第4話

 ドーラ・メルヴィルの村はブラッドリー伯爵家の領地にある。自然豊かで、春には雪解けの中に咲く可愛らしい雪割草。夏には晴れば透き通った青い空と大きな雲が。秋には紅葉で木々が染まり、揺れる稲穂が美しい。冬には幻想的な白銀の世界を見せてくれる。そんな村に生まれ、住めていることがドーラは嬉しかった。


 しかし一つだけ不可解なことがある。村のはずれには大きな森があるのだが入り口には見張りがおり、中に入ることはできない。村の中では『きっと恐ろしい魔物が住んでいる。そして侵入した者を食っているに違いない』という話が有名だ。実際度胸試しで森に足を踏み入れた者は帰って来なかったという噂さえある。

 平和を好むドーラにとってこの森は、おぞましい物の象徴であり、近づいたら死が待っていると考えていた。


 けれどもドーラは今、森の近くにある大木の陰に潜んでいる。大木と言っても一歩動けば服の裾が見えるほどの大きさで、うかつには動けないのが欠点だ。


「おいドーラ、わかってるな。俺達が奴らの気を引くから、その隙に走れ。魔物の住処までな。それで魔物の持ち物を一つ奪ってこい。そうしたら許してやるよ。何度もやったんだから、できるだろ?」


 同じ村に住むタチの悪い少年達に目をつけられてしまった。運が悪い自分を心の中で嘆きつつも抵抗すれば殴られるので頷く。するとこの馬鹿げた遊びを言い出したダグは満足そうに眉を動かし、他の仲間とともに見張りの様子を伺いに移った。


 もともと彼らが悪いのだとドーラは唇を噛み締めた。

 ドーラの家は村の中でも貧乏で、父親がいない家庭だ。母親は仕事で家を開けることが多く、家には大抵一人だ。母親の稼ぎだけでは満足できる食事もできず、ドーラ自身も働いていた。そんな彼女を哀れに思って村の人々がくれるパンが、ドーラにとっての唯一の救いだった。


 今日もいつものように近所の畑仕事や馬の世話などを手伝い、わずかの報酬を受け取る。そんなことを考え朝起きると、なぜか家の前にこの悪ガキ共がいたのだ。ドーラは驚きで叫びそうになったが口を押さえられ、家に押し戻された。


「お前が盗んだのはわかってるんだ。出せよ」


 ダグが言うに、いつも彼の後ろに張り付いている少年一人の大切にしていた手鏡が、昨夜突然消えていたそうだ。慌てて探していると、窓から布をかけた籠を下げて走り去っていくドーラが見えたらしい。


「それはメリーおばさんからパンを貰ったからで!」

「へぇ? 貧乏は辛そうだなぁ。どうせ、ジャスティンの手鏡と一緒にメリー婆さんから盗んだんだろ」

「違うって言ってるでしょ! それに男が手鏡って何よ、女々しすぎる!」


 こんなこと言わなければよかったとドーラは思い出してはため息をつく。手鏡はジャスティンの母親の形見であり、ドーラが犯人だと思い込んでいた彼の怒りをこの言葉は煽ってしまったのだ。

 言った直後、ドーラは弾き飛ばされ壁に頭を強打した。揺れる視界の中、殴られたのだと気付くのに数秒時間を使ってしまう。


「お、おい止めておけ。こんなんでも女だぞ」

「あ? 何様だよ、テメェ」


 ダグが焦ったように静止をかけなければドーラは顔の原型を保っていられなかったかもしれない。ジャスティンはダグの部下のような存在だが、凶暴で手がつけられない少年だ。ダグも彼を一目置いているらしく、二人が殴り合いなどになったらと考えれば震えが止まらない。


「いい考えがある。こいつを魔物の森に送りこもう。こいつの勇姿を確かめるにはちょうどいい場所だ」


 彼はどんなつもりで言ったのだろうか。ジャスティンに殴られることはなさそうだが、ドーラにはどちらも死を意味していた。その言葉を聞き、ジャスティンはさぞ面白い見せ物が観れると思ったのだろう。皮肉な笑みを浮かべて成功すれば許してやるとまで言ったのだ。


「おい! 聞いてるのか、ドーラ!」

「あ、ごめん。なんだっけ」


 肩を叩かれ、はっと息を飲む。驚いて一瞬身を震わすと、いつの間にか戻って来たダグは何故かすまなさそうに手を引っ込めた。ドーラはそんなダグに不思議に思いつつも辺りを見渡せば、ジャスティン達は別の木陰から見張りを確認するために顔を覗かせている。どうやら再確認のためにダグはドーラの元へ来たようだ。


