ壁面には、聖人を象った像が哀しげに立っていた。


「アンタがこの街に着いたのはもう既に知れ渡ってる。教会ここに向かったってのもね。

 でも教会ここに入ったのを見た者は居ない。

 つまりはこうさ、


 蝋燭に照らされた悪夢カシマールの修道服の縁が奇妙なほどに黒く見えて、わたしは不覚にも背筋に冷たいものが走ったのを自覚する。かつん、かつん、という規則的な足音も彼女の不気味さを際立たせるエッセンスのひとつにしかなっていない。わたしは、フードの奥で口唇を軽く噛んだ。

 ひとつは自分のタイミングの悪さに苛立ったこと。そしてもうひとつは、仮にも「神に仕える」修道女に扮している彼女に対する嫌悪感。

 それらを払うように指先で静かに術式を組んだ。


「……教会の庇護下に入るつもりはない。が、ことここに至っては仕方ない。

 カシマール、手を出せ」


 わたしの声に振り返るカシマールに少しだけ顔を上げてみせる。恐らく、彼女に見えているのは口元だけだ。そしてわたしは、彼女の不遜な笑顔を真似るように口唇の端を持ち上げて見せた。

 そして、不思議そうな表情のまま差し出されたカシマールの手に、自身の手を重ねる。


「お?」

してもらうのも癪だが、対価を払うことを渋るつもりはない」


 言葉と同時に手を引くと、カシマールの手の上に残るのは黄金の塊。


「おやおやまぁまぁ、少し多すぎる気もするが、与えられた糧にケチをつける気はさらさらないね。

 安心しな、冷酷ジェストーコクチ、アンタの獲物がちゃんと修理されて星都に無事に帰るまでは安全を保障するよ」

「……期待しているよ、悪夢カシマール


 実のところ、あんまり期待はしていない。過度な期待は持たない方が身のためだ。この教会では《金》がすべてだ。主に武器や薬物の取引を行っている組織ではあるが、取り扱っているモノがモノだ。敬虔な神の使徒を表向きの顔にしてはいるものの、暴力的な一面がある。この街を取り仕切る組織の持つ武器の殆どはこの教会が提供している。。……そう考えればカシマールの言う安全地帯であることに違いはない。しかし、だ。金さえあれば掌を返す可能性だってある。警戒を怠っていい理由にはならない。


「さ、着いたぞ」


 ぎぃ、という重い音。厚い木の扉だった。石で組まれた壁と、金具で補強された扉。覗き窓がちょうど目線の高さにある。換気用なのか、足元に近い部分が1㎝ほど浮いている。縁が削れていることもあって、かなり古いものだろう。


「……牢屋のようだ」

「否定はしないがね、砲弾が直撃したって壊れないよ。実証済みだからね。

 とりあえずここに居な。食事は持ってきてやるし、風呂と簡易トイレも室内にある」

「……ほんとに牢屋だな」


 わたしは呆れてしまった。牢屋のように見えるというよりも牢屋そのものだ。4m四方の部屋は厚い石壁で覆われ、窓は天井に開いた10㎝ほどの隙間だけ。扉からは見えないように目隠しの壁があり、その奥にシャワーヘッドと小さな浴槽、トイレが置いてある。冷暖房は当然のように設置されていない。それと、簡素なマットレスと毛布だけの錆が浮いたベッドのみ。湿気のこもったような匂いに、自然と眉が寄る。


「何かあったらそこの呼び鈴を鳴らしな」


 カシマールの指さす先には天井に開いた穴から下がる紐がある。教会の執務室にでも通じているのだろうか。

 手をひらひらと振って、カシマールは出ていった。残るのは静寂のみ。

 自然と口唇から息が零れる。こんな展開になるとは予想していなかった。少しくらいのトラブルはあるかもしれないと思っていたが、こうくるとは。溜息が出るのも仕方ない。

 仕方ないついでに、この牢屋を少しリフォームしてやろう。どうせ軟禁状態になるのなら心地よい方がいい。壁に指先で術式を描く。

 余談だが、わたしのコートのポケットは異空間に通じている。要するに無限にモノが放り込める空間になっている。カシマールに払った金はこの空間から石や木などの価値の低いものを術式で金に変換したものだ。この世界の理はかなり歪んでしまっている。最低限の絶対的ルールはあるが、都市や街、村、集落毎に若干の変動がある。

