誇り高きデュエリスト達の神的暴力

時間をカードとして表現することは人間が自身の労働力を規範によって創造されたフィクションだと認識するということである。どうしたら自身のカードを稀少なものにすることができるのか。まずカードの名前を有名にすることが考えられる。機械にはできない作業労働をしたり人々の求めるものを適切に表現することで人気の視線を獲得すること。だがどうやってそれを知られるのか。宣伝の効果は基本的に資本の量に依存する。単純で画一的であるほど効果的であり、質的な相違は理解力を強制するがゆえに好かれない。我々はインターネットの影響で複製と引用が簡単になったことを忘れてはならない。仮にコンテンツとして一時的な人気を獲得しても即座に暇潰しとして消費され稀少価値は失われてしまう。ここで企業による援助を持ち出すことはカードの形式であれ労働者として資本と再契約するということである。カードとして一層管理しやすくなった搾取形態と戦うために趣味の合うもの同士が資金を集めてを作成し、キャラクターを名目としたパーティーを編成する。活動資金は趣味の二次創作を生産・販売することで賄い、特定の作品の人気を強化することで消費者の需要を増大させる。これには問題が二つある。人気が偏ったものになることと人気が過剰になることである。そこで実態と離れた人気を調整するための批評家を訓練することで過剰な人気を沈静するとともにあぶれているキャラクター難民にまだ人気になっていない良作を教えることで創造力を吸収させる。この流れはカードバトルによって行われるのであって、専用のフィールドと制度を構築していく必要がある。だがそれを誰がやるのか。もし企業であるのなら税収は資本のものになってしまう。またしても同じ問題が繰り返されるのである。したがってこう考える必要がある。クリエイターが貨幣ではなくカードを基準とした創造決闘体系を制定するために何らかの統一権力を権威として導入しなければならない、と。そのためにはパーティーのカード発行権の管理と批評家の統一的な指揮を両立するための教皇制度を捏造すればよい。ここで重要なのは人気投票であって、ゲームルールを実行力あるものにするためのとりあえずの公平さの手段として利用する。当然企業と対抗している間はうまくいくが、一旦優位を確立すればいくら公平さの観点から人気投票を主張しても無意味だろう。そこからカード発行権の濫用であるキャラクターとの結婚権がパーティーメンバーの欲求から可決され、財産形式への介入を始めるようになるのだ。

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