第49話 Duell―決闘―

「ゲッツよ。愛の語らいは、終わったか」


「え? う、うむ……」


 すっかりドロテーアとの二人きりの世界に入っていたゲッツは、ケヒリのしわがれ声で現実に引き戻され、少し気恥ずかしそうに答えた。


「ここにいるヘルゲとボヘミア兵は、全員、お前に降る。それゆえ、ローマ王への助命嘆願を頼みたい」


「ああ、分かった。俺が、必ず、あんたたちの命を助ける」


 ゲッツがうなずくと、ケヒリは頭を振り、「俺の命まで助けろとは、言っていない」と言い、左手で握った剣の切っ先をゲッツに向けた。


「ゲッツ、お前との一騎打ちを所望する」


「まさか、お前、キリアンとの決着を、あいつの息子であるゲッツと一騎打ちすることで……」


 タラカーがそう呟くと、ケヒリはタラカーにニヤリと笑った。


「貴様のことを卑怯者だと馬鹿にしていたが、今は感謝しているぞ。貴様が、キリアンの息子を俺の元まで導いてくれたのだな。俺は、生涯に戦った敵の中で最も誇り高く強かったキリアンと最後まで戦うことができなかったことが残念で仕方なかった。守るべきものを見失い、ひたすら殺戮の道を歩んでいた俺に、あいつは親友を守るために立ち向かって来た。騎士として、一個の人間として、キリアンは美しい男だった。この男の手にかかって死に、孤独で果てしない戦いの日々から解放されるのならば、俺は本望だと、あの時、戦いながら思っていたのだ。だが、その願いは叶わなかった。……ゲッツよ、お前の父の代わりに、この俺を楽にしてくれ。もう、人殺しは疲れた」


 ケヒリは、すでに決めているらしい。おのれの人生の幕の降ろし方を。ゲッツに、戦っても戦っても生き残ってしまって降りるに降りられなかった舞台から、降ろして欲しいのだ。


「……お前が、それを望むというのならば」


 ゲッツは、トーマスにドロテーアを預けると、ケヒリと対峙した。


「ち、父上……」


「ヘルゲ。お前は手出し無用だ。これは、戦士と戦士の決闘だ。俺がゲッツに殺されても恨むことなく、今後もこの男の友でいるのだ」


 ゲッツ隊、ジッキンゲン隊、ボヘミアの兵たちが固唾を呑んで見守る中、二人の戦士は、ゆっくり、ゆっくりと睨み合いながら歩み寄って行く。


 …………朝日が、東の空の闇を払い、昇り始めた。


「いざっ!」


 ゲッツが、鉄の手で剣を振りかざし、ケヒリに突撃する。


 ケヒリは、バッとかわし、長剣の刃を口にくわえ、腰の後ろに差していた短剣を抜いてゲッツの顔面めがけて素早く投げた。


 ケヒリの得意技が投擲とうてきであることを熟知していたゲッツは、次の手はそう来るだろうとすでに読んでいて、ケヒリが投げる体勢を取った瞬間には身をひるがえしていた。短剣はゲッツの体にほんの少しも触れることなく、塔の外へ飛んで行った。ゲッツは安心しかけたが、


 シュッ!


 と、ケヒリが口にくわえていた剣を投げてきたため、「うげっ!?」と驚いた。まさか、手元にある最後の武器まで投げてくるとは思わなかったのである。かわす間もなく、慌てたゲッツは鋼鉄の義手を自分の顔面の前にさっと出した。


 カキン! という金属音と、鉄の手から伝わる激しい衝撃。手首の切断部に痛みが走り、ゲッツは顔を歪める。どうやら防げたようだと思い、ゲッツは視界から義手をどけた。


 目の前に、ケヒリが徒手空拳としゅくうけんで迫って来ていた。


「なめるな!」


 ゲッツはそう叫びながら剣を一閃いっせんした。


 ケヒリは、左の拳をゲッツめがけて繰り出す。ゲッツの剣が、ケヒリの左手の小指を切断して肉を切り裂いたが、捨て身のケヒリは拳をそれでも前に突き出し、ゲッツの横面よこつらに入魂の一撃を食らわした。


 殴り倒されたゲッツは、ケヒリの追撃を受けないように、ゴロゴロと転がり、ケヒリと距離を取ろうとした。


「ゲッツの兄貴! 塔から落ちるぞ!」


 ジッキンゲンの声がして、ゲッツはハッとなった。転がり過ぎて、危うく塔から落ちそうになったのである。そうだった。壁は崩落してしまっていたのだ。ゲッツは慌てて壁際かべぎわから離れ、立ち上がった。


 その時には、ケヒリは自分が投げた長剣を拾い、ゲッツに剣の切っ先を向けながらじわじわと接近して来ていた。しかし、小指を失い、剣を持つ手にもあまり力が入っていないはずだ。


