金曜日の追想
弥生 久
金曜日の追想 (前編)
1
数ある記憶の断片の中で、奇妙に鮮明なものがいくつかある。
例えば給食の時間に流れていたビートルズ。近所の歩道橋の二段目にあったひび割れの形。雨上がりのアスファルトの匂い。
通学路にあった電話ボックス。斜めにかしいだカーブミラー。迷い込んだ路地裏の壁の色。
朝顔を枯らしてしまったこと。図書室でひとりポーを読んだこと。毎夕どこからか題も知らないピアノが聞こえていたこと。
たいていは何でもないことで、どうして憶えているのか不思議でならないようなものばかりだ。けれど、それらは掠れた鮮明さを保ったまま、静止画として俺のなかに留まり続けている。
そしてこれは一般論として、たいていを規定すれば、そこから外れた例外が必ず生まれる。
例えば、十一月もなかばを過ぎた金曜日のことだ。
2
校舎の二階、そのどん詰まりをさらに行くと、眠たげな陽ざしを丸窓にすかした連絡通路に差し掛かる。
砂埃に汚れた丸窓からのぞくグラウンドを視界の端に進み、陽ざしの残滓も届かない薄暗いリノリウムの上で靴を脱ぐ。スライドドアにはめ込まれた飴色のガラスから漏れる光に、かろうじて入口の上に掲げられた石札が読める。
幾何学模様のような奇妙な文字で曰く、「図書館」。
スライドドアを開ける。図書室は無人だった。たいてい
カウンターの内側に陣取り、鞄から文庫本を取り出して読みかけのページを開く。読み切ってしまおうと家から持ってきたものだ。野球部か何かだろうか、威勢のいい掛け声がゆるくカーテンを揺らしていた。
十分くらいたっただろうか。扉が開く音がして俺は我にかえった。
「やっぱりここにいたのね」
「よう」
図書室に入ってきたのは由ヶ崎だった。
由ヶ崎はカウンターを回り込むと鞄をおろし、椅子にも腰かけないまま俺の読んでいる文庫本を覗き込む。
「定期試験も近いのに読書? しかも『堕落論』。余裕ね」
俺は本から顔を上げることもなくこたえる。
「次の試験は年を越してからだろ。ついでに『堕落論』は名作だ」
「十分近いと思うけど。それに私は『堕落論』にけちをつけたわけじゃないわ。あなたにつけたのよ」
ああ言えばこう言う奴だ。それにしても十分近いってなんだ。そんなことを言ったら年中試験勉強じゃないか。想像するだに恐ろしい。
「試験が近いのに勉強しないのを余裕と決めつけるのは拙速だろう」
「他にあるのかしら?」
言ってから考える。
「単にやる気が起きないとか」
「あなたのことね」
やかましい。
言うだけ言って満足したらしい。見ると、ようやく腰を下ろした由ヶ崎は鞄から本を取り出している。俺のような文庫本ではなく四六判のハードカバーだ。なんだ余裕なのはお前じゃないかと思ったが、口には出さない。
それからしばらくは、無言の時間が過ぎる。
グラウンドからわずかな喧騒が聞こえてくる。カーテンに陽射しが透ける。俺は頬杖を突きながら、由ヶ崎は背筋を伸ばして。二人分のページを繰る音と、時計の音だけが図書室に響く。
不意に由ヶ崎が言った。
「賢木くんは、何かに失望したことはある?」
なんだ、藪から棒だな。由ヶ崎はいつもそうだが、しかしそれには歴とした意図があるのも先刻承知。問いの理由は尋ねない。
「失望?」
視線を手元に落としたまま、おうむ返しに言って考える。うむ、そうだな。
「そうだな、今日の日本の行政、特に外交と経済に関する政策には」
おれぁいつも失望してるよ、と続けようとしてやめた。由ヶ崎の目がひどく冷たかったからだ。見なくともわかる。視線がまさに刺さるよう。
少しは真面目に答えないと明日の日が拝めないかもしれない。しかし失望と言われても――ああそうだ、こんなことがあったな。
「失望と言って、世界史の高木が絶対テストにだすとか言ってたから必死で覚えたのに、実際には出るどころかかすりもしなかったときほど」
失望というか絶望したことはなかった、と言おうとしてやめた。由ヶ崎が可哀想なものを見る目で俺を見ていたからだ。
