小さな役者に五分の魂①

 もうさすがに諦めてはいる。というか、いた。

 だけど、私はそれでも演劇の道にしがみついていたかった。夢を持っては入った演劇部は、いつの間にか苦痛の場所でしかなかったけど、演劇に触れられるのは楽しかった。

 男の役ができないならば、と志願した大道具係になってもう二年。

同じようなことばかりをやっているので、さすがに慣れてしまった作業を繰り返す中、一人の訪問者が現れた。


「演劇部ってここですか」


 肩に届くほどの黒髪に、女の子みたいなきれいな顔立ち、けれど男子の制服を身にまとっていて、これでもかというほどに似合っている。しかし、男子というには、声が高いし肩幅も狭い。

 声変りをしてない男性も、いるにはいるのだろうけれど、それにしたって少年のような高さの声じゃない。

 女性の最低音という程低くもなく、高くもない。とても綺麗な声。体育館によく響く。私とは、真逆の声色だ。


「えっと、どうしたの? 入部希望者かな?」


 部長の三野勇気(さのゆうき)が声をかけた。

 その問いかけに、訪問者はこくりと頷く。

 女子たちは色めきたった声を上げ、男子は「なんだ男か」と落胆して、それぞれの作業に戻った。

 そんな中で、訪問者に呼びかけた男が一人。


「あっれ、久遠寺くおんじさんじゃないっスか」

「おー、わざおぎ。お前演劇部だったのかよ」

「そーっスよー。言ってなかったっけ?」


 俳匠。何か一つの称号みたいだけれど、これでれっきとした彼のフルネームだ。

 俳と書いて「わざおぎ」と読み。匠はそのまま「たくみ」。呼びにくい上に、「わぎおぎ」だったり「わざおざ」だったり「おざわ」とまで呼び間違える人間が出てきたので。一度私が「もうあんたは『オギ』でいい!!」といった瞬間から彼の部活でのあだ名はオギになった。

 中肉中背といった風体で、もともとぼさぼさの髪をしているのに、メガネの意味があるのかと問いたくなるほど長い前髪が怪しげな雰囲気を増長させている。なのに、本人の性格は明るくて、声も爽やかなのが何か憎たらしい。


「オギくん、知り合い?」

「同じクラスっス」

「その子……男子、女子?」


 誰しもがそこに突っ込みたかったであろう、ところに突っ込んだ。


「それが、微妙で」


 微妙? 学校生活において、性別の「微妙」何てあり得るの?

 そう思っていたのは私だけじゃなかった。ほかの皆も頭上に「?」が乗っている。それをみてオギは、説明しづらそうに説明を始めた。


「久遠寺さんってオレは呼んでるけど、クラスの人間は君付けがほとんどだし、本人も否定しないし。男女の出席番号で分けられるときは女子と一緒のチームだし、体育も女子と一緒だし、だから女子なのかって思うやつもいるけど、『こんなにかっこいいのが女子な訳がない』って豪語する男子もいるもんで。「久遠寺の性別は不詳でいいや!」ってクラス会議で決着したっス。ちなみに二回目のHRはこれで食いつぶしました!」


 そんないい笑顔で言うことでもなんでもない。

 というかなんだそのバカクラスは。


「なんか、オギくんのクラスって感じだね」

「今オレのことバカって思ったっスか部長!? 傷ついたっス~」

「ああっ、ごめんごめん」


 部長大丈夫、そいつ全然傷ついてないから。

 そう内心で部長をフォローしながら作業を進める。順調にいけば明日までに背景が終わる予定だ。このままだと終わらなくなってしまう。


久遠寺奏くおんじかなでって言います。友人に演劇部でも入ればその性別不詳に理由でも付くんじゃない、と言われてきました」


 そんな理由で来ていいのか。

 オギと同じクラスということは、今年で二年生。四月にはいったばかりだが、うちの学校で二年生から部活を始める人間はまずいない。


 私たちの通う桜並木高等学校は、いわゆる進学校と呼ばれるもので、部活動はただの娯楽、本気でやっている部活動は吹奏楽部くらいで、他はなあなあでやっていて、三年生になった瞬間引退する人が多い。