「ケヒリ! これで終わりだ!」


 ゲッツは、ダッと地を蹴り、ケヒリの心臓めがけて剣を突き出した。しかし、途中でぐらりと目まいがして、ゲッツは「うっ……」とうめき、立ち止まってしまった。どうやら、体力の限界が迫ってきているようだ。(こんな時に、まずい……!)とゲッツは焦った。


「ゲッツ! 覚悟!」


 ケヒリが、剣を振り落とす。


 「ゲッツ殿!」というドロテーアの悲鳴。


 その声を聞き、惚れた女の目の前でかっこ悪い所を見せられるかとゲッツは歯を食いしばった。そして、剣を乱暴に横に振り、ケヒリの剣をはね返した。だが、ケヒリは四本指で握っているというのに剣を落とさず、ゲッツを蹴飛ばしたのである。数歩よろめいたゲッツは、何とか倒れるまいと、剣を支えに踏ん張った。


「ち、ちくしょう。よくも……。あ、あれ? 剣が抜けねぇぞ?」


 足元を見ると、ケヒリがさっき殺した騎士の死体に剣が突き刺さっていたのである。ゲッツは慌てて抜こうとしたが、慌てると余計に抜けず、「くそ! くそ!」とわめいた。


「剣が突き刺さって身動きができなくなるとは、不覚を取ったな。お前になら、俺を殺せると思ったのだが……」


 ケヒリは、失望の表情を浮かべてそう言った。そして、剣を刺突の構えにして、ゲッツに突進して来たのである。


「油断をして敗北するとは、それでもキリアンの息子かぁーーー!」


「…………油断をしたのは、てめえのほうだ! ケヒリ!」


 ゲッツはそう叫びながら、鋼鉄の義手の手首にある二つのボタンを同時に押した。ガシャンと五本の指が開き、鉄の手は剣を放す。


(何!? あの義手には、そんな仕掛けがあったのか!)


 驚愕きょうがくしたケヒリは、目を大きく見開いた。


 ゲッツは上半身を反らし、ケヒリの突きをかわす。そして、鋼鉄の手で掌底しょうていを食らわし、勢いよく飛び込んで来たケヒリの右の頬骨を粉砕ふんさいしたのである。


「うごっ……!」


 ケヒリは、剣を手から放した。


 その剣をゲッツは左手で拾い、力いっぱい踏みこんで、隻腕せきわんの老剣士の腹部に渾身こんしんの一撃を叩きつけた。鎧が剣を弾いたが、ゲッツの怪力によるその衝撃は凄まじく、ケヒリの内臓のいくつかが破壊された。


 ごぼっと大量の血を吐き出したケヒリは、後ろへとよろめき、朝日を背にして立つ。


 ゲッツは、ケヒリと向かい合い、鋼鉄の義手を突き出した。そして、力強い声でこう誓ったのである。


「この鉄の手は、俺の父がお前のために作らせていた義手だ。俺は、父やお前の闘志を受け継ぎ、この鋼鉄の義手で戦い抜いていく」


「…………」


 ケヒリは、左の頬をひくひくとゆがませた。微笑んでいるらしい。そして、左の拳をゲッツに突き出した。


(俺は、この一生で何も残せなかったわけではなかったのだな。この鉄腕の男の心の中で、俺は生き続ける……)


 ケヒリはそう満足し、声にならぬ声で「母よ」と呟くと、後ろに倒れ、塔から身を投げたのであった。


 ヘルゲの「父上! 父上ぇーーー!!」という嗚咽おえつの声が、暁の空に響いた。



            *   *   *



 ゲッツは、しばらくの間、泣き崩れるヘルゲの背中を左手でさすってやりながら朝日をじっと睨んでいたが、やがて、振り返り、仲間たちに言った。


「俺は、誇り高きボヘミア戦士の死を見届けた。生涯、決して忘れない」


「ああ……。それでいいんだ。あの男は、自分の死を悲しまれるよりも、ゲッツにそう言ってもらったほうが喜ぶよ」


 タラカーが頷き、ゲッツの肩をポンと叩いた。


「ゲッツの兄貴、早くここを降りようぜ。城内の戦いも、終わってしまったみたいだ。地上から銃声の音が聞こえなくなった」


 ジッキンゲンがそう言うと、カスパールも、


「こんな塔の最上階まで馬のシュタールを連れて来ちまったから、さっきからシュタールが不安そうにしている。早く降りよう」


 と、ゲッツに困り顔で訴えた。そんな時、エッボが「……ちょっと待ってください」とおどおどした声で言った。


「シュタールが不安がっているのは、ここの階に誰かの部隊が迫って来ているからかも知れません。たくさんの足音が……」


 一同が、エッボの言葉に驚き、階段に視線をやった。その直後、


 ズダーン!


