ディーヴァ<歌姫>

ガジュマル

第1話


 時がゆらぎはじめる酒場。

 深みのある青い影があたりを支配し、ゆるやかな音楽がさざめく人々の間をながれていく。

 彼らの足元、強化アクリルの下を、幾人もの女が裸で泳いでいた。

 レーザー光が波打つ体には、蛍光ウィルスで書かれたタナトスの文字が読める。

 ユーラシア大戦による都市部への限定核攻撃と新型細菌兵器攻撃、そして人類史上最悪の大震災により荒廃した日本の旧首都、東京。

 空には大陸から運ばれてきた細菌雲が浮かび、重くるしい大気の中には、ゆるやかで確実な死をもたらす小さな死神たちが舞っている。

 人々は地上を捨て、海中に多層構造の都市を建設し始めていた。

 東京ベイエリアに浮かぶ、巨大なフロートシティ『ナイオン』。

 その名を聞くと、一般人の誰もが嫌悪の表情をうかべる最下層、第四層歓楽街。

 数千もの太陽光集束ファイバーが閉じると共に、このエリアは動きだす。

 うつろな眠りにおちいっていた街並みが目を覚まし、派手で華美なディスプレイを瞬かせ始め、酒と暴力の微香を含んだ呼吸をはじめる。

 第四層には、第一層の知性と優雅さのかわりに、混沌とした熱気と、いつ果てるともない欲望に満ちあふれていた。


 エリアの一角、歓楽街のはずれに『タナトス』というナイトクラブが、ひっそりとたたずんでいた。

 第四層のクラブにしては珍しく、落ち着いた感じの内装だ。

 紅を基調にした中国風の装飾や、おさえたライト光。乳白色のステ-ジやカウンタ-にいたるまで、統一されたセンスがうかがえる。

 たち並ぶ小さな大理石のテ-ブルを囲み、大勢の客はグラスを傾けながらショ-を見ていた。

 ステ-ジの上では、初老のマジシャンが手慣れたパフォーマンスをみせている。

 観客が彼の魔術に見とれる中、一人の男がバーに入ってきた。

 長身に細身の体、身にまとっている一般人の雰囲気。

 どうやら、客のほとんどを占めているディープ・ダイバーではないようだ。

 足元のアクリル越しに泳ぐ女たちに驚いた様子をみせたが、すぐにカウンターの方へと足を向ける。

 男はカウンターのスツールに座った。

「ダルモアをストレートで」

 小太りのバーテンに向かって、静かに声をかける。

 バーテンは迷うことなく目的の酒を取り出すと、手慣れた動作で液体をグラスにそそいだ。ショットグラスを受けとると、男は黙りこんだままショーの方へと視線を向けた。

 やがて、観客のグラスの氷が琥珀色に変わる頃。

 マジシャンの両脇あたりに、二つの白球が現れた。両手に余るほどの白球はなめらかな光を放ち、それぞれ彼の両肩のあたりに浮かんでいる。

「さて、みなさん」

 美しく枯れた声が響きわたった。

「次なるは、この店『タナトス』のスター。黒き歌姫、ミラです!」

 ステージが薄闇につつまれると同時に、熱狂的な拍手がわき起こる。

 老マジシャンは、かるく一礼するとステージから去っていった。

 空間に浮いたままの二つの白球が、ふいに上下左右へと溶けだした。

 まるで、四方に引かれたかのように、動き、波うち、人型をとりはじめた。

 柔らかな胸の線、のびきった手足、女神のような顔……やがてそれは、均整のとれた二人の女性の裸体へと形を変えた。

 男性客は、3Dホロとは思えぬ立体感に息をのみ、同伴した女たちは嫉妬のまなざしを向けている。


「FUUuー」

 空中に浮かんだ二体の白い女神たちは、小さく唇をすぼめると、美しいハーモニーを奏で始めた。

 声にあわせて、二人の腰にまでとどきそうな金髪が淡いピンク色をさした肌のうえでおどっている。

 彼女たちが、空中をゆるやかに後方へと退くと、二人の間から黒のドレスに身を包んだ少女が現われた。

 十七・八といったところか。

 波うつ黒髪に漆黒の瞳、肌は黒というより太陽の祝福を受けたような褐色だ。

 東洋と西洋が混在した不思議な顔だちをしている。

 たとえるなら、中央アジアの混沌とした美だ。

 闇を切り裂いて青いレーザー光が少女をてらしだす。

 彼女は黒の薄いヴェールをなびかせると、ライトの光を吸いこむかのように、やや上を向いた。

 紫煙にさえぎられた光線が、彼女の顔にやわらかな陰影を投げかける。