確かにあの時の俺の点数は可哀想だったと思うけども。
由ヶ崎はため息をつき、
「賢木くん、あなたもう少し真面目に生きたほうがいいと思うわよ」
………いや、なんというか、それなりに真面目だったんだが……。人生指導までされてしまった。
いやそれはそれとして、
「お前はどうなんだ」
逆に訊き返してみる。が、
「私が訊いてるのよ」
一蹴された。特に理不尽とも思わないのは由ヶ崎の言動に馴れてきたということなのか、理不尽に馴れてきたということなのか。どちらにせよ由ヶ崎が理不尽という点では変わりがない。
ところが。
「………まあ、話したくないなら、いいわ」
由ヶ崎は、ふと視線を外してそう言った。
俺はその言葉に目を見張る。
別に話したくないわけではないのだ。話してもいいものか、決心がつきかねていた。これは誰にでも話してまわることではないから。
だが。
気付けば俺は口を開いていた。なぜだか理由はわからない。今日が、十一月の金曜日だからかも知れない。
「……そうだな。お前の言う通り、少しは真面目に生きてみるか」
由ヶ崎がこちらを向く。少し驚いているようだった。
俺は手元の文庫本を閉じた。由ヶ崎のほうをむかず、視線を前に向けて言う。
「あまり面白くない話だが、聞いてもらえるか?」
今でもたまに、あのときのことを思い出す。
そう遠い昔の話でもない。つい最近と言ってもいいかもしれない。ほんの二年前のことだ。
こればかりは、憶えておかなくてはならないと思う。資格などという話は分からない。だが義務はある。
――そう、思いたい。
日付も、曜日も、今でも憶えている。
十一月もなかばを過ぎた、金曜日のことだった。
3
十一月もなかばを過ぎた、金曜日のことだった。
今月に入ってから急に冷え込みが厳しくなり、俺は寒さに震えながら足早に教室を目指していた。教室の中のほうがいくぶんかは暖かいのだ。
教室に着くと、すでにほとんどの生徒が登校しているようだった。目前に迫ったテスト対策なのだろう、熱心に勉強しているやつもいれば、友人と喋っているやつもいる。
俺も自席を目指す。窓際から二列目前からも二番目。荷物を置き、腰を下ろす。ホームルームまではあと十分ちかくあった。
何をするでもなく、窓の外をぼうっと眺める。ここのところずっと晴れていたが、今日は曇っている。まだ降ってはいないが、雨が降るかも知れない。それともこれだけ寒いと雪になるだろうか。今更ながら天気予報を見ておけばよかったと後悔する。
そんなふうに益体もない考えをめぐらしているうちに始業のチャイムが鳴る。席を立って話し込んでいたやつらが各々の席に戻り始めると同時に、クラス担任の教師が入ってきた。ホームルームが始まる。
担任が言っていることはいつもと同じ。一週間も今日で最後ということに加え、昨晩遅くまで本を読んでしまったせいで俺は朝から眠かった。昨日の授業が主要五教科だけだったかわりに、今日は移動教室が多い。面倒だなと思いながらあくびを噛み殺し、担任の話を聞き流す。ホームルームは五分ほどで終わり、担任教師はいそいそと教室を出ていった。
さて授業の準備でもするかと大きく伸びをした俺の視界に、妙なものがうつりこんできた。
俺の隣は芦原という女子生徒だった。
友達付き合いも多く、割合に活発なほうなのに部活に入っていないのが意外で、なんとなく名前を憶えていた。
ただまあ確かに、リーダーにはならないタイプだった。かしましいわけではなく、愛想よく誰とでも話す女子。そういう位置づけだったように思う。
その芦原の教科書に落書きがあったように見えたのだ。落書き、と言っても授業中に暇を持て余して書くようなそれではない。あきらかに悪意のあるものだった。ページいっぱいに濃く書きなぐられている。何と書いてあるかの判読まではできなかった。俺が目をそらしたのだ。
