お題小話3

@waka_hi

第1話

「止まりましたねぇ」

「ましたねぇ」


 がここん、と鈍い音を立てて、ゆったりしたスピードで上がっていた鉄の箱が、突然動かなくなってしまった。中に閉じ込められた二人の人間は、思わず顔を見合わせて、首を傾げ合った。中途半端な位置で停止したエレベータは、窓をコンクリートの壁で塞がれており、明かりが消えて非常灯に切り替わった室内は黄色く薄暗い。

「停電ですかね」

「地震ではなさそうですねぇ」

 同じマンションに住んでいるとはいえ、別の階ともなれば、お互いまず話しかけることもなかった相手だ。こんなことでもなければ、相手の声を聞くことさえずっとなかったかもしれない。内心そんなことを思いながら、二人は狭苦しい箱の中を所在無さげに見回していた。

 正確には、見回していたのはスーツ姿の若い男の方だけで、もう一人の主婦とおぼしき中年の女は、何故かじっと宙の一点を見つめていた。

「………」

『…おや』

「ああ、やっぱり」

「はい?」

 得心が行ったようにつぶやいた女の声を耳にして、若い男は不思議そうに聞き返した。

『もしかしてあなた、「見える」人ですか』

「あなた、『見えないはずの』人なのね」

「え、何が」

 女の視線がじっと男の背後に注がれているのを見て、男は不気味そうに後ろを振り返った。

「ちょっと、やだなあ、やめてくださいよ。何かいます?」

 冗談めかして笑い飛ばそうとした男には目もくれず、女は一点を見ていたが、やがて疲れたようにため息をつくと、エレベータの壁に背をつけてもたれた。


 女はふと、幼い頃の自分を思い出していた。

 霊能力少女。そんな呼び名を与えられて、多くの知らない大人たちに囲まれていた記憶。テレビ番組にもいくつか出演したことがある。常につきまとってきたのは、本物か、ニセモノかという疑惑の目。

 人には見えないものが見えるという点では、少女は確かに本物だった。ただ、彼女の能力は『見える』というただその一点のみで、未来を言い当てたり悪意ある霊を祓ったりという、世の中の『役に立つ』ようなものではなかった。

 それから数年経つうち、その能力も薄れていき、霊能力少女はただの少女へと格下げされていった。

 それからの人生が、彼女にとっては本物だった。人と同じものだけを見、同じ声だけを聞いている。世界は狭まったかもしれないが、それはなにより自由な人生だった。


 それがどういうわけだか、今この瞬間また、見えないはずの存在が目に映るようになっている。暗澹たる思いで、女はもう一度男の背後を見上げた。

『困りましたねぇ。結構はっきり見える方なんですね』

 若い男の耳には届かない声が、狭い室内に静かに響いた。

 女の目には、その姿は中年のサラリーマンに見えた。実際、黒ぶち眼鏡で、くたびれたスーツを着ている男の姿をした『それ』は、青年の背中に張り付いているということを除けば、そこらにいるおじさんと何も変わるところはなかった。

「あなた、どちら様? どういう方?」

『ええと、わたくし一般的には「死神」と呼ばれております、はい』

「あらまあ」

 呆れたように声を上げる女を、青年は奇異なものを見る目で眺めていた。

「ちょっと、誰としゃべってるんですか、奥さん」

 気味悪そうに反対側の壁にへばりつき、青年が声を裏返らせる。哀れむように自分を見ている女の顔がやけに生々しく感じられ、いつの間にか別の世界に滑り込んでしまったのではないかと、妙な気分に陥った。

「ごめんなさいね。独り言だから気にしないで」

「しますよ!」

『わたしのことはできればご内密に』

「言いませんよ」

「なんなんです!」

「ああもう。この人気になるみたいだから筆談にしましょうか」

『わたしはかまいませんが』

「筆談!?」

 ごそごそと女はバッグからメモとペンを取り出した。どんな顔をすればいいかわからず、やれやれとため息をついて、青年は四角い箱の隅に額を押し込むように女から目をそらした。

”この人死ぬの?”

