名誉王の真の宝

たつみ暁

名誉王の真の宝

「殿下! いずこですか、殿下!」

 アガーテース王城の廊下を、凛と張った声が突き抜ける。紫紺の長髪をうなじのところで括った騎士が、かつかつと高い靴音を立てて早足に歩いてゆく。

 一見美形の男性に見える、背の高いその騎士は、しかしよくよく見れば、眉は細長く、二重の目には長い睫毛。すらりと通った鼻は高くて、きりりと引き結んだ唇はふっくらとし、紅を載せなくとも色気を感じる。完全な女性だ。

「殿下! ローランド殿下!」

「また今日もやってるやってる」

「レイラ様の気苦労は絶えないわね」

 整った顔を台無しにするかのごとく、眉間に皺を寄せて声を張り上げる女性騎士を見て、見回りの兵や、リネンを抱えたメイド達は、微苦笑を浮かべながら囁き交わす。この騎士がこうして城中を巡るのは、珍しい事ではない。むしろ日常茶飯事だ。

「殿下!」

 普通にしていたら美しいだろう声を低めて、女騎士は再度主を呼ぶ。その時、ふっと視線を惹かれた窓の外に、ぶらぶら放り出された革靴を見つけて、彼女は深々と溜息をつき、ずかずかと窓際に寄ると、靴を見上げてきつめの声を喉から出した。

「見つけましたよ、ローランド殿下」

 泣く子がもっと泣き出しそうな、怒りを抱いた声色に、足の揺れがぴたりと止まる。

「やあ、思ったより早く見つかったな」

 顔をしかめる女騎士とは対照的に、屋根の上から降って来るのは、ちっとも悪びれた様子の無い呑気な声。

「レイラは俺を見つけるのが上手くなったね」

「毎日のように勉学の時間を放り出されて、お前が探して来いと言われれば、心当たりも絞られて来ますゆえ」

 嫌味を込めて言っても、当の本人にはちっともこたえないらしい。「あっはは」と軽快な笑い声が、からりとした蒼天を叩く。

「じゃあ、俺とレイラでかくれんぼをしたら、俺は勝てっこ無いね。すぐ見つかってしまう」

「そのような幼稚な遊びに興じるつもりは、ありませんので」

 あくまで飄々とした主に対し、女騎士はぴしゃりと答える。レイラは十七歳、彼女が『殿下』と呼ぶアガーテースの跡継ぎ王子ローランドはもうすぐ二十歳だ。無邪気に子供の遊戯をするような歳ではない。

「とにかく、早くそこからお降りください、殿下。私が教師に叱られます。陛下にも申し訳が立ちません」

「気にするなよ。怒りたい奴は勝手に怒らせておけば良い。親父殿にも申し訳うんぬんなんて感じる必要は無いさ」

「ローランド殿下が気にされなくとも、私が気にするのです」

 レイラが半眼になってそっけなく言い放つと、溜息ひとつが、頭上から零れ落ちて来た。

「レイラは頭が固いなあ。俺の事も昔みたいに、『ロラン』って呼んでくれれば良いのに」

「殿下も私も、あの頃のような子供ではありません。けじめをつける必要がございます」

 乳兄妹ゆえに、王太子とレイラは子供の頃からの付き合いである。王太子の乳母である母に連れられて城へ行き、彼と共に城の中庭を走り回って遊んだ事も、一度や二度ではない。

『ロランちゃま、ロランちゃま』

 と、舌っ足らずに愛称を呼び、王子の後ろをまろびかけながらついて行った記憶は、出来ればレイラの記憶から消し去ってしまいたいくらいに恥ずかしい過去である。ローランドの父である現王に乞われて、王太子の護衛騎士になった今でも、こうして冷やかしの種として使われるなんて、幼い自分は思いもしなかった。

