二. 

 鬼灯の小径を抜けると、秋から冬の初めに季節は移ろい、里も少しずつ風姿を変える。里の北にある大きな山は紅葉の気配が薄れ、深縹ふかはなだの色を見せ始める。変わらないと言えば里の住人である妖怪たちだけであり、寒さもお構いなし、という熱気に相変わらず溢れていた。

 里の長である神野の屋敷に向かう空飛ぶ籠を呼ぶと、珍しく四人で乗り込むこととなった。移動の途中、太権の顔は青くなっており、

「やっぱ慣れねえな、これ…」

 と弱弱しく呟くと、

「これくらい耐えるでやんす! 男の子でしょ!」

 とギンが鼻息荒く太権を叱咤する。

「お前も男だろうが!」と太権が返し、一人と一匹の漫才を楽しんでいるとあっという間に屋敷に着いた。

「いらっしゃいませ。…まあ、お二人が揃っていらっしゃるなんて珍しいですね」

 出迎えに来た鏡花は僅かに驚いた表情を見せた。

「実は偶然神社の前で会ったんですよ」

 蓮子は鏡花にそう説明する。

「まあ、そうだったのですか」

「あ、そういえば神野様はいらっしゃいますか? 実はその神社のことについて色々お聞きしたいんです」

比熊山ひぐまやま神社について? ええ、神野様はただ今ゴロゴロと、いえ、休んでいらっしゃいますよ。ご案内いたします」

 鏡花はそう言うと、立ち上がって奥へと進む。今の本音の部分は敢えて二人と二匹はツッコまないことにした。



 通された部屋で、確かに神野はゴロゴロとしており、釈迦の涅槃姿の如く横になって何やら和綴りの本を読んでいた。神野は鏡花と客人に気付いても、姿勢は特に変えなかった。蓮子ら招かれた者たちは神野に一通り挨拶をすると、強化はお茶を持ってくるために一旦その場を辞した。

「おお、お蓮と太権が一緒とは珍しいな」

「ええ、偶然神社で出会ったんです。それでですね…」

 蓮子は神野に比熊山神社―里の入り口になっている神社の謎を、一通りぶつけた。すると、神野は突然姿勢を正し、それから胡坐になる。

「あの神社か…あの神社はな…」

 そこで神野の言葉は途切れる。そこから蓮子たちは、あの神社には深い意味があるに違いない、と確信した。そしてその直後、再び神野が口を開く。

「…特に意味はないぞ!」

「…ええーっ!?」

 四人が一斉に気の抜けた声で叫んだ。あれだけ意味深そうにしておきながら、このような結果である。神野は大口を開けて豪快に笑った。

「いや、意味はあるにはあるんだがな。…まず、神社ってのは俗世と神域との境界に位置する。だから、妖怪たちに分かり易いと思って神社にしたんだ。別に寺でも良いが…寺だと、経も上げない、葬式もしないと不審がられるだろ? その点、神社は無人でも不審に思われない」

「あれ? じゃあ、普通の人間にも見えてるんですか? あの神社」

「おう、あわよくば賽銭箱で小銭稼ぎしてやろうと思ってな」

「うわあ…悪い…あ、魔王様だった」

 蓮子の呟きに神野はまた笑った。

「ちなみに、何か祀ってあるんですか?」

今度はお紺が尋ねた。神野は大きく頭を振る。

「何も祀ってない。だって、俺は魔王だぞ? 奉ってあるとすれば…俺だな!」

「でしょうね…」

 蓮子ですらも乾いた笑みが出た。

「じゃあ、あの神社の名前…〝比熊山〟にも特に意味はないんですか?」

 これは太権が尋ねた。

「名前については意味…というか理由はあるぞ」

 神野がそこまで話したところで、鏡花がお茶と一緒にお茶菓子も持って来た。そこには卓が無かったので鏡花が出しましょうか、と動いたところで、神野はそれを制した。蓮子たちも、鏡花にそこまでさせるわけにはいかない、と丁寧に断りを入れ、座っている前にお茶を持って来て貰った。今回は晩秋によく合うほうじ茶である。鏡花も正座をしたところで、神野は話を続ける。

「比熊山はな、備後国…嗚呼、今は広島県か。そこに実際にある山だ。そこには〝神籠石〟通称〝たたり石〟もあるんだ」

「あっ! もしかして『稲生物怪録いのうもののけろく』ですかい!?」

 突然ギンが叫んだ。その通りだ、と神野は頷く。

「そこで俺と山本の野郎が対決をしていてな…まあ、これは今ギンが言った記録にあるからそこを読んでくれ。で、その比熊山に俺は対決の間そこにいた訳だ。まあ要するに、懐かしい気持ちで付けたんだ。平太郎の坊主も地元じゃ英雄だし、俺は負けた側だが、あの一か月間は楽しかったなあ…」