 精緻に刻まれた彫像を思わす姿が、見る者たちを次々にひきつけていく。

 彼女が、最初の音をかすかに発声した。

 二人の女神たちが応え、ひそやかに音を重ねていく。

 彼女の声は、見事なまでのコレンドア・ボイスであった。

 コレンドア・ボイス…その、海中居住者特有の高音域が、聞くものたちを次第に魅了していった。

 会話をかわす者はいなかった。

 彼女たちの歌声のみが店の中の空気を満たしていく。

 高く、低く、旋律が交わっていった……。


「ランス・フリーマンか?」

 声をかけられてカウンターにいた男がふり向いた。

「ええ、そうですが」

 ランスと呼ばれた男は、歌を聞くのを邪魔されたせいか、相手を不満げな表情で見つめ返した。そこには、がっしりとした体つきをした老人が立っていた。

 青く鋭い瞳がランスを見つめている。

 老人の顎には白い口髭がたたえられていた。

 まるで歳老いた熊のようだとランスは思った。

「わしがおまえの雇い主、バリー・ゴールデンだ。バリーと呼んでくれ。どれ、となりに座らせてもらうぞ」

 バリーと名乗った老人が、ランスのとなりへと腰をおろす。

「ふん、わしのもらったファイルには、ロサンゼルス出身となっていたが…どう見てもおまえはアジア系だな。それにしては名前が東洋のものとは思えないが、移住者か?」

 バリーが手元の端末を眺めながら言った。

「元はナイオンの出身なんです。もっとも子供の頃にロスに移住してしまいましたけど。両親とも日本人なんですが、なぜか父が筋金入りの日本嫌いで、名前は父の代で変えられてしまいました」

 ランスはバリーの方を見ず、遠い目つきでグラスを見つめている。

「ナイオンの何層に住んでいた」

「第一層住宅街ですが、それが何か」

 バリーは質問には答えず、ただ、口元に薄笑いを浮かべた。

「それから、ハイスクールを優秀な成績で卒業後、大学の医学部へと進む。さらに、カルテックでポスドクをやっているときに書いた論文により博士号をとると。おいおい、ごりっぱな経歴を持っているのに、なぜ第四層のやぶ医者の所になんぞ来たんだ」

「ここが、私の生まれた故郷だからです。バリーさん」

「それだけか?」

「はあ、そうですけど」

 バリーが、さも珍しい生き物を見るような目でランスを見つめる。

「物好きなやつだな、そのままだったらさぞかし立派なお医者さんになったろうに。ランス、この第四層でまともな人間は生きていけねえぞ」

 ぶ然とした表情でつぶやくと、バリーは、ファイルの方へと再び視線を戻した。

 しばらくの沈黙の後、今度はランスが口を開いた。

「きれいですね」

「ん、あの歌手がか」

「いいえ、あの歌がです。人間なんて一皮むけば皆おなじですよ」

 バリーが太い声で笑いだした。隣の席の客ににらまれ、慌てて笑いをおしつぶす。無理に笑いを止めたせいか、苦しげにむせている。

「おまえのマジメくさった顔から、そんなセリフが飛び出るとはな。まあ、確かにおまえの言うとおり、ミラの歌は最高だ」

 バリーが、まぶしそうに彼女を見つめる。

「ランス、おまえの仕事のひとつが何かを教えてやろうか」

「先生の助手じゃないんですか」

 バリーの口元に笑みが浮かぶ。

「あそこで歌っている女、ミラの相手をすることだ」

 ランスが驚いてバリーを見返す中、ミラの歌声はバーの中を軽快に流れていった。


『ガキだ……』

 現在、彼のハーフコートをひっぱっている女の子、ミラを見ながらランスはそう思った。

 彼女は黒のTシャツにスケルトンFD(フィルム・ディスプレイ)ベスト、下には赤い花をちらしたミニスカートといういでたちだ。

 黒の刺繍入りのストッキングが針金のような足を包んでいる。

 ミラの趣味なのか、FDベストからは黒人ソウルシンガーのライブをコラージュした動画が映し出されている。

 昨日、歌っている時の彼女を見ているだけに、そのギャップはよりいっそう深いものがあった。

「何してるの。ね、ね、今度はあれに乗ろうよ!」

 ミラはランスの思いをよそに、彼をひきずるようにして歩いている。

「ミラ。できたらその、ここを出ないか。僕は正直言って、RPG(リアル・プレイイング・ゲーム)というのは好きじゃないんだ。確かにこれは僕の専門、大脳量子工学の産物だが、悪酔いしやすいし……」