「とにかく」

 揶揄するような声が屋根から降って来る。

「俺を捕まえたいなら、レイラもここまでおいで。ああでも、生真面目な騎士様は、屋根登りなんてふしだらな真似はしないかな?」

 かちん、とレイラの中で何か硬いものが矜持とぶつかる音がする。王太子が屋根登りの方がよっぽど、身分に不似合いだろうに。

 苛立ちを腕力に転化して、レイラは窓枠をつかむと足をかけて外に身を乗り出す。ここは城の三階。少しでも力加減やつかまる場所を間違えれば、宙に放り出されて地上へ真っ逆様だろう。

 しかし、優秀な騎士として文武共に長けたレイラが、そんな無様な真似をするはずが無かった。窓枠を蹴って身軽に飛び上がり、屋根の雨どいに手をかけて、一気に身体を持ち上げる。途端、陽光に照らされて天使の輪が光る黒髪と、愉快そうに細められた青の瞳が彼女の視界に飛び込んで来て、「ようこそ、騎士様」と出迎えた。

 春の日差しは燦々と降り注ぎ、このままここでごろ寝をすれば、良い具合にうとうと出来るだろう。しかしそんなみっともない真似は、護衛騎士であるレイラには許されない。そもそも屋根の上で居眠りなどして、うっかり寝返りでもしようものなら、とその先を考えるとぞっとする。

「お部屋に」「まあいいから、座って」

 お戻りください、と言おうとしたレイラの言葉を遮って、ローランドがとんとんと自分の脇を平手で叩く。この人はどんなに口で言っても、本人の気が向かない限り梃子でも動かない。仕方無く、気の済むまで付き合おうと、「失礼いたします」と断り傍らに腰を下ろす。と、一枚の古ぼけた紙がレイラの前に差し出された。一体何かと目をしばたたくと。

「名誉王フォルテの遺した宝の在り処を示した古文書だよ。古ヴォエルテ言語で書かれていたのを、ようやく解読出来たのさ」

 ローランドは奔放ではあるが、決してうつけではない。教師が与えた知識以上の勉学が出来るし、兵や侍女達と気さくに話したり、たまに勢い余って城を飛び出し下々の者と言葉を交わしたりして、そこから得た彼らの希望を父王に伝えて政治的な願いをかなえる事から、次代の王としての期待値と人気は高いのだ。

 そんな王太子の憧れの人物は、アガーテースの歴史に名高い名誉王フォルテだ。『王』と名の付くものの、彼は王だった訳ではない。戦の多かった数百年前、兄王を立てて影に日向に彼を守り、時には、アガーテース王族しか乗りこなせない飛竜を操って最前線に向かい、多くの敵を屠って国を守った。その功績により、二十八の若さにして命を落とした後、兄から『名誉王』のおくり名を与えられたのである。

 その名誉王の遺した宝とは一体何だろうか。わずかながらも興味を示してしまった事を、レイラは直後に激しく後悔する事になった。

「気になるだろう?」

 王太子が、やんちゃな少年のような笑みをひらめかせて、古文書をひらひらと振ったのだ。

「場所は飛竜で行って帰って来られる距離だ。今から一緒に探索と洒落込もうじゃないか」

 そうして彼は、レイラの返事も待たないまま、首から提げていた、人差し指の長さの木製笛を唇に当てる。ピュイー、と鳥の鳴き声にも似た甲高い音が蒼穹を貫いたかと思うと、二人の上に影が差し、蝙蝠のような雄々しい翼を広げた黒い飛竜が、風を切って現れた。ローランドとて腐ってもアガーテースの王族。自分の飛竜を持っている。

 固い鱗に覆われた、爬虫類顔の相棒を優しい手つきで撫でると、王太子はその手をレイラに向けて差し出す。

「さあ、無断で城を出て行こうとする王太子様を放ってはおけないよね、護衛騎士殿?」

 完全に嵌められた。いつもこの手で彼を追いかけさせられるのだ。

 レイラは両手で顔を覆って、深々と遺恨の息をひとつ、吐き出した。


 アガーテースは、世界の西に存在するヴォエルテ大陸は最東端の半島を領土とする王国である。大陸本土と半島を分かつミルダの山脈が存在する事で、冬は寒波が吹き降ろして雪が積もるが、その雪が融ければ春の足は早い。白い冠を戴いていた山脈には、既に青々とした草が生え、色とりどりの花が咲き乱れて、絨毯のように斜面を彩っている。

