トランペット吹きの事情②
「いい加減にして!!!」
桜並木高等学校、吹奏楽部でその怒号が響いたのは、何の変哲もない練習日だった。その声を上げた張本人こそ、桜坂莉玖である。
「莉玖、先輩?」
「どいつもこいつも、あたしとゆーいちがそういう関係じゃないと得をしないみたいに! 皆言ってるからだの、なんだのって、そっちの都合をこっちに押し付けないで!!」
あーあ、と声を出してしまった。
怒りは燻ってはいた。俺と桜坂が付き合ってないことを無関係の人間が尋ねてくるたびに、桜坂は眉を顰めながら「そんな関係ではない」と言い放ってきた。しかし、周りの人間は男女間の関係に名前を付けたがる。それは基本的に「友情」、「彼氏彼女」のどちらかだ。どっちつかずの関係をいつまでも放っておかない。どっちかにしてくれ、と目が言っている。本人たちが「友達同士」と言っても、友達同士に収まりきらないことをやっていると、ついに声にまで出すようになってきて、限界が来たようだ。
つまりは桜坂莉玖、マジギレである。
「莉玖さん、落ち着け。後輩をビビらすな」
「はいはい、莉玖。落ち着きましょうね」
「莉玖先輩、ひっひっふーです」
こうなってしまっては手を付けられるのは、吹奏楽部内では三人。
俺。俺と桜坂の所属するトランペットパートを構成する城咲もみじ、パート内唯一の一年生、
こぶしを振り上げそうになる桜坂の手を城咲が取り、男子二人が怖がっている後輩に距離をとるように命じる。
「……今日は帰る」
「「はいはい」」
桜坂はもうこれ以上、集中して練習ができないと感じたのだろう。さっさと楽器を片付けて帰って行ってしまった。そしてそれをとがめないのがうちの学校の部活動ならではである。
「こ、怖かったぁ」
「あれでキレるなんて……」
と、後輩たち。見たところトロンボーンパートとホルンパートの一年生女子だ。吹奏楽部で比較的真面目になった部類のパートではあるけれど、それもやっぱり二年だけで、一年生は「楽器が好き、でも金賞とかはどうでもいい」というタイプの子たちばかりで、今回も男女の恋愛事情に興味が移ったというだけなのだろう。
「ストップ、莉玖先輩を悪者みたいに言うの辞めてもらっていい?」
「あんたらが余計なこと言わなけりゃいつも通りのイライラしてるだけの莉玖だったんだからね、そこ反省してね。何言ったか知らないけど」
桜坂のデフォルト状態はどうやらイライラしているらしい。
それもどうなんだろうか。
「何で、こっちが悪者みたいに」
「どうせ俺と莉玖さんの仲勘ぐるようなこと言っちゃったんだろうけどさ、そのネタ莉玖さんに振るのタブーって、パートリーダーから聞いてない?」
「……」
それとなく回しておいたのだ。そういうことを桜坂に振るなと。部内全体までとは言わないが、少なくとも部内の三分の一、金管パートには回してある。
ましてや、吹奏楽内でご近所さんの中でも隣人みたいな関係のパートリーダーに回ってないなど決してない。
「今度からやめてね」
俺に言ってくるのはいい。適当に流せる。
ただ、桜坂はダメだ。適当に流すという行為ができない。
桜坂莉玖は真面目なのである。良くも悪くも真面目で、視野が狭い。概念をどうしても固定してしまう「部活は趣味程度」が生徒の基本思考であるこの学校では珍しく、やる気を見せるタイプの人間だ。「練習をちゃんとしないなら帰れ」、と先輩相手に言い放ったことだってある。ある意味「うちの学校になぜ入ってきた」と問いたくなる人間である。そのやる気にあふれている桜坂がなぜパートリーダーではないのか。 部長業やほかの業務をやっているから、という理由ではない。勉学が忙しいということでもない。性格的な問題である。「自分はリーダーになったとき、絶対に独裁者になる」と先代のパートリーダーにきっぱりと言ってのけたそうだ。
対して俺は傍観者だ。固定してしまう桜坂を見て先生に言われたからと言ってそうでなくてもいいと判断した場合、教えてやるのが俺の役目だと思っている。
「ゆーいち、追いかけなくていいの?」
「今追いかけたら、確実にまた噂が飛ぶからいい。でも、俺も珍しく不愉快な気分だから姫さんに会って浄化されてくる」
「私も行きたい!!」
「部活してください」
泣いてこっちを止めそうになる城咲を放って、楽器を片付け、あとを品川に任せて図書館へ入り、閉架書庫の扉をノックした。
俺はどうしたらいい、と姫さん、もとい岡里に相談を持ちかけ、冒頭に戻る。
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