仮面の警官

伊藤 薫

[1]

 復讐は私のすることである。私が報いをすると、主は言われた。

 「ローマ人への手紙」第12章より


 これは本当にあったことだ。今までマーカスは誰にもすべてを話していない。人に訊かれれば、「いや、誰も殺してない」と答えてきた。その度にマーカスが申し訳ないような気分になるのは、自分が肯定するのを相手が期待していることを分かっているからだ。肯定すれば、相手はさらに突っ込んだ質問ができる。そうやって、人々は頭の中で強盗犯を射殺した警官になったつもりで、その時の情景に思いをはせるのだろう。

 マーカスは1人の男を殺した。レストランに押し入った強盗犯だった。男を撃ったのは、午前1時33分。男が死亡したのは、午前1時57分。その時刻にマーカスは男に脈がなく、心臓も停止していることも確認した。現場に到着した救急隊員らがマーカスに代わって心肺蘇生を開始した。やがて救急隊員の1人がこう言った。

「ダメだ。アンタ、奴をあの世送りにしたよ」

 男の左胸に拳大の穴が開いていた。マーカスはついさっきまで胸に両手を押し当て、そのろくでなしに向かって「眼を覚ませ!」と叫びながら、心臓マッサージをしていた。男が死んでいるのは、とっくのとうに分かっていた。

 これは実際に起こったことだ。強盗犯は40歳。名前はジェフリー・ホーガン。銃を所持していた。マーカスの職務は法の執行と市民の保護である。警察官ハンドブックには、武器の使用について次のように明記されている。

 使

 これは絶対に守られるべきだ。

 新聞には当初、2人の名前は出なかった。マーカスは《制服警官》、男は《被疑者》と書かれていた。正式な調書には『ブラッドリー巡査と加害者ホーガン』と記載された。死亡記事にだけ、ジェフリー・パトリック・ホーガンというフルネームが出た。遺族は母親と2人の兄弟。結婚はしていなかった。死因はふせられていた。

 各紙が犯罪増加に関する社説を載せた。武装強盗、空き巣、カージャック、殺人。記者連中が警察署やマーカスのフラットに押しかけた。月並みな質問が飛ぶ。「自分の行動は正しかったと思いますか?」とか「人を撃つのはどんな気分ですか?過去にも経験がありますか?」とか、そんな類だ。

 新聞に警察の武器使用に関する統計が載った。市では過去20年間、何名の市民が警官によって殺されたか、うち何件が《適正な》発砲で何件がそうでなかったか。『職務執行上―警官が人を殺すとき』と題した連載記事が組まれ、ブラッドリー巡査の発砲についてしつこく細かく論じられた。新聞にはマーカスが22歳で警官歴15か月の新人警官と出ていた。同僚のギルモアはこう言った。

「あいつらは、警官が何人殺されたり殺されかけたりしたか知らないんだよ」

「でも、おれはまだ生きてる」マーカスは言った。

「その通りだ」

 新聞では、ブラッドリー巡査の措置は正しいとされた。「マーカス・ブラッドリー巡査は完全に決められた手順に則り、事態を正しく処理した」という市警本部長のコメントも掲載された。本部長はこの件を《不運な出来事》と呼んだ。

 バーで酒を飲んでいて2人だけになった時、上司のトンプソンはマーカスに自身の人殺しの体験を語った。

「あの男はイカれてた。撃たれた瞬間、そいつは後ろへひっくり返ったんだ。すごい衝撃だったよ。ああいうのは見たことがない」

 希望するならカウンセリングを受けさせよう。トンプソンはそう言った。

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