三.
吐く息が白く、よく冷え込む翌朝、蓮子とお紺は桃と花菜の暮らす家の前まで来ていた。休日であったのは丁度良いが、二人もこれから予定があるかもしれない。だが、そのことを慮る時間すらも今は惜しかった。インターホンを鳴らすと、
〈はーい。あ、蓮子ちゃん?〉
応答したのは桃の方であった。声を発しなくても蓮子だということが分かったのは、この家がモニター付きインターホンであるからだろう。
「おはようございます。あの…大事なお話があるのですが、お時間は…」
〈大丈夫だよー! 寒いだろうから入って! 今開けるねー〉
それから暫くして、賑やかな足音が近付いて来たかと思うと、玄関の扉が開いた。出て来たのは赤色のショートヘアーが印象的な、桜坂桃である。ラフで暖かそうな部屋着の姿であった。
「おはよう! 今日も寒いねー。さ、入って入って!」
門を開け、桃は蓮子(と肩に乗っているお紺)を招き入れる。蓮子は礼を言いつつ中に入った。
「あの、花菜さんもいらっしゃいますか?」
「もちろん! 花菜は朝が苦手だから、半分寝てるかもしれないけど」
桃はからからと笑った。確かに蓮子とお紺の中の花菜のイメージも、そのような感じである。
――二人の家は二階建てであり、蓮子の家と比べても新しく大きい。とても大学生二人の為だけの家とは思えなかった。エントランスから廊下を抜けて、リビングに案内される。カントリー風の造りになっており、暖炉まで付いている。北欧家具やアンティークの調度品も置いてあり、温かで優しい雰囲気がある。
「ちょっとここに座って待っててね。花菜ー! 起きてるー!?」
ギンガムチェックのカバーに覆われたソファーに座るよう勧めた後、桃は花菜を呼びにその場を離れて行った。
「はあ…小娘二人がクラスのには勿体無い大きさだねえ…」
お紺はするりと方から、蓮子の隣にあるクッションに下りながら家の感想を述べた。
「凄いよね…花菜さんの家がお金持ちとは聞いていたけど、こんな立派な家も用意できるんだ…」
「確かに立派だけどさ、こう西洋かぶれっていうかバタ臭いのは性には合わないね。和室が一番さ」
「お紺も中々に贅沢だよね…」
二人でそんな雑談をしていると、湯気の立ったカップを載せたトレイを持った桃と、まだ眠そうな顔をしている花菜がドアを開けて入って来た。
ニットのカーディガンに白いワンピース、先を切り揃えた長い黒髪に赤いカチューシャという出で立ちの花菜は蓮子とお紺を見つけると、
「おはようございます…」
ぼーっとしつつも挨拶をするので、蓮子は苦笑しつつ挨拶を返した。
「ちょっと、お客さんの前なんだからシャキッとしてよ!」
蓮子の目の前に紅茶とクッキーを置きながら桃は花菜を叱り付けた。まるで花菜の母親のようである。
「ごめんなさい…私、低血圧だから、朝は特に…」
「ほら、早くお腹に何か入れなって! あ、どうぞどうぞ! 遠慮せず食べて!」
「いただきます」
蓮子は息を吹きかけ冷ましながら、紅茶を一口飲んだ。いつ話を切り出そうかと考えていると、
「そうだ蓮子ちゃん、大事な話って何?」
と桃の方から話題を振って来た。蓮子の目の前に座っている花菜の隣に、桃も腰かける。蓮子はカップをソーサーの上に置いた。
「あの…糸桜懐子さんという方をご存知ですか?」
「え…蓮子ちゃん、どうしてなっちゃんの名を?」
蓮子の口から出た名前に、桃だけでなく、直前まで眠そうな顔をしていた花菜も目を大きく見開いた。
「それはこれから説明しますけど…お二人は懐子さんとお友達…ですよね?」
「大親友だよ! 大学は別々になってけど、それでもずっと友達でいられると思ってた…。でも、なっちゃんは交通事故で…」
桃はそれから口を閉ざし、花菜も沈痛な面持ちのまま俯いてしまった。二人にとっていかに懐子が大切な存在であったのかが分かる。
「…その、これから話すことは懐子さんに関係する大事なお話なんです。にわかには信じられないかもしれない言葉がいっぱい出て来るかもしれませんが…聞いてくれますか?」
蓮子が確認すると、桃と花菜は少し間を置いたあと、ゆっくりと頷いた。蓮子は二人の了承を得ると、あやかしの里とその里の中にあるかがやき荘のこと、そして懐子もそこにおり、今日があの世へ戻る日かつ、桃と花菜に会いたがっていたこと――なるべく手短で簡潔に蓮子は伝えたつもりであった。その上で、二人はなかなか受け入れられないと思っていたのだが、
「っ、花菜! すぐに出かける準備して!」
「分かってます!」
二人は同時に立ち上がると、慌ただしくリビングを出て行った。二人の理解の早さに、蓮子の方が思わず固まってしまった。
「ちょっと、何ぼーっとしてんのよ!」
お紺が膝の上から声を掛け、蓮子ははっとした。
「そ、そうだ! お紺、何か考えがあるって言ってたけど、具体的にどうするの?」
「幽現道を使うのさ」
「幽現道って…昨日大家さんが言ってた…でも、そんな所に入れるの?」
「今のあたいなら大丈夫さ。最近やっと本調子になって来たからね」
「本調子?」
「あ、ああ何でもないよ。だから、あたいの力であの二人を幽現道に引きずり込んで、里に入るのさ」
「それって、生身の人間でも大丈夫なの? 昨日の説明だととんでもない空間に聞こえるけど…」
「それも心配しなくて良いよ。…さて、その為にはあんたの身体を全部借りなきゃ駄目なんだよね」
「へ?」
お紺の言葉の意味が上手く飲み込めず、蓮子は気の抜けた声を出した。蓮子が呆けている間に、膝の上にいたお紺の姿が見えなくなる。――その直後、立ちくらみにも似た強い眩暈を感じた後に、蓮子の意識は暗闇の中に閉ざされた。
「お待たせ蓮子ちゃん!」
肩で息をしながら外出着に着替えた桃と花菜がリビングに飛び込んできた。
「…あら、どうかしましたか? 少し顔色が良くないような…」
花菜は心配そうに蓮子の顔を見つめた。
「え、あ、大丈夫です。さあ、行きましょう! いつ懐子さんが行ってしまうか分かりませんから!」
蓮子はぎこちない笑顔を作ったが、桃と花菜の気持ちはせいているので、特に気に留めることはなかった。
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