 ランスはミラを思いとどめさせようと、青い顔をして必死にしゃべっている。

 広々とした部屋の中、彼らのまわりには直径二メートルほどのガンメタル色の球が整然と並べられていた。

 マシンの内部では、少年少女から老人まで、あらゆる年代の人々がゲームに興じている。

 暗闇の中、小型のヘッドセットをつけ、汗ばんだ手でレバーを握る。

 すると、目の前に直径1センチほどの白い円が現われる。

 上下左右に動き出す円を、マシンボイスの指示通りに目で追っていく。

 視神経の流れをロックすると、マシンはスタンバイ・オーケーの旨をゲーマーに伝える。

 ゲーマーの返事を認識すると、マシンはヘルメットを介して、数億個の画素を、ミリセコンド単位でゲーマーの視神経交叉へとたたきこんでいく。

 そのあまりにも強い中毒性と、長時間使用による著しい視力低下が問題となり他国ではしめ出されたRPGも、この第四層歓楽街では公認されて大きな収入源となっていた。

「それじゃあ、どこへ連れていってくれるの?」

「そうだな、第二層の自然公園ってのはどう?」

 公園という言葉を口にしたとたん、ミラの表情がけわしくなる。

「よし、アイスをつけよう」

 あわててランスがつけ加える。

 次の瞬間、ミラはランスの首ねっこに飛びついていた。


 第二層の公園施設では、第四層においてほとんどみられない本物の樹木が数多く植樹されていた。

 ミラとランスは公園のベンチに座っている。

 緑が目にやさしい。

 平日の午後ということもあり、人影はまばらだった。

 ミラは、巨大なカップにつまれたアイスクリームを満足そうに食べている。

「おいしいかい?」

 ランスが青い顔でミラに尋ねる。

 ミラが笑顔でうなずく。

「ねえ、ランス。あなたアメリカからきたんでしょう。向こうの話を聞かせて」

 ミラにせがまれ、ランスは住んでいたロサンゼルスのことを、ぽつりぽつりと話はじめた。

 ロスのいろんな風景や、プロム(卒業パーティ)でのパートナーのこと、父親の車を無免許で運転中に壊してしまったこと。思い出は次々とあふれ出し、つきるということがなかった。

「ポンコツの中古車なんだが、親父はそれを気に入っててね。日本嫌いのくせに、車だけはメイド・イン・ジャパンさ。信じられるかい?水素電池じゃなくて内燃機関のエンジンで動くんだぜ。支払う税金も普通電動車の5倍!」

 ランスは、ふと、彼を見つめているミラの視線に気がついた。

「どうしたんだい。ミラ」

「ランスって家族の話をするとき、とても楽しそうな顔になるのね」

 ランスはそう言われて、いつのまにか笑みを浮かべている自分に気がついた。

「そうかな」

「どうしてそんなに大好きな家族をすてて、このナイオンにきちゃったの」

「それは、その、夢ってやつがあってね」

「ふぅん」

 ランスが話したくないのを察したのか、ミラはそれ以上追求しなかった。

「あのね、私にも夢があるんだ」

「へえ、どんな夢」

「いつかね、いつかの話だよ。このナイオンに住んでいる人たち、みんなの前で歌ってあげるんだ。それを聞いたら、みんな、みんな、幸せになるような歌を」

 ランスは、となりに座っている彼女の姿を見つめた。

 そこには、本当に夢をみているかのように軽く瞳を閉じ、未来の自分の姿を思い浮かべている一人の少女がいた。

 彼らの前を、家族連れや恋人たちがゆっくりと通り過ぎていく。

 誰にでもやさしくなれそうな、そんな明るい午後の昼下がりだった。

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