お題小話2

@waka_hi

第1話

「どんな魔法を使って来たの?」

 真っ白なベッドの上で横たわったまま、彼女は尋ねた。

 僕はそれに答えようと思って口を開いたが、言葉は出てこなかった。

「本当にキミなんだ」

 ふたたび彼女が尋ねる。そうだ。僕だ。それもまた、声にはならなかった。僕はわずかに首を縦に振った。彼女は納得したように、軽く頷いた。

 お互い、まだパソコンの画面の上でしか、相手の顔を見たことがなかった。

「ひどい顔色だね、キミ」

 お互い様だ、と僕は思う。ようやく薄明が始まった空の明かりが、薄いカーテンを透かして彼女の顔を照らしている。青白い朝の光を除いても、その顔色は真っ白と言えるほどだった。

 顔色とともに、やけに色の薄い彼女の瞳を見つめたまま、僕はただそこにいた。

 どうしてここにいるの? どうやって入ってきたの? キミも入院しちゃったの? 彼女はぽつぽつと質問を投げかけてきたが、そのどれにも僕は答えられなかった。答えたくとも、声が出せなかった。


 確か、彼女との出会いは、とあるネットワークゲームの一つだったと思う。ゲーム内でたまたますれ違った相手と、他愛ないおしゃべりを何度か繰り返すうちに、僕らはある共通点を見つけた。いや、それは共通点などではなかった。僕らはおそらく対極にいたのだ。

 それから僕らはゲーム上だけではなく、インスタントメッセンジャーなどで個人的に話すようになった。同い年くらいだと知ったのはそのころだ。

 彼女はずっと入院していると言っていた。病名を教えてくれたが、僕にはそれがどういう病気なのだか、まだよくわからなかった。ただ、とても痛みを伴う病気だということだけが伝わってきた。

 起きていても寝ていても、薬を打っても放射線治療を受けても、その痛みは止まることはないらしい。もう慣れた、と彼女は笑っていたが、きっと健康体の普通の人間なら想像を絶する痛みなのだろう。と、調べてみたサイトにはそう書かれていた。

 想像を絶する痛み。しかし僕にはそれを「想像」することさえできない。僕はその部分で彼女の対極にいる。

 僕と彼女には確かに共通点があった。病気を抱えているということ。僕は入院するほどの状態ではなかったが、不治の病であることには違いなかった。

 「無痛覚症」。それが僕の病名らしい。どんな痛みも感じることのない身体。ただそれだけのことなのに、どうやら人間として、いや、生物としては、大きな欠損なのだそうだ。

 小さな怪我だろうと大きな怪我だろうと、僕には何も感じられない。身体のどこかを切ってしまい、血がぼたぼた流れていたとしても、その傷が目に入るまでは、自分ではなんにも気づきやしないのだ。たとえば足の骨にヒビが入っていたとしても、気づかずにずっと歩き続けて、しまいには完全に骨折してしまうことだってありうる。幸い僕はその例には当てはまらなかったけれど、もっと性質の悪い例の一つにぶち当たってしまった。

 僕がこの病院に入院したのは三日前だ。急性虫垂炎。俗に言う、盲腸だそうだ。どちらにしても、僕の世界には縁のない言葉だった。少なくとも、小学校で習う漢字でないことはわかった。

 外傷なら、僕でなくとも他の誰かが気づいてくれることもあるが、さすがに内臓のことまではわかるはずもない。僕自身が気づかなければ、いくら僕の身体の異常に神経を尖らせている母さんや父さんだってわかりっこないことなのだ。

 二人がそのことで、自分を責めているのが僕にはとても辛かった。誰にもどうしようもないことなのに。

 結局、僕が倒れて動けなくなるまで、虫垂の炎症は進み放題で、病院に担ぎ込まれた時点では手遅れになるかならないかというところだったらしい。何度も薬を打たれて、ようやく意識が戻るところまでは回復した。母さんがずっとつきっきりで世話を焼いてくれていたが、疲れが出てしまったらしく、今度は母さんまでが倒れてしまった。家に帰って、父さんが母さんの看病をしているらしい。僕はそれでいいと思った。僕の世話なら、先生や看護師さんたちが十分すぎるほどしてくれている。身動きがしにくいだけで、僕はちっとも痛くなんかないのだから。

 意識が戻って、病院にいると知ったとき、場所を聞いて驚いた。彼女がいるのと同じ病院だったからだ。

 今日が僕の手術の日だった。炎症を起こした虫垂、そしてその周辺の内臓をきれいに取っ払ってしまうのだそうだ。先生は笑顔で僕にそう教えてくれた。でも僕は覚えている。意識のはっきりしない僕の耳に入ってきた、「手遅れかもしれない」という誰かの言葉を。

 だから僕は彼女に会いに来た。ろくに動かない足を邪魔だと思いながら、腕だけで車椅子に身体を押し込み、誰もいない早朝の廊下を抜け、エレベータを動かして。ちょっとした冒険気分を味わいながら、彼女の部屋までたどり着いた。


「どんな魔法を使って来たの?」

 初めて聞いた生の彼女の声は、パソコンを通して聞くよりも少し高い音に聞こえた。寝起きのせいもあるのだろう。鼻にかかったような、少し舌っ足らずな声だ。

 魔法、という言葉に少し笑ってしまった。そういえば、外国のファンタジー小説が大好きで、何度も読み返していると言っていたな。僕もその話は映画で何度か見た。魔法を使う少年少女の話。

 こうして彼女に会ってみて思う。本当に魔法が使えればどれだけいいだろうと。寝ても起きても痛みをこらえている彼女の眉間には、わずかなしわが刻まれている。その痛み。全部僕にくれればいいのに。僕ならそんなもの、少しも感じることはないのに。

 それを彼女に言いたくて、僕はここまでやってきたのだ。

 だが、彼女の顔を見て、僕は何も言えなくなってしまった。そもそも、声を出すこと自体、今の僕の身体ではできないようだった。

 それを言って何になる。彼女の苦しみはちっとも変わりやしない。たとえ本当に彼女の痛みを僕が引き受けられたところで、彼女の病気が僕に乗り移ったとして、痛みを感じない僕の身体ではあっという間にあの世行きだろう。

 だいたい、今の僕は人の心配をしている場合ではないはずだ。死ぬかもしれない。彼女よりも差し迫った命の危険。僕は一体何をしに来たのだろう。

「ありがとう」

 彼女が言った。僕は首をかしげた。

「キミも、がんばって」

 瞬きをして、僕は彼女を見返した。瞬きをした瞬間、頬にこぼれ落ちた水滴に気づいた。

「怖いよね」

 僕は、怖かったのか。彼女に会おうと思ったのは、そのせいなのか。

「私も怖い」

 笑顔でそんなことを言う。眉間のしわはまだそこに残ったままだ。

「でも、がんばる」

 がんばる。がんばれ。何をどう、がんばればいいんだろう。

「一緒にがんばれば、きっと、大丈夫」

 魔法を使う少年少女。彼らの一番の武器は、友情だった。


 ああ、そうか。きっとそれは、こういうことなんだ。


 うん。がんばる。


 僕はやっと、唇だけ動かして、そう言った。

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