もう一つの日常

小野神 空

時計台≪オーロルージュ≫の終焉戦争

最初に気がついたのは、暑さを感じるようになってきた7月始めの梅雨が明けた頃。この前までのぽかぽかした陽気はどこへ行ってしまったのかと空を見上げると太陽が2つあった。見間違いだと思って目を擦ってもう一度見てみたけれど変わらず太陽は2つあった。街行く人たちは何も気にせずいつも通りだったからきっとこれは夢なんだと思うことにした。1週間経ってもテレビでは何の報道もされず、周りの人たちには何の変化もないから私が暑さか何かでおかしくなってしまったのだろうか。いや、きっと物理学的に大気とかそういったもののせいで太陽が2つに見えるとかそういうことに違いない。気温が例年よりも大幅に上がったわけではないし、本当に2個に増えたというわけではなさそうだ。自己解決したところで、今日も私はいつも通り学校に向かうことにした。

「あづい……じぬ……」

「登校して早々溶けてたら今日一日頑張れなくなるぞ?」

「そうだよ奏。クーラーがついてるから逆に寒いくらいじゃない」

「小枝はスポーツ馬鹿だから暑いのは慣れてるし、涼香は汗かいたことのないお嬢様だから気温感覚がおかしいだけ!」

親友たちが反論してきたが私は無視して下敷きで扇ぎながら机に顔をくっつけて冷たさを体感していた。この暑さでは授業どころではない。しっかりと授業を受けるためにもクールダウンが必要なのだ。そう思っていた私は、クーラーのおかげで涼しく快適になっていた教室のせいで午前中の授業のほとんどを夢の世界で過ごしてしまった。目が覚めると4限終了のチャイムが聞こえてきた。さっきまでの暑さが嘘のように寒気がした。2人の方を見るが、自業自得だと言わんばかりに顔を逸らされた。

「うう……鬼だ。悪魔だ。こんな過ごしやすい部屋に変わってしまったら眠くもなるじゃん……仕方ないじゃん」

「いやいや、さっきまで暑さでぐでーっとしてた人が何を言うか。完全に奏が悪い。あー、今日の授業はすっごく大切なこと言ってたのになー」

「ちゃんと反省しているのであれば、ノートを見せてもいいよ?」

「流石です涼香様!どこぞの小枝とは大違いです!」

「へえ、そういうこと言うんだー?今日はおかず分けてやんないからね」

小枝は見た目はがさつに見えるが、運動部に所属しながら仕事で帰りが遅い両親の代わりに妹と弟のために毎晩ご飯を作っているため料理はめちゃくちゃ上手い。そんな彼女の作ったおかずをいただくのが私の日々の楽しみだというのに……!

悲しそうな表情をしてじっと見つめていると、彼女はやれやれと言った表情をして私の口に春巻きを入れてくれた。下の子がいる人にはこういう泣き落としが効くというのは実は涼香からの情報だ。そんな本人はお母さんのように微笑みながらお弁当を食べている。いつものことではあるけれど、こうしていられることが楽しくて幸せなことだと思う。恥ずかしくて2人にはそんなこと言えないけれど。

午後はちゃんと授業を受けていたらあっという間に放課後になっていた。今日は部活が休みの日だからすぐに帰る人が多く、廊下は生徒でいっぱいになっていた。そんな人ごみを掻き分けてツインテールを揺らしながら近寄ってくる人影が見える。私の妹の響だ。

「おねえちゃーん、かえろー?」

ここまで来るのに疲れ果てた妹は私の胸に飛び込んできた。本当に私の妹なのかと疑うほど可愛い。思わず頭を撫でてあげたくなったがここは学校。そういうのは控えるべきだ。幼い頃から病弱な妹をずっと面倒見てきたせいで溺愛しすぎてしまっているから、ちゃんと時と場を弁えなければ。

「うん、小枝も涼香も用事あるみたいだし今日は2人で帰ろうか」

「お二人とも久々に帰りたかったけど……用事があるなら仕方ないね」

小枝は帰りにスーパーによって夕飯の買い物をするみたいだから(もちろん下校時の寄り道は厳禁だが、せっかく帰り道にあるのにわざわざ家に戻ってからまたスーパーに行くのが面倒だという何とも彼女らしい理由だ)、一緒にいたら先生に見つかりやすくなってしまうし涼香は最近入院したというお父さんのお見舞いに行くというから家の人の車で帰宅するというから一緒に帰ることはできない。それにしてもたまに片方が用事でいないということはあったけれど、今日に限って2人ともいないなんて珍しい。私が悩む仕草をしていたからか、響は不安そうに私の手を握ってきた。