「ドーラ」 


 気を取り直すようにダグは息を吐き、名を呼んだ。念を押すようにドーラの目を真っ直ぐに見つめる。真剣な眼差しを受け、居心地が悪くなり目をそらすとダグはドーラの肩を強く掴む。


「な、によ」

「何か適当なやつでも持って帰ってこい。丸い石で狼男のもんだと言ってもいいし、動物の骨でも拾ってきて、傷でもつけて化け物が食ったと言ってもいい。とにかく奥には入るな。すぐに戻ってきてどっかで時間でも潰しておけ」

「は? どういうこと……」

「お前、何もできないんだから言うこと聞いとけよ」

「おい、ダグ! 何やってんだ! そろそろやんぞ」


 遠くからジャスティンの怒声が聞こえ、ダグはすぐに離れた。見張りに気づかれそうな声の大きさだったのでダグは冷や汗をかきつつ確認するが、運のいいのか悪いのか。見つからずに済んだ。安堵した彼はもう一度というようにドーラに向き直る。


「おい、俺の言うこと聞けよ。わかったな」

「……嫌よ」


 絞り出すように言葉を吐き出せば「は?」とダグは不愉快そうに目を細めた。いきなりなんだと言いたげに視線を向けてくる彼にドーラは我慢がきかず大声で吐き出した。


「嫌だって言ってるの! 私は暴力と命令しかできないあんた達とは違う! 私は弱虫なんかじゃないってこと、証明してあげるから!」


 吐き捨てるように言い逃げ、ドーラはジャスティン達の元へと走った。ダグが驚きと苛立ちを交えた表情を浮かべていたことは気づかない。そして何事もなかったかのように彼は戻り、見張りに隙を与えるためにそれぞれ大きめの石を手に取った。


 声には出さずに目だけで合図をする。短いカウントダウンの中、怒りから我に返ったドーラは慌てるが時はすでに遅し。ドーラの静止は、見張りの驚愕の声によりかき消された。


「うわっ、小僧どもめ! そっちに行った、捕まえてくれ!」


 四方八方から力強く飛んでくる石は真っ直ぐに地面にめり込んだ。その威力を目の当たりにした彼らは、身の危険を感じ逃げ惑う姿を見せる。そんな彼らにダグ達は楽しむような素振りをしながら抱えていた石を躊躇いなく投げた。


(うっわ……考える事えげつないな)


 想像はしていたが、それ以上に見張りが哀れだ。怪しげな森の外で長時間警備をし、それでも辛いだろうに村の子供に攻撃をされる。関係者でもあるドーラは申し訳なく思いながら隙間の空いた入り口に視線を向けた。


 日の光が当たっているので入り口付近は自然が青々と綺麗だ。しかし、もっと奥へと目を凝らすと暗闇で何も見えない。鳥の鳴き声なども聞こえるが、向こうでは何があるかはわからないのだ。


 一体彼らは何を守っているのだろうか。ドーラは昔、見張りの仕事をしていた者に聞いたことがある。しかし彼自身も知らないらしく、満足のいく答えは返ってこなかった。


 今更ながら足がすくみ、生唾を飲み込んだ。先ほどは威勢良くダグに怒鳴ったりもしたが、いざ入るとなると気後れする。けれども時間はあまりなかった。その間に気を引いている者たちの勢いが落ちていき、見張りが脅すように銃を取り出したのだ。


「おい、早く行け!」


 背後に回ったダグに背中を押され、前のめりになりながらも走る。ドーラを引き止める怒声を浴びながらも無我夢中で足を動かした。思考の端でダグ達がこれからどうなるかも考えたが、今は見張りから逃げるのに精一杯だった。


「いたっ」


 当たり前だが手入れをされていない、自由に伸びた木の枝がドーラの頬を掠めた。擦り傷程度だが血が滲み、痺れのような痛みを感じる。背後に誰も追ってきていないことを確認して、息をついてからドーラは頬を拭った。


 微かに、手の甲に血がついた。仕事を手伝っている時でも、この程度の怪我などは不注意で負うものだ。いつもの事ではないかと己を励ます。しかし村よりも森での負傷の方が何故か不気味に思えた。見えない何かが襲ってくる。そんな気がするのだ。


 高鳴る鼓動を聞きつつ、辺りを見回す。すると考えに反して少し進んだ森の中も、緑の木々が美しく輝いていた。

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