 私、部長の二人は、部活動をしている数少ない三年生のうちの二人だ。


 いくら娯楽とはいえ、二年生から始める、という人は少ない。


「いや、入部は大歓迎だよ。君みたいに見栄えのする子は役者もできそうだしね。どう? 何かやってみたい役とかある? ああでもそうだな、君はけだるげな王子とか、赤ずきんを助ける狩人なんかが似合いそうだ。次の次の演目、童話にでもしようかな」


 部長が演目に関して考え始めてしまった。ああなったら最後。何かいいネタを思いつくまで現実の世界に帰ってこない。ずっと上の空状態だ。

 仕方ない。副部長は今いないし、進学校のこの学校で部活動に残っている三年生は私と部長のみ。ここは私が対応するしかない。


「こんにちは。久遠寺さん? くん? 演劇部へようこそ、私は岡本おかもと美仔みこ

「うっわ、ちっさ!」


 …………あれ? これ怒っていいの?


「しかも可愛い。人形っていうか小動物みてぇ」


 怒りが込み上げてくる。私は震える拳をギュッと握って、どうにかして笑顔を作ろうとするけどそれまでの間、どうしても下を向いてしまう。

 私の演技もまだまだだ。

 周りもくすくすと笑っていたり、ため息をついたりしてる。私のことを知っている人たちは私に対する言葉を聞くと、こんな反応をする。それさえも私には腹が立つ要因になってしまうのだけど。


「まぁー、確かにセンパイはちっちゃくて可愛いっスけど……、でもその手の言葉、どんなに思っても言っちゃダメっす」


 俳がそういいながら、私たちに寄って来る。

 別に何も言わなくていいのに、こいつは部長でもなんでもないのだから。


「あ、気にしてること、でしたか」


 その言葉は逆に他人を傷つけることもあることを、この一年間で学んでいただけることになるなら、私の犠牲なんて軽い。


「まぁーそれもあるんスけど……」


 「も」あるってなんだ。それしか私が怒る理由はない。というか、なんでお前が答える。


「そういうの、この人に言っていいのオレだけなんで。遠慮しといて欲しいっス」


 満面の笑みでそういってのけた俳は、私の手を後ろから握っていて、私は万歳のポーズをしながら、訪問者にじっと見降ろされていた。


「あ、あー。なるほど、そういう」


 納得しかけてしまっている!!

 何とか誤解を解かないと、と思って手を振りほどこうとした時だった。


「久遠寺くん、ちょっといいかなー。この子のセリフ練習ちょっと付き合ってあげて欲しいんだけど」


 まだ入部届も出していない人間に対して、まるでずっと前からいたかのような対応をする部長。それに何の違和感も持たなかったのか、久遠寺……さんは、部長の所へ駆けていった。そして、そこにいたのはヒロイン役の女の子。