 一人の兵士が、階段から駆け上がって来るなり、発砲したのだ。その弾丸は、ゲッツめがけて――。


「ゲッツ!」


 タラカーが、ゲッツの前に出た。銃弾はタラカーの胸の中央に命中し、老いた盗賊騎士はバタリと倒れた。


「た……タラカー! タラカーの親父っ!!」


 ゲッツが倒れたタラカーの体を揺すると、タラカーは微笑みながらゲッツのいる方向に視線を向け、「ご……ごめんよ……」と呟いた。


「ごめんよ、キリアン……。俺……ずっと……お前さんに謝りたく……て……」


「タラカーの親父……。あんた、もしかして……」


 ゲッツは、ようやく気づいた。


 この人は、父がその身を犠牲にして助けた親友ハンス・フォン・マッセンバッハだったのだ。


 彼は、親友を置き去りにして逃げてしまったことを悔い、その罪を償うために、ブランデンブルク辺境伯の元から逐電ちくでんして鬱屈とした日々を送っていた親友の息子であるゲッツを城から外に連れ出して広い世界を見せてくれていたのである。そして、ゲッツの成長をそばで見守ってくれていたのだ。父親代わりとして……。


 ゲッツは、涙を流しながら、タラカーの右手に鉄の手を添えた。そして、こう笑いかけたのである。


「ハンス、お前は俺の親友だ。とっくの昔に許しているさ……」


 その言葉を聞いたタラカーは目をつぶり、コクリと頷くと、「ありがとよ……」と言った。それが、最後の言葉だった。


 盗賊騎士タラカーは、微笑んだまま逝った。


 タラカーを「親父」と呼んで慕っていた、ゲッツ、トーマス、エッボ、ハッセルシュヴェルト、カスパールら若者たちは、一斉に絶叫し、泣き喚き、そして、激昂げっこうした。


 その間にも、階段から大勢の兵士たちがあふれて出て来て、ゲッツたちを包囲したのである。


「てめら、どこの部隊だ!」


 ゲッツがタラカーの亡骸なきがらを抱きながら言うと、兵たちに守られながら現れたのは、ミュンヘン公アルブレヒトだったのである。


「やれやれ……。クンツの馬鹿が仕事を放棄したせいで、捜すのに苦労したぞ。……貴様たち、命が欲しくば公子たちを渡せ」


 狡猾公こうかつこうの兵たちは、気配から察するに、最上階にいるのは一部の兵だけで、階段や下の階にも大勢の人数がいるようだ。


「ひ、卑怯だぞ、狡猾公! 味方に刃を向けるなんて……」


 幼い公子たちを背中で隠すように前に出てジッキンゲンがそう抗議すると、アルブレヒトはフンと鼻で笑った。


「卑怯? 狡猾公と渾名あだなされているわしには、褒め言葉だな。……ゲッツよ、ろくでなしの盗賊騎士であるお前には、このガキどもを命に代えて助けるような理由などないはずだ。さっさと儂にガキたちを渡すがいい」


 アルブレヒトが傲岸ごうがんな口調でそう命令すると、ゲッツはタラカーの遺体を寝かせてゆらりと立ち上がり、「うるせえよ」と凄みのある声で言い、アルブレヒトをにらみつけた。


「お前にろくでなし呼ばわりされるいわれはないぞ。お前のような、人を上から見下して、人の想いを踏みにじり、人の絆を切り裂くような人間こそが、ろくでなしじゃねぇか。……それから、この子たちをお前から守る理由なら二つあるぞ。一つ目は、ループレヒト公には恩がある。そして、二つ目は……お前が気に食わねぇっていうことだよ!」


「な、何だと……。き、貴様……よくも王の義弟に向かって……!」


 怒りに震えるアルブレヒトは、鼻をおさえた。いつもの癖で鼻血が出そうなのだ。「こ、こいつを殺せ!」と叫んだが、兵たちはゲッツに鬼気迫るものを感じ、おびえて誰も攻撃しようとはしない。


 そして、ゲッツは、アルブレヒトに必殺の一言を投げつけたのである。


「目障りなんだよ、お前。今すぐ、俺の目の前から失せろ。それが嫌なのなら――俺の尻をなめやがれ!!」


「な……! なっ、なっ、なぁぁぁ!?」


 失せろだと? 尻をなめろだと? 生涯でこれほどの侮辱を受けたことはない! 怒りで全身の血が噴き出しそうだ!


 ぶっ!! と、まるで大喀血だいかっけつをしたかのように、アルブレヒトは鼻から血を噴き出し、五体を痙攣けいれんさせ、白目をき、ぶっ倒れた。


 その直後、フルンツベルク率いるランツクネヒト隊が、下の階のアルブレヒトの兵たちを押しのけ、最上階に駆けつけたのである。


「公子たちはジッキンゲン殿の部隊が保護せよとのローマ王の命令だ! ジッキンゲン隊とそれに協力するベルリヒンゲン殿の部隊以外の兵は、公子たちに指一本触れてはならん! もしも、王命に逆らう者があれば、私が誰であろうと叩き斬る!」


 フルンツベルクはそう怒鳴って狡猾公の兵士たちに威嚇いかくした。そして、


「おや? ミュンヘン公は……?」


 と、周囲を見回したのである。


 ゲッツは指差して、フルンツベルクに教えてやった。


「フルンツベルク。狡猾公なら、お前が踏んづけているぞ」

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