第参話 タマシイアパート
一.
今日は一週間ぶりに里を訪れる日である。お紺は蓮子の私服のチュニックの襟からひょっこり顔を出して、いつもよりどこかイキイキとした表情をしていた。蓮子もゆっくり街道を歩いていると、改めてこの里の面白さ、懐かしさを感じていた。
『何か懐かしいねえ。この街並みに店、空気…。この里を見つけることが出来て本当に良かったよ。今の人間界は何か息が詰まりそうだったからね』
「じゃあ、毎日息苦しく暮らしてるの? 窒息しない?」
『いや、そう意味じゃないんだけど…。確かに今の人間界は便利だけど、あたいたちには肩身が狭くなったって言う比喩だよ!』
「でも、妖怪は今でも人気あるじゃない」
『人気になったら逆に出にくかったりするんだよ』
「管狐はメジャーじゃないと思う」
『何ですって!? 相棒にそんなこと言うなんて! あーあ、コンビ解散しよっかなー』
「そんなことしたら、私もお紺もまずいんじゃなかったっけ」
『…そうだよ! したくても出来ないんだよ!』
蓮子とお紺は天下の往来で雑談を繰り広げる。そしてすれ違う妖怪たちも、思わず蓮子とお紺を二度見する者が多くいた。蓮子はその視線に気が付き、恥ずかしくなって早歩きになる。
『…おじょーさん…そこの珍しいおじょーさん…』
蓮子が大股で街道を歩いていると、か細い女の声が聞こえて来た。蓮子は立ち止まり、周囲を見回す。だが、周りに女どころか、妖怪は一人もいなかった。
「…ねえ、今なんか聞こえたよね」
『そうだね。…霊の類?』
蓮子とお紺がそう話し合っているのが聞こえたのか、再び、
『おじょーさん…おじょーさん…』
という声が聞こえて来た。蓮子はまた忙しなく周囲を見回す。
「やっぱり! 何か聞こえた! な、何? 私のこと!?」
『……ああ、そういうこと』
「お紺、何か分かったの!?」
『自分で声の正体を探してみなよ』
「何でよ」
『それが妖怪の本分だからさ』
『そのとおり…』
お紺に続いて女まで答えて来た。蓮子は「えっ、えっ」と一言だけしか繰り返すことが出来ず、既に声の正体を見抜いたらしいお紺はくすくすと笑った。蓮子はなんとか落ち着いて周りを見回す。傍には昼間から開いている居酒屋と、うどん屋しかない。そしてうどん屋の前には信楽焼の狸の置物が置いてある。ふと、その狸に蓮子は気配を感じた。そっとその狸に近付く。すると、
『わあ!!』
「ぎゃああああ!?」
突然狸が諸手を上げて声を発し、蓮子は度肝を抜かして叫んだ。そこで置物の狸は謎の煙に包まれたかと思うと、次の瞬間には蓮子と同じ年頃に見える少女が立っていた。狸の尻尾のようにふんわりとしたこげ茶色のポニーテール、黒く大きな瞳、蓬色地に梅柄の着物は、膝までしかなく、素足に下駄を履いている少女である。
『まさか狸に化かされるとは思わなかったよ』
お紺は少々悔しそうにそう言った。
「へっへー。化かしに関しては狸の方が上だからねー! でも、人気があるのは狐の方なんだよなあ…」
少女もまた悔しそうに言った。
「あ、あなた狸の妖怪なの!?」
蓮子だけは今も心臓が早鐘を打ち、驚きの余韻が残っている。少女は大きく頷いた。
「あたしはまみな、っていうんだ。この里で酒屋を経営してるんだよ! なんか不思議な感じがしたから、驚かせてみようと思ったんだ! あー、久々に脅かせて楽しかった! ところで …あなた本当に不思議…半分は妖怪って感じ」
『そうだよ。あたいと蓮子は魂を共有しているんだ。二つの魂が半分ずつくっ付いてる感じ? だから蓮子は半分人間みたいなものなのさ』
「へえー…。あ! もしかして噂になってる神野様の見聞役の子!?」
「う、うん。噂になってるんだ…」
「そうだよ! だって妖怪と人の魂が互いに乗っ取られずに融合するのっていうのは珍しいからね。そっかあー名前は?」
「蝶野蓮子。こっちは管狐のお紺」
「蓮子ちゃんにお紺ちゃん…れんこんコンビだね!」
「まさかもう一度言われるとは思っていなかったよ…」
蓮子は苦笑した。まみなが実は狸であるとはとても思えない。そして、とても取っつき易い娘であるとも思った。
「それで、今日は里に遊びに来たの?」
「うん。神野様への報告もあるけど、お紺が街並みもゆっくり見たいって言うから」
『だって、今の人間界にはこんな所無いんだもん。ゆっくりしていきたいさ』
「そうそう。あたしも元は四国にいたんだけどね、そこもやっぱり妖怪の居場所が無くって…全国津々浦々と巡っていたら、この里に辿り着いたんだ。本当、神野様には感謝してもし尽せないよ。あ、そうだ。見物しているなら、面白そうなところに案内してあげるよ! あたしも行ったことのないとこなんだけどね、何か独特の雰囲気を持つ長屋…じゃなくて建物なんだよ」
「へえー。じゃあ行ってみようよ、お紺」
『えっ、そろそろ神野様に報告へ行った方が良いんじゃないかい!?』
「報告することは特に何もないし、急がなくても大丈夫だよ! その面白そうな所、お紺は気にならないの?」
『…そりゃあ、ちょっとは気になるけど…』
「ほらやっぱり! よし、行こうまみなちゃん!」
「うん、あたしに付いて来て!」
まみなはポニーテールを揺らして踵を返した。そして、軽快な下駄のカランコロンという音と共に、歩き始める。蓮子もまみなの隣に並んで歩き出した。
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