カードゲームの経済学とキャラクター貨幣

ここで貨幣のもうひとつの機能を考察しておかなければならない。それは貨幣の無性性である。貨幣は人格の欲望に対して同一化と所有の二つの欲望を同時に満たす。ただしここが重要だが、貨幣はそれ自身を使って直接的に享楽することが許されない。貨幣は他のものと交換してのみ享楽を得られる。そこでアンティという独自のルールが付け加わる。バトルシティ編のアンティルールにおいて大事なことは、決闘者はを賭けて行われるということだ。もしカードが単に量産品の意味しか持たないのならアンティは本質的な意味を持ち得ない。自身の人格がキャラクターという対象をとって享楽されるということに意味がある。「神のカード」はこのアンティの対象となる、魂のカードの価値を絶対化するために導入されたものだが、これは海馬瀬人が示して見せたように、最終的に相対化されえることが判明したわけである。だからバトルシティで最後に問題になるのは、結局もう一人の自分、つまり自分自身のキャラクターを賭けた魂のアンティであったのだ。アニメ編で追加された現実世界とカードの世界の転倒も「オレイカルコスの結界」もその可能性を普遍化するために役立ったに過ぎない。王(ファラオ)の記憶編においてはもはやカードが魂を封印するということは現実のカテゴリーで行われており、事態は完全に急進化している。ここまできたならば、残しておいた疑問、つまり「本当の自分」よりも想像されたキャラクターに交換されたほうがいいのではないかということを考えてみるべきだろう。そもそもなぜ人はキャラクター化されることに恐怖を感じないのか。貨幣があるからだ。つまり貨幣の同一性こそが我々を交換の本来の恐怖から守っているのだ。だが我々はもうそのことを信じていないのではなかったか?人格の同一性が疑われたのが出発点ではなかったのか?我々は貨幣があるから安心だなどといえるのか。

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