第2話
「シンシア、おめでとう。で、こいつは今日から僕の代わりにお前の友人になってくれる子だよ」
六歳の誕生日に、魔導師は突然そう言い出した。『こいつ』と『子』の表現が合っていない気もしたが、慣れているシンシアは無視を決め込んで目線を移す。彼の背後には恥ずかしそうにしつつも目を輝かせてシンシアを見つめている少年がいる。
女の子のような白い肌に薔薇色の頬。冗談ではなく美少女だとシンシアは本気で思った。新しく新調したであろう彼の礼服はぎこちなく、これからのためを考えて大きく作られていた。そんな彼らにシンシアは二重に驚く。
「ありがとう。えっと、貴方は私の世話係を辞めてしまうの? 貴方と入れ替わりにこの子が入ってくるのね。でも……危険なんじゃ」
「いーや、こいつもお前と同類かな」
「それって……」
信じられない思いでシンシアは少年を見つめる。彼はその視線にどう答えようか迷っているようで少しの間目を泳がせていたが、考えつかなかったようで最終的に魔導師の顔を見上げた。そんな少年に、彼は呆れを含めたため息をつく。
「同類とは言っても、正反対でもあるけどね」
「どういうこと?」
理解できないと眉を寄せるシンシアに、魔導師は少年を前に押す。少しよろけて顔を上げた彼は祝いの言葉を口にした後「……カイル・クラクストン。今年で八歳になります」と名乗り、片手をシンシアに突き出した。
シンシアは瞬きを繰り返す。カイルという少年の行為の意味がわからなかったからだ。何も反応できずにいると魔導師は強引にシンシアの手を取り、無理やり重ねた。
「シンシア・ブラッドリーよ。貴方を歓迎します、よろしく」
仕方なく以前覚えた言葉をそのまま吐き出すように口にし、手をさりげなく放す。そして魔導師に視線を移すも、仮面の下に覗かせる唇が楽しそうに歪んでいるだけだった。シンシアの質問には応える気はないらしい。ならばとシンシアはカイルが話し始めるのを待った。
「——シンシア様は伯爵令嬢で、セイレーンなんですよね?」
しかし予想に反し、彼は説明の前に疑問をぶつけてきた。もう下を向いてはおらず、カイルはシンシアの瞳を食いつかんばかりに見つめている。
「それは、私がセリーナでありシンシアでもあるということかしら」
「はい。僕は貴方様の生い立ちを聞いてきました。ですが、僕は……」
「信じられなかったのね?」
カイルは答えない。黙ったまま、返事を待っている。真剣な眼差しにシンシアは再度魔導師を見るが、彼の様子は先ほどと変わっていなかった。仕方がない。彼が何も示さないのであれば自分が言わなければとシンシアは息をついた。
「そうよ、私は元は人間ではなかった。元は、というのも少しおかしい気もするのだけれどね」
——セイレーン。
それは古の神話に出てくる、歌で人を惑わせ人を食らうという怪物。半身が人間で魚という、人魚のような姿。もしくは下半身が鳥という、あくまで空想上の生物と言われ続けていた魔物だ。
しかし、それと一部の意見は違っていた。
セイレーンは存在する。セイレーン以外にも狼男やドラゴンなど空想上の生き物とされる魔物は姿を見せないだけでどこかで生きている、と。
※※※※※
ブラッドリー伯爵家の長女は生まれる前、女であったらセリーナだと名付けられていた。
当時、跡継ぎがいなかったため娘ではあったがセリーナは待望の子供である。しかし母親は出産に耐えられず死亡し、生まれた娘は未熟児で、間もなく瀕死状態となってしまった。
母親の体が弱かったことや「後継を」と周りが精神的に母親を追い込んでしまったことが原因か。
泣き声を挙げることもできないほど衰弱した我が子を抱き上げた父親アーヴィンドに、彼の弟が声をかけた。『私は、この子を助けることができる人を知っている』と。しかし、連れてこられた人間は医者でも祈祷師でもなかった。
身元が明らかになるのを防いでいるのか、仮面で顔を隠して外套を着込んだ男か女かもわからない——魔導師。
アーヴィンドは元々、科学的に証明できないことには全く持って興味はない。魔女が医学に長けた女性を示すように、魔導師も他の意味があるに違いないと己に言い聞かせながら彼を家に入れた。
魔導師は一日だけセリーナを預からせて欲しいと頼む。いきなり現れ、何を言うのかと訝しがるアーヴィンドだが、そんな彼に魔導師は囁く。『跡継ぎが必要なのでしょう?』と。
けれども別れ際に魔導師は、念を押すようにアーヴィンドに言った。