少しばかり意外だった。芦原は誰とでも気さくに話すし、俺ですら多少は言葉を交わしたことがある。その印象からいけばとてもそういった行為の対象になるようには思えなかった。それとも女子の世界は色々と難しいのだろうか。
一瞬、訊くべきかとも思ったが、俺と芦原は別段親しいというわけではない。少し言葉を交わしたことがあるぐらいだ。それだけで出しゃばって首を突っ込むのは、かえって迷惑ということもあるだろう。この場で騒ぎ立てるのを本人が望まない可能性もある。
芦原の顔を盗み見る。表情には何の変化もないように見える。教科書はすでに閉じられていた。
そういえば、と俺はそこで芦原について知っていることをもうひとつ思い出した。
基本的に誰からでも好かれている芦原だが、このクラスのある女子生徒からだけ嫌われているらしい、というのを聞いたことがあった。
その女子生徒の名は吉倉といった。
吉倉はいわゆる不良だった。不良といっても校舎の窓ガラスを割ってまわったり、盗んだバイクで走り出したりしてしまうようなロックでハードボイルドな手合いではなく、ただ人と関わるのが面倒だと思っている手合いの不良だ。
いま思えば本人には不良という自覚は微塵もなかっただろう。吉倉としてはただ面倒な人間関係を極力回避していたのを、俺たちの側が勝手に不良呼ばわりしていたというだけの話。そしてもちろん、吉倉は自分がそう位置付けられているのも知っていただろう。
例えば俺は、吉倉が教師に意味のない反抗をしている姿は見たことがない。むしろその態度は従順だとすら言えた。吉原は周囲の大人との接し方をよく心得ていた。
クラスの連中を邪険に扱うようなことはなかったが、積極的に歩み寄ろうという態度もまた見られなかった。クラスの行事でもあまり積極的に動こうとはせず、言われればやる、ぐらいのものだったと記憶している。
俺個人はどうとも思っていなかったが、まあ、集団生活に向かない性格であったことは確かだ。学校に来ない日も度々あったし、クラスの連中と話しているのもほとんどと言っていいほど見たことがない。たいてい、放課になるとふらりとどこかへ行ってしまうのだ。
そして、吉倉が疎まれている理由はもうひとつあった。
人から聞いた話で真偽のほどは定かではないが、一年生のとき、吉倉はある女子生徒に怪我をさせたことがあるというのだ。聞いた話によれば、その女子生徒が数人の友人と話し込んでいたところに吉倉が突然割り込んでもみ合いになり、最後は突き飛ばした、ということだった。
少なくともそう見えたのだという。
突き飛ばされた女子生徒は頭を打ち、運の悪いことに転倒したはずみに手に持っていたボールペンが足に刺さってしまったらしい。幸い怪我自体はたいしたものではなかったらしいが、出血がひどかったと聞く。
そして、吉倉は片手に教科書をだらりと下げたまま、とどめとばかりに半べそになっている女子生徒に向かってこう言った。
お前むかつく。二度と学校に来るな。
幾分かの誇張は混じっているだろうが、おそらく大筋は真相と大差ない。
その後、騒ぎを聞いて駆け付けた教師にその女子生徒は保健室へと連れていかれ、吉倉はその場で怪我をさせたことについてきつく怒られた。こんなことをした理由を尋ねられた吉倉は、うるさくて腹が立ったと答えたという。
そして、その怪我をさせられた女子生徒というのが芦原だった。
一限目の授業が終わると、俺はタイミングを見計らって芦原に声をかけた。
「なあ」
俺から話しかけられるなどと思いもしていなかったのだろう。こちらを向いた芦原は驚いた顔をしていた。
「あ、なに?」
「いや……」
言いよどむ。何と訊けばいいのだろう。少し考えるが、いい方法は浮かんでこない。仕方がない。少し声を落とし、直球で訊ねる。
「お前の教科書、落書きされてなかったか」
芦原の顔がわずかに緊張する。さすがに直球すぎたか。少し不安を覚えたが、芦原はいっそうひそめた声で、
「……うん」
自然とつられるようにして俺の声も小さくなる。
「見せてもらってもいいか」
