第玖話 懐かしき友
一.
暦はすっかり師走の上旬に入り、小雪が玉泉市にもちらつき始めた。心なしか最近はお紺の毛の量が増えたのではないか、とよく蓮子はお紺を見つめては睨み返される、ということが多くなった。
今、蓮子は制服の上にダッフルコートを着て、タータンチェックのマフラーを巻き、お紺と共に学校帰りにあやかしの里へと向かっている。外は薄暮の上に曇っているので、夜とさほど変わらなかった。
「そのもふもふ、マフラーになればいいのに…」
「ちょっと! それ死んでるから!」
蓮子の左肩に乗っているお紺は、全身の毛を逆立てて蓮子の発言に抗議した。
「一回死にかけたじゃん」
「それ、自虐?」
そうやってふざけ合いながら歩いていると、雪の積もった比熊山神社に着き、本殿の裏にある〝鬼灯の小径〟までやって来た。鬼灯の小径には雪は積もっておらず、いつもと変わらぬ風景である。小径の番人である鬼灯婆さんは、姿を見せなかった。今では蓮子とお紺はすっかり顔パス、という状態である。雪が無く、鬼灯の明かりのせいか外よりも若干暖かい気がした。
「里も雪が積もってないのかな?」
「さあねえ。それは神野様次第だろうさ」
そう話し合っている内に、里が見えて来た。――あやかしの里は、外の世界よりも白く雪に覆われていたので、蓮子は思わず立ち止まって目を瞠った。里の家の屋根には、綿がこんもりと載っているようであり、里を囲む黒々とした山は、雪化粧で点々と白くなっている。里の家々からは、いつもよりも濃く白い湯気や煙があちこちから立ち昇っていた。
「ひゃー、予想以上に雪があるねえ!」
お紺は全身をぷるり、と震わせた。蓮子は里へと下りていく。
「妖怪って寒さに強いの?」
「それは妖怪ごとの性質によるんじゃない? 雪女や雪鬼なんかは当然強いし、北国にいる妖怪も強いだろうね。まあ、人間と比べたらやっぱり強いだろうけど。あたいはようやくこの寒さに慣れて来たよ」
「…ほんとだ、私も段々平気になって来たよ」
蓮子は寒さがあまり苦痛ではなくなってきたことを肌で感じながら、里の大通りへと向かった。
大通りはしっかりと雪透かしがされており、相変わらず妖怪で賑わっている。うどんやそばの出汁や、焼き菓子などの温かい食べ物の良い匂いが蓮子の胃をくすぐる。
「あ、たい焼きが売ってる! 甘栗に焼き芋も!」
「ちょっと、神野様の元へこれから参るっていうのに買い食いはダメだよ!」
通りに出ている露店や、店の看板にあちこち目移りしている蓮子にお紺は注意した。
「分かってるよー。でも、こう美味しそうなものがたくさん目につくと、どうしても見ちゃうでしょ?」
「…まあ気持ちは分からなくないけども」
お紺は強く返せずにごにょごにょと呟いた。その直後、
「甘酒―! あったかい甘酒はいかがー!」
行きの良い少女の声が近くから聞こえて来た。呼び込みの声はあちこちからしていたが、その中でもよく通っているのが甘酒を売る少女の声であった。
「うん? この声、どっかで聞いたことがあるような…」
「え、そうだっけ? …そうかも」
お紺に言われて蓮子も少女の声に耳を澄ましてみると、確かにそんな気がした。気になるので、少女の元へ近付いてみる。
「甘酒ー! あまざ…あっ! あんたは!」
「あっ! まみなちゃん!」
甘酒を店の前で売っていたのは、化け狸のまみなであった。まみなは格子柄の褞袍を着込み、実家の酒屋の前で売り子をしていたのである。今は客がいないようなので、蓮子とお紺はまみなの目の前まで行くことが出来た。
「久し振りだねえ! あんたらと一緒にあの〝幽霊屋敷〟に行ったのは…大体4か月前だっけ」