「娘の魂を他のものと入れ替えることになるけど、それでも行うか?」
跡継ぎのことしか頭になかった父親は答える。
「かまわない。我が家の血筋が残るのなら」
※※※※※
翌日、家の前に籠に入った赤ん坊が発見された。添えられていた手紙には高額な請求額と、娘に手を焼いたらまた連絡するようにとだけ書かれていたという。
何はともあれ、娘は無事で伯爵家の未来は安泰だと思ったアーヴィンドだが、魔導師の言葉をようやく理解することになった。
先ほどまで揺り籠の中で幸せそうに寝ていた娘が、突如泣き声をあげたのだ。赤ん坊は泣くのが仕事なのだから、何もおかしくはない。しかしそれは泣き声というよりも、叫びを含めた歌声と表現した方が当てはまっていた。
まずはそんな赤ん坊をあやしていた乳母だった。めまいを起こしたようにふらついたと思ったら、糸が切れたように倒れた。それから近くにいた人々が、まるで波紋のように次々に気絶し始めたのだ。もちろん、その場にいたセリーナの父親も同様に。
彼らが目覚めたのは、それから四時間後のことだった。
※※※※※
明らかな娘の変化にアーヴィンドは怒り、すぐさま魔導師を呼びつけた。
間もなく屋敷に訪れた魔導師は、応接間にて最低限の礼儀として出された紅茶をすする。出がらしのように苦い味は、意図的に作られたものだ。
魔導師は緊張した空気の中、向けられる鋭い視線を全く気にもせずに不思議そうに尋ねる。
「何かあったみたいですね。案内をしてくださったメイドの方も慌ただしかったし。どうかなさいましたか?」
「お前がそれを聞くか! あれは私の娘か、別の子供じゃないだろうな!? 娘なら何をしたんだ、まるで化け物じゃないか!」
「おお、その通りですよ伯爵。その赤ん坊は貴方の娘で魔物。もはやセリーナではない。新しい名でも考えるべきかな。あ、それよりも砂糖を頂けます? 結構な甘党なんでね」
あっけらかんと、とんでもない言葉を口にする魔導師。飄々としている様子は、すでに苛立っていたアーヴィンドの神経を逆撫でた。眉間に刻まれていた深い皺はさらに寄り、しかめっ面が度を増す。
しかし砂糖が出てこないとわかると、魔導師は苦笑を浮かべて渋く薄い紅茶を飲みほした。いかにも美味しそうに飲む演技は嫌みたらしいものだ。内心毒吐きながらもアーヴィンドは落ち着きを装い、口を開く。
「もう一度聞く。セリーナに何をした。娘は何者なんだ」
「だから、もうセリーナではないんですって。それに、他の魂を入れるって言ったじゃないですか。お忘れですか?」
「…………」
忘れていた。いや、本気にしていなかったのだ。
彼の言葉に何かを匂わせる雰囲気はあったが、後継の危機という状況がアーヴィンドの判断を鈍らせていた。
黙り込んだアーヴィンドの考えを察知したのか、魔導師は肩をすくめて立ち上がる。突然のことで驚くアーヴィンドに、彼は娘を連れてくるように言った。
そして運び込まれた可愛らしく寝ている赤ん坊を見下ろして一気に説明する。
「この子にはセイレーン。つまり、人食い歌姫の命を入れさせていただきました。ちょうど手元に生まれたばかりのがいましてね。まあ、安心してください。前例はないけれど、比較的、歌以外に危険はありませんよ。体が人間なのだから、同種は食べないですし。まあ副作用でセイレーン本来の魅惑の歌ではなく、聴くと害があるみたいですが」
アーヴィントには、魔導師の言っている言葉の意味は理解できなかった。ただ、驚くのも忘れてまじまじと彼の顔を見つめる。冷たく光る仮面は部屋の明かりを反射して、それほどでもないのにまぶしく思えた。自分の家のはずなのに、妙に静かに感じるこの空間はとても居心地が悪い。
「そ、そうか……」
納得なんかできるはずがないのだ。しかし先ほどまでの怒りがどこかへ消えてしまったかのように、空虚な気持ちで魔導師を眺める。仮面の下から覗く黒い瞳は、死人のように何も映してはいなかった。
それからというもの、何が起こったのかアーヴィンド自身もよく覚えていない。気がつけば時は経ち、娘の出産に関わったの者の行方はわからず、娘だった魔物はシンシアと名乗り森の奥で暮らしていた。親戚の間には娘は体が弱く、領地に含まれている大きな森で療養していると言い渡っている。
そして災厄か否か。魔物の教育係に魔導師がついていた。
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