その15.5 よーいどん
闇の中を走る。
絶対に転ばないように、全神経を尖らせて。
肺が苦しい。
激しい息づかいのせいで酸欠寸前だ。
胸が苦しい。
激しい運動のせいで心臓の高鳴りは臨界点をとおに越えている。
このままでは止まった時にもどしてしまうでないかと危惧するが、今はそんことよりも重要なことがある。
「はっ」
暗い道を目を凝らして見る。
今自分がどこにいるのかを把握する。
「っ……はっ…」
駄目だ。
思考が定まらない。
考えるより先に足が動いて、脳にまわるはずの酸素が全部そっちにいってしまう。
でも、しょうがないのだ。
今は、何よりも体を動かさなければならない。
急激なカーブを曲がる。
「っ!」
そこで、滑りやすくなっていた床に足をとられかけたが、どうにか持ち直した。
この場所は全ての曲がり角が直角だから大変だ。
でも走る速さをゆるめるわけにはいかない。
ハシルハシル。
走る走る。
外の風景はお月様のおかげで明るいのに、此処はこんなにも暗い。
ああ、辛い。
今すぐ倒れてしまいそうだ。
足首が悲鳴をあげている。
膝も太股も。
今までにないくらい酷使している。
このままでは明日には筋肉痛になるのが目に見えているがしょうがない。
その程度ならいくらでもなろう。
筋肉痛程度で済むならいくらでもなろう。
「ふっ」
階段を駆け上がる。
踏み外さないように慎重に。
でも走るスピードは落としてはいけない。
ギリギリの一段飛ばし。
普段は恥ずかしくて出来たもんじゃないけど。
今は緊急時だししょうがない。
両親にもいいわけはたつだろう。
誰かに見られることもないだろうし。
若干一名を除いては。
「っ」
来ている。
背中に感じる。
全身を苛む。
強烈な視線。
「ぁっ!」
つま先が階段に引っかかった。
上半身のバランスが崩れる。
肩から落ちそうになる。
でも、どうにか手をついて、前のめりになった体制を修正して。
再び走り出す。
後ろから聞こえる荒い息づかい。
細めのストレッチパンツで良かったと心の底から安心する。
ジーンズだと走れたもんじゃないし、スカートなんて論外だ。
でもこのかけっこにおいて一番邪魔なのが、片手に持っているこの鞄。
走っているこの状態で、肩の運動を遮るから最悪だ。
でも投げ捨てたとして、後で取り来ることは出来ない。
とてもじゃないけど出来ない。
「!!」
後ろからついてくる足音のペースが上がった。
道を歩いていたら突然出てきて、そしていつまでも追ってくる。
正直、かなり怖い。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」
マズイ。
目がチカチカしてきた。
恐怖心に煽られて心が折れそうになる。
生理現象的に目から涙まで流れてきた。
少し、鼻水も。
後ろの足音がドンドン近づいてくる。
コワイ怖い恐い。
履いていた靴はもう片方だけ脱げている。
結構前に落としたのだ。
曲がり角を曲がる。
そこで。
「ひゃっ!」
もっていた鞄を掴まれた。
そして、思いっ切り引っ張れる。
体制が後ろに崩れ、肩から落ちる。
側頭部を床にぶつけて、視界がぶれる。
痛い。ものすごく痛い。
でも恐くて、お尻ずって後ろに下がる。
「や、やめてっ」
声が上擦る。
「やめてくださいっ、お願い」
目の前にいる相手が自分の方へと、一歩ずつ、確実に近づいてくる。
「来ないでっ!、お願いっ、お願いしますっ!」
立ち上がれないから、精一杯力を込めて後ろに下がる。
ずりずり、ズリズリ。
音を立てて、頭から流れる血なんてきにせずに。
とにかく、無心で距離を開けようと。
「来ないでよぉっ」
でも、相手はもうすぐ目の前にいて。
「ぁ」
トンッ、と。
背中が、壁にあたった。
「…」
自分を見下ろす、2つの目。
暗くて、その顔はよく見えないけど。
もしかするとそれは、自分の目から流れている涙のせいかもしれないけど。
目の前にいる人が、何かを呟く。
「君のためなんだ。ずっと見ていた」
うわごとのように呟く。
「君のためなんだよ。だから聞いてよ。逃げないで。逃げちゃ駄目だよ。話を聞いて。聞いてくれるよね?」
「ひっ」
肩を掴まれる。
顔を、覗き込まれる。
でも、真っ暗なせいか、涙が流れているせいか、やっぱり顔は見えない。
「ねぇ、聞いてよ。話し、聞いて。逃げないでよ。ねぇ。聞いてる。逃げないよね?。君のためなんだから。君のことをずっと見てたんだよ。ずっとずっと」
「…た、すけ……」
「君のことは分かってる。分かってるんだ。ねぇ、ちゃんとこっちを見てよ。ねぇ、ねぇ、ねぇ」
「…ぁ、ぁぁ」
助けて欲しい。
誰か。
誰か誰か誰か誰かっ。
誰か、助けて。
体の震えが極地に達して。
もう恐怖を感じているのか分からなくなって。
息をしているのか分からなくなって。
目が見えているのか分からなくなって。
両肩がまるで何かで刺されているような気がして。
頭が押し潰されているような気がして。
世界は敵ばかりな気がして。
音さえ耳に入って来ないような気がして。
自分が誰か分からなくなりかけて。
両手で握りしめている鞄を今まで出したことのないような力で握りしめてて。
そこに数滴の涙が落ちて。
落ちて、落ちて、オチテ。
そんなところで。
その声が、聞こえた。
「それじゃあ駄目だね。女の子にはもっと優しくしないと」
聞き間違えるはずがないその声。
学校で毎日のように聞いているその声。
「男の子が女の子を泣かせるなんて減点だよ。それに男だったらもっと紳士に動かないとね。女性は言うことを聞いてくれないと思うし」
自分の目の前にいた人が、声のする方を向く。
そこには、窓から入る月明かりを背にして、肩を竦めた少年がいた。
「まっ、僕が言えた義理じゃないけど。…それにそんなこと」
「どうでもいいからね」
ね、と首を傾げるその少年。
男の子とは思えないかわいらしい顔をした少年。
彼が、そこにいた。
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