 この街では力こそ全て。それがカネだったり暴力だったりするだけの話だ。

 つまり、物量でゴリ押しできないこともない。最悪の最終手段として、わたしのポケットの中身をすべて空からばら撒けばこの街は半壊する。それだけの物質の蓄えはある。が、できるならやりたくない。


 正直なところ、今回この街に来たのにはもう一つ理由があった。恩師ネフラ様の口添えであるバイトのひとつ。獲物の修理は格好の理由付け。修理だって、自分で出来ないことはない。ただ、どうせ修理するなら完璧に仕上げたい。ただそれだけの理由だった。


「……ただの修理で、面倒くさいことになったもんだ」


 ぼそり、と口からこぼす。これはわざと。おそらく、この牢屋には入れられたヒトなり獣人なり亜人類なりの声を拾う機能がある。このぼろい外見はわざとだ。から、油断してこぼす愚痴や文句、独り言に至るまで情報のひとつだ。



 それは自分に課した絶対的なルール、制約のひとつ。

 溜息をついて、壁を撫でる。指先で術式を組んで、まずは室内の湿気を排除。それから天井に開いたままの穴に砂と石で錬成した色ガラスで蓋をする。これで雨が降っても室内に水は入ってこない。

 次にシャワーヘッドの下にある蛇口をひねり、そこから出る水が本当にただの水であることを確認。せめて温水だったらまだマシだったのに。更に溜息をひとつ追加して、蛇口の上に術式を展開。これで適温のお湯が出る。

 最期はぼろいベッド。マットレスと毛布を掌でなぞって不純物を排除。そのあと繊維を足してそれなりのマットレスと毛布の完成。ベッドフレームは錆びているが軋みはない。これはこのままでいいか。

 あまり術式を展開して解析でもされたら面倒さに拍車がかかる。最低限でいいし、この軟禁も数日の我慢だ。

 わたしはベッドに身体を投げ出した。視野確保の術式は展開したまま、瞼を閉じる。

 静かだ。銃声も、罵声も、悲鳴も聞こえない。











 見渡す限り、蒼い空が広がっている。所々に銀色や金色、白や黒の星が見える。せせらぎに視線を落とすと、緩やかな水の流れ。心地よい冷たさに、片足を蹴りだして水で遊ぶ。水の流れで削られた石の滑らかな感触が気持ちいい。足をくすぐる水草も、頬や髪を撫でていくやわらかい風も、何もかもがただただ心地よい。


 嗚呼、わたしは夢を見ているんだ、とおもった。時々ある。見渡す限り空と水しかないこの場所で、わたしは一人でただ穏やかに過ごす。空腹も怒りもなく、ただただ心も身体も穏やかだ。疲れないわたしは気の向くままに足を進める。ぱしゃりぱしゃりと水を蹴りながら。


 ふ、と。気付くと樹が一本生えている。大きくはない。ただ、豊かに枝葉を茂らせている。根元にはふかふかと柔らかそうな草が生えていて、色とりどりの花が咲いている。

 其処に、誰かが居た。滑らかな身体の曲線は女性のもの。その曲線をなぞるように長く、黒い艶やかな髪が流れている。彼女は微睡むようにその瞳を閉じていた。樹に身体を預けたその姿は、一枚の絵のように完成された美しさで、わたしは思わず立ち止まって見惚れてしまう。ほんの少しでも動いたら壊れてしまいそうなほど、美しいとおもった。


 どのくらいそうしていただろう。ものすごく長い時間だったようにも感じるし、ほんの数瞬だったようにもおもう。


 形の良い瞳を縁取る睫毛がほんの少しだけ揺れて、その瞳が開く。視線が持ち上がり、彼女の瞳にわたしが映る。

 どきり、とした。

 彼女の瞳は神秘的なほどに美しい紫色で、その瞳にわたしは映ってはいけないのではないかとおもってしまった。



『また逢いましたね、迷子さん』


 彼女は艶然と微笑みながら、やわらかく、そして優しくわたしに話しかけた。






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