飛山則夫 ~それぞれの愛

「んー……。ちょっと付き合ってほしいんだな」

 ――と京一が則夫に言われたのは確か三時間ほど前。アジトのマンションから出かける直前だった。

「今から学校に行って、草間さんの親の事を聞こうと持ってるんだが」

「時間はとらせないんだな。五分ぐらいで終わるんだな」

 

「――と、言っていた気がするんだが?」

「現実世界ではそれほど多く時間はかかっていないんだな。だから嘘は言っていないんだな」

 不満顔の京一に悪びれもなく答える則夫。

 気が付けば夜の砂漠を歩いていた。氷点下もかくやな気温だ。頭からかぶった街灯が無ければ、凍えているかもしれない。

 砂は一歩ずつ、確実に京一の体力を奪っていく。舗装された道と言うのがどれだけ歩きやすいか。それを改めて実感していた。

「それで……目的地はまだなのか? どあと、だっけ?」

聖地アム=ドゥアト、なんだな」

 聖地。それは神々の住まう場所。

 この世から離れ、情報体となって世界から去った神だが、それと接触する方法はある。その一つが聖地に向かう事である。

 無論、そう易々とたどり着けるものではない。ただの人間であるなら入ることすらできない入り口から、死を覚悟しなければならないほどの道程を超えて、ようやくたどり着くことができるのだ。

 ましてや則夫は神統主義者テオクラートだ。現世を去ると決めた神の移行に逆らう神子の一員なのだ。それが神の元に向かうなど、自殺行為と言ってもいい。

「――んだけど、何とかなるんだな。ハトホル様は優しいお母さんなんだな。きっと『めっ』で許してくれるんだな」

「何が『んだけど』なのかはわからないが……その聖地に向かって何をするんだ?」

 決まっているじゃないか、と指を立てる則夫。

「おっぱいを拝みに行くんだな」

「帰っていいか?」

「あと聖地で装備を整えて、ハトホル様に頼んで前橋君の親の事を聞いてみるんだな」

 踵を返そうとした京一は、その言葉に足を止める。

「ハトホル様は死者を養う神なんだな。前橋君所縁の霊を知ってるかもしれないんだな」

「……すまない。そんなことを考えてくれていたなんて。疑って悪かった」

「気にしなくていいんだな。おっぱいが一番なのは間違いないんだし」

 うん。知ってた。まだであって短い付き合いだが、それは京一も理解していた。


 聖地『アル=ドゥアド』に入り、イチジクの木が並ぶ道を進む。その先にハトホルの神殿があった。

 神殿の奥に居る一人の女性。肉体はない霊体みたいな存在だが、その人ではありえない存在感が、神であることを京一にも知らせていた。

「ママーン!」

『あらあら。ノリオはいつまでたっても甘えん坊なのね』

 その霊体に向かい一直線に飛びついて……そのまますり抜けて地面に顔をぶつける則夫。その様子にドン引きの京一だが、なんというか男としてあのハトホルの胸は思う所があるのも事実だった。なんだあれ。

 一般に胸の大きなことを『豊か』と表現する。豊かとは『満ち足りている』と言う意味を持つ。成程あの胸を見れば『大きい』でも『官能的』でもなく『豊か』と言うのは正しいだろう。見るものを満ち足りた気持ちにさせる母性の象徴。ハトホルの胸にある双丘おっぱいは、正にそうとしか言えなかった。

「くっくっく。前橋君も男だから仕方ないんだな。だけどママのおっぱいはボクの物なんだな!」

「…………早く用事を済ませてくれ」

 これ以上その会話を続けたくない京一だった。則夫はハトホルを祀る祭具でもある楽器シストラムを探しにいく。

『貴方がケイイチですね。息子がお世話になっています。……その……いろいろご迷惑をおかけしているとは思いますが、ああ見えて根はいい子なので。活発的と言いましょうか』

「え? あ、はい。いろいろ助けられています」

 不肖の子の良いところを探るように言うハトホル。神統主義者とはいえ、我が子は可愛い者なのか。そう思うと神も人と変わらないのかもしれない。しばし則夫のことを自慢するハトホルとそれに相づちをうつ京一の会話が続き、

『ノリオから聞いています。ケイイチは親の記憶がないと』

 唐突なハトホルの言葉に身を固くする京一。そうだ、ここにはそれを聞きに来たのだ。

『残念ですが、貴方の親に関する情報は私には分かりません』

「……そうですか。いや、ありがとうございます」

 肩透かしを食らったかのように大きく息を吐く京一。期待はしていなかったが、徒労に終わったかと思うとやはり落胆もする。

『ですが、貴方とつながりのある霊は知れました。より正確には、貴方の親神とつながりのある人です』

「……人? ちょっと待ってくれ。俺の親は神なんだろう? 神なのに、人と繫がりがある……?」

 言ってから、確かにそういう事もあるのかも。と思い直す京一。基督キリスト教や仏教等における聖人のような、神の声を聞き届ける存在はいつだって人間なのだ。ならば京一の親神と深くつながっている人もいるのだろう。

 京一はハトホルの言葉を静かに待つ。その唇が、ゆっくりと動いた。


『その人名は――ハンスクリスチャン・アンデルセン』

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