第2話 甲羅の中の真実

「ねえアキラ、カメのこと、私に教えてよ」


 机に身を乗り出したトモが、そんなことを言い出した。

 突然のことに困惑するアキラ。なぜ急にそんなことを言うのか? 急にトモがカメに興味を持ち出したのか……? 

 しかしアキラはカメのことを教えるのが嫌なわけではない。むしろ喜んでするほうだ。

 なぜという疑問は尽きないが、それはどうでも良いことだ。トモが突拍子もないことを言ってくるのは、今に始まったことではないのだし。


「それは別に構わないけど……。このあと、何か用事は?」

「なにもないよ。今日は実験もゼミも無いし」


 アキラのほうもまた、今日このあとは調査やゼミはない。また、お互い卒研生なのでもう授業もほとんどない。二人とも今日は暇なのだ。


「それじゃあ、軽く講義しますか。どこからやるかな……」


 そう言うアキラの口元には、段々と笑みが増えていった。


   * * *


「トモはカメと言われて、まず何を思い浮かべる?」


 机の上を軽く片付けて、ホワイトボードが使いやすいように机の端に移動してから、アキラはそう切り出した。


「そうね……やっぱりあの甲羅かな」

「そうだな。カメと言ったらあの甲羅だ。カメの代名詞とも言える」


 そしてアキラはホワイトボードに「カメ=甲羅」と書く。簡単な絵も描ことしたけど、やめておいた。

 アキラは絵があまり上手くない。そのことで以前トモに散々笑われたことがあった。それ以来、アキラはトモに描いた絵を見せなくなった。


「カメの甲羅は、基本的には硬く、半球状をしている。そして、カメの胴体、すなわち胸から腹、腰をすっぽりと覆っている。或いは、胴体が甲羅の中に入っているともいえるな。その一方で手足や顔、尻尾は甲羅に覆われてはいないが、中に引っ込めることができる」


 トモがうんうんと頷く。

 特に問題もなさそうだったので、アキラは話を先に進めていく。


「ではどうしてカメはそんな甲羅を持っているのか? 甲羅にはどんな役割があるのか。わかるか?」

「それは……身を守るためじゃないの?」

「そう、その通りだ」


 そんな当たり前のことを……と思いながらも、無事正解を答えられたことにほっとするトモ。

 当たり前のことを訊かれると、かえって答えにくいものだ。本当にその答えで良いのだろうか、と疑心暗鬼してしまうから。


「カメの甲羅は外敵から身を守るためにある。あの硬い甲羅は並大抵のツメやキバは弾いてしまう」

「ふぅん。ねえ、カメの甲羅ってどこまで硬いの?」

「んー、カメの種類にもよるが、さっき言ったツメとかキバの攻撃には大体耐えられるはずだよ。ワニとかに思い切り噛まれたら耐えられないけど。ワニはアゴの力がものすごく強いからな。あとは、石とかで思い切り殴られたり、高い所から硬い岩の上に落とされたりすると、甲羅が砕けるな」

「それは、まあ確かに壊れそうね……。むしろそれ耐えられたらちょっと怖いかな……」

「まあ、それは極端な例だけど、例えばある本では、カメの甲羅は帽子を被った人の頭程度の硬さがある、と書かれてたりもする。頭蓋骨が胴体を覆ってると考えると、結構丈夫そうだろ?」

「なるほどね。それだと刃物の攻撃は殆ど通じないけど、鈍器による攻撃は十分効きそうね」


 トモが自分の頭を軽く叩きながら事件性の高いたとえをする。

 今この場を誰かに聞かれたらあまりよろしくないな、と思いアキラは軽く咳払いをして先に進める。


「ともかく、カメの甲羅はそんな感じでそこそこ強固だ。じゃあ今度は、そんな甲羅の構造についてだ」

「甲羅の構造……」

「トモはカメの甲羅はどんな構造をしてると思う?」

「どんなって言われてもね……。なんにもわかんないんだけど。硬そうな材質なのは想像できるけどさ」


 カメの甲羅の構造なんて、ほとんどの人はまず知らないはずだ。だからアキラも特に答えを期待したわけではなかった。導入代わりのちょっとした振りみたいなつもりだったのだ。