 神野は珍しく感慨深そうに目を瞑った。『稲生物怪録』について、蓮子はまだ読んだことがない。お紺に怒られそうなので、そろそろ読んで勉強をしようと、今ここで決意した。

「ところで…そのたたり石、って凄い響きですね…」

 蓮子はとにかく気になった単語について訊いてみた。

「ああ、あれは元々比熊山にあった岩だ。山の怪から山の神まで、妖気やら神気やらがたくさん詰まっている石でな。平太郎が一か月間妖怪に係わる羽目になったきっかけでもある。ちなみに全国にあるだろうな、不思議な石は」

「不思議で済ませるんですね…」

 蓮子はそうそう、平太郎少年、改め稲生武太夫のような目には遭いたくない、と思ったが、既にこの妖怪の里に来ている時点で同じであることに気が付いた。意外と平太郎少年とは気が合うかもしれない。

「あーっ! 思い出した!」

 突然膝の上にいつの間にか移動していたお紺が叫んだので、その場にいた全員がびっくりする。

「な、何よ! 藪から棒に!」

「たたり石で思い出した! あたしの故郷は那須さ!」

「那須? 那須ってあの那須高原の?」

「そうそう。あー、すっきりした」

 お紺は満足そうに目を細める。一方、お紺と神野以外は何が何やらさっぱりである。

「ほう、那須出身か。…思い出したきっかけは〝殺生石〟だな?」

「ええ、そうですそうです!」

 お紺は嬉しそうに答えた。殺生石とはなんなのか、と蓮子が訊く前に、神野が説明を始める。 

「殺生石は九尾の狐・玉藻前が殺された際、石に変化したものだ。その後は玄翁和尚によって砕かれて全国に飛び散ったというが…那須にもその本体はまだ残っている筈だ。あの石には、それは強力な毒が発生していて、人畜のみならず並の妖怪、徳の高い僧も迂闊に近付けない。そうか、お紺はそこにいたのか」

「ええ、確かに記憶があります。でも、あたしはあの石に近付いても大丈夫だったような…不思議ですねえ」

お紺の言葉を聞いた直後に、神野の表情が僅かにしかつめらしい表情になる。蓮子はそれが気になった。だが、神野はすぐに話に戻り、その表情もあっという間に消える。

「それにしても、殺生石といい飯綱使いに管狐、銀狐…ここは狐だらけだな」

「確かにそうですね。…あ、そうだ! 俺、神野様にご相談したいことがあるんです!」

 太権はここに来た本来の目的を思い出した。

「あの…せっかく管狐のギンを頂いたのに申し訳ない話なんですけど…未だに飯綱使いの仕事が出来ないというか…具体的にはどうすれば良いのか分からないというか…情けなくて済みません…」

「ふむ、管狐を使って他人の富を掠め取ればいいだけだろう?」

「ええ、それは分かっているんですけれど…何か抵抗があるというか…モラルが…」

「現代的な悩みだな…お前の両親はどうしていたんだ?」

「それがですね…亡くなった祖父は何度か使役をしたそうなんですけど、その目的や方法を憶えてなくって。それで、親父は管狐を持っているにはいるんですけれど、今まで使役したことが全くないんですよ。それで、今は普通のサラリーマンです」

「時代だなあ…」

 太権の現状に神野は遠い目をした。確かにやっていることは泥棒と同じことなので、太権の気持ちも蓮子には理解できた。しかし、

「情けないねえ、ギンが可哀相だよこれじゃあ」

 お紺は辛辣な言葉を太権に浴びせる。太権はますます小さくなる。

「ちょっと、お紺! あんた人に泥棒になれって言ってるの?」

 さすがの蓮子も窘めた。

「ふん、じゃなきゃ飯綱使いの名が廃るよ!」

 お紺は鼻息を荒くした。そこへ、苦笑を浮かべた神野が再び口を開く。

「うーん、では、嫌いな人間に呪いをかけるのはどうだ? 呪いなら目には見えないから大丈夫だろう」

「特に嫌いな人間がいないから困ってるんですよ…」

「じゃあ、適当な奴に適当に呪いをかけてみろ。軽い風邪とかその程度の疫病で。方法は知ってるだろ?」

「ええ、知ってますけど…」

新たな神野の提案に、太権はまたため息をついた。

「お前はちょっと人が良いのかもしれねえなあ…。嗚呼、何なら義賊みたいなことをやればいいんじゃないか? 盗まれた物を盗り返す、とか」

 神野の少し投げやりな提案に、俯きがちであった太権の頭が上がった。

「ああ! その手がありました! それなら出来るかもしれません。…蝶野さん、盗まれたものとか…」

「残念だけど無いよ!? でも、それは良いかもね。良いことしてるんだし。小規模のことならやっても良いと私も思う」

「そうか…そうだよな! あーすっきりした! ギン、その路線で行ってみるぞ!」

「おう!」

 どうやら太権の悩みは解決したようである。お紺も自分の出身地が分かり、蓮子自身も、神社の謎が解けたので各々疑問が解けてすっきりしたのであった。

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