『ええまあ、いずれは?』

”もうすぐってこと?”

『かもしれませんし、そうでないかもしれません』

”はっきりしないわね。こんなに若いのにかわいそうに”

『人間、死ぬときは死んでしまいますから』

”あなたが殺すわけじゃないわよね?”

『もちろんですよ。わたしどもはそんな物騒なモノではありません。人の魂を拾い集めているだけのただの雇われ者です』

 どうやら本当にサラリーマンのようだと、女は妙に可笑しくなって、くすくす笑った。

「ああもう! なんなんです! 誰と何の話してるんですか!」

 じっと我慢するように黙っていた青年が、じれたように振り返って叫んだ。

「聞かない方がいいわよぉ」

「気になるじゃないですか!!」

「あら。あなた霊とか信じるほう?」

「べ、別に信じちゃいませんけど…あんまりリアルに誰かとしゃべってるみたいに聞こえるから」

「こんな狭いところで顔突き合せちゃったからには知らないフリもできないしねぇ」

『本当は、ここで彼は死ぬ予定だったんですが』

「え?」

 ぼそっと吐き出された言葉に、女はぎょっとして死神を見返した。

『正確には、「ここで死ぬ確率が限りなく高かった」ということですかね』

「いやだやめてちょうだいよ、ここでそんなことになったら私パニックになっちゃうわよ」

「ちょ、パニックって、何が起こるってんです何が」

『ならなくて幸いでした』

「あなたが言うとなんだかしっくり来ないわね」

『彼いま、脳梗塞リスクがかなり高まっていましてね。いつコロッと行ってもおかしくない状態で』

「いやいやいやいや」

 それでは彼は、今後も死の影を背負って生活していくことになるのか。

 女は再び、哀れむように青年を見た。困った顔で首を傾げる青年は、最初に思ったよりもかなり若く、女の一番上の息子と、さほど変わらない年に見えた。

『まだ夢も希望もある歳です。できればわたしだってまだ、連れて行きたくはないですよ』

 意外な死神の言葉に、女は目を丸くした。

「人間くさいこと言うのね」

『長年この世に居ついてれば、それなりに感化もされますわ』

「何を言ってるってんです?」

『わたしどももね、運を天に任せている生き物なんですよ』

 生き物だと名乗った死神を、女は目を瞬かせて見つめた。

『人様の運命を弄んでいるように言われることもありますが、われわれにそんな力はありゃしません』

 そう言って俯く死神はどう見ても、うらぶれた人間の中年男にしか見えなかった。

『人の生き死になんてね、誰にもわからないし、どうにもなるもんでもないんですよ』

「はぁ……」


 淡々と語る死神の言葉を、女はあのころに聞きたかったと思った。霊能力少女と呼ばれていた子供のころに。

 当時の自分に、それが理解できたかどうかは別として。


 そのとき、がこん、と大きく床が揺れ、ゆっくりと鉄の箱が動き出した。

「「『あ、動いた』」」

 三人分の声が重なった。と同時に、エレベータの扉が開く。

 清々した、という顔で青年が外へ飛び出した。顔をごしごし手でこすり、元の世界に戻ってきたことを確かめるように、ホールを見回している。

「じゃ、じゃあ、その」

 気まずそうに女を振り返り、もごもご口の中でつぶやきながら青年は会釈して去っていった。

 その背にぴったり張り付いて、死神も静かにいなくなった。


 この世のものも、この世のものでないものも。ちゃんと触れてみれば、結局似たようなものなのかもしれない。

 ただ『見える』だけのこの力と、自分は再びうまく付き合っていけるのだろうか。

 あらゆる感情を含んだ上で表情を失ったような、死神の複雑な顔を思い浮かべて、女はひとつ伸びをした。


「さあ、ごはん作らなきゃ」

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