まみなの言う〝幽霊屋敷〟とは、里の外れにあるアパート・かがやき荘のことである。生前の行いが良かった人間の魂が、特別に一定期間現世に留まることが許される制度があり、冥府からお迎えが来るまでの間、人間の魂たちが生活する為に存在する居住施設である。まみなと初めて出会ったときに、一緒に行った場所でもあった。
「そっか、もうそんなに経つんだねえ…でも、また会えて良かった」
「あたしも! 人間の友達って初めてだったから嬉しくってさ! あ、そうだ。甘酒飲んでかない? 大丈夫、タダだから!」
まみなはそう言うと寸胴鍋から、鍋と同じ台に乗っていた紅塗りのお椀を一つ取ると、甘酒を注いだ。
「えっ、悪いよ! 商品なのに!」
蓮子は慌てて首を横に振った。
「いいっていいって! 他の店も多く売り出してるせいか、さっきから中々売れなくてさ。沢山余っても困るし、足りなくなったら注ぎ足せばいいから!」
「…どうする? お紺」
「…ここまで言われちゃ、好意を受け取らない方が失礼だよ。いただこうか」
「そうこなくちゃ! こんな大盤振る舞いするのはウチだけだよ! あー、あたしもちょっと温まりたいなー。母ちゃーん! あたしちょっと休憩するよー!」
まみなが店の奥に向かってそう叫ぶと、中から「はいよー」と呑気な女の声が返って来た。売り子が堂々と休めるということは、やはり今は暇なのだろう。まみなは自分の分も注ぐと、野点用の長椅子に座るよう蓮子たちに促した。蓮子たちは礼を述べつつ、まみなと並んで座った。
「あ、そういえばお紺の分って用意しなくていい?」
座るなり、まみなはそう訊いた。
「ああ大丈夫だよ。あたいとお蓮は魂が二つでも体は一つだから、蓮子が食事をすればあたいのお腹も膨れるのさ」
お紺はするりと蓮子の肩から膝の上へと移動した。
「へえ、面白いモンだねえ。そんな妖怪初めてだよ。…あれ、半分は人間だっけ」
「そういうことさ。ちゃーんとこの甘酒の味も分かるよ。甘酒なんてほんと、何十年ぶりだろうねえ! 懐かしい味だよ」
「うん、本当に美味しい! お店で売ってるものよりも素朴な味で、優しい感じ…」
「お、分かる? 全部自然素材で作ってるからね!」
お紺と蓮子の甘酒の感想に気を良くしたまみなは、得意げな表情になった。蓮子も甘酒で体の芯まで温まり、久々に甘酒の不思議な味を堪能出来た。
「そういえば、あのアパートの人たちはどうしてるんだろう…」
ふと蓮子は、まみなと知り合うきっかけになったアパートの人々を思い出した。年齢層が幅広く、若い女性もいた。――死は年齢など関係なく、突然に訪れるものなのだと思い知らされる場所でもあった。
「あそこにいる人間たちも中々に面白かったよねえ。幽霊なのに飲み食いが出来るんだもん。…あ、ごめん!」
まみなは甘酒をこぼさん勢いで蓮子に頭を下げた。蓮子もつられて激しく首を横に振る。
「わっ、気にしなくて良いよ! 私は死にかけたけど、まだ死んでないし」
「そういう問題?」
お紺はツッコミを入れたが、蓮子は反応しないことにした。
「でも、確かに不思議なところだったね。…亡くなった人に言うのは変かもしれないけど、皆元気かなあ…?」
「…行ってみる?」
「え、でもお店は?」
「大丈夫! 丁稚も一人いるし! うん、あたしも気になって来たから行ってみよう!」
まみなはそう意気込んで立ち上がると、
「母ちゃーん! ちょっと友達と出掛けて来るよー!」
再び店の奥に向かって叫ぶと「うるさいよ! 早く帰って来るんだよ!」とまみなに負けない威勢の良い声が返って来た。
「良いってさ! 甘酒飲み終わったら行こ!」
まみなは満面の笑みを蓮子に向け、蓮子とお紺はあまりに話が早く進み過ぎていることに驚いて、互いに顔を見合わせた。
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