駄目ならそれでいいぐらいのつもりだったが、芦原はあたりをうかがうと、教科書を開いて見せてくれた。
ページいっぱいに口汚い罵りの言葉が鉛筆で書き込まれている。それともシャープペンだろうか。筆圧は強いが紙にあとは残っていない。消しゴムで消せばまあ、ひと目ではわからないくらいにはなるだろう。
いつまでも開いているわけにはいかない。とりあえず教科書を閉じる。
「気付いたのはさっきか?」
やはり妙に緊張した面持ちで、
「うん」
「その前に最後にあのページを見たのはいつ」
「えっと……」
少し考え込み、
「昨日の、理科の授業のとき、かな」
昨日の授業だと確か……。
「教科書を忘れた隣のやつに見せてたか」
「うん、ちょうどあのページを」
頭を掻く。
「今日学校に来てから席を立ったか?」
「ホームルームの前にトイレに行ったけど……」
……ホームルームの前か。言われてみれば、俺が教室に着いたとき芦原の席には荷物しかなかった記憶がある。
顔を上げると、芦原がこちらを窺うようにじっと見ていた。おそらく訊くべきことはもうないだろう。
「ありがとう。悪かったな、色々とおかしなこと訊いて。それで、どうする」
「一応、先生に相談しようかなって」
まあ、そうだろうな。
「そうか、わかった」
話を打ち切り、前を向く。うっすらとチョークのあとが残る黒板を眺めながら、俺はぼんやりと物思いにふける。やはり女子の世界は色々と難しいのかもしれない。その点男子は単純で幸せだなあと暢気なことを考えている。ことは決して穏やかではないのだが。
ふと見ると、声をかけられ席を立った芦原のまわりに数人の女子生徒が集まって何やら小声で話し込んでいる。なかにはちらちらと視線を向けてくるやつもいて、それで何を話しているかはだいたい察しがついた。
注目を受けないよう、場所をかえて話すべきだった。そう思ったが、後悔は常に先立たない。
ふと視線を感じ、振り返る。右斜め後ろ。
吉倉がこちらを見ていた。一瞬だったがはっきりとわかる。射るような視線だった。
不意にチャイムが鳴った。
放課後。案の定、昼頃から雨が降り始め、授業がすべて終わる頃には雪になっていた。校庭にはすでにつもり始めている。
朝の出来事を除けば、概ねいつも通りの一日だった。芦原は担任に相談したのだろうか。気にかかったが、訊いてみようとは思わなかった。帰り支度をしているクラスの連中のなかで、俺はただひとり椅子に座り込んでいた。
そのとき、不意に呼ばわる声があった。俺にではなく、俺たちにだが。
「すいません。少しだけ帰るの待ってくれませんか」
教卓で帰ろうとしている生徒を呼び止めているのは山本という男子生徒だった。成績優秀で、それ以上にクラスの連中からの信頼も厚い。そういった面もあってか学級委員を務めている。クラス中の注目が集まったのを確認し、山本は口を開いた。
「もう知っているひとも多いと思いますが、今朝、芦原さんの教科書に落書きがありました。先生に相談したところ、今日のうちに話し合ったほうがいいだろうということになったので、急なんですが学級会を開こうと思います」
たちまち教室にざわめきが広がっていく。俺もかなり驚いた。まさか学級会とは。クラスの連中のなかには露骨に迷惑そうな顔をしているやつもいた。まあ無理もない。部活やら何やら放課後の予定があるやつらには迷惑な話だろう。
しかしこれが山本の人望なのか、そういったやつらも不承不承といった体で着席していく。全員が着席したのを見届けると、山本は言った。
「ありがとうございます。では学級会を始めたいと思います」
するとすぐさま質問がでた。
「学級会って言ったってさ、何を話し合うんだ?」
質問したのは男子生徒だ。バスケットボール部に所属していたことはかろうじて覚えている。
山本は淀みなくその質問に答えた。
「今後こういったことをことを無くすにはどういった心掛けが必要か、ということを話し合います」
息をつき、