 そんなミルダ山脈を構成する山の一つに、名誉王の財宝は隠されているという。

 二人乗りの鞍を載せた飛竜、前に乗って手綱を操るローランドの後ろにレイラは座って、恐れ多くも彼の腰に手を回す状態になっていた。こんな状況を王太子の教育係にでも見られたら、とんでもない叱責が飛んで来るに違い無い。

 飛竜が羽ばたく度にその身は揺れて、耳元にはごうごうと風が流れてゆく音が絶えない。下を向いたら地上が遠くてくらりと目眩を起こすだろうが、何度も王太子の道楽に付き合っているので、高度にもすっかり慣れてしまった。

 それにレイラの気持ちは今、別の場所にあったので、恐がったりおののいたりする暇は無かった。

 国王は、いずれはローランドの妻として迎えやすくなるようにと、常日頃から彼の傍にレイラを置いておく目的で、彼女に護衛騎士の任を与えた節がある。

 それは城で働く誰も彼もが承知のようで、メイド達の茶会に引きずり込まれ、

『レイラ様は王太子殿下をどう想っていらして?』

『是非本音を聞かせてくださいまし!』

 と、彼女達に満面の笑みで詰め寄られた事がある。

 その時は、

『大事な主君として尊敬しております』

 と無難な返事でかわし、メイド達が心底残念そうな顔をしたが。

 本音を言えば、ローランドが嫌いな訳ではない。幼馴染としても異性としても憎からず思ってはいる。だが、単にたまたま彼の乳母がレイラの母だった、というだけで、レイラの実家はそんなに身分の高い一族ではない。彼との縁は偶然の賜物だ。

 上流貴族でもない家柄の女が王太子に傍づいている、という事実は、高貴な姫君達を嫉妬させるには充分な材料だった。城で開かれる晩餐会に王子の護衛として出てゆくと、彼女らはちらちらとレイラを見ながら聞こえよがしに囁き交わすのだ。

『あんな男みたいな女が、王太子殿下のお傍つきだなんて』

『一体どんないやらしい手を使って取り入ったのやら』

『殿下もみすぼらしい女につきまとわれて、お可哀想に』

 更に勇気のある輩は、ローランドが他の姫と踊って、レイラが壁際で一人きりになっている隙を狙って、わざとぶつかり飲み物を吹っかけて来たりもした。

『あら、ごめんなさい。こんな所に騎士様がお立ちとは思わなくて』

 たっぷりの嫌味を込めた謝罪ではない謝罪に、レイラは上辺の笑みを浮かべて流したが、正直、辟易して心が折れかけた事もある。

 だが、自分から護衛騎士の任を辞退しては、依頼して来た国王の願いに背く事になる。王命を蹴ったと、実家にも恥をかかせる事になる。何より、自分が王太子の傍を離れれば、奔放な彼の性格を把握しない誰かが代わりに護衛騎士について、ただでさえ自由の少ない立場であるこの人に、窮屈な思いをさせる事になる。いつも彼の気まぐれに振り回されているレイラだが、自分が離れる事で彼から笑顔を失わせる真似だけは、させたくなかった。

「見えて来たぞ」

 思考の輪にぐるぐるはまっていたレイラの意識を、ローランドの声が現実に引き戻す。彼の視線を追って目を向ければ、青い山脈の中で唯一、草木もほとんど生えずに岩肌をさらした山があった。

「あの山の中腹に、名誉王の祠があるらしい」

 文字通りお宝を前にした子供のように、きらきらと青い目を輝かせ、期待にわき立つ声を洩らす王太子の横顔は、城では見られない無邪気さに溢れている。

 ああ、この方は本当に、自由の名の元に生まれて来た方なのだな。そう感じて、我知らず口元を緩めたレイラだったが、すぐにその唇を引き結ぶ羽目になった。

 何かが高速で近づいて来る気配がする。騎士として鍛えられた感覚は、鋭敏にそれを気取った。数は恐らく、四。この速度、そして空を飛んで来るとは、人間とは思えない。ローランドも緊張に身を固くするのが、腰に回した腕越しに伝わった。

