五.

 あやかしの里は相変わらず賑やかではあるが、店と店との間に植わっている木々はすっかり枯れ木になっていたり、〝鍋焼き饂飩 始めました〟という看板を出していたりと、里にも冬が少しずつ訪れ始めていた。

いつものように屋敷の玄関にまで入って行くと、そこにある履物が今日は多い。しかも、自分たちが履いているローファーが一組、サイズの大きいスニーカーが一組である。あの男女は鬼灯婆さんが言ったように神野の元を訪れていた。すると、出迎えは鏡花ではなく、白玉・杏仁だけである。これは珍しいことであった。

「鏡花さんはどうしたの?」

「鏡花様はお兄様が来ていらっしゃるから、お話しているの!」

 白玉は嬉しそうに答えた。その言葉に蓮子とお紺は目を大きく見開いて、叫びそうになることだけは何とか抑えた。

「じゃ、じゃあお紺、あの男の人って…」

「うん、鏡花様の兄上だったんだ…!」

 お紺は納得したように頷いた。ということは、あの男子学生は妖狐である。とにもかくにも、神野に訊いてみるしかなかった。白玉・杏仁に蓮子たちは神野と鏡花、そして二人がいる部屋へ案内をして貰った。

 蓮子たちが襖を開けるなり、一斉に中にいる者たちは蓮子たちに視線を向ける。

「…まさか、お前たちか? 俺たちの後をつけてたのは?」

 蓮子の高校の制服を着た男は、蓮子とお紺を睨む。蓮子はその鋭さと威圧感に、内心怯んでしまった。男は目鼻立ちが整った、涼しげな目元の美男子ではあるが今は金色の目に力が入り、眉間に皺が寄っている。

「おお、蓮子とお紺か! …はあ、つけていたのはお前たちだったのか。それなら安心だ。鏡時、この二人は俺の部下みたいなもんだ。その睨むのを止めてやれ」

 神野が苦笑しながら言うと。鏡時、と呼ばれた男の顔は無表情に戻った。よく見ると、鏡花に似ている。兄妹の妖狐ならば、やはり人間に化けるときも顔が似てしまうものなのだろうか、などと蓮子はひっそりと考えてしまった。

「ああ、お二人ともすみません。この者は私の兄でして…お出迎えせずに大変失礼いたしました」

 鏡花は丁寧に二人に詫びた。鏡花には全く非が無いので、蓮子は慌てて大きく首を横に振り「悪いのは自分たちの方ですから」などと言って逆に恐縮した。一方、鏡時の隣にいる女生徒は、何も言わずにただじっと、連子たちの方を見ているだけである。艶のある長い黒髪に、琥珀色の大きな瞳が印象に残る、確かに美女であった。鏡花も美女ではあるが、こちらの女生徒はまだ幼さが残る、〝綺麗〟よりも〝可愛い〟と形容した方が近い美少女である。

 蓮子は神野に促されて部屋に入ると、鏡時と少し距離を取った場所に座布団を移して座った。

「それじゃあ、まずは互いに自己紹介をしようじゃないか」

 神野がそう話題を振ったので、蓮子とお紺は鏡時たちに体全体を向けた。

「あの、初めまして蝶野蓮子です。これは管狐のお紺です」

「お紺と申します。…まさか鏡花様の兄上様だったなんてねえ…」

「…鏡花の兄、鏡時だ。人間の世界にいるときは秋山とも名乗っている」

「…綾羅木照葉あやらぎてるは、です…」

 そこで女生徒―照葉は初めて声を発した。控えめな音量で、表情はあまり変わらない。鏡時は、お紺を一瞥した後神野に向かって、

「神野、この管狐…少し妙じゃないか? 変わった妖気というか…」

 と尋ねた。鏡時の方でも不思議に思っていたらしい。

「ああ、その二人は変わった事情があってな。まずそこから説明しなければ」

 神野はそう前置きをすると、蓮子とお紺の特殊な事情を説明した。鏡時はにわかに驚き、照葉の方も不思議そうに蓮子を見る。

「そんなことが起こるものなのか…まあ、この里が存在すること自体の時点で、不思議なことなんてないけどな」

 鏡時がそう言うと、神野は頷いた。

「まあそういう訳でだ、この二人には先程話したように里の外と里との見聞役を務めて貰っている。だから、怪しい者じゃないぞ。で、お蓮とお紺は、なんでこの二人を尾行してたんだ?」

「それはあたいからお話いたします」

 お紺がそれから二人の後をつけていた理由を話す。すると、神野と鏡時は破顔した。

「まあ、確かに怪しいとは思うよな!」

 鏡時は喉の奥で笑いながら、蓮子の方を見た。

「まあ、しっかり役目を果たしてくれているのだから、そこは感心するべきところだろう」

 神野に言われると、お紺は照れた表情になる。蓮子は、自分の役目を忘れていたことは絶対に言わないでおこう、と固く心に決めた。

「…あの、失礼ですが神野様、鏡時様は分かるのですが、この御方…照葉様は、何と言うか人間にも近いのでは、と思うのですけれど…」

 お紺は表情を再び締めると、今度は照葉のことについて尋ねた。

「…私は半分は人間だけど、半分は蛇神の血を引いてるの」

 そこへ、自己紹介以来一言も声を発さなかった照葉が、自身の事情を話した。成程、鬼灯婆さんが話していた『妖怪というには語弊がある』と言っていた理由はこれであることが分かった。