「あっ……ごめん」

「どしたどしたー?お姉ちゃんのことが心配かー?」

「えと、あの……それもあるけど……ううん、なんでもない。ごめんね」

「気にしなくていいの。さて、家に帰ろっか。今日の夕飯はなんだろね?」

私は響が不安にならないようにテンションを上げると、彼女も微笑んでくれた。手を繋いで仲良く帰る私たちの頭上に太陽が1つに戻っていることに、この時はまだ気づいていなかった。


リビングには両親からの置手紙があり、どうやら今夜は遅くなるから2人で食事を済ませてほしいということだった。小腹が空いてしまった私は戸棚にしまってある昨日買ったドーナツをくわえて2階の自室に戻った。制服から部屋着に着替えている途中で私はふと違和感に気がついた。今日の帰りに2人がいなかったこともそうだが、両親が2人して帰りが遅いというのも珍しい。2人とも同じ職場ではないし比較的には帰りが早い方だ。ご飯を食べていていいと言うことは22時は過ぎるのだろう。そんなに遅くなるなんて一体何かあったのか……。とはいえ、2人とも職種さえも違うし本当に偶然なのだろう。

不安を溜め息と一緒に吐き出し、背もたれに寄りかかる。夕飯は出前を取るか、スーパーかコンビニでお弁当を買うかどっちにしようか。それも響と相談しよう。勢いよく起き上がって、隣の彼女の部屋に移動する。同性だし特に困ったことはないと思うが一応ノックをする。しかし、中からは何の反応もない。

「響、入ってもいいー?」

声をかけるが返事がない。疲れて眠ってしまったのかと思って、そっとドアを開けるが中には誰もいない。さっき一緒に帰ってきてそれから10分くらいしか経ってないはずだ。トイレか?それとも1階にいる?どの部屋に言っても響の姿はなかった。あの子が私に黙って一人で出かけるなんてありえないが、もしかしたら急用があったのかもしれない。彼女の携帯に『どこにいるの?』とだけメッセージを送っておいた。

8時を過ぎても彼女が帰ってくることはなかった。返信もきていない。不安になってきて小枝や涼香が何か知ってないかと2人にもメッセージを送るが何分待っても戻ってこない。いつもなら5分以内に返してくるのに。

私は家から飛び出して、響がいそうなところを走り回った。公園、スーパー、本屋、駅周辺。どこを探しても彼女の姿はない。最終的に私が辿りついたのは学校だった。明かりもほとんどついていないから不気味だけれど、もしかしたらここにいるかもしれない。校門を乗り越えて中に入ることにした。校舎の周りを確認していると1か所鍵が開いているところがあり、中に入ることが出来た。校舎内は真っ暗で外の月明かりを頼りに歩くしかない。1階から全部の教室を見て回るが、どこにも人影はない。いや、あったらそれはそれで怖いけれど。

4階の1年生の教室に辿りつくと何か音が聞こえた。足音?それと、唸り声……?獣が唸るような声が聞こえて一気に鳥肌がたった。こんなところにそんな生き物がいるわけがない。だったら、この声の正体はなんなのか。そっと壁際から廊下を覗くと、その姿はライオンのようなものだった。ようなものとついたのは、私の10年前の動物園での記憶が正しければライオンはあんなに大きくないはず。どうしてあの巨体で高さが私と同じくらいあるのか。

「ひっ……!」

舌舐めずりをした獣(ライオンかどうか分からないから獣ということにする)は私に向かって一直線に走ってきた。急いで階段を駆けおりる。私のいたところに突っ込んだ獣は壁をいともたやすく崩壊させていた。顔をついた瓦礫を払い落とし、私を睨みつける。とにかく何も考えずに走った。外に出れば助けは呼べる。とにかく今は1階を目指さなければならない。3階、2階、1階と降りるが追ってくる様子はない。これはチャンスだ。後は昇降口まで走るだけ。