 果たしてレイラ達の予想は正しかった。『小型の飛竜』とも呼ばれる、青い鱗と鳥に似た羽根を持つ霊鳥フレスヴェルクが三体。そして彼らを率いるように飛んで来るのは、人の姿に似ているが決して人ではない。足を持たず青い半透明の姿をした幽霊のような姿は、風を司る精霊シルフだ。この世界に棲む、人ならざる存在について学んだ事はあったが、こうして実物を見るのは初めてだ。

「宝の守り人という訳かな」

 ローランドが呟くように洩らして、左手で手綱を握り、右手を腰に佩いた剣に伸ばそうとしている。それをとどめたのは、他ならぬレイラの手だった。

「殿下はそのまま、飛竜を操ってください」

 決意を込めた良く通る声で、女騎士は王太子に言い含める。自分が戦うという決意を。

「だが」

「殿下の手綱さばきの腕前を知らぬ民は、アガーテースにはおりません。殿下が足場を守ってくださるという安心感があれば、私も存分に剣を振るえます」

 それはおべっかなどではない、レイラの本心だ。ローランド以上に頼れる飛竜使いを、自分は知らない。振り返る青い瞳をじっと見つめ返すと、そこに戸惑いの熾火を宿しながらも、「わかった」と王太子は深くうなずき、前を向いた。

 レイラは彼の腰から腕をほどき、今度は肩を左手でつかんで鞍の上に立ち上がると、空いている右手を剣の柄にかけた。

『頼むよ、レイラ』自分に護衛騎士の任を依頼した時の、国王の声が脳裏をよぎる。『あの自由人について行けるのはお前しかいない。どうか、傍で見守ってやってくれ』

(必ず果たします、陛下)

 すらりと鞘走りの音を立てて抜剣し、まっすぐ眼前に刃を立てて一瞬瞑目すると、レイラはぎんと目を見開き、応と鬨の声をあげた。

 ローランドの操る飛竜が霊鳥の集団に向けて突っ込んでゆく。フレスヴェルクはきいきいと耳障りな声をあげると、ひゅうと息を吸い込み、氷の息吹を吐き出した。ローランドが鐙を蹴って合図すると、彼の相棒は即座に応え、一瞬翼をたたむ。身体に伝わる浮遊感。高度を下げる事で飛竜は霊鳥の攻撃をかわし、王太子が手綱を叩く事で再度浮き上がった。

 攻撃をかわされて怯んだ霊鳥に向けて、レイラは剣を振るう。一匹が一閃で翼をもがれて、きりきり舞いながら落ちてゆく。返す刃で背後に迫った一体を貫く。銀の輝きを宿した刃が迷わず霊鳥の急所を貫いて、剣を引き抜けば、血と羽根をまき散らしながら、敵は地上へと落下して行った。

 残るフレスヴェルクは一体。霊鳥は再び凍りつく息を吐き出し、今度は対応が遅れて、飛竜の顔にいくらかの霜が張り付いた。視界を奪われふらつく飛竜の背の上で、振り落されまいとレイラは必死にローランドの肩にしがみつく。

 しかしそこに、横からごうと突風が吹いた。不意打ちに、レイラの手がローランドから離れる。身体が傾いで、鞍からずり落ちる。

 斜めになった視界に、両手を突き出し、いやにやんわりとした笑みを浮かべる精霊シルフの姿が映る。彼女が突風を起こしたのだ、と理解した直後、世界が蒼空一色になり、レイラは何も無い中空へ放り出されていた。