「では、今言ったように、今回のようなことを無くすのに必要だと思うことや、どうすれば無くなるかということについて意見のある人はお願いします」
こんな問いかけはほとんど無茶苦茶だ。すぐさま意見が出るやつなどいるわけがない。山本もそのことをわかっているのだろう、なかば諦めたような顔をしている。ということはこの学級会は教師の無理強いだろう。山本は無駄とわかっていることをやるようなやつではない。
そして思った通り、教室には沈黙が下りる。全員うつむき、まわりの様子を窺っている。誰か何か言えよ、そんな声が聞こえてくるようだった。
俺の胃の腑にも嫌なものが溜まっていく。どこからか嬌声が聞こえる。笑いながら廊下を走り抜けていく足音がして、学校中からざわめきが聞こえてくる。山本が扉を閉めた。息が詰まる。時計の音がこれほど耳障りに聞こえたのは初めてだった。不意にチャイムが鳴って、そして静寂が下りる。雪の音さえ聞こえてきそうだった。
そしてそのまま、十分ほどが経った。
と思ったが、実際にはほんの数分だったのかもしれない。
こういう場ではたいてい、いつの間にかひそめた声が広がっていったりするものだが、今はそれもない。もう廊下を通っていく足音もない。雪だからグラウンドを使う部活もないのだろう。およそ気味が悪いほどの静けさ。なんでもいいから気を紛らわせられるものが欲しかった。山本もいい加減うんざりしてきているようだ。当然、発言はその気配すらない。
と、そのときふと手があがった。手をあげたのは先ほどの男子生徒。山本が指名し、彼は座ったままこう発言した。
「あのさ、部活もう始まってるんだけど、おれ行っていいかな」
それは――
山本が答える前に別の声があがった。
「勝手なこと言うなよ」
――まずい。
空気が張り詰めたのが、俺でもわかった。
「なんでだよ。だってここにいる意味ぜったいないだろ。こんな学級会」
「それはみんな同じだろ。みんな我慢してるのにお前だけ抜けるのは自分勝手すぎだろ」
「おれらは大会近いんだって。暇じゃないんだよ」
「お前なめてるだろ。俺も別に暇じゃねえよ。自分が特別とか思ってんじゃねえよ」
「は? 思ってねえけど。てか実際部活入ってないやつとかどうせ暇だろ」
言い争う声は次第に大きくなっていき、それに乗じるように、教室中にざわめきが広がっていく。クラス中に溜まっていた苛立ちが膨れ上がっていく。
先ほどまでの静かさが噓のようだった。喚き合うやつらがいれば小声で文句を言い合っているのもいる。我関せずと視線を明後日のほうに向けるやつ、薄ら笑いを浮かべるやつ。
――もう無視して帰って――部活やってるだけで偉そうに――じゃあ帰れよこの――くそかお前――いやさすがに駄目じゃ――ひでえなこれもう学級会なん――そもそも学級会とか誰が言――あーあこれもう終わりで――それは自己中だろ――てか担任来てないとかふざけ――
そんな喧騒のなか、それはまるで隙間に差し込まれるように。
あれはいったい誰の声だったのだろう。
吉倉がやったんじゃないの?
それまであれほどうるさかった教室が、一瞬で静まりかえった。
耳に痛いほどの沈黙だった。
その沈黙を破る音がした。
椅子を床にこすれさせながら無造作に立ち上がった吉倉は、クラス全員の視線が集まるなか顔色ひとつかえず、やはりあの突慳貪な口調で、
こう言った。
そうだよ。むかついたから。
誰もかもが身動きを止めていた。
うつむいた俺は、芦原も同じようにうつむいていることに気付いた。表情は見えない。だが、肩が震えていた。
思うのは、あの喧騒の間に、芦原は何を感じていたのだろうということ。そして吉倉は、何を考えていたのだろうということ。
その後もいくつかやりとりがあったはずだが俺は憶えていない。気がつけば下校する流れになっていた。
確かなのは、学級会が最悪の結末を迎えたことだった。
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