第7話

「あら? 今日は探偵さんお一人なの? 子供の助手さんは?」


 昼下がり、自室へ入って来た探偵を見て薫子(かおるこ)が声を上げた。

 今日の探偵のスーツはグレーストライプ。そういえば2日と同じスーツを着ているのを見た試しがない。

「そうなんです。今日は僕だけです。志儀(しぎ)君は今日は用があるとのことで」

 抱えていた書籍を寝台横の椅子に置くと片方の口の端を上げ微笑んだ。こういう笑い方をすると探偵はひどく少年っぽく見える。

「フフ、いかにも彼らしい。何でも趣味の会合に出席するんだとか」

 昨日は探偵社に泊まった志儀だったが。

 事務所のソファで寝た興梠(こおろぎ)。朝、目覚めると既に少年の姿はなく、ビューロの上――もっと詳しく言えば黒猫の下――に置手紙があった。

 そこ記してあったのだ。




《  残念ながら本日、僕はご一緒できません。

   K市探偵小説愛好会の定例会に出席するからです。

   今月は特別に新青年に《真珠郎》を書いたあの名編集者にして大作家が

   出席の予定。見逃すわけには行きません。


                        以上        》





 余談だが、興梠と志儀の住むここK市は後に〈探偵の街〉と称されることになる。

 外国船の寄航するエキゾチックな港町の書店や古本屋には早くから海外の探偵小説が流入しそれに熱狂した少年たちがやがて高名な探偵・推理小説家となった――


「きっと今頃はフシギ君、〝自転車のタイヤの痕は果たして本当に見分けられるのかどうか〟について仲間達と大いに論戦を交えているじゃないかな?」

 令嬢が怪訝(けげん)そうに眉を寄せる。

「何ですの? タイヤの痕?」

「これは失敬。冗談です」

 慌てて興梠は言った。

「かの大英帝国の生んだ大探偵が犯した〝疑わしい推理〟の一つなんですよ。でも、若い娘さん向けの話題ではなかったな。ハハハ……」

「そんなことありませんわ」

「でも、薫子さんは、探偵小説はお嫌いなんでしょう?」

「探偵小説は嫌い。でも、探偵は」

 令嬢は口早に言い直した。

「本物の探偵さんは好きです」

「さてと」

 本物の探偵はせかせかと美術書を広げた。

「まあ!」

 今日、探偵が差し出したそのページを見て、令嬢は素直に感嘆の声を漏らした。

「日本画ね? でも、こんな雰囲気は初めて……!」

「でしょう?」

 満足げに腕を組んで探偵は言う。

「ほら、この間の犬の絵。お気に召されたようだったから――多分、こちらも気に入るんじゃないかと推理しました。同じ画家の作品です」

「とても静かな絵なのね? 少年の纏った藍色が凄く素敵だわ!」

 探偵は微笑んだ。

「実は少女ですよ」

「そうなの?」

「名は木蓮(ムーラン)。この絵の題タイトルもそれです」

 よく見えるように美術書を抱えなおして少女に身を寄せる。

 仄かに揺れるフゼア・ロワイヤル。ダークスーツと対を成す完璧な香り。

「この絵はね、中国の古いお話を基にして描かれたんです。病弱な父に代わり息子と偽って兵役に就いた娘の話」

「そんな父子(おやこ)もいるのね?」

 つくづくと少女は息を吐いた。 

「父が病弱で娘は兵になるくらい頑強なのね? 私も、そんなだったら良かった! 生まれてからずっとお父様を心配させるばかりで、何の役にも立たなかった。この16年間、足手まといのお荷物だったわ、私」

「そんなつもりで僕はこの絵をお見せしたわけではないですよ」

 静かな口調で興梠は言う。

「人を思いやる心は〈どちら側〉でも一緒なんですよ。わかりますか?」

 穏やかだが揺ぎ無い口調。

 気圧されたように少女は探偵を見上げた。

「はい?」

「愛する人の存在は絶対で……何よりも大切で……かけがえのないものです。お父様にとって薫子さんはソレです。存在するだけで、そこに居てくれるだけでいいんですよ!」

「本当? 頑強でなくっても? 兵役に就けなくても?」

「ハハハハ」

 部屋いっぱいに探偵の明るい笑い声が弾ける。

「薫子さんが兵になったらそっちのほうが大変だ! お父上は心配でそれこそ気が狂ってしまいますよ」

「守ってくださる?」

 少女は細い指を突き出した。

「そら、この兵のように?」

 少女兵・木蓮の反対側の画面の端に馬に乗って今まさに駆けつけたかと見える青年兵の姿。

「お父様のことじゃなくてよ? あなたです、探偵さん。あなたは私を守ってくださる?」

 探偵は優しく首を振った。

「ご依頼としてはお守りしますが。人生においては――承諾しかねます。あなたには、これからの長い人生でもっと似合いの、もっと素晴らしいパートナーが現れますよ!」

「完全に拒否はなさらないのね? では、考慮ということでよろしくて?」

 ちょっと間を置いて、探偵は頷いた。

「それでお気がすむのなら、そういうことにしておきましょうか?」

「絵を選ぶみたいにたくさんの殿方を見た後で……やっぱり、あなただと思ったら、その時は駆けつけてくださる? 私を受け入れてくださる?」

「まあ、いいですよ」

 探偵はおどけた身振りで返した。

「助手のフシギ君に言わせれば、どうせ、きっと、世の末まで僕は寂しい独り者のはずだから」

「May I try me?」

「?」

「私の家庭教師の英語の先生、ミス・メアリ・ヒラーマンが教えて下さいました。洋服屋さんではこう言うんでしょ?」

「ああ、そのようですね」

「そんな言葉覚えても無意味と思っていたのよ。だって、私、お外でお買い物なんかしたことがないんですもの。でも、教わっていて良かった!」

「?」

「ドレスでも、試着というのがあるわ」

 令嬢はそっと頭を探偵の胸に寄せた。

「ならば 恋人も。 May I try me?」


 May I try me? 試させていただける?


「お願い。暫くこのままで」

「――」


 お洒落にこだわりを持つ探偵の、背広はあくまで英国スタイルのコンケープショルダー。

 その精悍なラインがこの日、少女の地平線だった。


「お願い。いつまでもこのままで……」



橋本関雪木蓮はこちら↓

  少々見難いですが、2番目の絵がそれです。

  http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1309/config.html





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