そのはずなのに昇降口には既に獣が待ち構えていた。複数いるのかと思いきや、月明かりに照らされ、先ほどの瓦礫がまだ顔についているのが見えた。獣なら捕食対象をひたすら追い続けるのではないか。先回りをして待ち伏せだなんてそんな知的なことをするわけがない。下りてきた階段を再び駆け上がって2階の自分のクラスの教室に入り込んだ。目で追ってるのか匂いで追ってるのか分からないが、私服から雨で濡れた時用に置いてある涼香の制服を借りた。これで少しでも紛らわせることができればいい。そんな祈りも叶うはずがなく、隣の教室から激しい物音がした。恐怖が一気に私に襲い掛かり、足が震えて立つことさえできなくなっていた。死ぬ……殺される……嫌だ……。負の感情が私の心を埋め尽くすが、私は自分の足を思いきり叩いて壁を伝って立ち上がった。

「響が怖い思いしてるかもしれない時に泣いてなんかいられない……!」

自分を鼓舞するように声を出し、獣がいる方とは逆のドアから教室を飛び出して、一気に階段を駆け上がった。一か八かで屋上の扉を押すと鍵は開いていた。外の生暖かい空気が私の肺に入り込んでくる。構わず一番奥まで走りきる前に獣も上がってきて飛びかかってきた。立ち止まってその場に伏せると、獣は私を飛び越えて屋上から校庭へと落下していった。激しい音が聞こえて、そっと覗きこむと生死の判断は出来ないが動くことはなかった。よかった。これで一安心だ。

「へえ、ただの人間が魔術の獣を退けるなんて面白いね」

突然の人の声に振り向くと、小学生くらいの男の子が立っていた。どう考えてもこの時間のこの場所には不釣り合いな人物だ。油断はできない。私が彼を睨みつけていると彼はおどけた表情に変わった。

「大丈夫大丈夫。僕は君の敵じゃないよ。むしろ、味方かな。なんせ君の知りたいことを知っているんだから」

「響がどこにいるか知っているの!?あの子はどこ!?無事なの!?」

「そう騒ぐんじゃないよ。彼女はもうこの世界にはいない。時計台の生贄に選ばれて連れ去られたよ」

この世界?時計台?生贄?彼の言葉を反芻していると私は騙されていることに気がついた。そんなゲームか漫画の話をしているところではないのだ。溜め息をついて屋上から下りようとすると彼の言葉の雰囲気が変わった。

「いいのかい?彼女が死んでも、君にとって大切な妹なのだろう?」

「……話だけなら聞いてもいい。でも、関係のない話だったら許さないからね」

「りょーかい。僕の世界では時計台を巡って7つの国家が戦争をしていてね。これはこれは本当に全て滅ぶんじゃないかって規模のものなのさ。しかし、戦争をしている最中に彼らは気がついた。今のままでは時計台は自分たちの願いを叶えてくれないと。そのために必要なのが鍵となる人物。それに君の妹が選ばれたってわけさ」

「あんた、その話……」

「信じるも信じないも君次第。でも、信じてくれるなら君に彼女を助けるための力をあげよう」

彼の言葉を冷静に考える。どう考えても信じられる話ではない。でも、先ほどの獣のことを考えてしまうと私は非日常に一歩足を踏み込んでしまっているのではないかと思う。ならば……

「仮にあんたの言葉を信じたとして、どうして私に手を貸すの?そのあんたの国の人間なら、願いを叶えるために私の妹が必要なんでしょ?私に手を貸すメリットは存在しないじゃない」

「そうだね……今は詳しくは言えないけど、簡単に言うなら面白いから。今のままじゃ答えが分かりきっていて面白くない。それならイレギュラーに頑張ってもらった方が面白いでしょ?」

「気に食わない。でも、あの子を救うためなら私は何だってするわ」

「よし、その言葉たしかに受け取った。そんな君にこれを授けよう!」

彼が言ったと同時に私の手に何かが握らされた。これは、懐中時計……?

「彼女を救うためにはそれが必要不可欠になるよ。絶対になくしてはいけないからね。それと、そう言えば君の名前を聞いてなかったね?」

「私は……奏。天都奏」

「それだとあっちに言った時に彼らには発音しにくくて不便だと思うから、そうだね……コトネアスター。カナデ・コトネアスターと名乗るといいよ」

カナデ・コトネアスター。どういった意味かは分からないけれど、妙にしっくりくるような気がした。目を閉じて覚悟を決める。これから行く世界は話を聞く限り平和とは程遠いのかもしれないけれど、私は響を絶対に救ってみせる。目を開けると彼は宙に浮き、私と目が合うと静かに笑った。

「さあ、行くといい。カナデ・コトネアスター。ここから君の大切な人を救う物語が幕を開けるのさ」

私は光に包まれて彼と共に屋上から姿を消した。待っててね響。今、助けに行くから。



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