「ま、普通はそんなもんだ。ほとんどの人は知らないだろう。知ってる必要もないしね。とはいえ、さっきトモが言った硬そうな材質ってのは間違っていない。実際、甲羅は硬く丈夫な材質でできている」

「でしょうね。実際にカメを触った時も、甲羅を叩いたらコツコツとして硬そうだったもの」

「うんうん、なるほどな。実はあの甲羅の材質は、ケラチンというタンパク質でできている。人間のツメや毛と同じ材質だ」

「……ってことは、ツメが甲羅全体を覆ってるってこと?」

「まあ、そう言えなくもないかな」


 へぇーと言いながらトモは自分のツメを見つめる。彼女のツメはカラフルなマニキュアこそしてなかったものの、綺麗なツヤをもち、丁寧に整えられていた。


「でも、ツメってそこまで丈夫かな? たまに折れたりするじゃない」

「まあな。折れたり削れたりする。だけどカメの甲羅はそれだけじゃない。その下に骨からできた甲羅があるんだ」

「骨でできた甲羅があるの……?」

「そう、ツメの甲羅の下にな。ツメの甲羅にぴったりとくっつくようにある。つまり、カメの甲羅は2層構造になってるんだ。普段俺たちが目にするツメの甲羅と、その下の骨でできた甲羅の2層だな」


 アキラは手を重ねて2層構造のジェスチャーをする。そしてそれをトモも真似た。

 1層よりも2層のほうが丈夫なのは、想像に難くないだろう。紙でさえ1枚よりも2枚のほうが破きにくい。ましてや、髪よりも更に硬いケラチンからできた甲羅と骨からできた甲羅の2層構造である。その丈夫さは先にも述べたとおりだ。このように、カメの甲羅はより頑丈になるよう作られているのだった。


「2層構造ねぇ……それは知らなかったわ」

「だろうな。最近だと、カメの飼育の本とかに書かれてたりもするから、聞いたことがある人はいると思うけどね。ついでにもう一つ、甲羅の構造について何だが」

「なに?」

「トモはカメは甲羅を脱ぐことができると思うか?」

「え、いや、無理でしょ? ゲームとかで見かけたことはあるけど」


 トモはあっさりと否定する。


「まあ、そうだ。現実のカメは甲羅を脱ぐことはできない。ゲームとかのあれは、まあフィクションだからな。現実とフィクションは違うというわけで。それはいいとして、じゃあなぜカメは甲羅を脱げないのか。それはさっき言った骨からできた甲羅が関係してくる」

「骨からできてるんだから、どこかの骨とくっついてるってこと?」

「お? 凄いなトモ。よくわかったな。そう、その通りだよ」


 期せずして正解を言い当てたことに、トモはへへーん、とにっこりと笑った。掛け値無しの、良い笑顔だった。


「骨の甲羅は、カメの背骨と肋骨にくっついてるんだ。甲羅の一番盛り上がってる所の下に背骨が、その両サイドに肋骨がある。カメの甲羅はそれらにしっかりとくっついているわけだ」