「ここの、王子のセリフのシーンなんだけど。王子役が今不在で」


 いや、王子だったらその後ろにいる。

 私たち大道具係を普通に手伝っているのだけど、部長はいったい何を言ってるんだろう。


 とはいえ、何がしたいのかは予想がついた。


 部長は久遠寺さんがどれほどの演技力を持っているのか、そしてそれがどういう風に舞台上で光るのかを見たいのだ。

 久遠寺さんは言われた通り、姫役の子と舞台に上がり、部長の「アクション」の声でセリフを発した。


「『嗚呼、姫。私に、どうか、どうか私に、祈りをくださいませんか』」


 久遠寺さんが発したのはそれだけだった。

 なのに、空気が震えた。話し声が凪いだ。

 全員が全員、目を久遠寺さんに向けた。


「『でも、王子。あの方は!』」

「『私はこの勝負、負ければあなたのもとからいなくなるかもしれません。それでもあなたと堂々と共にいれる理由が欲しいのです』」

「『だからって!』」

「『どうか祈ってください。私が無事に帰ってこられるように。無事に帰ってきたならば、遠い、東の国へ出かけましょう?』」


 セリフを読むだけでいいと、部長は言ったのに、久遠寺さんはちゃんと演技をしていた。その場で振られた無茶ぶりに百点満点の答えを返している。

 身振り、手振りが、姫を愛する王子のものだった。そして戦場へ向かう、騎士のものだった。

 体育館の中が静まり返って、何秒かが経過したころ、久遠寺さんが再度言葉を放つ。


「と、こんな感じでいいんですかね部長」

「……、え、あ、ごめん、なに?」

 部長も呆けていたのだ。

 私と、皆と同じように。


「いや、だから終わったんですって」

「ああ、そっか、ごめん。素晴らしかったよ。文句なしだ」

「どうも」


 褒められているのは慣れていないのか、久遠寺さんは、部長から目線を逸らす。

 そんないじらしい様子の久遠寺さんに女子たちは「久遠寺くんすごーい」と、寄っていって、ちやほやし始めた。

 感動した、すごかった。とボキャブラリーの乏しい言葉が並んでいたけれど、私も久遠寺さんに言葉を向けるなら、そんな言葉しか浮かばないだろうと、思った。

 

 思った、ら。

 

 頬に何かが伝っていった。その正体が何かわかっていた私は、すぐさま体育館の出口へと走る。

 



 私が、追い求めてた夢。諦めた夢の完成形があそこにはあった。

 

 悔しさばかりが込み上げる。

 

 私がいけなかった場所。言えなかった言葉。久遠寺さんはすらすらといっていた。どうして私はこんな風に生まれたんだろう。こんな風に育ってしまったんだろう。こんな体じゃなければ、もしかしたら……。


 そんな醜い感情を抱いては捨てて、今日までやってきた。高校に入学して演劇部に入った時、私が男性役をやりたいというと、その当時の三年生に笑われた。「できるわけない」、「夢を見るな」なんて言葉を投げかけられて、結局、子供の女の子の役しか回ってこなくて私はさっさと大道具係に回った。逃げた。


 でも、演技者である心を忘れた訳じゃない。

役者としてのプライドを捨てた訳でもない。


「私もやりたかった!!」


 でも身長が足りなかった。たったそれだけのことで、私は役者になれなかった。腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ。


「あー、やっぱりここにいたっス」


 体育館のすぐそばにある植木に座り込み、いらだちからスカートの下にある自分の膝を殴っていると、後ろから声をかけられた。

 正体は俳で、何しに来たのかを尋ねようとした時には、隣に座られていた。「一人にして」とか、「放っておいて」とか言っても聞かないことを私は十分に分かっているので黙って涙を吹く。


「何しに来たの」


 分かりきってはいるけれど、沈黙でいるよりはマシなので聞く。


「可愛いセンパイ慰めにっスよ。目、擦っちゃダメっス」

「うるさいわね。私はそんなの不要よ。こんなの、どってことないんだから」


 嘘じゃない。

 でも本当でもない。


「まぁどうってことないでしょうねぃ。新入部員に嫉妬したなんて、センパイは日常茶飯事なんスから」

「なんで知って……」


とはいえ、こいつが知っていてもおかしくはなかった。

だって私がこうなったとき、いつも迎えに来るのはこいつなんだから。


「センパイのことなら何でも知ってるっスよ! つぶあんよりこしあん派なこととか、ポッ○ーより○ッポ派とか、きのこたけのこなら、たけのこ派なこととか」


 そんなことは知らんでいい。


「あとは、身長低いからできないけど、本当は男役の役者をやりたいこととか」

「……なんで、アンタが?」


 いつも、慰めに来るこいつは、私の涙の理由も聞こうとはしなかった。

 黙っているか、どうでもいい話を話し続けるかのどちらかで、私より入学があとだったこいつが知るわけもない。こいつが入学したころは、私はすっかり役者側の人間ではなくて、大道具係の人間だったんだから。


「そりゃ、小っちゃくて可愛いセンパイのこと、いつも見てるっスから」


 そうやってニタリと笑う男の顔は、どうしようもなく不愉快で、でも。

それでも私の夢を知っている人間がいるのは悪いことではないと、そうも思えた。

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