第漆話 狐男と蛇女

一.

 「そういやこの間さ、すっごい美男美女のカップルを見たんだよー!」

 そろそろ本格的な冬に差しかかろうという季節。昼食の時間、会話の中に若菜はそう差し込んできた。女子同士の会話というものはスーパーボールのように弾んではあちこちに飛ぶものなので、蓮子もさして気にすることはなく相槌を打った。若菜は更に話を続ける。 

「三年の先輩でね、廊下ですれ違ったんだよー。なんか、彼氏の方は彼女さんのことからかってて、彼女さんの方は顔真っ赤にしながらバシバシ彼氏さんの背中叩いてたけど」

 いやー微笑ましい、と付け加えた若菜はしみじみとしながら紙パックの茶を一口飲んだ。一方蓮子と、いつの間にか蓮子の肩に乗っていたお紺の頭には疑問が浮かぶ。

「…えーっと、それってカップル、でいいのかな…?」

「え?」

 蓮子の質問に若菜も疑問形で返す。

「いや、だってただ親しげに話しているだけだったら、普通に友達っていう可能性もあるでしょ?」

「ああ、大丈夫。それなら二人恋人同士だっていう裏は取れてるから」

 一体何が大丈夫なのか、とツッコみたくなったが、そこは若菜に話の続きを譲る。

「周りにいた先輩たちがさあ、『あの二人は今日も仲良いねー、羨ましいあのリア充!』ってひそひそ話してたから!」

 自信満々に若菜はそう言い切った。――周囲の人間の囁きだけで裏が取れたと言っていいのか。もう蓮子は考えることを止めた。

『ねえ、リア充って何?』

 若菜が見えていないことを良いことに、お紺はするりと方から机の上にまで降りてきて、小首をことりと傾げた。

『恋人も友達もたくさんいて、毎日順風満帆な羨ましい人たちの総称だよ』

 どこか冷めながら蓮子は心の中でお紺に説明した。だが、お紺はその説明と〝リア充〟という単語が結びつかないらしく、ますます困惑しながら唸った。

「はあ、いいなあ…あたしも彼氏欲しい…。身長は175cm以上、細いけどしっかり筋肉は付いていて、目鼻立ちがくっきりしていて一見ワイルドだけど、中身は紳士なギャップのあるイケメンの彼氏…」

 随分と欲望と要望の詰まった好みである。まず、すぐには見つからないだろう。

「はあ、見つかると良いねえ」

 気休めにしかならない言葉を掛ける。その次の瞬間には、若菜もため息をついた。

「見つかると良いけどねー…」

 現実への嘆きを口にしながら、若菜は遠い目であさっての方向を見た。要するに今の〝好みのタイプ〟は口にしてみたかっただけなのである。若菜もそこまで夢に生きていない。

――ふと、若菜の好みのタイプに、蓮子は一人だけ心当たりがあった。ある意味連子の上司にあたり、妖怪の里の創造主兼里長の、あの神野悪五郎である。神野ならば、若菜が述べたタイプ、というよりは条件に全てではないものの、多くが当てはまる。しかし、ここで若菜に神野を紹介しても無駄であろう。何せ相手は魔王であり、人間の男性ではないのである。尤も、若菜がそれを承知の上で付き合いたいというのならば話は別であるが。そもそも、若菜はあやかしの類を信じていないので、まず神野の存在自体も信じられないだろう。

『それならやっぱり神野様だね! まあ、こんなちっぽけな人間の小娘には全く釣り合いが取れないどころか、頭が高すぎるとは思うけど』

 蓮子と同じ意見を、なぜか誇らしげにお紺は言った。

『私の友達のことを悪く言わないでよ。でも、神野様が無理なのは分かるけど』

「ん? どうしたのぼーっとして」

「へ? あ、ううん、大丈夫」

 お紺と外で会話をしている間は声も出さず、ただじっとしているだけなので、傍から見ると蓮子は一時停止したように見えてしまう。実は、今まで何度も若菜や他の友人たちにも心配されたので、なるべくお紺と沈黙の会話はしないようにしていた。大体はお紺が一人で喋っているのを蓮子は聞き流していたが、今は意見が偶然一致したので思わず長く会話をしてしまった。

「それにしても、美男美女のカップルなら何で今まで気づかなかったんだろうね? もっと早く話題になって、知っていてもおかしくなかったのに」

 蓮子はやや慌てて次の話題を振った。

「うーん、二人がくっついたのがごく最近とか?」

 若菜もお紺と同じように首を傾げつつ、そう推測した。

『そういや、最近二つの強い妖気を感じてはいたんだけど…うーん、それはそういうことか…』

「どうなのかなあ…そこまでそのカップルには詳しくないけど」

 お紺の意味深長な呟きの後にすぐに若菜の発言が入って来たので、蓮子はお紺に尋ねる隙がなかった。

「ま、今度見つけたら紹介してあげるよ、その美男美女カップル」

「いや、いいよ別に…」

「あ、それよりさあー」

 あれほど盛り上がっていたカップルの話題は、あっさり次の話題に乗り換えられてしまい、蓮子の記憶もすぐに上書きされてしまった。一方で、お紺はそれっきり黙ったままであった。

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