 一瞬の間の後に、落下感が訪れる。このまま落ちれば、間違いようも無く、死ぬ。それを思った時、レイラの胸に浮かんだのは、死への恐怖でも、痛みへの覚悟でもなかった。

 自分が死んだら、ローランドを守る人間がいなくなってしまう。物理的にではない。王太子を守れる戦闘力を持つ人間など、いくらでもいる。レイラより屈強な騎士は両手に収まらないほど存在するだろう。そんな問題ではないのだ。彼を理解し、彼の気ままな行動に付き合って、彼の笑顔を守れる人間がいなくなってしまう。

 それを思うと、目の奥が熱くなる。勝手に涙が溢れ、粒となって空に舞う。自分の命が危機にさらされている時、脳裏をひたすらに占めたのは、大切な人の行く末だった。

 だが、その直後。

「――レイラ!」

 とてつもなく真剣な声色が耳を刺し、視界一杯に黒が広がったかと思うと、レイラの下に回り込む。どさりと音を立てて誰かの腕が自分を抱き留め、落下の勢いによる衝撃を殺す為に更に降下する。少しずつ、少しずつ、降る速度を落として、やがて飛竜はふわりと浮き上がり直した。

「間一髪、だったな」

 心底安心した、という聞いた事も無いくらい柔らかい声が至近距離で耳を撫でる。ぱちくりと目をまたたかせ、ふっと見上げれば、あと指数本分間を詰めれば接吻出来るのではないかという近さに、王太子の顔があった。

 しばし、状況を把握しきれず呆けてしまったが、次第次第に現状を認識してゆく。とてつもなく間近にある青の瞳。抱き締めてくれる意外に逞しい腕。

 そう。レイラは今、ローランドの腕の中に抱かれていたのだ。自分にはとんと縁が無いと思われていた、いわゆる「お姫様抱っこ」の状態で。

「な、何て無茶を!」

 礼より先に飛び出して来たのは、呆れ切った声だった。仮にも王太子が、騎士一人の命の為に危険を冒すなど、あまりにも馬鹿げている。しかし。

「無茶はお前だ!」

 逆に怒鳴り返されて、反撃の狼煙を立てられずに、息を呑む。更に続けられた言葉に、レイラはとうとうそれ以上の言を紡ぐ機会を失ってしまった。

「お前を失って得る宝なんかに、意味など無いだろうが!」

 どういう事だそれは。台詞以上の深い意味があるのか。狼狽えて「あ、あの、その」以上が出て来ないレイラと、いつに無い怒りを瞳に包括して見下ろして来るローランドだったが、そんな二人の頬を、優しい風が撫でていったので、揃ってはっと我に返り、風の流れて来た方向を見やる。

 精霊シルフだった。たった今、レイラを危険にさらした凶悪な性質が嘘のように穏やかな表情を浮かべた彼女は、すっと一方向を指差すと、残ったフレスヴェルクを従えて軽やかに空を飛んで行く。

「ついて来い、って事か?」

 首をひねりながらも、ローランドは飛竜に後を追わせようとする。そんな彼の腕の中で、レイラは恥ずかしさに身をよじった。

「殿下、お降ろしください。自力で座れます」

「駄目だ」

 即答で返って来たのは、否定の言葉だった。抱き締める腕に更に力がこもる。

「まだ震えているだろう。大人しくしているんだ」

 言われて、両手を見る。小刻みに震え、全身もがくがくになっている事に、レイラは初めて気づく。

 だが。

 ローランドの腕の中にいると、温もりが伝わって来る。震えが治まってゆく。昂っていた気持ちが凪いでゆく。今は彼の言葉に身を任せよう。深い息をついて、レイラは素直に王太子の腕に頭を預けた。


 シルフが二人を導いた先には、伝承通り、古ぼけた祠があった。飛竜を近くに降り立たせ、レイラを横抱きにしたままローランドがその背から降りて、中へ入ってゆく。

 祠の中には、金貨の一枚、宝石の一粒すら落ちていなかった。その代わり、石碑がひとつ、ぽつんと存在している。精霊はその石碑に近づいたかと思うと、淡い笑みをひとつ残して、空気に溶けるように消えた。いつの間にか、残ったフレスヴェルクもいなくなっている。