「神様の血を引いてるんですね…」

「うん。…そのことを知らなくて、私は昔、身体に鱗が出たことがあって…それが原因で気味悪がられていじめられたりしてたの…。今は、私を理解してくれている親友や、神野さんに鏡花さん、それに鏡時がいてくれているから、もう自分自身を受け入れることが出来たんだ」

 照葉はそこで初めて、柔らかい表情になった。蓮子は照葉の境遇が不憫ではあったが、それは自分とも似ていると思い、そして、今は何の問題もないことに安堵した。 

「あの、お二人はどうやってお知り合いになったんですか?」

 思わず蓮子は照葉にそう訊いてしまった。

「…話せば長くなるんだけれど…。私がこの里に来たのは、二年ほど前の夏の終わり。きっかけは、この里に迷い込んだ親友を捜しに来たことがことの始まり」

 それから照葉は、当時この里は、今以上に人間を一切受け入れない里であったこと、親友はその境界を越えてしまったが為に神野に封印され、親友を返して貰うために悪霊を、鏡花と共に側近であった銀狐の鏡時と組んで倒すという条件をのんだことを話した。二人の出会いも、この里であったらしい。その話を聞いて蓮子は二年前、確か神隠し事件が多かったことをぼんやりと思い出した。まさか、神野がその首謀者であることなど、夢にも思わなかった。

「んで、最終的にそいつを倒した俺たちは、一旦別れたんだ。…俺は妖怪としてもっと強くなる為に、修行に出ることにしてな」

「…その後、一時的に帰って来たじゃない」

 鏡時の言葉の後に、照葉はそう付け加えた。照葉は呆れた様子である。

「あれはお前が寂しがると思って…痛っ!!」

 照葉は顔を少し赤くして鏡時の腕を抓った。何とも甘酸っぱい光景である。

「…それで、照葉とまた会う約束をした後に、俺はもう一度日本中を旅して、最近戻って来たんだよ。…里の入り口も人間が迷いこまないようにもっと分かりにくくなってる上に、まさかこんなに広くなっているとは思わなかったけどな」

「あ、それで最近、その二つの強い妖気が現れたんだ…」

 お紺は納得したように言った。

「まあ、そういうことだな。…しかし、俺はともかく、照葉の妖気…正確には違うが、ともかくそれが強くなったのはなんでなんだろうな?」

「それは鏡時、多分お前が原因だろう」

 鏡時の問いに答えたのは神野である。

「妖気が強くなったのは、最近鏡時が照葉の元に帰って来たのをきっかけに、二人の妖気が共鳴したせいだろう。まあ、それ程二人の相性も良いということだ」

 神野は豪快に笑うと、照葉はいよいよ顔を真っ赤にして俯き、鏡時もまた笑った。鏡花は、どこか嬉しそうに微笑んでいる。

「はあ…お二人は本当に仲が良いんですね…」

 蓮子がそう言うと、神野は頷く。

「二人の祝言が楽しみだな!」

「なっ! ま、まだ早いですし、別にこ、恋人とかじゃありませんから!」

 照葉は慌てて否定するが、それがますます神野を面白がらせて、照葉をからかって遊び始める。鏡時は満更でもなく、その上神野に便乗して一緒に照葉をからかい始めた。

 

 その騒ぎの中、蓮子の肩にいたお紺は膝の上に降りて来た。そして、

「ほー、あんた、羨ましそうだねえ…。あんたも彼氏の一人や二人、作れば?」

 と蓮子をからかって来た。蓮子は深いため息をつく。

「二人はまずいでしょ…。でも、あの二人が羨ましいのは本当だけど、残念ながら出会いが無いんだよね…」

 自虐的な笑みを浮かべると、お紺は噴き出した。

「まあ、あんたの器量はまあ、十人並だしねー」

「ちょっと、あんたに言われたくないわよ! そもそも、あたしはまだ16歳だけど、あんたはかなーり長生きしてるよね? そう言うあんたはその無駄に長い人生の中で、彼氏や旦那様がいたことはないの? 無いんでしょ!」

「う、うるさいよ! あ、あたいは男なんていなくても平気だよ!」

「ふ、あんたも人もこと言えないじゃない」

 うろたえるお紺に対し、蓮子は言い負かすことが出来たことに清々しさを覚えた。

「…それにね! 今からそんなの作ろうとしてもできないじゃないか! だってあんたとくっ付いてるし! あんた、管狐の嫁になる気!?」

 お紺はそう反撃してきた。蓮子はしまった、と内心叫ぶ。

「う、うう…そうだった…私、もう普通の人間じゃないんだった…あーあ…」

 蓮子は嘆き、また深いため息をついた。それに同情してか、自分自身のことを悲嘆してか、お紺もまた小さな口からため息をついた。

 冬が近付いて来ているのに春真っ只中な照葉と鏡時を眺めながら、蓮子とお紺の心境は真冬の、それも猛吹雪の中にいる心境になっていた。

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