魔物の唄を聴いたなら

紫月涼香

第1話

 朝起きてすぐ、真っ先に確認するのはベットの隣にある机の上だ。転がった万年筆とインク壺の他に白い便箋が置いてあれば、『彼』から思い出したかのように不定期に送ってくる薬か、たまに送られてくる父からの手紙に決まっていた。

 どこからか運ばれてきて、知らぬ間に現れる手紙は異物が入っているため膨らんでいる。裏には宛先などは書いておらず、印籠すらされていなかった。 


「……魔導師からのようね」


 しかし、そう断定できるのは二人以外に手紙を寄こしてくるような知り合いがいないからだ。

 名前も顔も知らない男を、伯爵令嬢のシンシア・ブラッドリーは魔導師と呼ぶ。

 彼はシンシアの親のような存在であり、彼女を屋敷に閉じ込めている元凶でもある人物だ。普段は金属でできた仮面をつけ、体格がわからぬように大きな外套を着ている。声や背から男と判断しているので、実は女性なのかもしれないがシンシアにとってそれはどうでもいい事だった。


「シンシア、おはよう。今日は珍しく寝坊かな」


 階段から降りてきたシンシアに、外から帰宅する形で出迎えたのは同居人のカイル・クラクストンだ。彼女が六歳の頃に魔導師が話し相手にと連れてきた者である。陽の光に当たると夕焼けの色に見える髪と澄んだ灰色の瞳が印象的な青年だ。


「おはよう。昨日は疲れていたから、ぐっすり眠れたみたい……随分と採ってきたのね」

「少し奥の方に行ってみたら、たくさん生っていたよ。ケーキでも作ろうかと思って」


 彼は料理が得意なので、よく出歩いてこういった物を持ち帰ってくる。摘んできた木苺が入れてあるバスケットを持ち上げ、彼が浮かべた笑みは爽やかで心地がよい。


「甘い物って見るだけで幸せになるわよね。それにこの時期ならもうすぐ向日葵が咲くわ。近くに畑があるから今度行きましょう」


 シンシアの屋敷は深い森の中にある。自然に囲まれた場所なので新鮮な空気と、静かで心地よい空間が二人のお気に入りだ。


「あ、そうだった。手紙が来ていたわよ」

「……ありがとう」


 カイルは差し出された封筒を見ると、一瞬苦い顔をしたがすぐに笑顔に戻す。


「やっぱり、その……慣れないの?」


 言いにくそうに聞けばカイルは首を横に振り、大丈夫だと困ったように返す。それにシンシアはカイルの手に収められたそれに視線を向けた。

 魔導師からの封筒の中には、カイルのための薬が入っている。彼が暴走しないよう、彼が間違っても人に危害を加えぬよう精密に作られている薬だ。しかし効果は絶大でも、飲んだ直後は激しい頭痛に苛まれる。


 だから彼はいつも心配させぬよう、シンシアが寝静まった頃を見計らって薬を飲むようにしていた。しかしそれにシンシアは気づいている。見て見ぬ振りをしなければいけないのは、彼女にとっても辛いものであった。

 『慣れないのか』と言葉を選んだのも直接聞けぬ歯痒さが込められていた。


「そんな顔しないでよ。本当に平気だから」


 軽く励ますように言ってくれる彼だが、内心ではどうかはわからない。シンシアはそうと頷くだけにして朝食をとるために食堂へ移動した。



※※※※※



 朝食後、自室に戻り姿見の大きな鏡の前に立つと、腰まで伸びた、毛先が軽く弧を描く癖のある黒髪の少女がぼんやりとシンシアを見ていた。『彼女』は深緑のドレスを着ており後頭部を囲む、ふんわりとした白いレースを重ねた髪飾りをつけている。ガラス玉のような色素の薄い碧眼は朧げに己の姿を映していた。


「…………」


 シンシアは鏡に映る、己であり他人である姿を撫でる。冷たい感覚が指先に広がり、ぼんやりとそれを見つめる瞳は薄暗い光を灯していた。



※※※※※



 玄関ホールは住人二人が使うにはとても広く、豪華で寂しい。素晴らしい装飾のされている家具や階段、絵画。客の招かれる事がないこの屋敷には、それらは無駄に煩いだけだ。煌びやかなこの部屋は、ただの見せ掛けな飾りでしかない。出入り口付近の棚の上に一輪のダリアが生けてあったが、それでも寂しい空間に変わりなかった。埃一つ落ちていないのが余計にそう思わせている。


「それじゃあ、行ってくるわね」

「帰ってくる頃には出来上がっていると思うから、楽しみにしていて」

「もちろんよ」


 カイルに見送られ外に出ると、高く昇る太陽の光が木々の雨粒を照らしていた。重なり合う草木は風に吹かれると気持ちよさげに揺れる。シンシアの気配に気づいてか小鳥が鳴きながら飛び立ち、美しい羽を広げていた。

 振り返ると赤茶色の石でできた屋敷がそびえ立っている。夜になるといかにもな雰囲気を醸し出すこの建物だが、そこが素敵だとシンシアは思っていた。このような見た目の方が住人にとっても生きやすいし、神秘的だろう。


 足を踏み出すと、水分を含んだ土の音がした。昨夜降った雨のせいか地面がぬかるんでいるのだ。仕方ないとため息をつき、ドレスの裾を持ち上げて森を突き進む。

 巨大な森の中ほどに建つ屋敷の周りは、比較的穏やかだ。枝を渡るリスや狐の親子を見ることができた。


 しかし奥に移るにつれ、景色は変わってくる。光が届かないため、見えるもの全てが重おもしい。すると、突然目の前が開けた。生えているものは一切なく、枯れた草花が力なく横たわっている。

 この森の生き物たちは、決して近づかない。何もかも灰色で、風さえも吹かないこの場を時が止まっているようだとシンシアは心の中でつぶやく。


 しかし彼女は歩き続けた。歩いて歩いて、歩いて。


 焼け野原にも見えるこの灰色の中心で、ようやくシンシアは立ち止まった。目を瞑り手を胸元に添え、息を吸う。そして響くのは、この世のものとは思えないほどの美しい歌声だった。聞く者を魅了するよな妖艶でどこか寂しげな声色で、主に高音を重視した賛美歌のような曲が流れた。 


 それは貴族に国を乗っ取られた姫が生き延び、奪還を目指す物語の一部始終を語る歌だ。けれども協力してくれた騎士が最後は死んでしまう所を見ると、悲恋の物語とも解釈できる。

 この歌の最大の特徴と言えば、歌以外で騎士の死を表現している部分だ。姫が敵である貴族を打つところで歌は終わるのだが、伴奏であるピアノが、その後傷ついて倒れる騎士を悲劇的に表現する。

 ピアノを弾くことが出来ないシンシアには、この曲を完璧に歌い上げることはできないのだ。他の人に伴奏をしてもらうという手もあるが、彼女には無理な話である。


「…………はっ」


 終わり、大きく息を吸い込む。すると何とも言えない幸福感が体を駆け巡った。体温が上がり、激しい運動でもしたかのように息が上がる。そんなシンシアの瞳は、獲物を狙う獣のように見開かれていた。

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