 細かいことをいうと、最近の研究で、カメの骨の甲羅は肋骨が変形してできていることが明らかになったのだが、ややこしくなるのでアキラは説明しなかった。


「背骨と肋骨にくっついているんじゃあ、どう頑張っても脱げないわね」

「ああ。無理に脱がそうとするとカメは死ぬ」

「じゃああの甲羅を投げられたカメたちはもう……」

「想像しないでおこう。それに、あっちはフィクションだ。現実と一緒にするのはマズい」

「というか、背骨と肋骨にくっついてるのに、どうやって甲羅だけを取ったのかしら」

「首とかを切り落と」

「この話はもうやめましょう」

「赤こうらのあの赤色は実は」

「やめて」


 いつの間にかスプラッタな方向に話が進んでしまっていた。さっきまで笑顔だったトモが完全に真顔になってしまい、耳まで塞いでいた。恨めしい視線がアキラに注がれている。


「こほん。じゃあ甲羅の話の最後に、甲羅のデメリットについてやっておこうか」

「デメリット?」

「そう、デメリットだ。甲羅を手に入れたことにより、カメが失ったものは何だろうか」

「なにかしら……」


 外敵の攻撃を軒並み弾き返し、カメの体を守る甲羅。そんな防御に特化された甲羅と引き替えに、カメはあるものを犠牲にしていたのだった。


「甲羅のほかに、カメに対する印象ってどんなのがある?」

「え? うーん、よくひなたぼっこをしているとか……」

「それ以外には?」

「う~ん……、あ! 動きが遅い!」

「そう、それだ。カメは甲羅と引き替えに俊敏な動きを犠牲にしたんだ」


 ウサギとカメの童話にあるように、一般的にカメは動きの遅い動物という印象を持たれている。そしてそれは事実であり、ウサギや人間などほかの動物と比べると、カメは非常に動きが遅い。


「犠牲にした、というと語弊があるかもしれないが、ともかくカメは動きが遅い。じゃあなんで遅いかというと、言うまでもないと思うが、甲羅のせいだ。あんな重くてデカイものに覆われた状態で、走ったりジャンプしたりなんてできるはずもない」

「ゾウガメの甲羅なんて、見るからに重そうだもんね。のっそのっそと歩いてて、文字通りゾウみたい」

「そうだな。リクガメは遅いな。ミドリガメやクサガメといった水に潜るカメの仲間は、水の中では浮力のサポートもあって、それなりに速く泳ぐことができる。それでも、魚には到底敵わないがな」

「カメってやっぱり鈍くさいのね」

「…………言ってやるな」


 アキラが決して言うまいと思っていたことを、トモがはっきりと言ってしまった。他人事ながら、アキラはカメに哀れみを感じてしまう。

 決して鈍くさいとは書かない。


「鈍くさいと言えば、カメってひっくり返されると起き上がれないって言うじゃない? あれは本当なの?」

「鈍くさいって言うな。まあ、一部のカメはひっくり返されると本当に起き上がれないよ。ゾウガメとかウミガメとかな。だけど、日本にいるイシガメとかクサガメとかは起き上がれる。あいつらは首をめいっぱい伸ばして、手足も上手く使って、ごろんってな」

「へぇ~」

「目安としては、ひっくり返った状態で手足と頭が地面にくっつけられれば、起き上がれることもある。起き上がれないこともあるが。逆に手足や頭が地面にくっつかないと、起き上がることはできない」

「なるほどねぇ。起き上がれないのは、さすがにかわいそうね……」


 動画で見せてやりたかったが、生憎アキラのスマートフォンには入ってなかった。動画サイトで探そうかともアキラは考えたが、相手がトモなのであとで自分の家で飼ってるカメで実演させれば良いか、という結論になった。


「さて、これで一通りカメの甲羅のことは話し終わったかな。細かいことを言えばきりがないし、ここら辺でやめておこう」

「甲羅だけでも結構あったわね」

「なにせ甲羅は神秘の塊だからな。進化とか発生の面では、未だに解明されていない謎も多い。それに学術方面だけじゃなく、一般の人から見てもあの独特な甲羅は興味を引かれるしな」

「それだけ多くの人を惹きつけて止まない何かがあるのね、カメの甲羅には」

「そういうことだな。カメの甲羅には、まだまだ面白そうなことがいっぱい詰まっている。興味が尽きることはないよ」


 甲羅の神秘さを想像し恍惚としているアキラに、トモはかける言葉がなかった。

 一頻り悦に浸ったアキラは、やがて我に返りこほんと咳払いをした。


「じゃあ次は、カメの分類についてやろうか」

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