第陸話 比熊山神社の謎
一.
ある日の学校の帰り道。蓮子とお紺は里の入り口にも入らず、ただ神社の鳥居の前で突っ立っていた。蓮子はふと、気になったことがあり立ち止まったのである。一方、里に早く出向きたいお紺は、それに焦れてにゅっ、と蓮子の襟から体を全部出した。――最近、ようやくお紺は尻尾まで連子の身体から出られるようになったのである――お紺は蓮子の肩に乗ると、非難がましい目で連子を見た。
「ちょっとちょっと! 何ぼーっと突っ立ってんの! 早く行くよ!」
「いやあ、ふと思ったんだけど、この神社って不思議だなーって」
「どこが?」
「まず、何で里の入口を神社にしたのか、だよ。お寺でも良いよね?」
「うーん、確かに」
お紺も鳥居を見つめる。鳥居は石造りのものであり、少し苔もむしている。狛犬と獅子が向かい合って「阿」と「吽」の口の形をしている。その奥には小さな本殿のみがあった。鐘はないが、賽銭箱はきっちりある。近くには社務所があるかと思ったが、それすらない。そして何よりも謎なのは〝比熊山〟という名であった。あの荒々しいヒグマを蓮子は想像しているが、それとは違うのだろうか。―色々と思考を巡らせているそのとき、
「あ、蝶野さん?」
「お紺もいるでやんす!」
肩には白い毛並の管狐を乗せた茶色の髪に、蓮子と同じ高校の制服を着た男子高校生―〝飯綱使い〟の
「あ! 飯綱君だ! 久し振り!」
蓮子は顔見知りの一人と一匹を見て、そう返した。――以前、太権が勘違いをして蓮子に憑いているお紺を祓おうとするという、ある意味事故のような出来事以来、里を通じて太権とは顔見知りになった。しかし、学校ではそれが『太権が蓮子に告白した』という誤解が生じてしまい、蓮子も太権もその疑惑を払拭する為に会うのを避けて来たのであった。里でも太権とギンにはまだ会ったことがない。ちなみにその誤った色恋沙汰の噂は七十五日どころか半月で消え失せており、蓮子もそのことを忘れかけていた。――
だが、避けてたとはいえ、太権も管狐繋がりの友人であることに変わりは無い為、こうして顔を合わせることが出来て蓮子は嬉しくなった。
「ギンも変わらず元気そうだねえ」
お紺も明るい声色でそう話しかけた。
「ええ、お陰様で。…飯綱使いとしての仕事はまあ、ないんでやんすが…」
「おい、やめろ! 悲しくなるだろ!」
「無いんだ…」
せっかく悲願であった管狐を手に入れたにも関わらず、飯綱使いとしての仕事はまだ行っていないらしい。蓮子は思わず同情してしまう。
「まあ、里に行けば仕事に繋がる何かを見つけられると思って足繁く通ってますがねー、お二人もこれから里に?」
「あ、そうだ。里には行くつもりなんだけど、この神社が不思議だと思って」
「神社?」
太権が訊き返すと蓮子は頷いた。
「確かに里の入り口が神社ってのは…妙だよなあ。里を治めているのは魔王様なのに」
太権は首を捻った。太権も同じ疑問を抱いたらしい。
「あんたたちは〝飯綱権現〟様を信仰しているのかい?」
「ああ、そうだよ。飯綱使いは権現様が由来だしな」
お紺の質問に太権が答える。蓮子は新たな疑問が増えた。
「飯綱権現様…って元はどんな神様…うーん、仏様?」
「どちらでも正しいよ。飯綱権現は神仏習合の際、仏に置き換えられた元日本の神様だからな。白蛇が巻かれた白狐に乗って、剣を持ってるんだ。元は軍神で、色んな戦国武将からも信仰されてたんだよ。昔は流行ったんだけどさ…そこから来た〝飯縄法〟が何か邪法だの左道だのって言われて一部、いや大部分に忌み嫌われるようにもなっちゃってさ…はあ…」
太源はため息をついて項垂れた。確かに信仰している対象が嫌われるというのは悲しいだろう。もっとも、蓮子自身は仏教徒ではあるものの信仰心が薄く、触れる機会は葬式や法事のみである。
「稲荷神社は大盛況なのにねえ…同じ
お紺の言葉で太権は顔を上げる。
「そうそう、総本家がそこにあるんだ。何で知ってるんだ?」
「ふん、伊達に長生きしてないよ! それに管狐と飯綱権現様は切っても切れないんだ」
「何で長野県って分かるの?」
蓮子が訊くと、お紺は呆れたような表情になる。
「今説明したじゃないか! あのね、飯綱権現様は起源が色々あるけれど、その中でも戸隠山に飯綱権現様の縁起に触れられてるし、長野県には〝飯綱山〟ってのがあるんだ。飯綱権現様は山岳信仰が元ともされてるんだ」
「へえー」
蓮子はお紺の博識ぶりにただただ感心した。お紺がその博識を発揮したのはこれが初めてである。
「じゃああの山伏っぽい姿って、コスプレじゃなかったんだ…」
「いやいや! あれはれっきとした飯綱使いの装束だから!」
太権は慌てて訂正した後、
「しかし、出身地のことまで…ホントによく知ってんなあ」
「ちなみにわっちも飯綱山にいたんですよ」
太権もまた感心し、ギンは懐かしそうに言った。お紺は「へえー」とギンの言葉に感慨を受けた。
「お紺はどこ出身なの?」
「ん? あたしはねえ…あれ、どこだったかなあ。色々渡り歩いて来たからさ」
「そっかあ、渡り管狐…響きがなんか面白い…」
蓮子が一人でくすり、としていると、お紺は覗き込んでまで蓮子を睨みつけて来た。蓮子は咳払いをする。
「そういや、話がちょっと脱線しちゃったけど、元はこの神社が不思議だ、って話だったよね。飯綱君もこの神社のこと知らない?」
「ああ、気にもしなかったよ。どこにでもある神社だし。…むしろここって、普通の人間に見えてるのか? 結界があるから、見えていない可能性もあるな」
「祀っている神とかも気になるねえ」
太権とギンも首を傾げた。
「ええい、こうなったらあのお方に訊くのが一番早いよ! 里に行くよ!」
「確かに、造った本人に訊くのが一番早いよね…」
お紺と蓮子の言葉に、太権とギンも納得したように頷いて、四人は連れ立って里に向かうことにした。
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