「殿下、もう大丈夫です。歩けます」

 ようよう震えが治まったレイラが訴えると、王太子はまだ不服そうな顔をしながらも、彼女を地に立たせた。強がりを言ったもののまだ膝が笑っているかと思ったが、腐っても騎士、しゃんと立つ事が出来た。

 二人並んで石碑に近づく。古ぼけたその表面を手でなぞって目で文字を辿り、王太子と護衛騎士は同時に目を瞠った。

『ここに辿り着いた君達なら、真の宝が何か理解している事を期待する 名誉王フォルテ』

『名誉王』の部分だけ筆跡が異なるので、後から付け加えられたようだが、これが名誉王の遺した遺産であるらしき事は明白だった。そしてそれが何を示すかも。

 名誉王には生涯愛した女性がいる事は有名な話である。互いの背を守り、死の瞬間まで共に戦場を駆けた麗しき女騎士の伝説は、レイラが幼い頃、母が枕元で語ってくれたおとぎ話だった。彼女に憧れて、彼女のように大切な人を守れるようになろう、と騎士を志したのだ。

「真の宝、か」

 宙を仰ぎ、ローランドがぽつりと呟く。青の瞳がこちらを向いて、優しげに細められた。

「俺は見つかったかな」

 レイラの心臓が激しく脈打っている。彼の笑顔がいつにも無いほどに輝いて見えて、どう反応すれば良いのか困ってしまう。

「私も」

 ようやく出て来たのは、騎士叙勲を受けた時以上に緊張した声と、まだ顔面の筋肉が上手く動かないで引きつった笑顔だった。

「わかりましたよ。ロラン様」

 十数年ぶりの愛称に、たちまち王太子の瞳が見開かれる。伝わっただろうか。自分もどんな財宝よりも神々しく尊い宝を手に入れられたと。彼の本心を知る事が出来て、どんなに嬉しかったかと。

 ローランドの腕が伸ばされて、すっぽりとレイラを包み込む。そのまま王太子と女騎士は見つめ合い、微笑みを交わすと、ごく自然に唇を重ねた。


『あーあ、もう泣くなよ』

 城の中庭で転んで派手に膝をすりむき、大泣きした後、いまだすんすんとはなをすすり上げる少女の頭を撫でながら、王子は呆れ切った声を洩らした。

『そんな泣き虫じゃ、お嫁の貰い手つかなくなるぞ』

 途端、乾きかけた少女の目がまた一瞬にして潤み、涙と鼻水が同時にでろんと垂れる。

『いいもん!』

 ぶんぶん頭を振りながら、少女はきかん坊のようにわめき散らす。転んだ上に、泣きながら力任せに握り締めたせいで、花柄のワンピースはすっかり土埃まみれの皺くちゃになっていた。

『およめちゃんならなくていいもん! レイラはロランちゃまといっしょにいるもん! ずっと、ずっと!』

 青の瞳が困ったように細められ、しばし宙を彷徨う。しかし唐突に、『じゃあ』と、名案を思いついたとばかりにその目が半月型になり、ひんやりした手が少女の涙と鼻水を拭う。

『お前、行先に困ったらおれのところにおいで。おれがお前をお嫁さんにしてやる』

 途端に、しゃっくりのような声を出して、少女がぴたっと泣き止んだ。

『……ほんと?』

 真ん丸い瞳が、おそるおそる、確かめるように王子を見上げる。

『ロランちゃま、ほんとにレイラをおよめちゃんにしてくれる?』

『ああ、本当だ』

 王子は少女を安心させるようににっこりと笑むと、『絶対の、約束』小指を立てて少女の前に差し出す。

『……やくそく!』

 たちまち少女がぱあっと笑顔をひらめかせ、つかみかからん勢いで小指を出して、絡め合った。


 遠い日の子供同士の約束は、もうすぐ果たされようとしている。きっとどんな困難が待ち構えていても、二人一緒なら、乗り越えて行けるはずだ。

 ひゅひゅひゅんと、風の音が聴こえる。それはまるで、精霊が二人を祝福して笑っている声のようだった。

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